憲法記念日の講演行脚
憲法記念日を軸に和歌山市、水戸市、千葉県我孫子市で講演した。いずれも快晴の行楽日和。新幹線も在来特急もどこも満席で、ホームには人があふれ、通常よりも移動に時間を要した。子どもを連れた若い夫婦や学生・若者のグループが目立った。みな笑顔で、コロナ禍の3年間を吹き飛ばすような勢いを感じた。私一人が仕事モードで、新幹線や特急列車のなかでゲラ刷りをチェックしている、まったく場違いな存在だった(と思う)。
4月28日の和歌山講演では、主催者のご好意で、ホテル高層階の部屋から、昼夜の和歌山城を眺めることができた。20年前に和歌山で講演した時には、飛行機の便がなくなり、札幌講演のために伊丹空港まで早朝に向かうハプニングもあったので、「古稀の年」の憲法記念日は、城の夜景を堪能する余裕があった。
今回の「直言」は、私の「憲法記念日の講演行脚」の37年間を、リンクを付けて振り返ってみよう。思えば、毎年の憲法記念日は、1986年のチェルノブイリ原発事故1週間後の北海道釧路市を皮切りに、5月3日に在外研究などでドイツに滞在した1988年、1991年、1999年、2016年と、全国憲法研究会代表として主催者挨拶だけをした2014年と2015年などを除いて、日本のどこかで講演をしていた。今回のように5月3日を軸に連続講演をしたのは2001年、2003年、2006年、2007年、2009年。2013年は3日間で札幌、岡山、水戸の3都市で講演した。2017年は東北2県だった。コロナ前は名古屋が最後で、その後はさまざまな制約がかかるようになった(入場制限、席の間隔、マスク)。
現役の早大教授としての最後の憲法記念日講演は、茨城県弁護士会で行った。ようやく「日常」が戻ってきたような感じだったが、オンラインの参加者の方が多く、コロナ前にもどるには、もう少し時間がかかるようだ。
「憲法改正に賛成・反対?」という特殊日本的設問
毎年、5月3日付各紙は、憲法改正についての世論調査の結果を公表する。『読売新聞』は写真にあるように、「賛成」61%を前面に押し出し、「改憲賛成 高水準続く」「露侵略・コロナ影響」としている。憲法を「改正しない方がよい」は33%(前回38%)で、賛成派と反対派の差は28ポイントにまで広がったと筆が踊る。戦力不保持を定める9条2項を改正する必要が「ある」は51%(前回50%)で、「ない」は44%(同47%)。憲法に自衛隊の根拠規定を明記する自民党案に「賛成」は65.4(同58%)で、「反対」は38%(同37%)と、改憲への傾斜と力みのある設問から、「さもありなん」という数字が並ぶ。緊急事態の際に国会議員の任期を延長できるように、憲法に特例規定を追加することに「賛成」は73%(同76%)となり、「反対」は23%(同32%)と、自民党改憲案に則った世論誘導になっている。
一方、『朝日新聞』3日付の調査では、「いまの日本の憲法は全体としてよい憲法だと思うか」と聞いて、「よい憲法」は52%(昨年調査58%)と、2013年に郵送調査を始めて以降、最少となったという。「よい憲法」とは思わないが38%(同32%)と最多となった。「変える必要がある」52%に対して、「変える必要はない」は37%だった。国会での憲法改正の議論を急ぐ必要があるかという問いには、「急ぐ必要がある」36%、「急ぐ必要はない」55%だった。国会でもっと議論してほしい憲法関連テーマについて7つの選択肢を示して聞くと、「緊急事態時の国会議員の任期延長」は18%と、選択肢の中で2番目に低かったという。
朝日の調査は、そもそも「よい憲法」という情緒的な聞き方に違和感がある。「わるい憲法か」と聞いたらどういう数字が出るだろう。「急ぐ必要がある」かどうかという聞き方も、かなり結論が見えているように思える。条文を示して具体的に聞かないで、ごく一般的に、憲法について「変える必要がある」「変える必要はない」という聞き方そのものに問題があるように思う。いいかげんにこういう設問は卒業すべきではないか。「よい民法(刑法)か」「民法(刑法)を変える必要はあるか」と聞かれても一言で回答できないように、どの条文のどの内容の論点を思い浮かべるかによって回答は変わってくるからである。
「憲法改正に向けた機運を高めていく」とは?
3日の憲法記念日、岸田文雄首相は、日本会議系の「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを寄せた。2017年に安倍晋三がビデオメッセージを寄せたのと同類の団体である。岸田首相は、「憲法改正に向けた機運をこれまで以上に高めていくことが重要だ」と述べた。「改憲の機運を高める」とは何か。こういう前のめりの物言いは、安倍晋三のそれとそっくりである(右の写真は9年前の「直言」で使用)。やはり某霊が憑依しているのだろうか。そもそも、憲法という最高法規をただ「変える」ことだけに特化して、それに向けた「機運を高める」ことに執着するのは、他国からみたら実に奇妙である。
ドイツでは、直近では、官報の電子化のために、第67次基本法改正(2022年12月24日)が行われた。人間の尊厳や統治の基本原則については改正が禁止されている(基本法79条3項の憲法改正限界)。日本の感覚ではほとんど法律で対応する事柄が少なくない。例えば、第63次改正は、教育のデジタル化(全国の小学校を中心に無線LANやタブレット端末などを整備する)をすべての州で実施するために行われた。
他方、日本の国会では、毎週のように憲法審査会が開かれ、議員の多くが、「とにかく憲法改正を」と情熱を傾けている。これほど無駄で愚かなことはない。とりわけ、「緊急事態時の国会議員の任期延長」は、任期満了で総選挙が行われているときに大災害が起きる場合という、レア中のレアケースであって、先の朝日調査でも国民の関心が低いのは当然だろう。国会が機能していても、国民のためにまともなことができない議員たちに、緊急事態で任期延長しても何の意味もないことは、とうに見抜かれている。この問題については、ちょうど6年前の直言「議員任期延長に憲法改正は必要ない―改憲論の耐えがたい軽さ」があるので、これはリンクまでしっかりお読みいただきたい。この一本の「直言」で、憲法審査会の議論の「耐えがたい軽さ」がご理解いただけると思う。「サルがやること」という表現は大人げないが、「小西(洋之)議員の言う通り、参議院の憲法審査会は毎週開く価値がない」(Newsweek 2023年4月10日号)ことだけは明らかだろう。緊急事態における議員任期延長の改憲論のうさん臭いところは、ずっと政治家でいたい政治家による、政治家のための改憲だということである。
憲法記念日の新聞コメント
ここで、憲法記念日に向けて取材されたコメントをあげておこう。一つは広島の『中国新聞』の取材にこたえた5月2日付のコメント「9条の現在地」であり、相方は篠田英朗氏だった。もう一つは、共同通信社会部のインタビューで、『山陰中央新報』や『信濃毎日新聞』などの5月4日付に掲載されている(掲載紙はいずれ紹介する)。
なお、冒頭右の写真は、13年前の『山梨日日新聞』2010年5月3日付文化欄に掲載された憲法記念日の小論である。NHK大河ドラマ「どうする家康」で、インパクトのある武田信玄が登場するので、信玄の分国法「甲州法度次第」と絡めて論じたこともあり、この機会に実物を紹介しておこう(冒頭のPDF参照)。
早稲田大法学学術院 水島朝穂教授(憲法学)
改憲論議どう見る―― 権力側が前のめり 奇妙
憲法を巡るこの国の状況は奇妙である。権力の暴走を防ぐ狙いがある最高法規だ。その縛られる側にある国会議員たちが、「規制緩和」を求めて前のめりになっている。
ウクライナや台湾の状況から国民の不安も生まれているが、それに便乗して改憲に向かう空気が醸成されている。憲法は国の重要な骨格であり、改正を主張する側に高い説明責任が求められる。憲法審査会で議論されているものには、法律で対応可能なものもあり、緊急性も必要性もない。
岸田内閣は昨年末、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を閣議決定で決めた。これまでの「自衛のための必要最小限度の実力」という政府解釈のラインを踏み越えるものだ。このままいけば、改憲すら不要とする憲法蔑視の状態が定着しかねない。公明党も、自民党と距離をとるポーズを見せ始めた。
首相が進める軍事大国化の路線は、周辺国に軍拡をさらに進める口実を与え、北東アジアに「新たな戦前」の状況を生み出しかねない。広島には日清戦争時に大本営が置かれた。かつての「軍都」を想起させるサミットでなく、被爆地で開くからには何よりも平和を論ずるべきだ。
共同通信2023年5月4日配信: 掲載紙『信濃毎日新聞』『山陰中央新報』等々。
憲法審査会のサロン談義
早稲田大法学学術院の水島朝穂教授(憲法学)の話
専守防衛を逸脱する敵基地攻撃能力の保有、防衛費の大幅増を含む安全保障関連3文書を昨年12月に閣議決定して初めて迎える憲法記念日だ。憲法は過去幾多の過ちを繰り返さないために権力を制限するいわば「安全装置」だ。これまでの政権も憲法を軽視、無視してきたが、安倍政権は「みっともない憲法」と蔑視した。だが敵基地攻撃能力を専守防衛の範囲内と言ってのける岸田政権は憲法が存在しないかのように振る舞う「憲法黙殺」で、さらにひどい。国会の憲法審査会では憲法改正を自己目的化したようなサロン談義が続いている。国民生活の危機的状況の中、やるべきことはほかにある。憲法について、特別の緊張感と問題意識を持って考えたい。