もう一つの10年――笹子トンネル天井板崩落事故
毎年、この時期になると思い出す。2012年12月2日(日)午前8時3分、中央自動車道笹子トンネルの上り線で天井板が138メートルにわたり崩落して、走行中の自動車3台が下敷きとなり、トンネル火災となって9人が死亡した事故のことを。八ヶ岳の仕事場で原稿書きをしていた私は、上り線の渋滞情報を踏まえ、東京の自宅に向けて朝7時に出発する予定だった。しかし、原稿が仕上がらず、出発時間を10時と決め、NHK「日曜討論」(総選挙投票日2週間前で全11政党出席)を流しながら仕事を続けた。民主党(当時)の長妻昭・選対本部事務局長代理(政策担当)が発言中、煙の出ているトンネルの映像に切り替わった。公示2日前の政党討論を途中で切るというのは、「発言の公平性」が特にうるさい選挙前では異例中の異例である。何事かと思って画面を見つめると、笹子トンネルとわかった。背筋に冷たいものが走った。そのあたりの経過は、事故直後の「直言」、その後の経過については直言「雑談(124)」参照のこと。なお、冒頭右の写真は、初狩PAにある事故慰霊碑である(「追悼の碑」と初狩PAにある逆走禁止の標識)。
Googleマップを使って調べてみると、仕事場からトンネル入口までの距離は68.9キロ、平均所要時間は58分と出る。7時に出発することにしていたので、8時にはトンネルに入っていたことになる。出発を3時間延長していなかったら、私はこの世にいなかった可能性が十分にある。事故原因は、天井板を支えるボルトの強度不足とされ、長年にわたる劣化に加え、点検や維持管理の不十分さも指摘されている。全国に同様の問題を抱えているトンネルや橋は3万7000箇所もあるという(NHK首都圏ナビ「笹子トンネル事故10年」参照)。
ところで、その「12月2日」から2週間後の2012年12月16日(日)は、第46回総選挙の投票日だった。「近いうち解散」による総選挙で、前回選挙より約10%減の59.32%という、「戦後最も低い投票率」であった。3カ月前の9月26日(水)の総裁選において19票差で総裁に選出された安倍晋三の自民党が大勝した。そして、12月26日(水)、第2次安倍内閣が発足した。第1次安倍内閣の総辞職から5年で復活したこの内閣のことを、私は、「「憲法突破・壊憲内閣」の発足」と特徴づけた。今日は、それから10年にあたる。
「某霊」が永田町を徘徊している
「某霊」とは誰の霊か。マルクス『共産党宣言』(1848年)冒頭の有名なフレーズに無理やり託(かこつ)けるならば、「一つの「某霊」が永田町を徘徊している。安倍晋三という亡霊が。」(Ein Gespenst geht um in Nagatacho― das Gespenst von Abe Shinzou.)ということになる。これは永田町の呪縛霊あるいは地縛霊かもしれない。岸田文雄政権は完全にこの呪縛霊と地縛霊に憑依されたかのごとくである(もちろん本気で霊の話を信じているわけではない)。
ところで、「失われた10年」という言葉は、主に経済の分野で、「バブル崩壊後の平成不況」をあらわすものとして使われるが、10年前の今日、安倍晋三を首相とする内閣が発足することによって、この国は、政治、経済、財政、社会、教育、外交、安全保障などあらゆる面で大きく歪められ、壊されてきた。これを安倍政権の「功罪」などという薄っぺらな言葉で語ることが許されないほど、この国には、 巨大な「負債」と「破壊」の荒野が広がっている。「壊された10年」とする所以である。今年最後の「直言」なので、憲法や政治手法の問題にしぼって総括的に書いておくことにしよう。いまだ永田町を呪縛している「アベなるもの」(ドイツ語でDas Abe)から脱するために。
手始めは内閣法制局長官人事
安倍が最初に手をつけたのは、内閣法制局である。集団的自衛権行使の違憲解釈を変更させるために、長官人事に露骨に介入して、外務官僚のフランス大使を長官に据えるという、その世界ではあり得ない人事を行った(2013年8月)。その長官は委員会で、スマホを見ながら答弁して、野党委員にたしなめられるということもあった。
実は、この長官人事の直後にラジオで対談した俳優の菅原文太さんが、開口一番、「なぜそういうことをするのか」と質問してきたことをいまも鮮明に覚えている(後日談はここから)。この人事のあと、1年もしないうちに、60年にわたって維持されてきた政府解釈が閣議決定で変更された。2014年の「7.1閣議決定」である(拙稿「「7.1閣議決定」と安全保障関連法」法律時報87巻12号(2015年12月)参照)。これは日本の重大な転換点だった。先週の「直言」で書いた「12.16閣議決定」は、「7.1閣議決定」の具体化・実働化という面をもっている。
憲法違反常習首相への警鐘――「アベガー」ではなく「アベコソ」
かつて安倍批判を行うと、「アベガー」という言葉が、ネトウヨ界隈から発せられた。「安倍が、安倍が」と批判するから「アベガー」だそうだが、私は15年前から「直言」で「安倍晋三こそが諸悪の根源」と一貫して批判してきたから、にわか「アベガー」とは年季が違う。私の場合は「アベコソ」になるだろう。
なぜ、一政治家に対して、憲法研究者がそこまでこだわるのかという指摘に対しては、こう答える。ヒトラーという個人名が、一つの危険な制度、運動、イデオロギーを象徴するように、「安倍晋三」は日本の政治史において、きわめて危険な兆候を象徴する「固有名詞」となったと考えるからである。集団的自衛権行使を違憲とする政府解釈を閣議決定で強引に変更してから、「存立危機事態」を含む安全保障関連法を強行採決で成立させ(拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』岩波書店、2015年参照) 、日本の安全保障政策の枠組みを大きく変えたことはいうまでもない。トランプとの蜜月関係のなかで、米国軍需産業から言い値で高額兵器を大量に購入させられ、「対外有償軍事援助」(FMS)という仕掛けで日本の財政を圧迫して、岸田内閣の防衛増税に至る道筋をつくったのは安倍晋三である。
歴代の首相たちも「憲法軽視」や「憲法無視」の傾向はあったが、安倍だけは違う。彼は「憲法蔑視」の域に到達していた。私は、憲法研究者として、この確信犯的な「憲法違反常習首相」の危険性について警鐘を鳴らし続けてきたのである。「アベガー」ではなく、「アベコソ」として。
「ルールを守らない」「責任をとらない」「自分たちだけは特別」が定着
ドイツのアウトバーンを4万1000キロ走った経験からすると、この写真にある逆走車(「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)という)に出くわしたことは幸いにしてない。私は安倍晋三について、「憲法政治の幽霊ドライバー(Geisterfahrer)」と呼んだことがある。とにかくこの10年間、「ごめんなさいで済めば、警察はいらない」という一般人の間で使われる言葉が、政治家たち、特に安倍親密圏にいる人々にはあてはまらない現実を見せつけられてきた。安倍は「ごめんなさいも言わなく済むように、警察・検察がいる」へ変えようとしてきたわけである。そもそも首相自身、憲法尊重擁護義務(憲法99条)に対する敵対的姿勢が際立っている。国務大臣や国会議員について政治資金規正法や公職選挙法違反事例が発覚しても、警察・検察の対応が異様に甘い。
安倍政権が「壊した」もののなかで大きなものは、公務員制度である(詳しくは、直言「公務員は「一部の奉仕者」ではない――「安倍ルール」が壊したもの」参照)。「モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ…」という安倍政権をめぐるスキャンダルや失策の連鎖は、それぞれの分野の公務員が深く関わっている(直言「「総理・総裁」の罪」参照)。
「モリ」こと森友学園問題では、国有財産が特定の学校法人に異様な安値で払い下げられ、そこに首相夫人が介在した事実を示す公文書が隠蔽・破棄・改ざんされた(直言「安倍首相が壊した「もう一つの第9条」――森友学園問題と財政法」参照)。そのため、財務省近畿財務局の誠実な公務員が自殺に追い込まれている(直言「公文書改ざん事件と「赤木ファイル」」参照)。
「カケ」こと加計学園問題では、大学の学部の設置認可手続が無残に歪められた(直言「「ゆがめられた行政」の現場へ――獣医学部新設の「魔法」」参照)。私自身、「カケ」の現場を二度訪れ、情報公開手続などで問題追及を続ける地元住民の運動についても紹介した。
安倍親密圏にいる御用ジャーナリストならば、準強姦事件で逮捕状が出されても、執行直前で握りつぶしてもらえる。私のいう「ヤマ」である。官房長官秘書官だった警視庁刑事部長(警視監)が政権中枢に忖度して、ここまで露骨な隠蔽・もみ消しをやった。これがまっとうな法治国家の警察といえるだろうか。だが、裁判所まではごまかせない。民事ではそれ相応の「結果」が出ている(台湾の新聞に「安倍御用記者」という見出しが踊る)。
「サクラ」については、「桜を見る会」問題がまだ終わっていない。「サクラ」をめぐる安倍の虚偽答弁118回について私は「憲政史上の汚点」と書いた。
「コロナ」対応の失策については、数多くの「直言」で指摘してきたなかで、ここでは、直言「科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない」と、直言「「緊急事態宣言」はなぜ失敗したか――コロナと焼夷弾」を挙げるにとどめたい。
「クロケン」について。検察人事をめぐる検察庁法22条の異様な扱いについても、「5つの安倍的統治手法」が遺憾なく発揮されたが、さすがに検察内部の反発もあり、またご本人の不徳のいたすところ(賭マージャン)もあって頓挫したのは周知の通りである(直言「検察官の定年延長問題――国家公務員法81条の3の「盲点」」参照)。
「アンリ」については、参議院選挙における広島選挙区への1億5000万円の不自然な流れであり、これも「異論つぶし」(溝手顕正)のための実弾投入だったことは検察も認識しているが、そこで止まってしまった。
安倍は在任中、首相の責任問題(例えば、不祥事を起こした大臣の任命責任など)が生ずると、「責任を痛感する」と神妙な顔をするだけで、ただの一度も、「責任をとる」ことを実行したことがない。「責任」という重い言葉に対する、あきれるほど軽い対応は、事柄の重大性についてよくわかっていないという、「無知の無知」の突破力」のなせる業なのかもしれない(直言「首相の「責任」の耐えがたい軽さ」 参照)。首相のこうした姿勢もあって、国務大臣、副大臣、政務官の質は劇的に低下した(それ以前が上質であったという意味ではないが)。
戦前の憲法学者・佐々木惣一は、こう指摘していた。「国務大臣は、第一義として、自ら責任を明にすることを心がけねばならぬ。…弾劾制度の設なき我が国に於ては、一層必要なことであって、大臣が議会の弾劾に依って責任を問われないだけ、それだけ益自ら責任を明かにせねばならぬ。尤も、一般に責任を正するの手段には種々あるが、大臣が自ら責任を明かにするの手段としては、辞職するの外はない。」(佐々木惣一著・石川健治解説『立憲非立憲』(講談社学術文庫、2016年)63頁)。この自覚が大臣たちには決定的に欠けている。
自分のためにルールを変更
安倍晋三は、どこまでも親密圏を大事にした(「異論つぶし」と「友だち重視」)。首相自らによる「構造的口利き」は警察・検察当局の動きを鈍らせる傾きにある。安倍は自民党総裁公選規程を自分のために改正して、総裁任期を延長した(直言「安倍政権の滅びへの綻び――総裁3選党則改正の効果」)。そうまでして、首相の「在任期間」を「最長」としたかったのか。「安倍国葬」の理由の一つに「最長」が挙げられているが、自分で党則上の任期制限ルールを変えて、在任期間を延長して「最長」を演出したわけだから、これは笑えない喜劇ではないか(直言「在任期間のみ「日本一の宰相」」)。
第2次安倍内閣発足から10年。第1次内閣の時には「美しい国」というスローガンが恥ずかしげもなく呈示されていたが、第2次内閣以降、「美しい国」への言及はほとんどなくなった。この写真に見られるように、統一教会系の雑誌には「強靱な国・日本」とある。
冒頭左の写真にある、「安倍時代の日本」についてのドイツの政治学者による分析書の表紙には、「ABELAND」(アベランド) という絵が使われている。安倍が「政治的仮病」を使って、2度目の政権投げ出しを行って以降、安倍は最大派閥の長として、菅義偉と岸田文雄の両政権に大きな影響を与えてきた(直言「「危機の指導者」と「指導者の危機」――「どの口が言う!」の世界」参照)。「元首相」の肩書を使って再登板を狙っているという見方も出ていた矢先に、突然この世から去ってしまった。直言「「アベノグッズ」の店じまい」と直言「アベノコトバ」を出して、アベ関係は終わりにしたつもりだったが、いま、岸田政権が日々押し出す政策のなかに、「アベ的なるもの」が具体化されてきたので、記憶を呼び覚ましていただくために、あえて執拗にこれまでの「直言」をリンクしたわけである。なお、今回立ち入らなかった「統一教会と安倍晋三との関係」については、直言「統一教会の家族観に「お墨付き」――安倍晋三の置き土産」などを参照されたい。
岸田政権は、安倍政権よりも危険?
前述した「7.1閣議決定」から8年で、「敵基地攻撃能力」を明記する「12.16閣議決定」が行われた。「台湾有事は日本有事」と叫んできた「某(安倍)霊」が岸田に憑依したというよりも、岸田首相自身が本気になっていると見ざるを得ない。憲法改正についても同様である。昨年12月の「直言」で、「岸田が会長を務める宏池会が慎重だった憲法改正に対して、安倍晋三が憑依したかのような前のめりの姿勢に変わった。どこまでが本気なのか、政権安定までのポーズなのかは断定しかねてきたが、ここまでくると、これは本気と見ざるを得ない」と書いたが、この評価は甘かったようである。直言「岸田さん、本音はどこですか──「政権維持装置」としての改憲?」において、改憲を政権維持のための手段と診たことも、甘い判断だったかもしれない。安倍自身、「比較的リベラルな姿勢を持つ岸田政権だからこそ、[憲法改正の]可能性は高まったのかなと思う。私も側面支援をしていきたい」と語っていたから(『朝日新聞』デジタル2021年12月14日)、岸田首相は「12.16閣議決定」を平然と行ったように、憲法改正についても「躊躇なく」突き進むかもしれない。
12月16日、長州「正論」懇話会 で櫻井よしこは、「12.16閣議決定」について、「戦後の体制を根本的に変えるための第一歩が踏み出された」「安倍晋三元首相が唱えた「戦後レジームの脱却」という基本理念が貫かれている」「憲法に自衛隊を位置づける改正ができていない」「安倍氏が悲願とした改憲を国民自らが課題として向き合うべきだ」などと訴えたという(『産経新聞』デジタル12月17日)。
来年も、安倍晋三は死して後、なおも、呪縛霊や地縛霊となって永田町を徘徊し続けるのであろうか。「7.8事件」から171日、「安倍国葬儀」から90日、第2次安倍内閣の発足10年のその日に、「安倍的なるもの」の克服(除霊)に向けた「直言」とした所以である。
来年早々に東京地裁104号法廷において、「立憲政治の前提を壊した人物の死」をもたらした人物をめぐる公判が始まる。
【文中敬称略】