法務大臣の「軽い」発言
11月11日、葉梨康弘法務大臣が辞任した。「93日間の法務大臣」。これは、1994年の永野茂門(羽田孜内閣)の11日間、「大型連休中だけの法務大臣」よりは長いが、辞任理由となった発言内容からすれば、永野のような歴史認識問題ではなく、法務大臣が決定的役割を果たす死刑制度に関わる重大問題なので、ここで少し立ち入って論じておくことにしよう。
法務大臣の死刑執行命令
14年前、直言「法務大臣という職」をアップした。それはこう始まる。「法務大臣に任命されるとき、ある覚悟を求められる。それは、死刑執行命令書の決裁である。赤鉛筆で自署するといわれている。刑事訴訟法475条1項「死刑の執行は、法務大臣の命令による」。同2項「前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、…再審の請求…がされその手続が終了するまでの期間…は、これをその期間に算入しない」。同476条「法務大臣が死刑の執行を命じたときは、5日以内にその執行をしなければならない」。判決確定から「6箇月以内に」執行されるケースはほとんどないが、大臣の執行命令が出れば「5日以内に」確実に執行されてきた。…」
死刑執行に至る流れをこのように書いて、歴代の法務大臣のなかで、死刑執行命令書に署名しなかった大臣として、「そんなことしたら俺に迎えがくる」といって拒否した赤間文三(1967~1968年)や、浄土真宗僧侶の左藤恵(1990~1991年)、死刑廃止論者の杉浦正健(2005~2006年)の例を挙げている。他方で、一度に23人も署名して現場を混乱させた田中伊三次(1966-67年)や、「法相が個人的な思想・信条・宗教観で死刑を執行しないのは間違いだ。それならば法相の職を辞するべきだ」といって、再審請求中の1人を含む3人の死刑執行を命令した後藤田正晴(1992-93年)の例も挙げている。死刑をめぐる法務大臣の発言として私の記憶に鮮明なのは、「ベルトコンベア」発言である。
死刑の「ベルトコンベア」
葉梨康弘と違って、マスコミへの露出度が格段に高かった大臣が、自民党の鳩山邦夫(鳩山由紀夫元首相の弟)だった。冒頭右の写真は、裁判員制度のキャンペーンを買って出て、「サイバンインコ」のぬいぐるみを大臣自ら着用した写真である。そこに重ねたのは、『新潮45』(杉田水脈の「同性カップルは生産性がない」などの主張を掲載して休刊に追い込まれた雑誌)の2008年8月号に掲載された、「死刑執行を命ずる法務大臣は「死に神」」という論点への鳩山のインタビュー「だから私は死刑をやめない」である。鳩山は、第1次安倍晋三改造内閣の法務大臣だったが、内閣総辞職後の記者会見で、死刑制度について物議をかもす発言をしている。直言「死刑とベルトコンベア」から引用しよう。
「…判決確定から半年以内に執行するという法の規定が事実上、守られていない。法相が絡まなくても、半年以内に執行することが自動的、客観的に進む方法はないだろうか。…(確定の)順番通りにするか、乱数表なのか分からないが、自動的に進んでいけば『次は誰』という話にならない」。この鳩山発言のなかの「順番通りに」の前に、「ベルトコンベアと言ってはいけないが…」という一言が入っていた。…もともと大量生産のラインで、流れ作業を円滑に行うために発想された装置である。死刑制度を維持している国も、法治国家である以上、ベルトコンベア式に死刑を執行することはできない。また、法務(司法)大臣の地位にある者が、死刑について「ベルトコンベア」という言葉を使えば、ヨーロッパならアウシュヴィッツを想起させるだろう。まったく不見識である。鳩山法相の問題意識は、大臣の執行命令を簡略化して、悩ましい判断をしないでもすむようにして、「罪の意識」を減らしたいということだろう。だが、死刑に関わる現場からみれば、きわめて無責任な発言とうつる。…」
前述の直言「法務大臣という職」の終わりの方で、私は次のように指摘している。「…(鳩山法務大臣は)昨年[2007年]12月から、今年[08年]の2、4、6月と、2カ月おきに 執行を続け、「ベルトコンベア」方式を自ら実践している。彼が、死刑囚の「著名度」も考慮に入れ、話題性を狙ったということはないか。このままでいくと、想像したくないことだが、この8月には、サリン事件などに関わる大物の処刑で、この人は法相としての最後を飾ろうとするのではないか。」と。
この私の予想は外れたが、第1次安倍改造内閣の鳩山法務大臣ではできなかったオウム関係の死刑執行は、第4次安倍内閣の上川陽子法務大臣のもとで行われることになる。
死刑執行の前夜、飲み会を仕切る法務大臣
2018年7月6日、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら教団元幹部7人の死刑が執行された。執行前夜、赤坂議員宿舎で開かれた「赤坂自民亭」なる飲み会において、「死刑のはんこ」を押した上川大臣が「女将」(おかみ)役をやったとされている。首相の隣に座り「いいね」のポーズをとっている(片山さつき参議院議員のツイッター2018年7月5日22:58の写真)。親指を立てるのはツイッターの「いいね」もあるが、中東では非常に下品なしぐさで、ヨーロッパでもギリシャでは侮辱のサインになるという。死刑執行命令書への署名と「死刑のはんこ」のために使った右手を、その直後にこのように使ったわけである。しかも、この時間帯は、西日本に「大雨特別警報」が出され、「西日本豪雨」として記録される大きな被害が出ていた頃だった。直言「「危機」における指導者の言葉と所作(その2)――西日本豪雨と「赤坂自民亭」」をお読みいただきたい。
この「直言」のなかで、上川を私はこう批判している。「…同一事件で7人もの大量の死刑執行を命令してその執行を翌日に控えて、それを決定した本人が「いいね」ポーズをとるというのは、大臣以前に人間としてどうなのか。末席でおとなしく飲むのではなく、「女将」役で場を盛り上げたようなので、なおさら理解できない。この政権はとっくに底が抜けているが、これはあまりにもひどい。…」と。
なお、オウム真理教関係では、7月26日に6人の死刑が執行され、合計13人となった。
「第4審」としての大臣決裁?
先週まで法務大臣だった葉梨康弘の発言の本質的問題性はどこにあるか。法務大臣は地味な仕事にたずさわり、目立つとすれば、せいぜい死刑執行の時くらいといいたいらしい。私の記憶では、死刑執行は「密行主義」で、そのニュースはそれこそ地味で、かつては執行後に法務大臣が注目されることはあまりなかったように思う。前述の鳩山邦夫あたりから死刑に饒舌な大臣が出てきて、マスコミも騒ぐようになったわけで、従来、法務大臣は死刑執行に対して寡黙であるのが一般的だった。葉梨は勘違いも甚だしい。岸田派の外務副大臣の政治資金パーティで、いわば「自虐ネタ」として披露したのかもしれないが、彼はこれにとどまらず、「外務省と法務省は票とお金に縁がない」という発言までしている。このあたりにも、選挙のときに統一教会に依存してしまう自民党の政治家たちの「弱さ」があらわれているように思う。
「死刑のはんこ」発言によって浮き彫りにされたのは、死刑執行を最終的に決定する政治家大臣のいいかげんさである。地裁、高裁、最高裁までいって死刑判決が確定しても、その執行は法務大臣の命令による(刑事訴訟法475条1項)。三審制の日本でいえば、死刑についてのみ「第四審」として大臣決裁が機能している面は否定できない。確かに、死刑確定後、6カ月以内に執行することになっているが(同2項)、その期間内に執行されることは滅多にないどころか、かなり長期にわたって執行されないのが一般的である。法務大臣の執行命令がいつ出るのかは、死刑囚はもとより、処刑を行う現場の誰にもわからない。ただ、大臣の命令が出れば、5日以内に執行される(476条)。これだけはしっかり守られる。人の命に関わる事柄が、前述の死刑に饒舌な鳩山邦夫や、死刑執行命令書への署名を拒否した赤間文三のような政治家大臣の政治判断に委ねられていることに問題がある。死刑執行が政治的に利用されるおそれはないか。オウム13人の大量処刑について、安倍政権が政治的効果を狙った疑いは拭いきれない。
なお、大臣決裁は、実務的には、法務省刑事局総務課長、刑事局長、秘書課長、官房長、事務次官の押印がなされた「死刑事件審査結果(執行相当)」があがってきて、副大臣と大臣の署名で完成する。大臣の場合、閣議の際と同様、花押を使っている。葉梨も閣議では花押を使っていたはずなので、「死刑のはんこを押す」といったのは、一般の人向けの言葉だったのだろう。この写真は、東京新聞が情報公開請求で入手した、秋葉原殺傷事件の加藤智大元死刑囚の「執行命令書」である(『東京新聞』2022年11月12日付社会面肩)。全国の死刑囚の状況を把握している法務省の事務方が、「粛々と」手続を進め、最終的に大臣が最後の決断を行う。
『朝日新聞』には、今回の葉梨「死刑のはんこ」問題に関連して、2名の法務大臣経験者のコメントが掲載されている(2022年11月12日付)。1人は千葉景子元大臣(2009-10年)で、「死刑を笑いをとるための世間話にしてしまった」「一発アウトの発言で、葉梨氏も首相も、もっと早く決断すべきだった」と批判する。死刑廃止の立場だったが、在任中に2人の執行命令書に署名し、大臣自ら執行に立ち会うという異例の姿勢を見せた。もう1人は平岡秀夫元大臣(2011-12年)で、2人の執行を検討したが、大量の書類を読み、法務省内で議論した結果、執行命令は出さなかった。世界の死刑廃止の傾向を踏まえ、国民的な議論が必要と考えたからだという。
死刑廃止の潮流のなかで孤立する日本
平岡がいうように、世界は死刑廃止の方向に向かっている。アムネスティインターナショナルによれば、2020年12月末の時点で、死刑を全面的に廃止した国は108カ国、通常犯罪について廃止した国が8カ国、死刑執行を行わない事実上の死刑廃止国が28で、計144カ国である。死刑を存置しているのは、イラン、イラク、中国、アフガン、北朝鮮、米国、日本など55カ国である。米国の場合、23州で死刑を廃止し、13州で10年以上執行していない。韓国は1997年から死刑を執行していない。また、死刑廃止条約(自由権規約第2選択議定書)の批准国は、昨年(2021年)、カザフスタン(イスラム教徒が7割を占める)が加わり、90カ国になった。
葉梨前法務大臣の「死刑のはんこ」発言による辞任のニュースは、ヨーロッパではどう受け止められただろうか。例えば、『南ドイツ新聞』11月11日(デジタル版)は、次のように書いている。「世界第3位の経済大国である日本は、先進国の中で死刑制度を維持している数少ない国である。人権活動家たちは、日本における死刑執行の扱いや刑務所の状況を長年にわたって非難してきた。また、各国政府は、死刑囚が死刑執行の日を知らされないことを特に残酷だと批判している。死刑を宣告された人々は、何年も独房で暮らすことが多い。ついに法務大臣から執行命令が下ると、彼らの多くは余命数時間である」と。
岸田首相は、新任の法務大臣の任命とその認証の手続のため、ASEAN関連首脳会議、G20バリ・サミット、およびAPEC首脳会議参加のためのフライトを10時間近く遅らせてしまった。なぜ遅れたのかの理由が、死刑発言をめぐるごたごたであることから、世界各国首脳やメディアに、日本が死刑をまだやっていることが改めて認識されることになった。
もう死刑の執行はできない?
16年前の直言「ふたつの第9条(その2)」の末尾をこう結んだ(一部加筆修正)。
「日本政府が国連で死刑廃止条約に反対した理由は、国民世論が死刑を支持しているということに尽きる。だが、「国民感情」の変化を待っていては、日本は永久に死刑を廃止できないだろう。死刑を廃止したほとんどの国で、国民感情、国民世論は死刑を肯定している。1981年に死刑(ギロチンを使用)を廃止したフランスにおいても、廃止の時点で国民の62%は死刑を支持していた。ミッテラン政権のバダンテール法相は、「民主主義は世論に追従することではなく、市民の意見を尊重することである」と述べて、あえて世論の多数に抗して死刑を廃止する決断を行った(ロバート・バダンテール=藤田真利子訳『そして、死刑は廃止された』作品社、2002年参照)。立法にあたる者は、「国民感情」を安易に持ち出して逃げるのではなく、国民に積極的な問題提起を行い、長期的視野に立った決断することが求められる。」
「死刑のはんこ」という言葉を葉梨が広く意識させてしまったことにより、死刑執行の最終手続である大臣署名のハードルが一気にあがってしまったのではないか。今後、法務大臣は死刑の決裁にあたり、常に「葉梨康弘」というトラウマを抱えていかなければならない。「死刑のはんこ」は、死刑の終わりの始まりとなるだろうか。
【文中敬称略】