「憲法に固執する力」――小野梓の憲法構想
2023年8月28日


小野梓賞のこと

24歳の時に、「小野梓記念学術賞」を受賞した。修士論文「西ドイツ政党禁止法制の憲法的問題性――ボン基本法第21条第2項を中心に」である。卒業式・学位授与式が行なわれた記念会堂の壇上に立ち、総長から賞状と記念メダルを授与された(『早稲田ウィークリー』1978413 )。大学のホームページには、昭和52年度(1977年)の受賞者のなかに私の名前がある

   今どきの早大生は、「学の独立」の歌詞を含む校歌をまともに歌えず(10年前のデータで、1番だけでも歌えるのは287)、大学の歴史にもあまり関心がない。半世紀前に法学1年生だった私の頃とはかなり変わってきたことは確かである(直言「雑談(139) 今時の学生について(4)」)。大隈重信のことも、「高校の時に日本史をとっていなかったので…」の一言で終わる。小野梓を知っている早大生はさらに少ない。 

小野梓(18521886年)は、大隈重信とともに、早稲田大学の前身、東京専門学校の創設に尽力した人物である。大隈が校長だとすれば、小野は教務主任というところか。早稲田のシンボル、大隈記念講堂(大隈講堂)は知っていても、小野記念講堂の知名度はそれほど高くはない。だが、小野は188210月に東京専門学校が創立された時、開校式の祝辞で、「学問の独立」を熱く説いた。当時、日本の唯一の高等教育機関だった東京大学では、外国人教師による西洋の書物や言語による教育が中心だった。また、徳川幕府が西欧列強と結んだ不平等条約の改定交渉も求められる時代背景があった。小野は、開校の式辞で以下のように述べた。

 「一国の独立は国民の独立に基いし、国民の独立は其精神の独立に根ざす。而して国民精神の独立は実に学問の独立に由るものなれば、其国を独立せしめんと欲せば、必らず先ず其民を独立せしめざるを得ず。其民を独立せしめんと欲せば、必ず先ずその精神を独立せしめざるを得ず。而して其精神を独立せしめんと欲せば、必らず先ず其学問を独立せしめざるを得ず。」

   「学問の独立」は、「早稲田大学教旨」に明記され、大学の根本精神として、正門横の石碑に掲げられている。「小野梓の功績を顕彰し、建学の精神を顕揚することを目的に、1958年に小野梓記念賞が制定され、学術、芸術、スポーツの三部門において、特に抜群の成果を上げ、学生の模範と認められる者に対してこの賞が贈られることになった。」

 小野梓の憲法構想――「憲法に固執する力」

  小野の憲法構想は、植木枝盛のラディカルなそれと比べれば、「穏和」なものに見えるかもしれない。小野の思想に最も大きな影響を与えたのは、英国の思想家ベンタムの功利主義であった。人民主権ではなく、君民同治によって「民人専制」を防ごうとしている。上院は「無益の長物」といって一院制を主張しながらも、年齢、財産、学芸の3基準による「制限選挙」を認めていた。小野は「国憲」、つまり憲法の本質は、「主治者」の「職分権理」を明示して、その「暴政非治」を防御し、「被治者」の「安堵」をはかることにある」と捉えている。

   小野は死の3カ月前、『国憲汎論』(『小野梓全集』第1巻(早稲田大学出版部、1978年))を完成させた。ここでは、その最終章が重要である。小野は「任ずべきものは公衆あるのみ」と書き、今日の最大急務として、「立憲国民の具備すべき六質」を列挙している。(1)独立自主の精神、(2)愛国の公心、(3)多数の所決に聴従するの気風、(4)政治の改良前進を謀るの性質、(5)方便と手段とに依て社会の事を決するの性質、(6)国憲(憲法)を固執するの実力、である(583頁)。
   小野は、国家権力が濫用される危険に注目していた。「権力を得れば之を濫用し易く、之を挙行して其極に至るは人情の常勢なり」(『国憲汎論』第14144)と。ミルの政府論にも関心を払いながら、政府論の中心的テーマであった権力の濫用の危険性と、それに対する措置の必要性を自覚していた。重要なことは、権力を消極的なものにするためには、権力を監視する人々の積極的姿勢に裏打ちされることである。小野は国家権力への抵抗を強く主張することはなかったものの、『国憲汎論』最終章で、前述の「国民の剛毅正直にして国憲(憲法)を固執するの実力」を強調している点は特筆されるべきであろう(大橋智之輔「一つの小野梓論」『法哲学年報』1979年104-107頁参照)。

「個人」を基盤として

  大日本帝国憲法制定に関わった井上毅の思想とは対照的に、ローマ法から民法の研究に進んだ小野のそれは、まさに「個人」を基盤としていたことに注意する必要がある。小野の『民法之骨』は、個人を基礎とした社会のありようを明確に打ち出しており、そこには、今の日本国憲法13条でいうところの「個人の尊重」の萌芽を見て取ることができる。
   2009年に東北大学で開催された日本思想史学会において、樋口陽一は、学会メインテーマ「日本思想史からみた憲法――歴史・アジア・日本国憲法」の主報告に対して、「小野梓・再読からの示唆」というコメントを行い、小野のこの側面に踏み込む(『日本思想史学』42(2010)25-29)。そこで樋口が強調していたことは、小野が、「民法こそ法制の第一基礎」と捉え、そのために国憲(憲法)が必要であると考えていたことである。実際には、日本の近代法体系は、憲法と民法の二元論、国家と社会の二元論によって説明されるものとして整備されていくが、小野は、「独立自治の良民を以て組織するの社会」を標榜し、「衆一箇人を以て基礎となす社会」を構想していた。樋口は小野の著作『民法之骨』と『国憲汎論』を重ね合わせて読むことで、明治初期に日本が近代国家を立ち上げる際に、「一団の家族を以て其基礎とする社会」を拒否し、「個人」の捉え方において群を抜いていた小野に着目したわけである。小野の関心が社会そのものの構造に向かい、「民人専制」を防ごうとしていたことにも樋口は注目する。樋口は、J.S.ミルの「社会的専制」を引照しつつ、社会的権力、団体、法人を警戒し、民主(ポリチカル)よりも個人の尊重・自由(シビル)を重視することで知られる。小野の場合、個人の尊重があるから、「国民の剛毅正直にして国憲(憲法)を固執するの実力」を主張できるわけである。樋口は、個人を基盤とする「国憲」のありようを模索した小野梓の先駆的な議論に着目しつつ、 鈴木安蔵を経由して、日本国憲法につながる興味深い視点を引き出していく。

 
小野梓の「未完のプロジェクト」

大日方純夫はいう。「政府が憲法を乱した際、国民がこれをただす実力をもたないならば、憲法を定めたとしても、憲法の効果は社会に現れない、「国憲を固執するの実力」を養うことこそ、立憲国民の急務である。小野はこのように考えた。法・制度とともに、それらを担う主体のあり方こそが問題だと答えたのである。」(『小野梓―未完のプロジェクト』(冨山房インターナショナル、2016年)278頁)と。

  大日方は、小野の構想を「未完のプロジェクト」と呼んで、次のように指摘する。

   「小野梓は、世界のなかの日本に注目し、日本のなかの個人を問題とした。その基本は独立自主の精神にあり、すべての基礎は人間づくりにある。したがって、教育と文化のあり方こそが肝要であった。彼はそのために、まず、共存同衆の活動に邁進し、その後、学校と良書普及活動に全力を注いだ。
    社会の基礎は個人にある。個人を家族制度の奴隷にしてはならない。国づくりは人づくりである。立憲国民には憲法を固執する力が必要である。権力者が憲法を蔑ろにすることを許してはならない。対外的な従属の軛を断ちきって、真の独立を実現していくこと、西洋列強によって虐げられているアジアの復興をはかり、「救民」の構想によって世界平和を実現すること。それは、小野が生きた時代にあっては、見果てぬ夢であったかもしれない。しかし、小野が世を去って130年後の今、現実的で、しかもいよいよ切実な課題となっている。
   小野は歴史の必然性に注目するとともに、歴史を変革する主体のあり方を重視した。変革の主体が見えないのは、見る力がないからだ。顕微鏡で見よ。知は力なり。それは、知性や理性を蔑ろにする風潮や勢力に対する厳正な批判であった。
   今も、いや、今ほど、小野の言葉の意味が切実さをもって迫ってくる時はない。小野が描いた社会・国家・世界の構想は、今なお、未完のプロジェクトとして、その実現を私たちに迫っている。」(327-328頁)

  日本国総理大臣の岸田文雄は、小野梓が創立した大学に在籍し、法学部4年生の時に民法ゼミに所属して、不法行為法をしっかり学んだはずである。憲法を蔑ろにし、「対外的な従属の軛」を一段と強め「知性や理性を蔑ろにする風潮」に便乗して改憲をあおっている。そういう時、「立憲国民」には「憲法を固執する力」が求められる。議員任期の延長のための改憲などという「フェイク改憲論」に惑わされてはならない「過去の再来を明日防ぐために、我々は今日何をなすべきか?」 が問われている。

   そのためには、小野のいう「国憲を固執するの実力」、つまり憲法にこだわる力を持たねばならない。これは、日本国憲法12条のいう「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」という思想につながる。日本国憲法は99条によって国家権力担当者のみに憲法尊重擁護義務を課すとともに、この12条において、国民に向かって、自由や権利の上に眠ることなく、これを保持する努力を求めている。これこそ小野のいう「国憲を固執するの実力」であろう。

   なお、早大生は夏休み明けに、早稲田大学歴史記念館を訪れて、小野梓と出会うことをおすすめする。「早大もと暗し」といわれないように。また、一般の方の見学も自由なので、どうぞお越しください。文学や演劇などの博物館も合わせてどうぞ。

《付記》 小野梓の原文は「国憲を固執するの実力」になっているが、「国憲」は憲法と言い換えた。現代語では「~に固執する」というのが一般的なので、本「直言」のタイトルや小見出しは、「憲法に固執する力」とした。

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