サラエボとガザの「包囲戦」――“From the river to the sea”
2023年11月13日


サラエボ包囲戦から30年余
究室の天井に2006年頃からこの地図が貼ってある。『サバイバルマップ』(SURVIVAL MAP1992 1993 SARAJEVO 1994 1995)。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-1995)の際、3年半にわたり、ボスニア共和国の首都サラエボはセルビア人武装勢力の完全包囲下にあった(サラエボ包囲戦)。「スナイパー通り」というのがあり、市民がそこを足早に通り抜けるが、遠方から狙撃されて倒れる。動けなくなった人を救いにいく人がまた撃たれる。耐えがたい場面をニュースで見せつけられたのを覚えている。この地図の中心部を拡大した写真がこれだ。セルビア側の旧ソ連製戦車やカノン砲、榴弾砲、迫撃砲、対戦車砲などが高台から市内のどこでも射撃できる位置をキープして取り巻いている。狙撃銃も見える。交差点など赤い円がついているところが、スナイパーがよく狙うポイントである。この「包囲戦」で11000人が死亡し、5万人が負傷したとされている。その85%は市民だった(この地図も紹介する『朝日新聞』GLOBE2018810参照) 

  左の写真は、サラエボに行った人から提供されたセルビア軍の30ミリ機関砲弾の薬莢である。紛争終結後、サラエボ市民がお土産の「花瓶」として売っていたものだ(なので、研究室で本当に花瓶にして使っている)。この写真の左側は、広島大学に勤務している時に同僚からもらった、クロアチア軍とセルビア軍の戦闘で使われた小銃弾である。 

右の写真は、オークションで入手したセルビアの切手である。1999年のコソボ紛争の際、NATO軍による「空爆」を受けた状況を切手にしたもので、通信施設などが破壊される様子を描いている(「空爆」と「空襲」の違いについて)。真ん中上段の切手は、明らかに病院への「空爆」の惨状である。赤十字のマークを付けた施設を爆撃すれば、国際人道法違反である。切手市場では「NATOの侵略6種」として売り出していた。なお、2023年1017日のガザ地区における「病院空爆」が「病院爆発」に置き換えられたことは記憶に新しい。

 

ガザ包囲戦は一方的殺戮

いま、毎日のようにガザの惨状が報道されている。冒頭右の写真は、114日付各紙が、軍がガザの包囲を「完了」したとする1面トップ記事である。カギ括弧の入れ方で微妙にニュアンスが異なる。イスラエルに過度に気配りした伝え方は、パレスチナの人々への暴虐を過小評価する傾きにならざるを得ない。私は平日の朝、NHKBS1「ワールドニュース」で、カタールの「アルジャジーラ」(AllJazeera)をみてバランスをとっている(RTが放送されなくなって久しい NHKRTを復活すべきである)。「アルジャジーラ」は英国や独仏のニュースとまったく違う。キャスターの背後に戦場の写真が並び、119日現在、死者11078人、うち子どもは4506人、女性は3027人と表記されている(この写真参照)。日本のニュースでは、11月に入っても、107日から数日間で殺害されたイスラエルの死者(1400)をわざわざ挙げ、「両者合わせて1万人を超えた」という言い方で、イスラエルに「忖度」している。「ガザ空爆」から1カ月以上になり、子どもの犠牲者が4500人という異様な数字が見えなくなるので、もうイスラエル側の死者と合わせた伝え方はやめたらどうか。

  ガザ地区は20076月以降、イスラエルによって軍事封鎖されており、107日以降は、激しい包囲戦が展開さている。左下の写真は「アルジャジーラ」116日のものだが、サラエボと同様に、ガザの住民に逃げるところはない。119日には病院にまで攻撃を加えている。BBCが攻撃された病院を地図上に明記したのが右下の写真である(BBC11月10日)。国際人道法違反であることはいうまでもなく、ハマスの「テロ」への反撃を「自衛権行使」の名で正当化しようとしているが、ここまでくると、米国とその忠犬国、「ホロコースト・オブセッション」を免れないドイツ以外は、イスラエルを全面支持することは困難だろう。イスラエルは真正の「ならず者国家」(Rogue Stateといわざるを得ない。 

そのイスラエル軍は119日、ガザ最大のアル・シファ病院を攻撃した。10日のワールドニュースのBBCによれば、世界保健機構(WHO)は、107日以来、ガザとヨルダン川西岸地区で250件以上の医療施設への攻撃を記録したという。フランスのマクロン大統領はこれらの情報を受けて、イスラエルに対して攻撃の停止を求めた(BBC日本版1111)

 

エルサレムも包囲戦を繰り返してきた

いうまでもなく、エルサレムはユダヤ教・イスラム教・キリスト教という3つの宗教の聖地である。それゆえに、また、それゆえにこそ、エルサレムは対立の焦点・中心であり続けた。「エルサレムは52回攻撃され、44回占領・奪回され、23回包囲され、2回破壊された」とされる所以である。

主なエルサレム包囲(攻囲)戦は、紀元前63年のローマのポンペイウスによるもので、ローマ人がエルサレムを支配した。西暦70年の第1次ユダヤ戦争の際にもエルサレムは包囲され、エルサレムの喪失で、ユダヤ人は各地に離散することになる。長い包囲戦の結果、638年にはイスラム教の支配下に入った。第1次十字軍の包囲戦の結果、1099年にキリスト教の国になった。エルサレムはその後、何度も包囲戦を経験してきた。

1948年の「イスラエル建国」は、パレスチナ人にとっては土地を強奪され難民にさせられた「ナクバ」(大厄災)である。イスラエルはその存在そのものが「恒常的緊急事態国家」である(直言「ネタニヤフ右派政権とハマスを選挙で選んだ民衆の不幸――第4次中東戦争50周年とイスラエル建国75周年に」)。この凶暴なイスラエルと憤怒に燃えるパレスチナをどう和解させるか。非和解的な矛盾から共存の方向に向かう一歩となった「オスロ合意」が崩れ、いま、「自然状態」にもどってしまった感がある。イスラエルは2007年からガザ地区を軍事封鎖しているが、107日以降、「天井のない牢獄」に対する包囲戦を開始したわけである。ワルシャワのゲットー蜂起(1943年)を圧殺するナチスの位置にイスラエルは立ったのだろうか。

 現在のネタニヤフ政権は、宗教シオニズムの過激派との連立政権である。旧約聖書原理主義のカルトが暴走すれば、「大イスラエル主義」(シリア、エジプト東部、サウジアラビア北部まで領土とする)の本音が突出してくる。現役閣僚の一人は、核兵器の使用も「一つの選択肢だ」と発言したという(『朝日新聞』116日付夕刊)。イスラエルは80発の核弾頭を保有しているとされ、ネタニヤフ首相は「現実離れしている」と当該閣僚をいさめたが、この政権の危うさをよく示している。イスラエル人1400人が死に、また200人以上が人質にとられた「10.7」は、「イスラエルの9.11」という形で、手段の比例性を突破する最強の口実となっている。


イスラエル批判は反ユダヤ主義?!

いま、ドイツでは、日本と異なり、ある悩ましい状況が生まれている。ブレーメンやミュンヘンなどで、親パレスチナのデモや集会が規制され、「川から海まで、パレスチナは自由になる」(From the river to the sea, Palestine will be free.)というスローガンが、ドイツ刑法86a条で禁止されているナチス親衛隊のスローガンや鉤十字と同様の扱いを受けつつある(『南ドイツ新聞』11月10日)。「民衆煽動罪」(刑法130条)にあたるという意見もある。「ヨルダン川から地中海まで」パレスチナ人のものになれば、それはイスラエル国家の消滅と同義であり、このスローガンは、イスラエルの存在権(Existenzrecht Israels)を脅かすというのが理由だ(『南ドイツ新聞』11月3日)。パレスチナにおけるイスラエルの軍事行動を批判することは反ユダヤ主義だという議論も無視できないものになっており、危うい。これは改めて論ずることにしよう。

 それにつけても「G7議長国」の日本は、5月の「軍都広島」サミット以降も、中東問題をめぐっても、米国追随以外の選択肢がない「岸田外交」を見せつけられており、ガザ地区をめぐる問題では、「赤坂自民亭」の女将が外務大臣であり、日本外交の軽さが浮き彫りになっている。これもまた別に論ずることにしよう。


トップページへ