憲法記念日に朝ドラ『虎に翼』を見る――日本国憲法施行77年に
2024年5月6日

53日に朝ドラという初体験

53日の憲法記念日は自宅で、妻と、NHK連続テレビ小説『虎に翼』を見ていた。1986年から2023年までの37年間、家族にとって私は、「憲法記念日とその前後の数日は家にいない存在」だった。昨年の憲法記念日は茨城県弁護士会の講演で水戸市に滞在した(428日は和歌山市、54日は千葉県我孫子市。だが、今年は違った。定年退職を目前にした3月、妻に病気が見つかり、生活が大きく変わった。今年は講演依頼がなかったので、53日は、いったん退院して自宅療養となった妻と自宅で過ごした。この日の『虎に翼』第25話は、「共亜事件」(実際のモデルは帝人事件)の判決公判で、16人の被告が全員無罪を言い渡された。わずか15分の世界だが、妻と笑顔と涙の時間を共有できた。私の人生のなかで、こんな53日は初めてだった。

 

『虎に翼』は名作になる予感

  『虎に翼』は、脚本、演出、俳優たちの演技、今回はナレーション(尾野真千子)の妙など、おそらく朝の連ドラ史上の名作になる予感がある。2023年の『らんまん』は、個人的に新たな「ドラマ」を生み出した。終了後も、牧野標本館をめぐる私の「ドラマ」は続いている。

  ところで、今回の作品は、第1回からして異例だった。連ドラは幼少期から始まるのが一般的なのだが、この作品は、川のほとりで、主人公の寅子が新聞を凝視しているところからスタートする。カメラがアップになると、公布されたばかりの日本国憲法の条文であることがわかる。ナレーションが、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」(14条)を読み上げる。憲法は変われど、女性をめぐる不平等な状態はいっこうに変わらずという状況が、親子間、女学校の友人間などでひとしきり展開される。初回の冒頭から引き込まれた。

 今も特殊な「家」制度に固執する勢力と政権党が結びついて悪さをやっていることもあって、朝ドラを通じて、個人の尊重(憲法13条)と平等を軸とした家族のありようを「原点」から考えるきっかけとなるのはよいことだと思う。


法律用語や条文の描き方

 『虎に翼』はまだ第6週が始まったところなので、全26(130)が終わるまで「ネタバレ」的な論評は控えることにしたい。ただ、第5週までで私が気づいた点を述べておきたい。

 まず、裁判や法律の世界を描く際、朝起きてすぐに見る視聴者でも違和感なく入り込めるように工夫がされていることである。むずかしい法律用語が出てくると、ナレーションが「?」という空気をつくり、ややあって全画面(少しくすんだ紙のイメージ)を使い、文字で示される。これで説明的なセリフは最小限におさえられる。条文の出し方に感心した。市民のための六法を12年にわたって編集したことがあるが、一般の読者に法律の条文を「わかりやすく」伝えるのには苦労する。一つの試みとして、2008年版から収録法令をすべて横組にするというチャレンジをやった(直言「雑談(64)六法を横にする」参照)。法律の条文には特有の言葉や独特の言い回しがある。戦前のドラマだから、旧民法など、法律の表記はすべて片仮名・文語体である。このドラマはそれを逆手にとって、あえて口語体にせずにストレートに視聴者に示す。すぐに条文を理解できなくても、その後の展開のなかで条文の意味は時間差で理解できるようになっている。

  例えば、第9話は、今でいうDV夫に対する離婚訴訟。原告の女性が母親の形見の着物などの物品返還請求もしているが、これが認められるかどうか、寅子とクラスメイトとの間で議論になる。民法は夫の財産管理権(旧民法801条)を定めており、原告に勝ち目がないと教室に重苦しい空気が流れたところで、寅子が立ち上がり、旧民事訴訟法185条(現行法は247条)を引いて、判決にあたっては、「口頭弁論の全趣旨および証拠調べの結果を斟酌して、自由な心証により」判断することになっているから、裁判をみんなで見に行こうと呼びかける。教授は微笑み、「課外授業だね」とって裁判傍聴を促す。教室にいた全員が立ち上がる。わずか15分のこの回だけでも、法学教育上、重要なテーマや素材に満ちている。思わず録画で再度見てしまった(『虎に翼』の録画は12時45分からにしている)。

  講学上、「自由心証主義」として説明するところだが、上記の写真にあるように、旧仮名遣いで、しかも旧字体をそのまま出しているところが逆にリアリティを増している。傍聴にいった法廷で、裁判官は権利濫用論を展開して、原告に形見の着物などの返還を命じた。このドラマにおける最初の判決であり、旧民法には明文の規定がなかった「権利の濫用」をドラマの中心に据えたのは見事だった(現行の民法13項)。1935年の宇奈月温泉事件大審院判決はよく知られているが、夫婦間の物品返還請求が権利の濫用の法理で認められたケースも1931年にあったという。こういうあたりの時代考証・法律考証はしっかりしている

  また、第24話でも見事な条文の取り扱い方をしている。父親の直言(なおこと)が汚職事件で起訴された法廷で、検察官に革手錠を使った強引な取り調べをされた結果、嘘の自白をしたことが明らかになる。だが、戦前の裁判では自白が重視され、強引な自白をとっても特段問題にされない。そこで「はて?」と寅子が気づいたのが、監獄法施行規則49条である。弁護人となった穂高教授は、革手錠などの「戒具」の使用には、刑務所長の命令を必要とするのだが、本件では検察官が指示したではないかと追及する。自白に頼った立証をしてきた検察の弱点を突き、判決では16人の被告全員が無罪となる。この判決言い渡しの第25話が53日(金曜日)の憲法記念日だった。

 

法とは何かを問い続ける

   次にこのドラマのすぐれたところは、主人公の寅子の「はて?」という疑問の投げかけにある。穂高教授(民法学者の穂積重遠がモデル)はその登場以来一貫して、寅子の「はて?」にやさしく付き合い、権威的な解釈を上から押しつけるのではなく、素朴な疑問にも「気づき」を重視していく。

  第1週から随所で、寅子は「法とは何か」を問い続ける。最初、大学法学部に通う同居人の雄三に弁当を届けにいって、教室での授業のなかで、女性は「無能力者」(旧民法14-18条)という言葉に敏感に反応して声に出す。たまたま講師として教室にいた桂場(裁判官)に冷やかな態度をとられるが、そこにやってきた穂高教授に、「もっと語りなさい」と促され、言葉に出す。帰宅後、雄三に疑問をぶつけると、法律が解釈によって変わることを知る。第1週から第2週にかけて、この「はて?」を繰り返しながら、寅子の「法とは何か」の旅が続く。そして、決定的なのは、前述の離婚裁判の傍聴である。クラスメイトのよねの言葉、「法律は武器である」にも納得できず、よねと正面から(裁判所の階段のところだが)向き合いながら、はっきりという。「法律とは弱い者を守る盾、毛布のようなもの」と。

 そして、前述の父親の裁判で左陪席裁判官を務めた桂場を甘味処で「待ち伏せ」して、これまでの疑問をぶつける。「私は法律って守るための盾や毛布のようなものだと考えていて。私の仲間は戦う武器だと考えていて。今回の件でどれも違うなって……。法律は道具のように使うものじゃなくて、法律自体が守るものというか。例えるならばきれいなお水が湧き出ている場所というか」。これに桂場が敏感に反応し、「水源のことか?」といい、寅子は、「私たちはきれいなお水に変な色を混ぜられたり、汚されたりしないように守らなきゃいけない、きれいなお水を正しい場所に導かなきゃいけない。その場合、法律改正をどうとらえるか微妙なところではありますが、今のところは、私のなかでは法律の定義が、それがしっくりくると言いますか」と一気に語る。桂場の顔が明らかに変わる。目が潤んでいるようにも見える。「君は裁判官になりたいのか?君の考え方は非常に…」といいかけ、「そうか、ご婦人は裁判官にはなれなかったね、失礼」と言葉を止める。高等試験を受けるという寅子に、「私はやめたほうがいいと思うが、せいぜい頑張りたまえ」といいながら、店を出る瞬間の横顔は、寅子への印象が明らかに変わったことを示す演出だった。

 法学入門的にいうと、法と法律の違いなど重要な問題があるのだが、ドラマなのでそのあたりは単純化しながらも、わずか15分の世界で、ゆっくりと掘り下げていく。

 6週から特高警察が出てきて、1学年上の先輩の夫への召集令状など、戦争への動きが濃厚になりつつあるが、第5週では2.26事件」は完全にスルーだった。軍事化・戦争への動きが強くなってくるのは今週(第6週)後半になるのだろうか。

 女性裁判官第1号をモデルにした『虎に翼』は、もし私が今年も現役教員だったなら、1年生の導入講義(法学入門)で学生たちにこの作品の視聴を薦めていたことだろう。

なお、『虎に翼』の脚本を書いた吉田恵里香と憲法学者・辻村みよ子のコラボ「はて?憲法は誰のため」が『朝日新聞』53日付オピニオン面に掲載されているので参照されたい。

 

ドラマも題材・素材、ディテールが大切

冒頭の写真は、20038月に長野県で講演した際に立ち寄った、旧松本区裁判所庁舎の法廷である。現代日本の裁判は当事者主義(弾劾主義)をとり、検察官は裁判官の前で弁護人と対面する。しかし、大正時代に制定された刑訴法は職権主義をとっていたため、裁判官の左横に検察官が座り、弁護人と被告人を、裁判官とともに壇上から見下ろす形となる。『虎に翼』第24話、25話では、壇上の検察官が穂高弁護人の鋭い追及にたじろぐ場面が描かれている。

 このドラマのベースになっているのは、冒頭の写真にある清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』日本評論社、2023年)である。編著者の清永は、司法担当のNHK解説委員。NHKニュース解説「時論公論」でも、充実した解説をすることで定評がある。私にとっては、2009816日放送のNHKスペシャル『気骨の判決―東条英機と闘った裁判官』に強い印象を受けた。清永原案とある番組紹介にこうある

《昭和17年、大審院(現・最高裁判所)裁判官の吉田久(小林薫)は、衆議院選挙の落選者から、選挙無効の訴えを受ける。首相・東條英機(岩崎ひろし)は、政府に非協力的な議員を排除しようと総選挙を実施した。政府が推薦しない候補は、激しい選挙妨害を受けた。事実確認のため訴えがあった鹿児島に向かい、 200人に及ぶ証人尋問を行なうが、誰も真相を話そうとしない。司法大臣(山本圭)や東條からの圧力が強まるなか、吉田がたどり着いた「判決」とは?》

 この判決こそ、鹿児島2区の選挙を無効とする判決であり、これが出されたのは昭和2031日、東京大空襲の直前であり、鹿児島2区では、判決に基づくやりなおし選挙が、周辺で空襲が行われるなかで実施されている。大審院の選挙無効判決が、戦時であってもきちんと実現されている。これはもっと知ってよい事実である。戦時下でも翼賛的とはいえ選挙があった事実も、緊急事態を口実に議員任期延長の改憲を企てる議員は知っているのだろうか。

ちなみに、このNHKスペシャルにおける吉田判事の役は、『虎に翼』の穂高教授を演ずる俳優の小林薫であった。なお、この判決について詳しくは、清永聡『気骨の判決―東条英機と闘った裁判官』(新潮新書、2008年)参照。また、清永『戦犯を救え-BC級「横浜裁判」秘録』(新潮新書、2015年)『家庭裁判所物語』(日本評論社、2018年)も参照のこと。時代考証・法律考証に加えて、清永解説委員の周到かつ緻密な「取材」がドラマの随所に活かされている(番組スタッフ紹介参照)。

 

「原爆判決」はどう描かれるか?

戦後、東京地裁判事になった三淵嘉子は右陪席判事として、1963127日のいわゆる「原爆判決」に関わっている(以下、前掲・清永『三淵嘉子と家庭裁判所』41-46頁参照) 

三淵は判決言い渡しの当日は、東京家庭裁判所に異動となっているが、判決原本には彼女の署名がある。この裁判は、広島・長崎の被爆者が起こした「原爆投下は国際法違反」という損害賠償訴訟で、普通の裁判官ならば簡単に結審して、請求棄却の結論を出すだろう。だが、三淵を含む3人の裁判官は、原爆投下の国際法違反性が争点になるや、躊躇なく、原告が申請した国際法学者、安井郁法政大学教授(原水協理事長)、国側が申請した田畑茂二郎京大教授と高野雄一東大教授を鑑定人として選任したのである。裁判は俄然、マスコミの注目を浴びるようになった。結論は見えていて、原爆投下の損害賠償など認めるはずがないと思われていたが、判決当日、古関敏正裁判長は、民事訴訟では異例の主文後回しで、理由の読み上げを始めた。

 「原子爆弾による爆撃が仮に軍事目標のみをその攻撃の目的としたとしても、原子爆弾の巨大な破壊力から盲目爆撃と同様の結果を生ずるものである以上、広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当である。」

「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。」

「しかしながら、それはもはや裁判所の職責ではなくて、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない職責である。しかも、そうした手続によってこそ、訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講じることができるのであって、そこに立法及び立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後10数年を経て、高度の経済成長をとげたわが国において、国家財政上これが不可能であることはとうてい考えられない。」

「われわれは本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである。」

  こう理由を述べて、最後に、「主文 原告等の請求を棄却する」と結んだ。この日の各紙夕刊は一面トップで、「原爆投下は国際法違反 東京地裁、注目の判決」(『毎日新聞』)などと報じた。4年間かかった原爆裁判に一貫して関わった三淵嘉子。『虎に翼』の寅子はどのように描かれるだろうか。いまから楽しみである。

 

【文中敬称略】

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