米国の「沈黙の歓待」で「光る岸田へ」?
国会限定販売の『キッシーの光る2024』瓦版煎餅を先日、メディア関係者から提供された。NHK大河ドラマ『光る君へ』にひっかけて、岸田文雄首相が脚光を浴びる年になることを期待したネーミングだが、『誕生!キッシー』(2022年)や『どうなる2023年新しい景色』と同じタイプの煎餅で芸がない。『晋ちゃん』シリーズの方が、煎餅の味も変え(メープル味)、饅頭やら餅やらと、お菓子としては種類が豊富だった。それはともかく、この岸田の笑顔は何だろうか。「国賓待遇」と持ち上げられ、“ビースト”(大統領専用車)でのツーショット(冒頭の写真)や連邦議会上下両院合同会議での演説など、ここまでやるかというほどの歓迎ぶりだが、米国側から発信される言葉は意外に少ない。むしろ、日本側がかつてない深度と強度で米国にすり寄る姿勢が目立つ。今回の米側の「沈黙の歓待」の狙いは、岸田を持ち上げて、日本からたくさんの言質をとることにあるのではないか(「偽りの国賓」の写真は『日刊ゲンダイ』4月12日付)。米国との軍事的一体化は、もはや後戻りできないところまできている。岸田の背後にいる者たちは、国内政治でピンチに陥る岸田を利用して、この機会に一気に戦後的枠組みの「残滓」を、憲法典そのものは脇に置いて、すべて取り除こうという勢いである。憲法9条により、国家は軍事力を「普通に」行使するものなのだという「常識」を覆す「普通でない国家」を選びとった戦後日本が、米国と同じような「普通の国」になってしまうのか。この国のかたちを大きく変えてしまう大転換が、まともな議論もなく行われている(「衆議なき一体化を糾す」『東京新聞』4月12日付社説のタイトル)。
「biden kishida」で画像検索をかけたら、ルーマニアの独立系メディアG4Media.roの写真がヒットした。見出しには「日米友好の花を咲かせる」(冒頭の写真にはşiのあとのJaponiaが切れている)とある。大統領専用車内でのスマホの自撮りで、満開の桜のような笑顔である。実際、ワシントンのポトマック河畔にある約3700本の桜(1912年に東京市が寄贈)に、今回の土産として250本を追加寄贈したという。この話題を含めて、あれだけ「裏金」問題で岸田をたたいていたメディアも、一転して岸田の議会演説を「拍手48回以上」という見出しで伝えるなど(『毎日新聞』4月12日付夕刊)、トーンは明らかに変わった。「日本の国会では、これほど素敵な拍手を受けることはまずありません」(写真はTBS「報道特集」4月13日放送)とやって喜ぶ岸田の顔を見て、ここまで馬鹿にされる日本の国会の惨状を思う。忖度と迎合と「自発的隷従」(ラ・ボエシ)によって成り立つ日米の「普通でない」関係が当たり前になっていくのか(直言「「普通の国」の「普通の軍隊」へ」参照)。
「戦争可能な正常国家」へのシナリオ
韓国の『中央日報』日本語版4月9日付は、「岸田首相、“戦争可能な正常国家”公式化」という見出しで、岸田が安全保障政策の「歴史的な転換点」(historic turning polint)について語ったことを伝える。そして、「戦後米国主導で平和憲法が作られた後、77年ぶりに日本が国家安全保障のために戦争をすることができる「一流国家」になったという宣言を米国でするものとみられる」として、国家安全保障局長の秋葉剛男(元・外務事務次官)の『ワシントン・ポスト』紙への寄稿文に注目する。
秋葉は4月7日付の同紙への寄稿文(Opinion Ahead of state visit,
an ‘epic’ shift in Japan’s defense posture) で、「日本の国家安全保障アドバイザー」と紹介されている。外務省入省後、国際法課長から北米局審議官、総合外交政策局長、外務審議官と、大使を含め在外公館をほとんど経験することなく、安倍政権下で外務事務次官となり、在任期間は史上最長(1184日)となった。自衛隊でいえば、安倍首相に好まれ、定年延長を異例の3度までして統幕長在任最長を記録した河野克俊を想起する。いずれも、官邸と深く結びついて影響力を行使するタイプである。
その秋葉の寄稿文は、まず、冒頭の歴史認識からしてすごい。明治維新を、「近代民主主義国家への変貌を遂げる壮大な時代(an epic period)」と捉え、そこから150年以上が経過して、「もう一つの壮大な転換(another epic change)」が進行している、即ち「日本が世界における自らの役割を、普遍的な価値を維持し、法の支配に基づく国際秩序を守ることだと考えるようになった」と。「司馬史観」を地で行き、ウクライナ戦争やインド太平洋における「国際秩序を脅かす」動きから、2022年12月の新しい国家安全保障戦略の策定と防衛力の抜本的強化を導く。そして、「今週訪米する岸田文雄首相のリーダーシップのもと、日本の各省庁は、時に自己完結的なサイロ(self-contained silos)のなかで活動するといわれてきたが、現在では緊密に連携し、新しい時代に向けて自らを作り変えようとしている」とアピール。「日米同盟」を要としてても、「同時に日本は自国を守ることにも全力を挙げている」として、国内総生産の2%を防衛費に充てる必要な措置や、2024年度の防衛予算が2022年度から約50%増加したと書く。
秋葉は、「私たちは防衛予算の規模だけでなく、予算の使われ方も再構築している」として、「反撃能力」の獲得を「歴史的一歩」と位置づける。そして、米国の協力を得て、トマホーク陸上攻撃ミサイルシステム(TLAM)を含む「スタンドオフ防衛能力」を活用することで、日本はミサイル防衛を強化しつつ、さらなる攻撃を防ぐための効果的な反撃を行うことができるとする。安全保障政策に関する国内ルールも更新して、抑制的な武器輸出の方針を改めて、他国と共同開発した戦闘機を含む、より多様な防衛装備品の移転を可能にする道を開いた。「各国の生産ラインが伸び悩んでいる今、日本はこの分野で同盟国や志を同じくする国々を支援する可能性を模索していく」と。
「セキュリティー・クリアランス(適正評価)制度」を導入する法律[経済安保情報保護法]を制定し、サイバーセキュリティのための強力な権限をもつ組織の設置法の準備もしているとする。そうして、岸田首相の訪米は「安全保障環境を改善し、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を強化するという日本のコミットメントを強調する歴史的な機会となるだろう」と結ぶ。
岸田訪米のシナリオとその狙いを米国民に対して簡潔に説明するかたちになっている。この秋葉の寄稿文については、NHK政治部の「ポスト岩田明子」記者たちが、4月9日午後、政府広報のように丁寧に伝えている。
「格子状(lattice)の戦略的同盟」――国会同意なしの実質的な多国間安保体制へ
「日米共同声明」は、上記の秋葉が説明した方向と内容にほとんど沿うものとなっている。声明のタイトルは、「未来のためのグローバル・パートナー」。「3年間を経て日米同盟は前例のない高みに到達した。我々が歴史的瞬間に至ったのは、数年前には不可能と思われた方法で、共同での能力を強化するために勇気ある措置を講じたからである」という自画自賛から始まり、日本や「周辺」、さらにはアジア太平洋を超えて、少なくとも理論的には全地球規模で、どこへでも軍事的に介入する能力と態勢を強化する意志を示したものといえる。2022年12月の「安保3文書」(部内では「戦略3文書」という) に盛り込まれた内容を積極的に実現していくことを、「日米の防衛関係をかつてないレベルに引き上げ、日米安全保障協力の新しい時代を切り拓く」(共同声明)ものと位置づけている。
エマニュエル駐日米大使は、「ハブ・アンド・スポークから格子状の戦略的同盟への進化」(evolution
from hub-and-spoke to lattice strategic alliances)と特徴づけている(大使のツイッターX4月12日)。これは、米国が各国と放射状に2国間同盟を結ぶ「ハブ(車軸)・アンド・スポークス(細長い棒)型」から、重層的なシステムに深化させる方向である(『産経新聞』4月3日)。そういえば、11年前に安倍晋三が首相になったばかりの頃、唐突に「ダンヤモンド安保」などと言い出したことがある。いまとなって思えば、それが今日へのアドバルーン(観測気球)のようなものだったのかもしれない。
今回の日米首脳会談のおりに、 フィリピン首脳も参加して、双方の国民の合意(つまり議会同意の条約)なしに実質的に「日比安全保障条約」体制が動き出しつつある。同じことは、機能的な連携という意味ではオーストラリアなどとの関係でも始まっていた。日本は日米安保条約しか締結していないが、今後、「東のNATO」にあたるインド・太平洋地域の実質的な集団的自衛権体制の構築に向かっているといえるのではないか。しかも、「仮想敵国」はNATOにとってはロシア、日本などにとっては中国ということになる。米国はロシアと中国と対決してきた二正面について、NATO諸国と日本に肩代わりさせていく。日本は受け身でそれを引き受けるというのではなく、むしろ、岸田は日本がインド・太平洋方面の軍事的機能を積極的に分担する方向を選びとっている。
指揮統制の一体化がもたらすもの――「戦時作戦統制権」の問題
2022年12月の「安保3文書」については、直言「「12.16閣議決定」―「戦」と「時代の転換」」で書いた。直言「欠陥機「オスプレイ」が象徴するこの国の「安全」―「安保3文書」から1年」でも、米国への過度の忖度と依存のなかで日本の安全保障政策がいかにいびつで歪んだものになっているかを指摘した。いわゆる防衛装備品の調達価格の高騰によって、政府の防衛力整備計画そのものの実現すら危うくなっている(直言「高額兵器爆買いの岸田政権の安全保障政策」参照)。とりわけ巡航ミサイル「トマホーク」400発(200発は旧型の「ブロックⅣ」)の導入は、何に対する、どのような「抑止力」が存在するのかついて、まともな説明はなされていない。ただ、特定の兵器とその数量だけが唐突に発表されている。これにかかる23億5000万ドルが、円安の進行などによりどこまで膨らむか不明である(直言「「陳腐化」した兵器をウクライナに?―多連装ロケットシステム(MLRS)」参照)。配備が完了した時、それを必要としない状況(逆に、それでは対処できない状況)が生まれていたとしたら…。その場合、ソ連崩壊後に配備が始まり、無用の長物となった90式重戦車の比ではないだろう。
今回の「日米共同声明」では、トランプ・安倍時代に購入を決めた装備品を前提にして、さらに進んで、「防衛装備品の共同開発・生産を促進する定期協議の設置」が明確化された。日本の納税者の立場からすれば、まさに税金の無駄遣いを超えて、浪費あるいは濫費の域に入りつつある。これについてはまた別の機会を改めて書くとして、今回の日米共同声明で明確にされたもので私が重要と思うところの、日米の軍事的協力関係の組織的一体化の問題について触れておこう。
「安保3文書」では、陸・海・空の自衛隊を一元的に指揮する「統合作戦司令部」を2024年度中に創設することがいわれ、日米共同声明では、米軍と自衛隊の作戦や能力を「シームレス」(切れ目なく)統合し、平時でも有事でも共同して計画を練り、一体となって動けるよう、「それぞれの指揮・統制の枠組みを向上させる」とされている(「シームレス」という言葉の怪しさについては、こちらを参照)。
この「枠組み」づくりは、日米の側でそれぞれ手回しよく進行している。まず米側では、在日米軍司令部に指揮統制権を一部付与するなど態勢変更を検討するとともに、在日米軍司令官のランクを、現在の中将から大将に格上げする。一方、日本側では、陸海空の各部隊を一元的に指揮する常設組織「統合作戦司令部」の創設を柱とする自衛隊法21条などの改正案が4月4日の衆院本会議で趣旨説明と質疑が行われ、11日に衆議院安全保障委員会で可決された(『東京新聞』4月11日)。大半の野党が賛成した。
『東京新聞』の上記によれば、統合作戦司令部は2025年3月までに、防衛省施設内に240人規模で発足する。「統合作戦司令官」は陸海空幕僚長と同格とされる(4つ星の「将」で、米軍などでは「大将」)。平時から統合部隊の運用計画策定や訓練を重ね、「有事」に備える。衆院安全保障委員会で、木原稔防衛大臣は、「米軍との共同対処も含め、わが国の主体的な判断のもとで行われる。(日米)おのおの独立した指揮系統に従って行動する」と答弁している。岸田首相も、「米軍と自衛隊の指揮系統はそれぞれ独立している」と繰り返しているが、装備面でも、情報面でも圧倒的に優越的な地位にある米軍と、「作戦及び能力のシームレスな統合」をはかるならば、自衛隊は米軍の実質的な指揮下に組み込まれることになるのではないか。「独立した指揮系統」といっても、圧倒的な情報量をもつ米軍の判断に対して、限られた情報量の日本が異を唱えることは不可能に近い。軍隊において指揮関係は決定的に重要である。連合軍、統合軍を編成する場合、最高司令官は一人である。そこをどう説明するか。
防衛省の加野幸司防衛政策局長は、「有事」の際に米側が作戦の統制権(指揮権)を持つ米韓連合軍司令部のような組織創設については「考えていない」と否定したというが、韓国軍と在韓米軍との関係については、直言「「敵基地攻撃能力=抑止力」という妄想(その1)――韓国との事前協議が必要」で詳しく論じた。字句を若干修正して簡単に紹介しておくと、「作戦統制」(OPCON:Operational Control)とは、特定の任務や課題の遂行のために設定された指揮関係を意味し、作戦統制権は当該部隊に対して任務を賦与し指示を行うことのできる作戦指揮の核となる権限とされる。韓国軍に対する作戦統制権は、朝鮮戦争という特殊な状況のもとで、韓国大統領から国連軍司令官に委譲され、1978年の「米韓連合司令部」の創設と共に、改めて連合軍司令官に委譲されたものである。そのうち「平時作戦統制権」については1994年に韓国側に返還されたが、「戦時作戦統制権」は1950年代のままになっている。したがって、戦時となって、「デフコンⅢ」が発令された場合、指定された韓国軍に対する作戦統制権は自動的に在韓米軍司令官を兼ねる米韓連合司令官に移管される。
「グローバル安保体制」でいいのか
米中対立が激化して、米軍が中国軍と戦闘状態になった場合、それが在日米軍基地への直接の攻撃ではなくとも、「存立危機事態」を宣言して日本は中国と交戦状態になる。その場合の部隊の指揮権は、在日米軍司令官(大将)に委譲される。それが、部隊の指揮統制を一元化していくということの、米側からみた場合の実益である。そこに日本としての独自の動き方ができる余地はない。否応なく、中国との武力衝突にコミットしていくことになる。かつてのような米国による戦争に「巻き込まれる」のではなく、日本がむしろ積極的にかかわっていく。そうした姿勢を、今回の日米共同声明で米側にアピールしたわけである。防衛省設置法12条の改正により日本型文官統制は崩壊して、「部隊運用」(内局の「運用局長」が消えた! )から作戦へ、まさに自衛隊は組織・権限・運用の点でも「普通の軍隊」となったのである(直言「「普通の国」の「普通の軍隊」へ―「普通の子・バイデン」の米国との関係」)。この「直言」でも書いたように、自衛隊は米軍の下請けや従者ではなく、米軍がカバー仕切れない地域に進出して、米軍が担っていた任務を実施することも今後出てくるだろう。すでにジブチには「日本軍基地」が存在する。将来的に、自衛隊は、米アフリカ軍に代わってこの地域の軍事管理に主導的に関わっていく可能性もある(直言「気分はすでに「普通の軍隊」―アフリカ軍団への道?」)。今回の日米首脳会談により、日米の軍事的一体化は質的に変化したことが明らかになった。「わが軍」といってしまった安倍晋三の治世から、政治家も防衛・外務官僚も、自衛隊の高級幹部も、違憲の「戦力」とならないように慎重に言葉を選んで説明する「たしなみ」はほとんどなくなった。現在の統合幕僚長に至っては、20年前、政治家に頼まれて憲法改正案まで起草した人物である。軍隊としての全属性を兼ね備えものとなるように、憲法改正を密かに狙っているようだ。政治家たちは、自分とその家族を安全地帯に置きながら、「国のために戦えるか」「戦う覚悟」を呼びかけている。残るは憲法改正だけだ、というところまで行くのだろうか。
思えば、私も編者となった『グローバル安保体制が動き出す』(日本評論社、1998年)を出版したのは26年前のことだ。日米安保共同宣言(1996年)の「アジア太平洋安保」とその国内法的整備としての「周辺事態法」を対象とした本だったが、私は編集会議で、「グローバル安保」というネーミングを提案した(その経緯については、ここから)。それから4分の1世紀あまりが経過して、まさに本格的な「グローバル安保体制」が日米共同声明の形で確認されたわけである。このことが日本の平和と安全保障にとっていかなる意味をもつのか。軍事中心の過度な米国依存のグローバル化は、日本国憲法をもつ日本の平和ブランドの終わりになることを知るべきである。
【文中敬称略】