戦争の悲惨な写真や映像はたくさん見てきたが、病院が攻撃目標となり、保育器の電源が破壊されて、新生児が多数死んでいく状況を見るのは初めてである。表現する言葉が見当たらない(『東京新聞』11月14日付)。先週の直言「サラエボとガザの「包囲戦」」でも指摘したように、これは戦争と呼べるものではなく、特定の民族に対する一方的殺戮である。「ならず者国家」(Rogue state)イスラエルの蛮行に対して、ドイツが米英以上にこれを支持し続けていることを不思議に思う人もいるだろう。
「イスラエルの安全保障はドイツの国是(「国家理性」)」?
今年の11月9日は、「ベルリンの壁」崩壊34周年 よりも、「水晶の夜」(「ポグロム」)85周年が焦点となった。ユダヤ人に対するナチスの本格的迫害の転機となった日である(直言「さまざまな“11.9”」参照)。ここ数年、ドイツにおける極右の伸長は著しく、「反ユダヤ主義」的な動きが高まっている(直言「ケムニッツの警告——「水晶の夜」80周年」参照)。
冒頭左の写真は、11月9日にベルリンのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)の追悼集会を訪れたオラフ・ショルツ首相とフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー大統領である。2人ともユダヤ教徒の男性がかぶる「キッパ」を頭に乗せている。大統領は、ドイツ福音主義教会(EKD)に属する。ショルツ首相はプロテスタント教会をやめて、いまは無宗教というが、ユダヤ教徒ではないのに過剰な対応をしているように見える(これまでの政治家たちも同様)。ショルツ首相は、「われわれはいかなる場所でも反ユダヤ主義を容認しない」と述べ、「反ユダヤ主義」的傾向の取り締まり強化を約束した。ショルツは、「イスラエルには自らを守る権利がある」として、「自衛権を制限する停戦」に反対の立場を取っている。ショルツだけでなく、フットワークだけが目立つ外相も含めて、「イスラエルの安全保障はドイツの国是(「国家理性」(Staatsräsion))」という言葉を繰り返し使っている。
実は、この言葉をこの文脈で最初に使ったのは、アンゲラ・メルケル前首相であった。2008年3月のエルサレム訪問の際、ドイツ首相として初めて演説を行い、そのなかでこの言葉を用いたのである。これはイスラエル政府への「無条件の忠誠心」を表現したと受け取られかねない傾きと勢いを持っていた。ヘルムート・シュミット元首相はこの演説に対して、「感情的には理解できるが、愚かな考えであり、非常に深刻な結果を招きかねない」と批判していた(「国家の理性とは何を意味するのか?」『南ドイツ新聞』2023年11月15日付参照)。シュミットが懸念した通り、この言葉は、2023年10月7日以降、ドイツの政治家たちがガザ「空爆」を擁護する際に頻用され、単なるレトリック以上の機能を発揮している。
先週、11月17日、トルコのエルドアン大統領がベルリンを訪れ、共同記者会見で、ガザにおけるイスラエルの行動を激しく非難した。エルドアンはハマスのことを「解放組織」と呼び、イスラエルを「テロ国家」と断じた。ショルツはこれに反論し、「イスラエルの存在権は覆せない」(Existenzrecht Israels ist unumstößlich)と述べた( Die Welt vom 17.11.2023)。
だが、スイスの『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング』(NZZ)11月17日に寄せた評論のなかで、ドイツ人女性ジャーナリスト(社民党(SPD)元連邦議会議員、元キール市長)のスザンヌ・ガシュケは、この会談を「冗長で完全な失敗」というタイトルで厳しく批判した。ショルツは、トルコが重要なNATO加盟国であることと、400万人もの難民を受け入れているという負い目から、エルドアンの主張に対して十分な批判ができなかったことも指摘している。
もっとも、トルコ大統領がイスラエルを「テロ国家」と呼び、ガザの大量虐殺を非難するが、実はトルコ自身、1915-16年の「アルメニア人虐殺」問題を抱えており、「虐殺はなかった」「30万人しか死んでいない」(アルメニアは150万人死亡と主張)という弁解を続けている(直言「過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)―アルメニア人集団殺害決議」 参照)。このことは付言しておく必要があろう。
ホロコースト記念碑の違和感
イスラエルに腰が引けたドイツという点で想起されるのが、ベルリンの米国大使館横の一等地に2005年に作られた「ホロコースト記念碑」のことである(この写真は2016年6月9日撮影。星条旗が見える)。私が1991年に東ベルリンに滞在していた頃から、これを「どこに設置するか」が焦点となっていた。18年前、これが出来上がったときの直言「ベルリンの「壁」から「石碑」へ」ではこう書いた。
「…1999年6月25日(金曜)、ボンの連邦議会は、「統一ドイツの首都にふさわしい施設が必要」という提案をめぐって対立した。そして、5回にわたる記名投票の末、党議拘束を解除して、各議員が自らの判断で投票した。その結果、慰霊の対象を「欧州ユダヤ人」に限定した記念碑の建設が決まった。ナチスは、ロマやシンティといったいわゆるジプシーや、同性愛者、障害者も殺していたので、その犠牲者も含めてほしいという声があがった。しかし、連邦議会は慰霊の対象を、欧州ユダヤ人に限定する提案を可決した。賛成312、反対207、棄権13。同じ政党の議員でも賛否は分かれた。苦渋の決断だった。…
…この記念碑の存在の仕方(場所、面積、外形…)は、自然な形で「過去」と向き合い、「思い起こす」ことに資するだろうか。私がこの記念碑のコンセプトに違和感があるのは、去年[注:2004年]の連邦議会の議論のなかでも指摘されていたことだが、慰霊と追悼の対象を、なぜ、欧州ユダヤ人に限定しなければならなかったのか、ということである。ロマやシンティ、同性愛者や障害者、政治犯など、ナチスの犠牲者すべてを慰霊するという形にできなかったのか。欧州ユダヤ人の犠牲者にこだわる、頑な態度と物言いが反発を招いたことは否定できない。「被害者の差別化」である。」
なぜ、ドイツはそうまでしてイスラエルを擁護するのか。それは、ナチ・ドイツによる「ホロコースト」への歴史的負債であることは明らかだ。しかし、ことは単純ではない。そのあたりの歴史の機微について、『歴史修正主義―ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中公新書、2021年)などの著書も多い武井彩佳の「ドイツとイスラエルの和解とパレスチナ問題」(2023年10月8日)が参考になる。
武井によれば、ドイツ・イスラエル関係の裏面史は、西ドイツ時代のユダヤ人残置財産の移転問題から始まり、ユダヤ人犠牲者に対する補償の問題を、パレスチナ問題と意識的に切り離すところから出発している。「ホロコーストの原罪を背負うドイツとしては、イスラエルのパレスチナ政策を批判するには気が引ける。さらに、冷戦下での西側統合が西ドイツの政治原則とされる中、自分たちはナチ・ドイツとは違うと国際社会に印象付ける必要がある」など、複雑な事情が絡み合って、「ナチのユダヤ人迫害に起因する事柄と、パレスチナ難民問題の分離は、ドイツの公式な姿勢として踏襲されてゆく」。「イスラエル批判は反ユダヤ主義のそしりを受けかねず、反ユダヤ主義者でないことを示すためだけの「親ユダヤ主義」が、国内の政治規範として確立してゆく。このため、西ドイツはホロコーストを契機としてイスラエルが生まれ、並行してパレスチナ難民問題が発生したという因果関係には触れないまま、パレスチナ難民に対する支援を行うという、矛盾に満ちた立場におかれることとなった。」「西ドイツとしては、ナチ・ドイツが「ユダヤ民族」の絶滅を試みた以上、ユダヤ人に対する贖罪においては、民族全体の再生が意図されるべきであり、それはユダヤ人国家[イスラエル]の存続の保障を意味していたのである」、と。
このドイツとイスラエルのねじれた関係が、「10.7」(イスラエルの「9.11」)以降、表面化してきたものといえる。ドイツによるイスラエルへの武器輸出も、こういう脈絡で理解することができる。最近、ドイツ政府はイスラエルへの武器輸出を大幅に増やした。t-online11月8日が伝えたもので、「11月2日までに、3億300万ユーロに相当する輸出を政府は承認した。承認されたのは特に防空・通信機器の部品に関するものだ」という(t-online.de
08.11.2023)。「ドイツ政府が積極的に支援しているイスラエルの強大な軍事力は、ドイツの防衛関連企業にとっては金儲けの機械でもある。わずか1年で、ドイツからイスラエル政府への納入額は10倍になった。このため、ドイツは「間接的に中東の戦場におけるアクターになっている」(nd. KOMPAKT vom 10.11.2023)。11月になって防空・通信機器をイスラエルに輸出したことは、ガザ「空爆」を間接的にではなく、直接的に支援するものといえるだろう。
「川から海まで、パレスチナは自由になる」の禁止
この写真は、水島ゼミ15期生が、ヨルダン国内のパレスチナ難民キャンプで撮影したものである。イスラエル国家のダビデの星を家の階段に描いて、毎日足で踏みつけるという構造になっている。地面に描いて踏みつけるものもある。外国国章損壊罪のような罪はこの地域にはないだろうし、むしろイスラエル国旗を焼いたり、損壊したりすることは、パレスチナやアラブ世界では日常風景といえる。なお、水島ゼミ22期生も、ヨルダン川西岸地区を訪れている(直言「激動のイスラエルとパレスチナを行く--ゼミ生の取材記(2–完)」参照)。
イスラエルはガザの蛮行だけでなく、パレスチナ国家の領土になるはずのヨルダン側西岸地区に多くのユダヤ人入植地を作り、西岸地区を蚕食するという国連安保理決議242号(1967年11月22日採択)違反を続けている。世界中から非難が集中するイスラエル。それを批判し、即時停戦を求める集会やデモに対する抑圧が強まっている。先週の直言「サラエボとガザの「包囲戦」」でも書いたように、「川から海まで、パレスチナは自由になる」(From the river to the sea, Palestine will be free.)というスローガンは強い規制を受け、禁止されている(以下の叙述は、『南ドイツ新聞』11月10日付参照)。
このスローガンのようにヨルダン川から地中海まで、かつてパレスチナ人が住んでいた(直言「ネタニヤフ右派政権とハマスを選挙で選んだ民衆の不幸」冒頭の地図の「リターン」という言葉に注目)。そこに国のない難民化したユダヤ人が1948年にやってきて「イスラエル建国」がなされたわけで、このスローガンが実現すれば、現在のイスラエル国家が存在する全領土がパレスチナ人の「自由」なるというわけである。親パレスチナのデモ・集会では冒頭右の写真のように、このスローガンが掲げられている。だが、平和的なデモを行なっている人々を、スローガンだけで処罰ができるのか。
これまでドイツの検察は、この言葉を基本的には表現の自由の範囲内と見ていた。ベルリンだけでなく、ミュンヘンや他の都市の検察も同様だった。憎悪の扇動に対する刑事責任は、明らかに暴力を扇動する発言があった場合にのみ考慮される。「川から海まで…」という言葉は、それは該当しない。パレスチナの「自由」を願う人は、必ずしもイスラエル人に対する暴力を呼びかけているわけではなく、現状を平和的に変更することも意味しうる、と。
例えば、ハンブルク検察庁は、10月の最後から2番目の週末だけで、該当する犯罪の疑いで合計24件の手続きを開始したが、そのなかには傷害罪も含まれていた。親パレスチナデモ中に20件の「犯罪関連事件」も記録された。ブレーメン警察は現在少なくとも15件の苦情を処理しており、そのほとんどが「川から海まで…」という、イスラエルの「存在権」を疑問視するスローガンに関するものだという(『南ドイツ新聞』11月3日)。11月2日、難民問題で迷走して批判を浴び、ヘッセン州での議会選挙でも敗北して意気消沈していた内務大臣(SPD)が「やってる感」満々で、イスラム過激派組織ハマスに対しての活動禁止命令を出した。連邦官報に掲載された5ページにわたる禁止令には、ハマスのロゴやレタリングなどの「エンブレム」がリストアップされており、公の場での使用が禁止されている。このリストの最後に、「『川から海まで』というスローガン(ドイツ語またはその他の言語)」も挙げられている。このスローガンは、サミドゥンとハマスそれぞれの象徴である。禁止令に違反した者は、結社法20条と刑法86a条により訴追されることになる(罰金または3年以下の自由刑)。
表現の自由とその限界をめぐって、10月7日以降、イスラエルに忖度して、けっこう荒っぽい議論がなされているように思う(tagesschau vom 19.10.2023)。「意見の自由は貴重な財産であり、憲法上不可欠な基本権である。基本法第5条に明記されており、ドイツに住むすべての人に、自分の意見を形成し、それを公に表明する権利が与えられている。しかし、この条文の第2項には、意見の自由にも制限があることが明記されている。「これらの権利は、一般法律の規定、少年保護のための法律上の規定、及び人格的名誉権によって制限を受ける」。つまり、ある発言が刑法に抵触する場合、表現の自由の保護はもはや適用されない。「川から海まで…」というスローガンは、「犯罪の幇助」(刑法第140条)に該当する可能性がある。このスローガンがハマスによる最近のテロ攻撃に直接関連して行われた場合がそうだという。なぜなら、そのとき、「川から」(ヨルダン川)「(地中海)海まで」の地域にはユダヤ人とイスラエル国家が存在すべきではないという印象がはっきり伝わるからであり、これはハマスのユダヤ人大量虐殺を正当化することにもなる。ベルリン検察庁は、このスローガンが憎悪扇動の最初のケースとさえみなして(刑法130条)、現在捜査中である。この文脈での判決はまだ出ていない。」
民衆煽動罪(刑法130条)が適用されるのは、ある言説が人間の尊厳を損ない、憎悪をかき立て、結果として社会の平穏が乱される場合に限定される。しかも、1994年改正で導入された第3項は、「公共の平穏を乱すのに適した態様で、公然と又は集会で、…ナチ支配下で行なわれた行為を是認し、その存在を否定し又は矮小化する者は、5年以下の自由刑又は罰金に処する」というものである。「ホロコースト」の否定や矮小化には妥当しても、パレスチナの地に自由をというスローガンにまで拡大することは困難であろう。
ヘッセン州行政裁判所による集会禁止違法の決定
パレスチナ系アメリカ人の作家ユセフ・ムナイヤーは2021年に、多くの人々がこのスローガンを「パレスチナ人が他者に支配されることも他者を支配することもない自由で平等な市民として祖国で暮らすことができる」という願望と関連づけたものだと主張していた。ベルリン行政裁判所も8月に、このスローガン自体は処罰されないとの判決を出している。裁判所によると、このスローガンが指定の地域全般における自由と平等を求めているという解釈を排除することはできないという(以上、『南ドイツ新聞』前掲11月14日付参照)。
10月21日、カッセルのヘッセン州行政裁判所は、フランクフルト市とカッセル市におけるガザ関係の集会禁止令は違法であるという決定を下した。カッセル市は2023年10月19日、「中東平和祈念集会」の開催を禁止する命令を出した。カッセル行政裁判所はこれ対する緊急抗告を認容し、禁止命令は違法とする決定を出していた。フランクフルト行政裁判所も同様の集会について同市が禁止する命令を出したのを違法とする決定を出していた。両市の上訴を受けて、ヘッセン州行政裁判所第2法廷は、両裁判所の決定を支持し、両市の上訴を棄却。集会は予定通り開催された。裁判所は理由のなかで、集会の禁止は、集会の自由と表現の自由に対する基本権に関して、例外的な場合にのみ、また厳格な条件の下でのみ検討されうると指摘した。両市とも、そのために必要な公共の安全や秩序に対する直接的な脅威を十分に立証していないとも指摘している。特に、フランクフルト市が、申立人が過去に反イスラエルのスピーチを行う集会を繰り返し主催していたとしているが、これは「差し迫った危険」を想定するには不十分であるとした。
国連でドイツに批判集中――米国ユダヤ人の言葉
国連人権理事会(UN Human Rights Council)は11月9日、スイス・ジュネーブでドイツについての普遍的定期的審査(UPR)を実施した。ガザ地区の問題でイスラエル支持を明確にする一方、国内でパレスチナ支持派の抗議活動を禁止するドイツの姿勢に対し非難が相次いだ(AFP 11月10日参照)。
エジプト代表は「パレスチナ人の権利に関して、ドイツが取っている好ましくない立場を深く遺憾に思う」と述べ、ヨルダン代表はドイツの「不均衡な立場」を非難した。トルコ代表は、「イスラエルが戦争犯罪や人道に対する罪に使用する可能性のある軍事物資や軍装備品の提供を停止する」ようドイツに求めた。カタール代表は「ドイツ国内でガザ住民を支持するデモの参加者に対する制裁などの措置」に懸念を表明。レバノン代表はドイツに対し、「自国民の表現と集会の自由をめぐる権利の尊重し、守る」ことを求めた。これに対して、ドイツ代表は、「ドイツにとって、イスラエルの安全保障と存在権については交渉の余地がない」と述べ、イスラエルの自衛権を繰り返し擁護したという。ドイツが国連でここまで批判されるのは珍しい。本「直言」のタイトルを「イスラエル批判は「反ユダヤ主義」なのか」としたが、この問いに対する米国のユダヤ系の人々からの言葉を最後に紹介して本稿を閉じよう。
米国のユダヤ系の作家やジャーナリストなどが署名した公開書簡は、「「イスラエル批判=反ユダヤ主義」のレトリックは「陰湿な口封じ」」というタイトルで、イスラエル政府を批判し、「停戦」と「占領の終結」を求めている。(Courrier Japon 2023年11月9日)。「ガザ地区で何千人ものパレスチナ人が殺害されたことへの憤りを表明することは、本質的に反ユダヤ主義的なものは何もない」との考えを示し、「私たちは、あらゆる形態の反ユダヤ主義を拒否する」と立場を明確にしたうえで、こう記している。「反ユダヤ主義の痛ましい歴史とユダヤ教の聖典の教訓があるからこそ、私たちはパレスチナ人の尊厳と主権を主張する」「私たちは停戦と、ガザ地区の人質とイスラエルのパレスチナ捕虜の安全な帰還のための解決策、そしてイスラエルによる継続的な占領の終結を求める」と。「パレスチナ人の主権」という言葉は重い。
《付記》
ドイツ東部のザクセン=アンハルト州で、 市民権を申請する際、イスラエルの「存在権」(Existenzrecht)に対する支持を宣言することが求められるようになった。連邦政府の、「イスラエルの「存在権」はドイツの国家理性(国是)である」という立場を、州政府が市民権申請場面にまで一貫させようとしている。アラブ系の申請者はまず通らないだろう。手放しでイスラエルを擁護しなければ反ユダヤ主義といわんばかりの対応である(CNN2003年12月7日参照)。
【文中敬称略】