今回は、同名のタイトルの2017年4月10日付「直言」の「再論」です。
「国会翼賛堂」の異様な風景
この国に国会(国民代表議会)は存在するのか。憲法41条で「国権の最高機関」として位置づけられており、学説上の議論には立ち入らないとしても、一般の人々の感覚からすれば、主権者たる国民(「有権者」)が「選んだ」ところの「全国民を代表する…議員」から成る(はずである)(同43条)。「国権の最高機関」というのは「政治的美称」だという理解が有力だが、「代議士の美称」としての「選良」という言葉は、もはや死語(「壊死語」?)だろう。そもそも半数近い「有権者」が国政選挙に参加しない。ドイツでは投票率60%台になると「民主主義の危機」がいわれるから、ドイツの基準でいえば、日本の2014年総選挙(52.66%)や2019年参院選(48.80%)は「民主主義の終焉」ということになるだろう。
封建時代のような「世襲議員」が多く、与党議員の3割以上、閣僚の半分を占めるという。ドイツ紙に「家業としての政治」と書かれたこともある。重要法案についてまともな審議すらせず(入管法改正、防衛産業強化法等のシャンシャン成立! )、国会軽視が体質化した首相が「解散権」をチラつかせている。ここまで国会がコケにされる状況は、戦後憲法史においても稀ではないか。安倍晋三政権になってから国会の劣化は一段と進み、岸田文雄政権になってあきれるほどの「進化」をとげている。16年前、尾崎行雄の言葉を使って、国会議事堂から「国会表決堂」への変質を批判したが、岸田政権になってからは野党の多くが「癒党」化したこともあって、もはや「国会翼賛堂」になってしまうことが強く危惧される。
冒頭2枚の写真は、13、4年前の議事堂のちょっと珍しい姿を撮影したものだが(直言「国会議事堂を覆う―日本とドイツ」参照)、当時はまだ、「稚拙な国会運営」や閣僚の「国会軽視発言」を問題にしていた。13年たって、もはや国会運営や国会軽視発言のレベルを超えて、まさに国会の基礎を揺るがす構造的な問題になっている。冒頭の写真はそれを象徴させたつもりである。
憲法調査会から憲法審査会へ
国会にはたくさんの委員会がある。衆議院には17の常任委員会、8つの特別委員会のほかに、政治倫理、情報監視、憲法の3審査会がある。参議院もほぼ同じだが、任期のないことから長期的かつ総合的な調査・審議をするために3つの「調査会」が設けられている。かつては「憲法調査会」が衆参両院にあった。1999年7月の国会法改正により設けられたもので、「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため」というのが目的であった(旧102条の6)。ドイツ在外研究中のこの国会法改正について、現地で、直言「憲法調査会が動きだす」をアップした。帰国後、私自身が憲法調査会に参考人招致され、それを直言「憲法調査会参考人の「君」付け」で書いた。2005年に憲法調査会報告書が出た時は、直言「「憲法九章の会」報告書を診る」で批判した(下記の写真参照)。
第1次安倍政権は、「任期中に憲法改正」を掲げ、強引に憲法改正国民投票法(改正手続法)を成立させた(2007年5月14日)。18本もの付帯決議を林立させた強引な手法だった(直言「この附帯決議は立法史上の汚点」参照)。
2007年8月7日、国会の召集日に衆参各議院に「憲法審査会」が設置された。調査だけでなく、改正原案や発議、国民投票に関連する事項までかなり踏み込んだ役割を与えられた。2011年11月17日、衆議院憲法審査会が初めての実質審議を行った。東日本大震災から8カ月というタイミングだった。『朝日新聞』同年11月18日付は、「憲法審査会そろり発進」という見出しを打った。私は直言「憲法審査会「そろり発進」―震災便乗型改憲」をアップして、「震災のどさくさ紛れで改憲を進めることは、ナオミ・クラインに倣って言えば、「震災便乗型改憲」だ」として、緊急事態条項を憲法に入れるなどの議論に関連して、「…東日本大震災の復興も復旧も不十分な状況のもとで、そのような浮ついた議論をしている場合だろうか。東日本大震災の対応を見ても、憲法の問題ではなく、国民の命や財産を守れない政治の問題である。…確たる改憲の理由や必要性の挙証も見当たらない。そろりオープンした憲法審査会は、開店と同時に閉店すべきである。」と批判した。
自民党は翌2012年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効60周年に合わせて「憲法改正草案」を発表した。私は、直言「憲法施行65周年と自民党「憲法改正草案」 」で、その内容を検討して批判した(水島朝穂『はじめての憲法教室』(集英社新書、2013年)で詳論)。2015年3月、私も参議院憲法審査会に参考人招致され、「憲法とは何か」について語った。2003年の憲法調査会の時は「憲法と緊急・非常事態法制」がテーマだった。立場の違う3人で突っ込んだ議論をかわしたが、憲法審査会の方の依頼はあまりに一般的なテーマだったので、少々驚いた。「そもそも憲法とは何か」に立ち返って議論したいということだった。これについては、直言「参議院で「憲法とは何か」を語る」で書いたが、審査会の雰囲気は今よりもまだ余裕があった。実際、議員との質疑を通じて、憲法の本質にかかわる理解がかなりまちまちであることもよくわかった。8年前の参議院議員は、まだ礼儀をわきまえていたように思う。
維新流で荒れる憲法審査会
憲法審査会は変わった。毎週のように開かれ、憲法改正に前のめりの運営が際立つようになった。衆院憲法調査会の中山太郎会長の「中山方式」(会派の所属議員数にかかわらず発言機会を平等に確保し、与野党協調を重視する議事運営)は後退して、「近年は改憲勢力だけで国会発議を目指すような動きも目立ち、委員からは「当時とは似ても似つかぬ状況だ」と懸念する声も上がった」という(『東京新聞』2023年3月30日)。維新の議員が増えてからは、議論に品がなくなってきた(『産経新聞』2023年6月7日 、同8日「維新、自民より改憲前向きな理由」等々)。
内容的に見ると、緊急事態条項といっても、衆議院が任期満了で選挙を迎えているときに緊急事態が起きたときを想定して、衆議院議員の任期を延長するという議論がなされている。この問題については、6年前に直言「議員任期延長に憲法改正の必要はない―改憲論の耐えがたい軽さ」で論じた。今回はその「再論」としよう。6年前の私の認識は、要約すると下記の通りである。
…憲法第54条2項は、「衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。」と定める。「衆議院が解散されたとき」に認められる参議院の緊急集会の規定は、衆議院議員の任期満了の場合には適用されないとして、衆議院議員の任期の延長が可能になるような憲法改正が必要だというわけである。だが、任期満了時であっても、被災地以外の選挙区では予定どおり選挙を行い、被災地では、公職選挙法57条の規定により、繰延投票(「天災その他避けることのできない事故により、投票所において、投票を行うことができないとき、又は更に投票を行う必要があるときは、都道府県の選挙管理委員会…は、更に期日を定めて投票を行わせなければならない。」)を実施し、衆議院議員不在の状況を速やかに回復し、特別会を召集すればよいだけの話である。では、衆議院が解散された後、総選挙の前に「緊急事態」が発生したため、予定どおり選挙を実施することができない場合はどうか。「衆議院が解散されたときは、憲法54条1項の規定により、解散の日から40日以内に衆議院議員の総選挙を行うこととされており、『緊急事態』においても公職選挙法の下で有権者の投票の機会ができる限り確保されるべきものと考える」(答弁書2012年3月23日)というのが筋である。この場合、被災地では、公職選挙法57条の規定により、繰延投票を実施すればよいが、「選挙自体は、先ほど申しましたような、解散の日から40日という期限に行いますが、実際の投票ができないということになれば、この規定が動いて、場合によってはそれよりもおくれてもしようがないということになっております。」(衆院予算委法制局長官答弁2012年3月5日)。…衆議院が解散中であれば、憲法54条2項の参議院の緊急集会の制度がある。なお、被災地では公職選挙法57条の規定により繰延投票を実施し、衆議院議員不在の状況を速やかに回復し、特別会を召集すればよいわけで、現行の緊急集会制度をことさらに低く見積もる必要はないのではないか。…
参考人に対する「違和感」だって?
6月1日の衆院憲法審査会では、5月18日に参考人として意見を述べた長谷部恭男氏(早大教授)に対して、「憲法改正に前向きな政党が違和感を表明する場面が目立った」という(『産経新聞』6月1日デジタル)。長谷部氏は、改憲による国会議員の任期延長論を批判したが、憲法研究者としてまっとうな議論を展開したもので、政治家のご機嫌を損ねるような内容ではなかった。にもかかわらず、本人に直接質問をする機会ではなく、別の機会において長谷部氏への批判で盛り上がるというのはどうしたものだろうか。産経は、「長谷部氏はかつて憲法審の場で「安保法制は違憲」と断じ、護憲派などの反対運動が盛り上がるきっかけを作った。」と書いて、自民党議員の「意趣返し」であることを吐露している。なお、2015年6月4日の憲法審査会については、直言「安保関連法案は「一見極めて明白に違憲」」参照のこと。
6月1日の憲法審査会で特に異様だったのは、国民民主党の玉木雄一郎代表の発言である。長谷部氏の意見に対して、「蓋然性が低くても可能性がある限り、(国会議員は)国民の生命や権利を守るために『あるべき法制度』を構築する責任を負っている。危機に備えるかどうかを決めるのは学者ではない」と述べたという。大変無礼な言いぐさである。そこで想起したのは、2015年の安保法制問題の時に自民党の高村正彦副総裁(当時)が、私のNHKテレビでの発言を問題にして、「100の学説より一つの最高裁判決だ」「判断は国民から選ばれた政治家しかないでしょう」といって、砂川事件最高裁判決を、強引に集団的自衛権行使容認の根拠にもってきたことである(直言「「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!―安倍政権の傲慢無知」参照)。政治家が専門家たる憲法研究者の意見に聞く耳を持たず、馬鹿にするような態度をとる。まさに専門知への軽視・蔑視である。玉木代表の長谷部氏に対する「違和感」は、この党が野党を名乗ることへの違和感につながる。
なお、産経によれば、6月1日の憲法審査会で維新の小野泰輔議員は、長谷部氏の意見に対して、「「有事が起こったときになりふり構わずに何でもありだというのが本当に立憲主義なのか」と違和感を口にした」という。国会に招致した特定の参考人に対して、各会派からそれぞれ「違和感」が表明された。そもそも憲法審査会は総合的に調査するのであって、どのような意見に対しても謙虚に耳を傾け、参考にするのが筋であろう。特定の参考人を名指しで批判するというのは、そもそも現在の憲法審査会がもはや国会のまともな機関として機能していないことを象徴しているとはいえまいか。
安倍政権になってから、憲法研究者に対する異様な敵意が目立つ。安倍晋三は憲法研究者が大嫌いで、憲法学とは別の分野の研究者を重用して、憲法学(者)を嘲笑する言説を垂れ流したことがある(直言「憲法研究者に対する執拗な論難に答える(その1)―「9条加憲」と立憲主義」参照)。6月1日の憲法審査会の場は、亡き安倍の意向を十分にくんだものといえるかもしれない。
憲法審査会は当面、閉店すべし
16年前の憲法施行60周年の特別直言「憲法施行60周年と「体制転換」?」は、第1次安倍政権のもとでの憲法記念日にアップしたものだが、そのなかで次のような言葉がある。
「…憲法にしても、さまざまな法制度にしても、長年にわたって運用されてきた仕組みを変える場合、それらの問題や課題をきちんと総括し、なぜ変えねばならないのかについて、また、他に手段がないのかについても丁寧な説明が求められる。だが、この国ではいま、憲法という国の最高法規を変えることについて、形容しがたい「軽さ」が広まっている。改憲の主張であっても、熟慮が感じられる言葉には、賛成する、しないにかかわらず、 それなりの重みがあるはずなのだが、首相の言葉には、なぜか「のっぺりとした軽さ」が漂う。しかし、そこでいわれている内容は、この国の立憲政治に致命的打撃を与えかねない問題をたっぷり含んだ、強烈なものである。その落差がつかめないままに、国民の少なくない部分がこの内閣を支持している。メディアもそこを十分批判しきれていない。…」
上記を書いた頃とは異なり、朝日を含めてメディアは改憲方向に軸足を動かしている。憲法審査会でも「野党」の方がむしろ改憲に前のめりになっている。結論先にありき、まさに憲法改正の自己目的化である。国会議員には、やるべきことがほかにたくさんあるだろう。憲法審査会は当面、閉店すべきである。なお、直言「究極の「不要不急」は憲法改正―日本国憲法施行74年」と直言「権力者が改憲に前のめりの奇妙な風景―「古稀の年」の憲法記念日講演」をお読みいただければ幸いである。