幻の『中国新聞』1945年8月7日付
78年前の8月7日は火曜日だった。6日(月)朝8時15分に原爆が投下され、爆心地から900メートルの上流川町(現在の中区胡町)にあった中国新聞社は、社屋も輪転機も破壊され、社員の3分の1にあたる114人が死亡した。生き残った記者たちは直ちに取材を始め、印刷手段の確保など新聞発行のために動き出した。しかし、8月7日付の紙面をつくり、発行することはできなかった。そこで、被爆50周年の1995年8月6日、中国新聞労働組合の若い記者たちが中心となって、「幻の8月7日付」紙面をつくった。名づけて『ヒロシマ新聞』。それが冒頭の左の写真である。
研究室にある2つの「原爆瓦」
冒頭左の写真の『ヒロシマ新聞』の上に載せてあるのは、ヒロシマとナガサキの原爆瓦である。拡大したのがこれである。2015年3月にカナダの大学で講演した際、参加者に回覧しやすいようにケースに入れて持参したものである。右側が広島の原爆瓦で、採取先は元安川の周辺と聞いている。左側は長崎の旧駒場町方面の民家の瓦とされている。表面が泡立っているのがわかる。この原爆瓦については、10年前の直言「わが歴史グッズの話(35)艦砲と空襲の破片、そして原爆瓦」でも紹介した。3000度から4000度の高熱で焼かれた瓦は、表面が泡立っている。たまたま二つに割れたため、一枚を裏返して比較できるように並べて撮影してみたのがこれである。固い瓦の表面に水泡ができるほどの高熱に、人の体はひとたまりもないだろう。「原爆瓦」を生み出すような状況を再び引き起こしてはならない。
「被爆60年」「戦後60年」の時は、直言「カゴシマ・ナガサキと戦後60年」をアップした。ヒロシマ60年を鹿児島で語り、そのまま長崎に向かった。
「被爆70年」の時は、『中国新聞』が関連する多くのシリーズを連載した。「戦後70年」では、直言「「8.14閣議決定」による歴史の上書き――戦後70年安倍談話」を出した。そこで書いたように、天皇(現・上皇)の「おことば」は、2015年のこの日、字数がわずかに増えて、安倍晋三政権が進める「安全保障関連法」への危機感がにじみ出るものになっていた。「被爆80年」と「戦後80年」は2年後である。その時、私たちはどのような風景をみるのだろうか。
ロシアのヴォルゴグラード(旧スターリングラード)を7年前に訪れたとき、そこにある「ヒロシマ通り」に関わった市の担当者と会った(直言「スターリングラードの「ヒロシマ通り」」参照)。国際・地域間交流局のセルゲイ・ラプシノフ局長と職員のマリヤ・デーエヴァさんはいまどうされているだろうか。ラプシノフ局長は、1987年の広島市との姉妹都市15周年を記念して「ヒロシマ通り」が出来たが、「広島市は原爆で破壊され70年は草木も生えないだろうと言われていましたが、その後、急速に発展しました。ヴォルゴグラードも市街地の96%が破壊されましたが、その後、復活を遂げました。」と述べていた。デーエヴァさんは「チュウゴクシンブン」という日本語を口にした。広島の中国新聞のことをご存じだった。2022年2月に「ウクライナ戦争」が始まり、今年になって、核兵器の使用まで語られる事態になっている。原発のあるウクライナのザポリージャは、ヴォルゴグラードから西に直線で780キロ。東京と山口くらいの距離である。もし、この原発が破壊されれば、その影響は計り知れない。
ロシアとウクライナとの間の戦闘で、さまざまな兵器が使用されている。独ソ戦における「クルスクの戦い」以来、ウクライナの平原で、再び戦車戦が行なわれている。開戦直後から、「兵器の在庫処分と新兵器の実験場」となっていたが、1年をかけてゼレンスキーが西側諸国に「もっと武器をよこせ」と圧力をかけ、各国はのきなみ軍事費を急増させ、武器市場、兵器業界が空前の活況を呈している。戦車戦では、APFSDS(装弾付翼安定徹甲弾)も使われる。写真のものは、ゼミ17期生が、2017年の東富士演習場で採取してきた破片である。ウクライナの戦場でも、この種の兵器が使われており、ドイツ軍が供与したなかにこれが含まれている。
劣化ウラン弾――ハワイ保健局の報告書から
この写真は、米軍の20mmスポッティングカートリッジM101である。この薬莢のなかに尾部にフィンをもつ特殊な弾丸が入り、そこにアメリカで初めて劣化ウランが用いられていた。直言「わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾――安保法で「弾薬」として提供可能?」の中程で詳しく紹介した。60年代にハワイ州の演習場で使用されていた。住民のなかに劣化ウラン(DU)による被爆の懸念が広まったため、ハワイ州保健局が調査を行い、報告書を提出した(2013年8月)。結論としては、ハワイの人々にとって重大な健康上の脅威とはならないということである。以下、要約して紹介しよう。
…劣化ウラン(DU)とは、天然ウランから放射性の高い同位体を取り除き、約99.8%のウラン238に変化させたものである。劣化ウラン弾は密度が高く、標的を貫通する際に自己鋭利化する能力があり、華氏1000度を超える衝撃で発火する性質があるため、徹甲弾としても使用されている。ハワイで軍は、劣化ウラン弾を、1961年から1968年までデイビー・クロケット兵器システムの一部として、M101スポッター弾に使用した。M101 20mmスポッティング弾は、武器システムの照準点を確認するためだった。M101は長さ約8インチ、直径約1インチ。重さは約1ポンドで、6.7オンスの劣化ウラン合金(劣化ウラン92%、モリブデン8%)を含んでいた。敵の装甲を破るために劣化ウラン弾を貫通弾として使用する現代の軍需品とは異なり、M101の劣化ウラン弾はデイビー・クロケット弾の飛行をシミュレートするためのスポット弾に十分な重量を与えるために用いられた。…
… 陸軍と国防総省の規制により、現在では劣化ウラン弾を含む弾薬を訓練に使用することは禁止されている。劣化ウラン弾は2005年、オアフ島のスコフィールド・バラックスにある射撃場で、1960年代のM101の破片が発見された。陸軍はその後、ハワイの射撃場におけるデイビー・クロケット兵器システムの使用履歴を調査し、ビッグ・アイランドのポハクロア訓練場もデイビー・クロケットを使った訓練に使用されていたことを認めた。劣化ウランは米国原子力規制委員会(NRC)の権限で規制されている。…
「機能的核兵器」の劣化ウラン弾、ウクライナが使用
「ウクライナ戦争」で劣化ウラン弾が使用されている。戦争が始まってすぐに、直言「映画『戦争のはじめかた』(2001年)のリアル――軍備強化の既視感」をアップして、その末尾にこう書いた。
「通常兵器だが、戦車の装甲を貫くときに核汚染がおきる「機能的核兵器」ともいうべきものである。「ウクライナ戦争」では、ジャベリンがかなり活躍しているが、戦車砲で徹甲弾を使用するもののなかに、劣化ウラン弾が含まれていないという保証はない。実際、ロシアのT-72などが使用する徹甲弾は劣化ウラン製(APFSDS(3BM48))とされているから、これが戦場で使われた場合、破壊された相手の戦車の周囲は放射能に汚染されている可能性がある。世界有数の穀倉地帯が戦場になり、不発弾や放射能汚染が残るとすれば一大損失であろう。」と。
私の研究室には、故・照屋寛徳衆議院議員から託された3発の劣化ウラン弾の薬莢がある。詳しくは、先の「直言」をお読みいただきたいが、これは米海兵隊のAV8Bハリアー攻撃機の25ミリ機関砲弾の薬莢である。湾岸戦争のとき、米軍は、イラク軍の装甲車両に対して劣化ウラン弾を100万発以上発射したが、そのうち6万7000発は米海兵隊のハリアー攻撃機から発射されたものという。
ウクライナは違法なクラスター弾も使用
クラスター弾については、15年前の直言「わが歴史グッズの話(25)クラスター弾」で書いたので繰り返さない。福田康夫首相(当時)の決断もあって、日本はクラスター弾禁止条約に署名した。「クラスター弾禁止条約」は、クラスター弾の使用、開発、製造、取得、貯蔵、保持、移譲が禁止される。この条約により、航空自衛隊と陸上自衛隊が保有しているクラスター弾はすべて廃棄された。とりわけ、この写真にある多連装ロケットシステム(MLRS)がクラスター弾を活用するので、2000億円を投じた99輌が無駄になった。日本では使えないので、条約非加盟のウクライナに供与するという悪い冗談も出ている。詳しくは、直言「わが歴史グッズの話(46)不発弾をつくる「悪魔の計算」――クラスター弾(その2)」をお読みいただきたい。
メドベージェフ元大統領の核兵器恫喝を甘く見るな
被爆80周年を前にして、被爆78周年の今年の8月6日・9日に続いて、2023年のどこかのタイミングで「被爆元年」となるのか。想像したくないが、NATOとロシアのプロキシ戦争(代理戦争)はエスカレートの一途をたどっている。プーチンと任務分担しているのだろうが、特に過激な発言が目立つのが、メドベージェフ元大統領(安全保障会議副議長)である。フィンランドがNATO加盟の意向を示したときも、間髪を入れず、1300キロの国境地帯に戦術核兵器を配備するといっていた。スウェーデンのNATO加盟はここへきて足踏み状態である。ハンガリー国会がNATO加盟を承認しなかった(7月31日)。加盟国の全員一致が必要なので、トルコのエルドアン大統領の微妙な動きと相まって、スウェーデンの加盟はしばらくないだろう。NATOの「北方展開」は順調ではない。そこへ行くと、NATOの「極東展開」は、岸田文雄首相の前のめりの姿勢によって早まりそうである(直言「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?―岸田政権の暴走を止めるために」参照)。
加えていえば、岸田首相のNATOべったり外交は、ロシアの過剰な反発を引き出し、ロシアと隣接する北海道の人々の生活に漁業をはじめ、さまざまな影響が出ていることも忘れてはならない(ビザなし渡航の破棄で、北方領土の元島民の自由訪問が困難になった(『北海道新聞』2022年9月7日付))。