政治家にとっての「学位」とは――剽窃・盗用と詐称・粉飾
2024年4月29日

学位とは何か

週の53日は日本国憲法施行77年である。次回の「直言」で論ずるが、憲法にとって最大の危機である(直言「戦争可能な正常国家」―日米軍事一体化と「統合作戦司令部」参照)。

  さて、「身体検査」という言葉がある。大臣などに任命するとき、過去にスキャンダルがないかどうかなどが徹底的に調べられる。任命後に発覚して辞任した大臣が何と多いことか。金銭問題や「不倫」などのほかに、「学歴」詐称も問題となる。ちょうど20年前、米国の大学を卒業していないのに履歴書に「米国ペパーダイン大学卒業」と書いた衆議院議員が辞職している(直言「小さな嘘と大きな嘘」参照)。福岡県議会議員時代のホームページがまだ残っていて、そこでは「卒業」したかどうかは曖昧にされていたが、衆院選に出る際に「卒業」と明記してしまった。そこで、公職選挙法2352項の「虚偽事項公表罪」で告発されたわけである(福岡地検は起訴猶予処分にした)。

 4年制大学を卒業すれば、「学士」の称号が与えられる。大学院に進学して博士前期課程を修了すると「修士」の学位が、さらに博士後期課程に進み、在学期間を終えて退学後3年以内に博士論文を提出して審査に合格すれば、「博士」の学位が与えられる(「課程博士」(甲)という)。「学士」や「修士」はともかくとして、博士学位(博士号)をとるのは容易ではない。博士後期課程の3年間で博士論文を書き上げる例は文科系、とりわけ法学系では多くはない。私が院生だった時代は、「課程博士」はほとんどいなかった。就職先のポストを得て、単著を出して、それを博士学位請求論文として大学院に提出する。当該論文は学位審査委員会で審査され(原則1年)、最後は研究科委員会(教授会)での投票に付され、3分の2以上の賛成で承認される(「論文博士」(乙)という)。私は19976月、44歳の時に「論文博士」で博士学位を取得した(乙第1297号)。


博士学位を2つもつ文科大臣

   学位授与の要件などを定めているのが、「学位規則」(昭和28年文部省令第9)である。現在の文部科学大臣は盛山正仁である(選挙区は兵庫県第1区(神戸市灘区、東灘区、中央区))。衆院選で統一協会の支援を受けたことについて国会で追及されたが、一貫してその事実を否定し続けた。事実上の政策協定となる「推薦確認書」に署名していた事実について曖昧な態度をとっていたが、27日の衆院予算委員会では、「うすうす思い出してきた」と答弁して失笑をかったのは記憶に新しい。統一協会側は、盛山に何度も会っているとメディアに訴えた。TBSnews23212日では、盛山が統一協会関係者に渡したとされる名刺のアップが報道された。それが冒頭の写真である。私はこれを見て驚いた。博士(法学)と博士(商学)が並んでいたからだ。盛山は東大法学部卒で、大学院には進学していない。だとすれば、博士後期課程への進学を経由しない「論文博士」を2つも取得していることになる。

 盛山が博士(法学)の学位を取得したのは20133月、博士(商学)20143月である。2本の博士論文を同時進行で執筆して、年をずらして2つの研究科に学位請求して認められたわけである(盛山のプロフィール参照)。灘中・高校、東大法学部という「受験強者」で、大学卒業後、旧運輸省にキャリア官僚として入省。国土交通省情報管理部長の時に退官して、郵政解散後の衆院選に立候補して当選。政治家としての歩みを始めた。2009年の総選挙で落選。「浪人」中は西宮市にある武庫川女子大学教授に就任して、「環境政策学」を講義している(シラバス参照)。「浪人」時代といえば、安倍晋三の側近の井上義行加計学園の千葉科学大学客員教授に、萩生田光一は名誉客員教授(!)となって次の選挙までの「つなぎ」としたが、盛山は立派である。「浪人」中に、テキストとして単編著『環境政策入門』を同大学出版部から出して教科書にしている。シラバス通りに授業を熱心にやっていたのだろう。そこは加計学園系列の萩生田「名誉客員教授」とは違う。

 盛山は201212月の総選挙で再選。安倍第2次内閣で法務大臣政務官に就任している。その激務のなか、「公海上の航行の安全確保に関する国際法と国際協力の課題-ソマリア沖海賊の訴追を中心に」を、神戸大学大学院法学研究科(神戸市灘区六甲台町)に博士学位請求論文として提出し、20131月に博士(法学)の学位を取得している。そして同年、論文「鉄道政策―鉄道への公的関与について」を同商学研究科に提出して、20141月に博士(商学)の学位を取得している。神戸大学が博士号を出したのは、制度発足以来、法学が287人、商学が168人である2013年の博士(法学)は盛山を含めて6人のみ。また、2014年の博士(商学)は4人である

   私は、30年にわたり学位審査に関わった。主査として審査報告書を執筆することも何度も体験してきた。その立場からすれば、博士の学位を短期間に2つも取得するというのは、普通では考えられない。一つだけでも、何年も何年もかかるからだ。今回、盛山の博士論文を精読する時間はなかったが、ソマリア沖の海賊問題解決に向けて、国際法上、とりわけ訴追のあり方について検討するというのがテーマであり、私も国会で参考人として海賊法案について陳述しているので大いに関心がある。ただ、神戸大学が責任をもって学位認定したことに異を唱えるものではない(神戸大学学位規程参照)。

 歴代の文部大臣で法学博士の学位をもつのは高田早苗と田中耕太郎が有名だが、新制の博士とはいえ、博士(法学)と博士(商学)の両方をもっている文科大臣は盛山以外にはいない。まさに「盛山、[筆が]走る」である。学位だけ見れば、岸田文雄内閣で最も高学歴で、最も博学多識のはずである。だが、統一協会問題での国会答弁では、情けないほどの「記憶力」の悪さを演出していた。博士号を2つも有する盛山が嘘をついていることに、国民は「うすうす」気づいている。


EU委員長の博士論文剽窃疑惑―盗用字数15%でセーフ

   わずか9票差でEU委員長に選出されたウルズラ・フォン・デア・ライエンは、メルケル政権でさまざまな閣僚を歴任してきた。この写真は連邦国防大臣の時のものである(Der Spiegel vom 7.4.2014より) 。超目立ちたがり屋で、二男五女の母親、医学博士号をもつ。今となってはともにジョークだが、「次期首相に一番近い政治家」といわれたこともある(直言「「次期首相候補」だった2人の女性大臣と新手のリクルート施策」参照)。

  前任者のグッテンベルク国防大臣は、博士論文の剽窃・盗用が問題化して辞任した。彼は2011年に徴兵制を停止するとともに、連邦軍の縮小に力を入れたことで知られる。13年前の直言「コピペ時代の博士号―独国防相の辞任」でかなり詳しく論じたので参照されたい。博士論文となるグッテンベルクの著書は研究費で購入して手元にあったので、非常に驚いた。しかし、上記でも書いたように、一般の研究者でも参照が困難なほど大量の文献・資料を駆使して、475頁の分厚い著書(文献リストだけ49頁もある)を出版。それで博士学位を取得するということが、超多忙な政治家にできるだろうか。そのため、単なる剽窃・盗用にとどまらず、ゴーストライターがいたという疑いも出ている。博士論文の提出は、国防大臣に就任する2年前であり、バイロイト大学が受理した。主査は、ドイツ憲法学の分野では知らない人がいないほど高名な、ペーター・ヘーベルレ教授である。著名な政治家からの学位請求に、結論先にありきの甘い審査をやったとは思いたくないが、バイロイト大学はこの学位を取り消した。

  グッテンベルクに続いて、各党の政治家たちの博士論文にも剽窃・盗用疑惑が浮上した。これについては、直言「政治家の剽窃―ドイツでも政治不信が深刻」でも紹介した。女性初の国防大臣になったフォン・デア・ライエンは、博士論文への疑惑を否定し、大臣を辞任しなかった。「白楽の研究者倫理」サイトによれば、学位を授与したハノーファー医科大学は、20163月、「盗用の過失があったが、意図的な不正ではない」として、博士号を剥奪しなかった。全62頁のうちの27頁に盗用があり、盗用頁率は43.5%、全文字数のうちの約15%にあたるという。理系の論文の場合、データが重要なので、博士論文といっても頁数はさほど多くはない。それでも、全体字数の15%、4割以上の頁が盗用を含んでいたというのはかなり深刻だと思う。

 なお、上記サイトによれば、彼女の場合、「学歴詐称」の疑いも出された。1992年に夫が米国の大学に移籍したため、家族で米国に滞在したことがある。その間のことを履歴書に、スタンフォード大学ビジネス大学院の聴講生(auditing guest)と記したが、そのような制度は存在しないそうである。ドイツではこの短期間の「学歴詐称」は、その後、大きな問題には発展しなかったという。彼女はかつて連邦大統領になろうと運動したことがあるが、当時のメルケル首相はピシャリと退けた。さすがメルケルである。日本にも似たタイプの政治家がいる。写真のポーズまでそっくりである。防衛大臣になってすぐに撮った写真がこれである(『週刊文春』200782日号のグラビアから)

 

東京都知事の学歴詐称疑惑―32年間、有権者をだまし続けて

 7月の東京都知事選を前にして、小池百合子知事の学歴詐称問題が再び注目されるに至った。これまで書いてきた学位は博士号だったが、小池の場合は、学部の卒業要件を満たしていないにもかかわらず、「カイロ大学卒業」と経歴を偽ってきたのではないかということで、ここでは「学士」が問題となる。各新聞社のデータベースでは、小池の学歴は、「1976年 カイロ大学 文学部 社会学科 卒業」(『朝日新聞』「人」)、「出身校 カイロ大文」(『読売新聞』「現代人名録」)、「1976(51)年 カイロ大学文学部社会学科卒業」(『日本経済新聞』「人物情報」2024)などとある。

 冒頭右の写真は、4年前のこの時期に出版され、すぐに読んだ、石井妙子『女帝 小池百合子』(文藝春秋社、2020)の表紙である。カイロ大学留学時のルームメイトに直接取材して書かれたもので、筆の力もあり、なかなか読ませる。だが、直後の知事選にはほとんど影響を与えず、小池は圧勝した。

     この7月の都知事選を前にして、今度は月刊誌『文藝春秋』5月号に、小池の私党「都民ファーストの会」の事務総長をやった人物(弁護士)が実名で、「元側近の爆弾告発」を行った。これも発売と同時に読んだが、事務総長の知りうる範囲は広く、小池の動揺ぶりがよくわかる。駐日エジプト大使館のフェイスブックに、小池がカイロ大を卒業しているとした「カイロ大学声明」が掲載された仰天の経緯なども詳しく書かれている(文春オンライン参照)。また、この号では、カイロ時代のルームメイトが実名・顔出しで告発している(「カイロで共に暮らした友への手紙」)。「百合子さんがしていることは、やはり犯罪なのです。黙っていることは、その罪に加担するのと同じです」と語り、小池が虚偽事項公表罪(公選法235条)にあたる行為をしていることを非難している。この手記を読んで驚いたのは、朝日新聞社に配達証明郵便でこの手記を送ったのに無視されたことである。ジャニーズ問題でも、報道しなかったことが問題にされた。都知事という権力者の学歴詐称問題についても主要メディアはきちんと扱うべきだろう。

 アラビア語を学び、エジプトの大学を卒業した作家の黒木亮の指摘は重要である。複数回の現地取材を重ねた結果、「小池氏がカイロ大学の卒業要件を満たして卒業したという証拠、印象、片鱗は何一つ見出せなかった。」と断定している(「小池百合子「カイロ大卒」の真偽」①~⑤)。内容を詳しく紹介することはしないので、直接読んでいただきたい。ただ、大学教員を長年やった人間として注目したのは、小池が弁護士を通じて「卒論」がなかったと回答した点である。同居女性が手記に書いている通り、小池は4年生になれなかったので、卒論の存在を知らなかったようである。これはその通りだと思う。私も25期までゼミを担当したがゼミ論の指導には力を入れた。学生たちは、初めて書く長文の論文に悪戦苦闘していた。日本語でも卒論を書くのが大変なのに、アラビア語で書くのはどんなに大変か。小池は、卒論がなかったというが、そのことがまさに彼女が4年生にならないで退学したことの証左ではないだろうか。

  なお、黒木は、「取材で会った小池氏を知る複数の日本人は「小池さんは自分の利益になる人としか付き合わない」と言う」と書いている。実は、私も小池にはいやな思いをさせられたことがある。2009421日、私は衆議院の「海賊対処・テロ防止特別委員会」に参考人として招致された(直言「国会で海賊法案を批判する」)。目の前の議員席には、筆頭理事の小池と中谷元が座り、小池は私の意見陳述中に野次を飛ばしてから、ずっと中谷に話しかけていたのである。委員長に苦言を呈しようと思ったほどだ。15年前の上記「直言」では個人名は書かなかった。初めて書くが、驚いたのは終了後である。中谷は満面の笑みを浮かべながら私のところにやってきて、名刺を出しながら、「本日はどうもありがとうございました」といったのだが、小池は一瞬身を翻して、「フン」という声が聞こえるような素振りで去っていったのである。小池の冷やかな無視の表情と態度はしっかり頭に刻み込まれている。立憲民主党誕生の原因を作った「排除します」という「迷言」の際にも、氷のような冷たさで、自分の役に立たないと思ったら切り捨てることはよく知られるようになった。

  この小池の特性については、安倍晋三が次のように語っていた。「小池さんは…人たらしでもある。相手に勢いがある時は、近づいてくるのです。2016年に知事に就任した当初は、私の背中をさすりながら話しかけてきて、次の衆院選では自民党の応援に行きますからね、とまで言っていたのです。しかし、相手を倒せると思った時は、パッとやってきて、横っ腹を刺すんです。「あれ、わき腹が痛いな」とこっちが思った時には、もう遅い。」(『安倍晋三回顧録』(中央公論新社、2023年)264)小池が細川護煕、小泉純一郎両首相に取り入ったことは有名だが、安倍の「背中をさす」っていたことは、この『回顧録』で初めて知った。

 アラビア語を解し、エジプトの大学を卒業した作家・黒木亮の指摘がすべてのように思える。

「…小池氏は、24歳でカイロから帰国したとき、政治家になるなどとは思っておらず、マスコミが物珍しさで飛びついてきたので、調子に乗って嘘の経歴を話したというのが事の始まりなのかもしれない。その後、テレビキャスターになるにあたり、大学を出ていないのでは恰好がつかないと思い、嘘を上塗りし、政治家になってからは後戻りできなくなって、卒業したと強弁しているように見える。」

  19927月の第16回参院選に日本新党から立候補した時に、選挙広報には「カイロ大学卒」、学位は「社会学士」とあったはずだから、翌年衆議院に鞍替えして、旧兵庫2区から立候補して当選して以来、衆院8期、防衛大臣、環境大臣、東京都知事2期と、すべてこの学歴を記載して選挙に臨んでいたわけである。32年間も有権者をだまし続けてきた罪は重い。公選法235条(虚偽事項公表罪)の罰則は、現在、2年以下の懲役もしくは禁錮または30万円以下の罰金である。このまま、7月の都知事選に立候補するのだろうか。ちなみに、公選法違反にならない学歴の書き方としては、小池の場合、甲南女子高等学校卒業、関西学院大学社会学部中退、カイロ大学2年次編入、中退、である。

  「学歴ロンダリング」の手段に

    「博士」と「学士」について書いてきたが、最後に「修士」について書いておこう。大学設置基準の大綱化(規制緩和)により、大学卒の「学士」は29種から500種を超える数に、修士号も28種から400種を超える数になっている。学位についても規制緩和が進み、在学1年でも修士号が出せるようになった。「学位授与機関」たる大学にとっては、いい儲け市場ではある。いろいろな研究科を立ち上げて、高額の学費で、わずか1年通えば、高卒の人でも教授会で認定して「修士(専門職)」の学位を出せる。私が先月まで務めていた大学でも、かつてあった「公共○○研究科」は「学歴ロンダリング」の場になっていた。与党の4役の一人の経歴を見れば、某私大卒が「早大院修了」になっている。こういった「専門職」課程も従来の2年間で修士論文を課される修士課程も、どちらも修了すれば「修士」の称号を得るが、両者は質的に異なるというのが私の経験上の確信である。

   別の大学の大学院では、元首相夫人が専門学校卒だったのが、「学士」なしで、いきなり「修士」の学位を取得している。しかも、きわめて異例かつ異様な審査手続を経ている(直言「「学位」をめぐる規制緩和の「効果」」参照)。コロナ禍における「持続化給付金」の支給事業が、経産省から「サービスデザイン推進協議会」なる一般社団法人に丸投げされたが、その代表理事が、この異様な審査の責任者(主査)だったことは何とも興味深い(この「直言」中ほどの「突然のブレイク」参照)。


「博士数3倍、世界トップ級」の愚策

   『朝日新聞』423日付の「科学・環境」欄を見て、目を疑った。2040年をめざして、文科省が「博士数3倍」にして世界トップ級を目指すという。「アホか」と思わず声が出た。大学院重点化なる政策をやって、大学の研究力を下げたことへの反省がまったくない。博士号をもった「高学歴ワーキングプア」を生んだ責任もとらないまま、またも数字が一人歩きしていく。「企業との連携」がくせものである。「すぐに役に立たない」基礎研究や文科系の研究が軽視されていくのは明らかだ。大学院を出ても展望がないから、大学院修士課程にくる学生がどんどん減っている。他方で、外国からの留学生や「社会人入試」のさらなる拡大は、大学の研究者養成機能を阻害していく。文科省が出す「3倍」という数字にいったいどんな根拠があるのか。科学部の記者は、まったく無批判の垂れ流し記事を書いており、一言くらい問題点の指摘があってもよかった。博士号を2つも持つ文科大臣に忖度した政策だとしたら、何とも情けない話ではある。

   大学に40年以上務め、学位審査にも関わってきたものとして、大学の変質と堕落に十分に抵抗できず、忸怩たる思いもある。14年前に直言「学位が売られる?」 や、直言「大学の文化と「世間の目」」「博士多売」の風景などをアップしたが、その当時は、大学(院)改革の真っ只中で、国の方針を大学が具体化していく途中だった。悩ましい思いをしつつも、それに従ってやってきた。孫が「学者になりたい」といっているのを応援したいが、彼が大学に入る2028年、大学はどんなになっているだろうか(直言「子どもの夢は会社員―「末は博士か大臣か」は死語」参照)。

《追記》下記は、私のパソコンにかなり以前に保存してあった小池百合子のプロフィールである。出典は不明だが、日本テレビでキャスターをやっていた1985年、33歳頃のものと推測される。学歴のところは「カイロ・アメリカ大学東洋学科卒」とある。知事の公式サイトのプロフィール欄には、「カイロ大学文学部社会学科卒業」とある。(202453日、7月31日追記)

【文中敬称略】


トップページへ