「軍都広島」サミットの失敗
G7広島サミットは、岸田文雄首相のレガシー作りの手段だったのか。ヒロシマはいいように利用されたのではないか。終了直後から、広島の被爆者はもちろん、さまざまな方面から広島サミットの失敗を指摘する声があがっている。「実効性を伴わぬまま、核廃絶への姿勢だけをPRする「貸し舞台」に広島を利用されても困る。」(『中国新聞』5月21日付社説)、「核軍縮に関する「広島ビジョン」が核兵器禁止条約に触れていないことは許しがたい。」(同5月23日付社説)という地元紙の怒りは当然だろう。
『南ドイツ新聞』が使った写真がこれである。中心にゼレンスキーがいて、全体の要のように見える。ドイツの読者は5月22日朝にこの写真を見て、「我々は揺るがない」というキャプションとともに、広島でのG7サミットがウクライナの「反転攻勢」への軍事的な支援会議になったことを知っただろう。日清・日露の戦いで勝利した「軍都広島」 での新たな軍拡サミットということである(直言「G7「軍都広島」サミット――インド首相とゼレンスキー」参照)。
日本は2022年のE20(死刑執行Execution 20カ国)の一つ
広島サミットが始まる3日前の5月16日、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、「死刑統計2022」を公表した。日本を含む20カ国で、少なくとも883件の死刑執行を確認したとしており、この数字は2018年以降で最多を記録したという(共同通信2023年2月16日デジタル)。もちろん、中国や北朝鮮は具体的な数字を公表していないため、実際には上記の数字をはるかに上回るだろう。
私がこの「死刑統計2022」で注目したのは、冒頭の「2022年死刑執行国」の地図である。黄色に染められた20カ国のことを、私は「E20」(イートゥエンティ)と呼ぶ。Execution(執行)20カ国である。そこには、中国、イラン、サウジアラビアを先頭に死刑執行国が並ぶ。G7では、米国と日本のみが「E20」のメンバー国である。米国は6つの州で18人、日本は1人とされている(右の写真は、TBS「サンデーモーニング」2023年5月21日から)。だが、米国は、50州のうち23州が死刑を廃止し、3州が停止している。連邦と24の州で存続しているが、バイデン大統領の選挙公約は死刑廃止だったし、2021年7月、ガーラント司法長官が連邦レベルで死刑執行停止の方針を宣言している。米国で死刑を執行しているのは、トランプの共和党が知事を出している州だとバイデンなら反論するだろう。事実上の死刑廃止国を含めると、世界の7割が死刑を執行していないのが現実である。執行数こそ多くはないものの、G7では日本だけが死刑執行国ということになる。広島サミットでまったく議論されなかったが、「法の支配に基づく…秩序」を目指すのなら、国際法のスタンダードは「死刑廃止条約」(1991年7月発効)であり、国内法(法律)はこの国際的な「法の支配」の方向に改めされるべきではないのか。だが、日本はその努力を怠っている。岸田首相は議長国として「法の支配」をいうならば、足元の人権状況に目を向けるべきだろう。
では、なぜ日本政府は死刑廃止条約に背を向け続けているのだろうか。それは「国民世論」を理由にしている。日本国民は死刑存続の意見が圧倒的多数であり、死刑廃止は「時期尚早」ということに尽きる。本当にそうなのか。
死刑を存続させているのは世論?
日本が死刑廃止条約に加入せず、E20にとどまり続けているのは、国民が死刑存続を支持しているからとされている。その根拠はというと、2009年の「内閣府の基本的法制度に関する世論調査」である。 この調査の「死刑制度の存廃」というテーマでは、次のような設問になっている。
《死刑制度に関して、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」、「場合によっては死刑もやむを得ない」という意見があるが、どちらの意見に賛成か聞いたところ、「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」が5.7%、「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が85.6%となっている。》
ここから死刑制度に賛成という結論を引き出すのには飛躍があるのではないか。5年後の2014年の同じ調査を見ると、設問が微妙に異なっている。
《死刑制度に関して、「死刑は廃止すべきである」、「死刑もやむを得ない」という意見があるが、どちらの意見に賛成か聞いたところ、「死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が9.7%、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が80.3%となっている。》
「どんな場合でも」という言葉を使わない設問にしたところ、死刑廃止に賛成が4ポイントも増加している。その後も同様の問い方がなされているから、死刑廃止へのハードルが高いことは確かである。もし、「みんなやってないから日本もやめようか」という安易な設問にしたら数字はどうなるだろうか。例えば、
《世界の7割の国で死刑が執行されないという状況のなかで、日本は北朝鮮や中国とともに死刑執行国にとどまるべきだと思いますか。》と。
あるいは、次のような3択にしたらどうだろうか。1.「どんな事情があれ、死刑は維持すべきである」、2.「死刑の代替刑の検討に入るべきである」、3.「死刑は廃止すべきである」。この設問では2番目が増えるように思われる。
2009年の世論調査の数字が、国連で死刑廃止条約に賛成しない日本の態度を根拠づけてきた。「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」を含む設問は、「どんな場合でも」という強調により、最初から結論が誘導されているのではないか。もしも、《「どんな場合でも死刑にすべきである」という意見にあなたは賛成ですか》という問い方だったら、どうだろうか。「どんな場合でも」と可能性を絞った上で問うのは邪道である。死刑については、死刑の実態についての情報公開を進めるなかで、国民が根本的な議論ができるようにすべきだろう。
半年前、葉梨康弘法務大臣が更迭されたことをもうお忘れだろうか。彼は何といったのか。直言「「はんこ」と「ベルトコンベア」――法務大臣という職(その2)」を再度お読みいただきたい。死刑判決を執行するには、法務大臣の命令が必要である(刑事訴訟法475条)。人の命に関わる大臣の意識と認識がこの程度なのかと慄然とする。
死刑については、国民も思考停止しているように思う。存続か廃止かの二者択一ではなく、最終的な廃止に向けて具体的な議論を始めるべきだろう。すでに30年前に西原春夫元早大総長は「死刑執行猶予制度」の提言をしていた(「死刑論議で猶予制度検討を」『朝日新聞』1993年12月15日付(論壇))。「国民感情を踏まえ、死刑制度を残しながらやがては実質的な廃止に至るひとつのステップとして、死刑の執行猶予の制度が考えられないかというのが私の提案である。…死刑については、本人が執行を求める場合を除いてはすべて一律に5年間(あるいは10年間)執行を猶予する。猶予期間中の逃走や、受刑者・看守の殺傷など、法律に規定された重大な違反行為があった場合には、猶予を取り消して執行を行い、猶予期間を無事経過した場合には、裁判をもって無期懲役に転換するという制度を作ったらどうであろうか。もちろん、そのために刑法の一部改正、あるいは特別法の制定が必要なことはいうまでもない。」と。
刑罰の本質に立ち返った根本的な議論も求められる。この点で、法制審議会会長の井田良氏(中大教授)の主張に私は注目している(『死刑制度と刑罰理論――死刑はなぜ問題なのか』岩波書店、2022年参照)。死刑についての情報を与えられず、旧態依然たる論点だけで思考停止している国民世論を変えていくためにも、死刑についての本質的な議論が求められる所以である。
G7で唯一「同性婚」に否定的な日本
数日前、『南ドイツ新聞』5月25日の1面下に興味深い見出しを見つけた。「超モダン、超保守的」(supermodern、superkonservativ)。「日本はG7諸国のなかで未だに同性婚を合法化していない唯一の国である。右派からの影響は途切れることなく、現在、米国の駐日大使は困難な立場にある」。日本通のトーマス・ハーン特派員の解説記事である。
記事は、エマニュエル駐日大使が、他の14カ国の大使ととも、「私たちはすべての人の普遍的な人権を支持し、LGBTQI+コミュニティを支援し、差別に反対する」とツイートしたところ、直後に、与党自民党の参院議員の和田政宗が、「エマヌエル大使が駐日大使としての立場を何らかの形で利用して日本に影響を与えようとするのであれば、我々は彼を帰国させるために直ちに行動を起こす」と書き込んだことを紹介している。「この島国は今年、最も重要な民主主義7カ国からなるG7議長国を務めている」。岸田首相が2月、「同性愛カップルの隣には住みたくない」と語った首相秘書官を解任した。G7サミットの直前に連立与党が議会に提出したLGBT法案について、自民党「右派急進派」の抵抗で「不当な差別があってはならない」に修正されたことに触れつつ、「自民党は同性愛嫌悪者を守りたいのか」と皮肉る。この東京特派員記事は、和田議員の米大使批判のツイートに2万7000件以上の「いいね! 」がついたことを結びで紹介している。短いながら、「G7議長国」の恥ずかしい人権状況が、ドイツの読者にもよくわかる記事といえる。
目下の入管法の「改正」も加わって、日本はますます人権途上国になっていく。