久しぶりの「食の話」
ウクライナ戦争が始まってまもなく3年になる。「2023年パレスチナ・イスラエル戦争」の開始から4カ月あまり。ずっと「やわらかい雑談」をアップできないできた。「人が死んでいるのに食べ物の話かよ?」という空気がずっと続いているからである。しかし、ここで埋め草的な雑談「食の話」をアップすることをお許しいただきたい。例年、この時期は入試・学年末繁忙期なのだが、いまは免除されて、研究室の撤収作業に集中している。
さて、前回の「食の話」(18)は「ゼミ「おでん会」の10周年」について書いた。コロナがなければずっと続いていたゼミの行事だったが、23期から実施できなくなり、25期でゼミを閉じることになった。というわけで、今回は久しぶりに「お菓子」の話である。私はアルコールを飲まないかわりに、お菓子には目がない。この雑談でも、14年前は「川越いも」、20年前は金平糖、地方銘菓についても書いたことがある。今回は、先月たまたまお土産でもらい、とても気に入っている福岡の「祝うてサンド」とその周辺のお話である。
石村善治とヘルムート・リッダー
1997年9月、石村善治教授(福岡大学)の古稀記念論集の献呈の会が福岡で開かれた。『言論法研究』Ⅰ~Ⅳなどの著書のあるこの分野の草分けの一人である。私もドイツ関係の論文を寄稿していたのでこの会に参加した。そのとき、帰りのお土産に頂戴したのが石村萬盛堂の「鶴乃子」だった。石村教授の祖父が明治38年に創業した老舗菓子店である。博多祇園山笠にも関係が深い。先生ご自身、高齢になられても法被を着て山笠に参加していたという。
私がなぜ石村教授の古稀記念に原稿を依頼されたのか考えてみると、私の修士論文「西ドイツ政党禁止法制の憲法的問題性―ボン基本法第21条第2項を中心に」の一部をまとめて活字化した論文「ボン基本法における「自由な民主主義的基本秩序」―「戦闘的民主主義」の中核概念」(『早稲田法学会誌』29巻(1979年))の抜き刷りをお送りしたところ、長文の礼状が届いたことに始まる。論文で参照したヘルムート・リッダー教授(ギーセン大学)に会いにいく計画を立て、推薦状をお願いした。すぐに長文の立派な推薦状(もちろんドイツ語)が届いた。
リッダー生誕100年のシンポジウム
リッダー教授(1919-2007年)と石村教授(1927- )とは、風貌がどことなく似ていると感じてきた。下の写真は2001年9月のゼミ長崎合宿の折りに、長崎県立大学学長だった石村教授を訪問した時のものである(右の写真は1979年11月、ギーセン大学研究室)。
1961年から2年間、石村教授は当時ボン大学教授だったリッダーのもとで在外研究を行った。以来親交は長く、1997年に出版された石村古稀記念論集には、リッダーがドイツ語で論文を寄せている(前掲書の目次参照)。
リッダーの憲法学については、直言「「立憲主義からの逃走」―ドイツとトルコの大統領」のなかで、還暦記念論集(1979年)と古稀記念論文集(1989年)のことを紹介した。下の写真にある赤い本が古稀記念論文集であり、その右側は、弟子(フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー現ドイツ大統領(当時は外相)も4人の編者の1人)が編纂した800頁近い『ヘルムート・リッダー著作集』(2010年)である。リッダーは2007年に88歳で死去したが、死して後なお、批判的法学者の「リッダー学派」はさまざまな企画を生み出してきた。生誕100周年にあたる2019年、Kritische
Justiz誌2019年第2号(S.143-224)が特集を組み、序文と9本の論文を収録している。これは同年7月にベルリン自由大学(FU)で開かれた「ヘルムート・リッダー記念のシンポジウムの諸報告を収録したものである。これは後に、『全体憲法―ヘルムート・リッダーの憲法思想』(Isabel Feichtner/Tim Wihl(Hrsg.), Gesamtverfassung: Das
Verfassungsdenken Helmut Ridders, 2022)というタイトルの単行本として出版された(下記写真の一番左側)。
ドイツ憲法学界における異端的な立ち位置(heterodoxe Figure)は際立っており、常に少数派であったが、68年世代の憲法・法律研究者・実務家からは特別の尊敬を受け、批判的法学の象徴的存在であり続けた。その方法論は、「抵抗的スタンス」で一貫しながら、マルクス主義的方法とは一線を画した「憲法的実証主義」の立場で、U.K.プロイスによれば「啓蒙的実証主義」ということになる。憲法の根底には「歴史的妥協」があるという認識のもと、社会全体の構成は「集団的な自己組織(Selbstorganisation)」に基づいている。いかなる国家も、社会的自由の自律的組織を奪うことはできない。リッダーは、とりわけ経済、大学、世論・公共、そして国家機構全体の必要な民主化について理論的に探究した。例えば、経済システムにおける労働組合の位置づけや「社会化」の議論は、それぞれ今日的意味を与えられている(後者は住宅問題で)。
「基本的手続的権利としての表現の自由の概念」を50年代から解明してきたことは、石村教授が在外研究先に選ぶ理由になったと推察される。私が修士論文でリッダーを参照したのは、彼が徹底して取り組んだ「戦闘的民主主義」(たたかう民主制)のディレンマの問題であった。私の緊急事態法制の研究で依拠してきたのは、リッダーの緊急事態法批判の視点である。直言「ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」」で詳しく書いたように、「制度化された緊急権の完成形態」あるいは「徹底的に規範化された緊急権」とされるドイツ「緊急事態憲法」は、リッダーによれば、「緊急事態立法の制定者が本来意図したことの95%は実現しなかった」。日本で緊急事態条項の議論をするとき、私はいつもリッダーの議論を引照する。
「自由の敵に自由なし」(Keine Freiheit den Feinden der Freiheit)という「たたかう民主制」の問題でいえば、リッダーは連邦憲法裁判所の1952年「社会主義ライヒ党」(SRP) 違憲判決と1956年のドイツ共産党(KPD)違憲判決に対して批判的である。前者はナチスの残党であるから禁止には賛成するが、後者には反対という左派的議論とリッダーは距離をとる。結社禁止(基本法9条2項)、政党禁止(同21条2項)、基本権喪失(同18条)について、リッダーは「例外法」の行使として常に抑制的に対応してきた。「自由な民主主義的基本秩序」(FDGO)のような無規定的法概念を自明の前提とした議論を批判してきたわけである。リッダー生誕100年の前掲『全体憲法』のなかで、若手研究者の論文「たたかう民主制-しかしどのような?」が注目される(S.99-116)。直言「「市民感覚の大規模デモ」―極右の「再移民」計画に抗して」」でも紹介したが、ドイツでは極右の台頭がめざましく、市民はデモという形で、「下からのたたかう民主制」を行使している。連邦憲法裁判所は極右のNPDの政党助成金の給付を禁止した。前掲論文は、極右政党(NPD、AfD)を禁止することについてリッダーだったらどう考えただろうというスタンスで書かれており、「民主制こそが政治的自由の極致ある(Non-plus-ultra politischer Freihiet)。ゆえに、それを踏み越える自由はかえってマイナスなのだ」というリッダーの言葉の引用でしめる(S.115)。
なお、私自身がリッダーからどのような影響を受けているかについては、藤井康博「自由と平和の国家論と個人権論」(愛敬浩二・藤井康博・高橋雅人編『水島朝穂先生古稀記念 自由と平和の構想力――憲法学からの直言』(日本評論社、2023年)4頁)を参照されたい。
博多のお菓子「祝うてサンド」
ここから今回の雑談「食の話」にもどる。2024年1月、私の最終講義の祝賀会を開いてくれた弟子の一人が、福岡のお菓子を土産に持参した。帰宅して開くと、石村萬盛堂の「祝うてサンド」だった。石村萬盛堂といえば「鶴乃子」しか知らず、その後数回の福岡講演の際の土産はいつもこれだった。なので、今回初めて食べたが、焦がしキャラメルとくるみをまぜたバタークッキーはけっこう「いける」のである。「手を打つ音を奏でるような、小気味よい食感」と、箱に添付されていた「博多手一本のしおり」にある。“よーおぉシャンシャン(手を2回打つ)、まひとつシャンシャ(手を2回打つ)、いおうてさんどシャンシャン(手を3回打つ)” ここが打ち時、博多手一本。「宴会の締めにみんなでシャンシャン」「試合が終わればノーサイド。お疲れシャンシャン」「結婚式などお披楽喜(おひらき)はお祝いシャンシャン」「卒業式など、人生儀礼に感謝のシャンシャン」。
このお菓子を土産として持参してくれた彼の最終講義への思いは、「感謝のシャンシャン」だったわけかと納得した。「しおり」によれば、博多の行事の“締め”といえば博多手一本。「この風習は、博多祇園山笠から始まりました。締めた後は「これでおしまい。あとくされなし! 」残り酒に口をつけたり、話を蒸し返すのはご法度です。熱いのに、さっぱりしている博多っ子の気質は、この博多手一本が育んだのかもしれません」。
なるほど、「ノーサイド」は、「試合が終われば敵も味方もなく、お互いの健闘を称え合い、感謝し、友情を深める」というラグビー精神として知られるが、「博多手一本」はその一つの表現といえるかもしれない。
石村萬盛堂の故・石村僐悟三代目社長は、「ホワイトデーを創った男」といわれている(社長インタビュー参照)。2月14日は「バレンタインデー」として、チョコレートを製造・販売する会社の陰謀かと思えるほどに定着してきたが、3月14日の「ホワイトデー」は石村社長の発想だったようだ。「マシュマロは、鶴乃子で得意だったから。でも、鶴乃子のように中があんこじゃ若い人には、面白くないなと思ったので、新しい試みで、チョコレートを入れました。「君からもらったチョコレートを優しく僕が心で包んでお返しするよ」っていうのが、最初のキャッチコピー」という。
来月30日に福岡で講演があるので、97歳になったばかりの石村先生にお会いして、リッダー生誕100年の書物についての評価をお聞きしたいと思っている。そして、帰りには「鶴乃子」と「祝うてサンド」を買って帰ろう。というわけで、お菓子と学問のコラボになったどうかは自信がないが、これにて雑談を閉じさせていただきたい。