「少子化」の現場――ドイツ紙の松戸レポート
定期購読している『南ドイツ新聞』2023年7月4日付(デジタル版は3日)の7面(国際面)の記事が目に留まった。写真のキャプションには「東京の伝統的な泣き相撲祭」とある。五重の塔が背後に見えるので浅草寺(台東区)と思われる。見出しには「子どもの消滅」(Das Verschwinden der Kinder)とある。“Verschwinden”というのは強い言葉なので驚いた。日本でおなじみの「少子化」という言葉はドイツにはない。「出生率の低下」(Sinkende Geburtenrate)というのが普通の表現だろう。これは、トーマス・ハーン同紙東京特派員が、千葉県松戸市を取材したレポートである。デジタル版のタイトルは「子どもの消滅に対する緊急時計画」。写真には、子どものいない児童公園を使っている。
なぜ松戸なのか。記事の後半に、岸田文雄首相が6月初め、子ども政策に関する「草の根会議」の一環として松戸市を訪れ、親や保育者、子どもたちと1時間以上話をしたとある。松戸市には、0~3歳の乳幼児とその家族のための子育て施設の「ほっとるーむ松戸」がある。乳幼児一時預かり、親子DE広場、ワーキング・スペース、カフェ・スペースなどの機能をもつ。松戸駅にできた「ほっとるーむ」は、岸田首相が「少子化対策の先駆的施設として賞賛した」と記事にある。「2022年に生まれた赤ちゃんは初めて80万人を下回ったが、死亡者数はこれまで以上に多く、約158万人だった。2070年までに日本の人口は1億2500万人から8700万人に減少し、そのうち38.7%が65歳以上になると推計されている」と。
記事は続ける。政府は、2024年10月から児童手当を増額する。現在、日本では、一定の給与基準以下の親には、子どもが3歳の誕生日を迎えるまで月額1万5000円が支給され、その後15歳で中学校を卒業するまでは1万円、3人目以降は小学校6年生を卒業するまで1万5000円が支給される。新プランでは、給与の上限を撤廃し、1万円が高校生の子どもにも支給され、第3子以降の助成金は2倍の3万円となり、さらに高校まで支給される。岸田首相は、親に対する国の支援サービスをさらに拡大したいと考えている。例えば、松戸市の「ほっとるーむ」構想のようなものを、と。
記事は「ほっとるーむ」を詳しく紹介する。これは保育所の前段階で、0歳から3歳までが対象。親はいつでも子どもと一緒に立ち寄ることができる。1時間500円で、親は「ほっとるーむ」に子ども預けて用事を済ませることができる。児童虐待は、日本では主に乳幼児が多い。そこで松戸市は、小さな子どもを持つ親が他の親と出会い、アドバイスを受けたり、ストレスを解消したりできる28の施設を設置した。このうち、「ほっとるーむ八柱」を含む7施設では、子どもを預けることができる。「この施設は、子どもを持つということは、子どもと二人きりになることではない、そのことを示すためのものです」という松戸市子ども部長の言葉を紹介する。
「防衛のためのお金はあるが、子育て支援のための資金はまだ不透明だ」という見出しを付けて、防衛予算を増大させているのに比して、子育て支援が不十分なことを衝く。「今の20歳前後の人たちは、ただ働きたいだけでなく、子どもを育て、自分らしいライフスタイルを送りたいのです」「より多くの子どもたちのために、より柔軟な労働時間、より短い勤務時間、全体的な私生活への配慮が必要だ」と、子ども部長に語らせている。
ドイツはどう対応しているか
日本の「少子化」の現場をけっこう立ち入って紹介しているが、ドイツ人はこの記事をどう読んだだろうか。ドイツでも年々、出生率は下がっている。連邦統計局のサイトによれば、2022年に生まれたのは738800人、ドイツの女性一人あたりの出生数は1.46、第1子の平均出産年齢は30.4歳である。政府でこの問題を所管するのは、連邦家族・高齢者・女性・青少年省(Bundesministerium für Familie,Senioren,Frauen und Jugend)である。常に女性が大臣である。同省は12年前に、子ども数の減少に対して、「持続可能な家族政策が重要」と強調していた。育児手当や児童手当などの国家給付、保育インフラの拡充、家族に優しい職場環境のための取り組みなど、的を絞った支援策が実施されている。2007年には連邦と州の政府と市町村がこのテーマで会議を開き、3歳未満児のための託児所または保育所を合計75万カ所設置することで合意している。「持続可能な家族政策」のなかに、「家族に優しい企業文化と保育の拡充」が強調されている。給付金などの金銭援助だけでなく、企業文化として家族への深い配慮が求められている。実際、こうした施策がどのように行なわれているか、そこにおける新たな課題は何かなどについて、ここでは詳しく立ち入らない。実際にベルリンで子育てをしている日本人の方のブログ「ベルリン絵日記」を参照されたい。
日本の「少子化」対策の迷走
私は43年前の大学院生時代に、息子を公立保育所に預けて研究を続けていた。たまたまその保育所で起きた事故をめぐって、親の会の代表になって市と交渉するという経験をした(直言「子どもの情景―アベノミクス「出生率1.8」と待機児童問題」参照)。子育てをめぐるさまざまな問題を、実際の保育所事故と正面から取り組むなかで学ぶことになった。それが、いまの職場に来て教員組合書記長をやった22年前に、学内に託児所をつくる試みに関わることにつながった(直言「大学に保育所ができた」)。
この写真は、2003年4月に早稲田大学が設置した学内託児所の開所式である(当時の白井克彦総長と利用者の大学院生)。現在は、全キャンパスに子育て支援の施設や仕組みが出来ている(チラシはここから)。20年前とは隔世の感がある。夫婦が子どもを育てるのにどんな苦労があるか。地域は、企業は、行政はどういう関わり方をすべきか。私自身が子育てで苦労してから40年以上も経過しているが、いまも子育て世代への連帯の気持ちは忘れていない。だから、歴代政府が、子育て世代が納得するような支援を誠実に行なってこなかったことに苛立ちを覚えてきた。
「たかがお金、されどお金」で、子育て世代への給付は大事である。だが、歴代政府の金の出し方は何ともさもしい。政権浮揚や選挙前の手段としての利用が目立つのである。『南ドイツ新聞』が注目した松戸市のような、子育て世代が求めているものを行政として積極的に支援しようとするアイデアがなぜ出てこないのか。同紙も批判するように、防衛費には大盤振る舞いして、子育て世代への支援の方向は不明確である。何の苦労もしていない世襲政治家たちの想像力には限界がある。安倍晋三に至っては、2017年9月、「国難突破解散」として衆議院を解散したが、その際の「国難」の具体例として、北朝鮮のミサイル危機と「少子化」を挙げていたことは記憶に新しい。「少子化のための衆院解散」とは、まさに解散の「笑止化」である。直言「「自分ファースト」の翼賛政治―保身とエゴの「暴投解散」」をアップして厳しく批判した。「解散権の濫用」である。
「少子化」になぜブライダル?
「少子化」をめぐる迷走をよくあらわす例が、本来これに真剣に取り組むべき内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)のポストそのものである。内閣の「特命係」で、何でも屋になっている。2007年の第1次安倍内閣の時に誕生し、初代は上川陽子だった。永田町の中央合同庁舎8号館8階に「子ども・子育て本部」がある(分室は13階)。現在の首相補佐官をやっている森まさこ(雅子)は、第2次安倍内閣のときに第12代少子化担当大臣だった。なお、森は第4次安倍第2次改造内閣では法務大臣だったが、検察官の定年延長をめぐって答弁不能に陥った。それについては、ここでは触れない(直言「検察官の定年延長問題―国家公務員法81条の3の「盲点」」参照)。最近、「少子化」対策をめぐる新たな迷走が、「女性活躍担当の首相補佐官」を務めるその森によって引き起こされた。
森は8月12日、ツイッター(現・X)に、ブライダル業界への補助事業「ブライダル補助金」の進捗状況を投稿。「私が会長を務める自民党少子化対策議連の要望により、新設されたブライダル担当!」という言葉を入れた画像をアップした(冒頭右の写真参照)。コロナ禍で結婚式が低迷するなか、ブライダル業界のてこ入れとして「ブライダル補助金」が浮上してきたようだ。『ブライダル産業新聞』には、「未婚少子化対策に果たす役割」というタイトルで、森のインタビュー記事が掲載されている。「首相補佐官と大手ブライダル業者の怪しい“蜜月”関係」と夕刊紙にも書かれた(2023年8月17日)。「ブライダル補助金が、あたかも少子化対策の一環といわんばかりの投稿に〈少子化対策になってない〉〈国民の出産願望を高めることには繋がらない〉といった批判が噴出している」そうである。「要するに、ブライダル補助金は少子化対策ではなく、関連業者を支援する制度ということ」で、その後、森が代表を務める選挙区支部に、ブライダル大手の会社から100万円の寄付がなされていたことがわかり、批判を呼んでいる(同8月29日)。「少子化」があれこれの施策の口実に利用されている一例である。
地元に帰って子どもを生めば奨学金免除?!――「異次元の少子化対策」
衛藤晟一という首相補佐官もやった、安倍にかなり近い政治家がいる。極右の日本会議の国会議員懇談会幹事長も務め、憲法改正を煽っている(動画参照)。第4次安倍第2次改造内閣で、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策)だった。安倍の「政治的仮病」による政権投げ出しにより、担当大臣の任を終えた。この人物が、自民党少子化対策特別委員長だそうである。
彼は2023年3月13日、「少子化」対策を議論する党の会合で、結婚や出産を条件に奨学金の返済を免除する私案を示した。「地方に帰って結婚したら奨学金の3分の1、1人出産したら3分の1、2人目が生まれたらもう3分の1」の返済を免除するのだそうである(『朝日新聞』2023年3月14日)。まさに「異次元の少子化対策」である。都会で下宿しながら大学に通い、卒業したら地元の企業などに就職して、そこで結婚して、2人子どもを生めば、全額免除になるわけだ。こういう発想をする人間をどう評するか、適当な言葉が見つからない。
女性は田舎に帰って子どもを生めという旧時代の発想を、「少子化」問題の責任者がいってしまう。子どもたちから夢を奪っている大人の見本である。将来何になりたいかと小学生に聞いたら、「会社員」というのが、小中高の男女ともに1位になったというさみしい話を、一昨年、紹介したことがある(直言「子どもの夢は会社員―「末は博士か大臣か」は死語」)。
ちなみに、奨学金についていえば、2004年には日本育英会が廃止され、「日本学生支援機構」への組織改編が行われた。「育英」の思想は失われ、学生相手の貸金業者として過酷な取り立てを行なう。日本の奨学金は貸与型(=教育ローン)が圧倒的多数を占め、給付型奨学金の比率はOECD(経済協力開発機構)諸国のなかで最低ランクとされる(直言「安倍晋三トルクメニスタン大学名誉教授の改憲論と大学論」参照)。給付型の充実が急務である。
「少子化」問題の解決には
子育てはとにかく大変である。夜泣きは避けられない。病気もする。だから、仕事をもった人が安心して子育てが出来るようにするためには、自助努力では足りない。共助と公助が適切に行なわれることが重要なのである。そもそも非正規雇用者が36.9%(2022年)にもなり、将来の展望が持てないなか、結婚して子どもをつくろうという気持ちの余裕も生まれないだろう。特に男性の非正規率と未婚率との相関関係は歴然としている(直言「「非正規」が歪めた社会」参照)。何よりも雇用を改善し、賃金を上げ、労働環境を向上させることとセットで進めなければ、「少子化」は掛け声だけに終わるだろう。
今回、このテーマについて書くことになったのは、ドイツ紙の「子どもの消滅」という強烈な見出しと、浅草寺の泣き相撲の写真を組み合わせた記事を読んだからだ。トーマス・ハーン記者の松戸取材の記事で、「ほっとるーむ」などの施策を初めて知った。40年以上前に子育て世代だった私の視点からも、子育て世代への支援の内容は充実してきていると思う。思えば、学内保育所を春闘要求書に書き込み、第1回春闘団体交渉(2002年3月18日)の場で、私は、「(学内)保育所をもつことは、大学の品位の問題である」と主張したが、当時の奥島孝康総長は、「よい提案である」として積極的検討を約束した。まさに「一発回答」だった。その1年半後、さきほど紹介した学内託児所ができた。あのとき、「大学の品位」というのは、とっさに出てきた言葉だったが、20年たって、いまは「ダイバーシティ」(多様性)の施策の一環として発展してきている。若い世代のライフスタイルのなかに、子育てが自然に定着するようにしていくことが大事だろう。そのためには、「少子化」を政権維持・浮揚の道具とさせないようにすべきである。
この9月13日の内閣改造で、岸田文雄首相は、加藤紘一・元自民党幹事長の娘を少子化担当大臣に任命して、派閥力学からの「人工的な結束」(『南ドイツ新聞』2023年9月14日付)を示そうとしたが、まったく期待できない。来るべき総選挙における、子育て世代の有権者の眼力が問われている。