「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)
2024年1月8日

激動の幕開け、2024

2024年は元旦から文字通りの「激震の年」となった。震度7の能登半島地震で幕開け、それから25時間あまり後に、羽田空港に着陸した日航機と海保機が滑走路上で衝突・炎上するという大事故が起きた。海外メディアも異例の大きな扱いで、定期購読している『南ドイツ新聞』13日付1面トップは能登半島地震で、「火山、台風、地震:日本人は常に危うい生活をしている」。自然災害だけでなく、日航機事故も社面トップにカラー写真を使って「大災害の日々」という見出しである。他方、4日のデジタル版では「中東における新たな危険」として、イスラエルがベイルートでハマス指導者を殺害した1日後に、米軍が「標的殺害」したイラン革命防衛隊ソレイマニ将軍を追悼する集会で爆発が起こり、100人近くが死亡したことを伝える。4日、テロ武装組織「イスラム国」(IS)が声明を出して、爆発ベルトを帯びた2人による自爆テロを認めたISは、イランで多数を占めるシーア派をイスラム教の背教者とみなし、軽蔑しているという(SZ vom 4.1.2024 参照)。イスラエル対イラン、イスラム社会内部の対立・抗争などが入り乱れて複雑である。2024年は、ウクライナとガザの「2つの戦争」と中東の混迷・混乱が連動して「大惨事世界大戦」に発展する年になるのか。そういえば、13年前の東日本大震災の時も、リビアへの軍事介入が大問題になっていて、国家元首カダフィに対する「標的作戦」が実施されたのを思い出す。

   名称の問題を指摘しておけば、気象庁が命名した「令和6年能登半島地震」では少し狭い気がする。202355日の「令和5年奥能登地震」が起きて、珠洲市でも全壊家屋が40棟もあった。だが、今回は、被害の規模と内容、今後の影響の重大性(震源地に近い志賀原発の状況[北陸電力は異常なしというが検証が必要])に鑑み、大地震・津波・原発事故の「複合被災」となった東日本大震災に準じた対応が必要ではないか。地震ではなく震災の名称としては「北陸大震災」とすべきだと私は思う。2011年「3.11」の時も、気象庁は「東北地方太平洋沖地震」だったが、メディアは「東日本巨大地震」「東北関東大震災」「東日本大震災」の3つに分かれ、「東日本大震災」に統一されたのは発災から21日後の41日午後だった(直言「これは真正の非常事態だ―地震、津波、火事、原発…」参照)。なお、東日本大震災後に頻用された言葉が「想定外」だった(直言「想定外という言葉―東日本大震災から1か月」参照)

 

「北陸大震災」と迅速なTKBW”

  私が担当する「法政策論」では、「東日本大震災と日本の災害対策の課題」を半期の授業のなかで特に重視して講義してきたが、受講する学生たちにとって東日本大震災は小学生の時の出来事だった。それが、Moodle(オンライン講義で定着)の感想コーナーを見ると、帰省先や新潟のスキー場のバイト先などで実際に大地震を体験して、授業での知識が生々しく確認されたと興奮した筆致で書き込んでいる。東日本大震災における政府・自治体の対応だけでなく、さまざまなアクター(企業、NPO、大学、コンビニ等々)の活動などを詳しく紹介してきたので、学生たちは、能登半島地震でそれがどう活かされているか、活かされていないのかと真剣に考えていることがよくわかった。東日本大震災の時は、学生たちが実際に大学のボランティア活動で被災地に入る活動も行なった(私が会長をしたサークルの事例)


  しかし、今回は元旦に起きたこと、そして北陸地方のさらに先の能登半島が震源という事情も重なって、数少ない主要道路の寸断で救援が困難になる客観的条件があった。しかも、メディアが正月休みだったために、初発の報道がいま一つで、事態の重大性がすぐには伝わらなかった。日を追うごとに報道が本格化して、三桁の行方不明者がいることが「72時間」経過後にわかった。政府の対応も鈍く、災害対策基本法26条の「非常災害対策本部」(本部長は防災担当大臣)が立ち上がったが、救助、救急、救難、救命の初動の活動が見えにくい。復旧への総合調整もいま一つである。地震は自然災害だが、その後は人災といわれる。真冬の寒冷地で家を失った被災者に、強い雨が降るなか「着の身着のまま」で水も食事も届かない。

寒冷地の避難所では、“TKBW”が重要といわれる(NHK「災害列島命を守る情報サイト」2023126参照)。T=トイレ:室内でもできるように、K=キッチン:温かい食事の提供を、B=ベッド:“床に雑魚寝をしない効果、W=暖房:新型コロナ対策も合わせ、である。とりわけトイレは重要である。震災のたびに配慮が細かくなり、改良が加えられてきたはずなのだが、能登半島の被災地になかなか行き渡っていない。孤立した市町村が多く、行方不明者の実名リストも、おそまきながら石川県が(かつては個人情報云々で躊躇していたが)公表した(NHKサイトから見られる)。

1月5日時点の数字で、緊急消防援助隊18都府県2000人あまりが被災地に派遣され、警察も広域緊急援助隊24都府県警1100人を送り、自衛隊は陸自中部方面総監を長とする統合任務部隊(JTF)を編成(陸海空自衛隊約10000人態勢)して活動している

岸田首相の「スピード感」と「規模感」

新潟県中越地震における当時の首相の対応を批判した直言「「危機」における指導者の言葉と所作」をクリックしてお読みいただきたい。その後、直言「「危機」における指導者の言葉と所作(その2西日本豪雨と「赤坂自民亭」」を出して、死刑執行を命じた直後に飲み会の「女将」をやった法相の上川陽子や、飲み会の写真をSNSで飛ばした西村康稔らを批判した。直言「東日本大水害」と政治―「危機」における指導者の言葉と所作(その3)」「メルケルと“ガースー”―「危機」における指導者の言葉と所作(その4)」のリンクまでお読みいただければ、その時の、それぞれの被災地の皆さんの怒りを追体験できると思う。

今回も同じことが繰り返されている。4日、岸田文雄首相は一応防災服を着て年頭記者会見の場に登場し、地震への対応について方針を述べた。だが、言葉があまりに平べったく、緊張感も緊迫感も感じられない。「政治への信頼回復こそ、最大かつ最優先の課題だ。まずは震災対応に万全を期さなければならない」と述べ、「陣頭指揮を私自身が執る」と力を込めた。土砂や瓦礫の下に人がいるという、一刻も早い救援・救出・救助が必要なのに、政治改革の話をだらだらとモノトーンで語る。「私自身が党の先頭に立って、国民の政治への信頼を回復すべく、自民党の体質を刷新する取り組みを進めていく」。来週に党内に総裁直轄の新組織「政治刷新本部」を立ち上げる、…などとダラダラと政治の世界の話を述べたてていた(『朝日新聞』14日付)。官邸のホームページから「令和6年能登半島地震についての会見を開いて全文を読んでみた。あきれた。「プッシュ型の物資支援を一層強化するため、週明け9日に予備費の閣議決定を行います。今後とも必要な財政措置を臨機応変に講じてまいります」。記者から「予備費の閣議決定は9日火曜日に行うという理解で良いか、その規模感はどのくらいになるのか」と質問されると、「週明け、9日に予備費の閣議決定を行いたいと考えております。そして、規模感についてですが、…過去の事例と比較しても倍近くになるのではないか、このように考えております」と答えた。「たった40億円! 「オスプレイ1130億円、あまりにしょぼい」という言葉がSNSに飛び交った。問題は金額だけではない。記者は、なぜ9日の定例閣議まで待つのかという問題意識で質問したのだろう。直ちに臨時閣議を開いて大規模な支援策を可視化させようとしないのか。あまりに緊張感を欠いている。「スピード感」という言葉は出てこずに、「規模感」という変な言葉が出てきた。ちなみに、ネット関係の業界ではこの言葉は普通に使われるそうだが、政治の世界における「感」の多用は、ごまかし、曖昧、責任逃れにつながる。岸田首相には、人の命が刻々と失われている真正の緊急事態に対処する姿勢が見られない。

 この記者会見で最も驚いたのは、「憲法改正の実現に向けた最大限の取組も必要です。自民党総裁として申し上げれば、自分の総裁任期中に改正を実現したいとの思いに変わりはなく、議論を前進させるべく最大限努力をしたいと考えています。今年は条文案の具体化を進め、党派を超えた議論を加速してまいります」と述べたことである。本来、首相が先頭に立って被災地を励まし、そこで救援活動に従事する人々を鼓舞すべきである。トップなら、仮に記者から質問があっても、「いまは地震対応に集中したい」といえばすむことである。ここで憲法改正に力を入れると語るのは、「惨事便乗型改憲」そのものだろう。

   なお、原発問題などの記者質問の声が響くなか、岸田首相は記者会見をいつもよりも早く打ち切った(道路が寸断されて避難計画が成り立たないなかで原発推進こそ非現実的で致命的に見える)。その夜、重要な予定があるかと思いきや、防災服からスーツへ着替え、一部の視聴者のみ対象のBSフジテレビお台場へ移動して生出演した。記者会見での記者の質問に答えず、批判的な質問などおよそ出ない「快適な」フジ・サンケイメディアには時間をさく。薄ら笑いを浮かべてご機嫌である。聞く耳と話す口の劣化は著しい。

   何度も引用しているが、20年前の「「危機」における指導者の言葉と所作」のあるべき姿について下記に示しておく。

「新潟で大きな地震が起きました。関係諸機関は、全力を挙げて救援活動にあたるよう指示しました。周辺自治体の皆さんも支援の行動を起こしてください。国民の皆さんも、今後の情報に注目して、できる限りの支援をお願いします。私はすぐに官邸に戻り、対策にあたります」。1分も必要ない。このトップの声と姿を見たとき、人々は事柄の重大性を感じ、それぞれの立場で行動を起こすきっかけをつかむ。各官庁のどんな「指示待ち公務員」でも、「いつもと違う。これは大変だ」という気分になる。その気分の無数の重なりが、その後の組織の動きと勢いを決める。


片手間の特命担当大臣でなく、専任の「防災大臣」を

内閣府特命担当大臣のワン・オブ・ゼム的な任務ではなく、また、国土交通省のなかに細かく分かれた部局ではなく、それらを統合した本格的な機関としての「防災省」(名称は未定)の設置が必要だろう(直言「「複合災害」にいかに対処するか―国土交通省発足20周年に」参照)32年前、本格的な災害救助組織のイメージをテレビ人形劇「サンダーバード」を使って問題提起したことがある。不整地走行も可能で、陸海空から総合的な救助・救援ができる本格的な災害救助組織は、災害大国日本でこそ必要だろう。導入前から「陳腐化」が始まるトマホークミサイルの導入を中止して、きたるべき首都直下型地震や南海トラフなどの地震対策、毎年台風の時期に被害がでる河川など防災力の強化をはかる。それこそが真の「国土防衛」だろう。

【文中敬称略】

 

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