「被爆地ヒロシマ」サミットなのか
広島大学で6年半にわたり学生たちに編著『ヒロシマと憲法』 (第4版まで)を使って講義をしてきたものとして、テレビから流れてくる平和公園周辺の映像や原爆慰霊碑にG7首脳がそろって献花するシーンに感慨がないとはいえない。7年前のドイツ在外研究中、オバマ大統領(当時)が広島を訪れる場面をドイツのテレビや新聞で見たときも、それなりの感慨があった(直言「過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン」)。オバマの時は「広島が71年間待ち続けた〔米大統領の〕訪問は、75分で終わった」。広島平和資料館は東館だけで約10分。原爆投下への謝罪の言葉もなかった。今回は、平和資料館の訪問内容(本館まで行ったのかどうかを含め)は非公表という。残虐な写真や貴重な資料は見ていない可能性がある。バイデン大統領が何を語ったのかも明らかにされていない。当時副大統領だったバイデンは、オバマが大統領として広島にやってきたことは当然に意識している。G7首脳とともに平和資料館に「39分間」滞在したといっても、中身は不明である(時間的には、オバマの4倍弱)。首脳が横一線に並んで献花する場面は、被爆78年前を前にしてそれなりに象徴的ではあった。よく見ると、ウルズラ・フォン・デア・ライエンEU委員長も参加している。ドイツでは超目立ちたがり屋(Super-Angeberin)で知られるこの政治家は、しっかりG7首脳の横に立ってアピールしている。
33人になった被爆者の体験を伝承する
『南ドイツ新聞』5月17/18日付は9面の大半を使って、「平和主義という登録商標――広島におけるG7サミットは、核兵器の破壊的な力を公式に想起させる機会になりうる」という記事を掲載している。定期購読しているデジタル版(5月18日15時59秒)の見出しは、「G7サミット:広島は揺るがない」 である。「原爆投下から78年、日本の平和都市に息づく「核兵器のない世界」への決意。そして今、G7サミットが開催される。困難な時代だからこそ、チャンスだ」として、「被爆体験伝承者」となった天崎俊章さん(81歳)の紹介から、この長文の記事は始まる。
…天崎さんは、中西巖さんという被爆者の被爆体験を伝承している。伝承講話では、中西さんの証言を時系列で話す。被爆時、偶然にも建物の陰にいたため重傷を負わなかったこと、原爆から10年くらいして原爆症で亡くなる人たちを見て、見える傷がなくても原爆からは逃れられないと感じたこと、結婚や就職での被爆者への差別、それでも子どもに異常がなかったことで安堵したこと等々、中西さんの被爆とその後の生涯の話をすることで、被爆者の苦しみと、現在、中西さんが訴える「核兵器の非人道性」を伝えることができるのではないかと天崎さんは考える。ただ、天崎さんは、広島のレガシーを心配する。原爆を自らの体験から語る目撃者は、どんどん少なくなっている。93歳で老人ホームに入居している中西巌さんを含め、直接語れる被爆者は33人しか残っていない。天崎さん自身も若くはなく、原爆がいつ爆発したかを知らない小学生がいることに困惑している。だが、天崎さんは、広島の力を信じている。…
なお、ドイツの新聞記者が取材した天崎俊章さんは、195人いる伝承者の一人とわかった(広島市『平和文化』195号)。右の写真は、戦後50年に広島の中国新聞労働組合が制作した「ヒロシマ新聞」である。記者や職員の多くが死亡して発行できなかった『中国新聞』1945年8月7日付の紙面を、現代の視点で作成したものである(直言「わが歴史グッズの話(18)「その時」の新聞を読んで」参照)。
「軍都広島」――G7サミットの会場は宇品軍港
日清戦争のとき、4個師団もの作戦軍が中国に向けて続々と出発した宇品港。広島城内には、大本営が置かれた。統帥権をもつ天皇が、現地で戦争指導を行う。後にも先にも歴史的一回性の「広島大本営」である。1894年9月15日午後5時20分、明治天皇が広島駅に降り立ち、1895年4月27日午前7時35分に広島駅発の列車で出発するまでの224日間、広島は事実上、日本の「首都」だった。仮議事堂や臨時内閣出張所も作られた。広島の地で第7回臨時帝国議会が召集され、臨時軍事予算案、軍事関係の勅令・法案計6件を成立させている。
志熊直人『廣嶋臨戦地日誌』(明治32年発刊、復刻版・渓水社、1984年)が手元にある。県書記官が、臨戦地境戒厳下の広島の市民生活を克明に記録した一級史料である。半年間に 4個師団が宇品港から中国に出兵。広島の後方支援機能はフル動員された。『日誌』にある「広島市宿舎取調表」を見ると、寺院 112 、民家 4308戸(36356 畳分)の受入れ能力が記載されている。戦時編成の師団は 2万数千人。出港までの間、民家・寺院に分宿して、市民総出でたきだしを行った。県書記官の几帳面な筆は、さまざまなトラブルを含め、行政や市民が戦争にどのように協力していったかをリアルに描写している(以上、直言「周辺有事立法を批判する」および直言「カゴシマ・ナガサキと戦後60年」より引用)。
2017年7月7日、国連総会で、「核兵器禁止条約」が採択され、2021年1月22日に発効した。この条約は、核兵器を包括的に禁止とする初めての国際条約となった。現在の時点で署名国は92カ国、締約国は68カ国だが、広島サミットに参加しているG7は、ただの1カ国もこの条約を署名・批准していない。核兵器禁止条約の外にいる7カ国ということになる。平和記念資料館の見学も原爆慰霊碑への献花も、世界スタンダードとなりつつある「核兵器禁止条約」に背を向けている面々ということで、冷やかな眼差しが向けられるのも当然だろう。少なくともドイツは同条約のオブザーバー参加国だが、とりわけG7議長国の首相として、また広島出身者としての岸田文雄首相の姿勢が問われる。岸田は、安倍晋三が持ち出した「核シェアリング」の議論を完全には否定してはいない。また、昨年12月に閣議決定した「安保3文書(戦略3文書)」の具体化のなかで、日本独自の核武装にまでは直ちに連動しないものの、「某霊」に影響される「ナトー好きの日本首相」としては、安全保障の必要性を語って、「非核三原則」の空洞化の方向を進めていくだろう。
F-16戦闘機を獲得したゼレンスキー
G7の2日目の午後、ゼレンスキーが広島空港にやってきた。フランス政府専用機を使って。それにしても、戦争の一方当事者が、ロシアと国境を接する日本にやってきたわけである。ロシア極東軍管区は当然、警戒態勢のレベルを上げたことだろう。
G7開会当日の『南ドイツ新聞』(デジタル版)5月19日のトップ記事は、「ウクライナ:戦争にもかかわらず汚職が増えている」だった(半日ほどの間のタイトルは「汚職と戦争」)。周到な取材で、EUがなぜウクライナを加盟させてこなかったのかがよくわかる。ウクライナはEUの加盟基準の汚職対策を満たしてこなかった。加えて、ウクライナでは戦時下の汚職が明らかになっている。最高裁長官まで贈収賄の疑いがかけられている。国家反腐敗局(Nabu)の係官が最高裁長官の部屋と事務所を捜索したところ、オリガルヒが関与する重要な裁判における賄賂が見つかったという。担当判事は逮捕され、さらに逮捕者が出る可能性がある。オリガルヒに有利な結果を出すために、裁判官たちに180万ドルが渡ったという。憲法裁判所でさえ、いくつかのスキャンダラスな判決で信用を失っていると記事は書く。戦争中の汚職はなくならない。「戦争は、犯罪者に特に幅広い機会を与えている」。インターネット新聞「Serkalo Nedeli」によると、賄賂は戦争中も増加しており、税関では10分の1、地方公務員では14%、郡防衛補充局の職員では20%も増加しているという。
ローマ教皇の和平仲裁を拒否したゼレンスキー
ゼレンスキーは19日、サウジアラビアで開かれたアラブ連盟(21カ国・1機構)首脳会議に乗り込み、ロシアへの対応について批判する演説を行った。すぐに広島に飛んできて、「戦況反転へ必死の外交攻勢」(『毎日新聞』5月21日付3面、デジタル版)をかけた。通訳後回しの混乱も起きて、「ワンマンショーになるのもまずい」という日本政府関係者の声も伝えている。「ゼレンスキー劇場(激情)」となって、F-16戦闘機「連合」を力づくで実現することに成功したようである。
他方でゼレンスキーは和平交渉やさまざまな調停努力を徹底的に排除している。とりわけ重要なのは、ローマ教皇フランシスコの和平仲裁を拒否したことである。NHKは5月13日のローマ教皇との会談を軍事支援の流れのなかで伝えたにとどまる。
だが、NHKが放送禁止にしているRTの5月13日によれば、紛争終結の交渉に協力するというローマ教皇の申し出を、ゼレンスキーは拒んだという。この間、ゼレンスキーは、モスクワとの接触を禁止し、外国からの仲介の申し出もすべて拒否している。バチカンでの会談後、イタリアのトークショーのホスト、ブルーノ・ヴェスパに対してゼレンスキーは、「教皇にお会いできたことは光栄でしたが、教皇は私の立場をご存知です。戦争はウクライナにあり、(和平)計画はウクライナ的でなければなりません」「プーチン(ロシア大統領)と調停することはできない」と語ったという。広島サミットでF-16戦闘機の供与を確約されたゼレンスキーは、5月の外交戦でロシアに完全に勝利したと高揚感でいっぱいなのだろうか。
G7と中ロの架け橋――インドのスタンス
広島サミットに関わって注目すべき動きもある。G7招待国のなかにはインドのモディ首相が含まれている。『日本経済新聞』5月20日付(デジタル版は19日17時)は1面・写真入りで、ニューデリー特派員との単独会見を掲載した。G7招待国の首相として来広する前々日のインタビューである。見出しは「G7・中ロ「両陣営と連携」」。サミットに参加した後は外交儀礼もあって十分に語れない重要なポイントがそこにある。
モディ首相は、「両方のグループに参加することはインドにとって矛盾せず、互いに排他的なものでもない」と主張した。民主主義と権威主義の二極ではなく「グローバルサウスの一員として多様な声の架け橋となり、建設的で前向きな議論に貢献する」と述べた。首相は、「中ロと西側の勢力争いのなかで、新興・途上国が抱える格差や財政難などの課題解決のための議論が後回しにされているとの危機意識がある。」「インドは安全保障上のパートナーシップや同盟に属したことはない。その代わり国益に基づき世界中の友人や志を同じくするパートナーと関わりを持つ」「ロシアとウクライナの双方と連絡を取り合っている。紛争ではなく『協力と協調』が我々の時代を定義する」と和平仲介に意欲を示したという。
なお、インドは今年、中国やロシアを含む20カ国・地域(G20)の議長国を務める。日米豪印の枠組み「Quad(クアッド)」のメンバーで、中ロが主導する上海協力機構(SCO)にも加盟している。G7に参加した招待国では、今後、モディ首相の発言にもっと注目すべきだろう。
【2023年5月21日午前5時30分脱稿】