ダービー前日のストライキ――憲法28条があることの意味
2024年6月3日

競馬場でストライキ

「生まれたときから、私の周囲には馬がいた。」(直言「競馬法28条への疑問」)。家の南側には東京競馬場があり、散歩コースに2つの馬頭観音がある。小さい方は目立たないが、41年前、娘が生まれるとき、当時3歳だった息子はそれを「小さな神様」と呼んで、「赤ちゃん、無事に生まれますように」と手を合わせていた。競馬場の獣医を親戚にもつ家に生まれながら、競馬を観戦したこともなければ、馬券を買ったこともない(その事情については、直言「カジノ賭博解禁法案の闇と影」参照)

   526日は第91回日本ダービーだった。前日の25日、ネットニュースで、JRA(日本中央競馬会)3労組が24時間ストライキを決行し、京王線・府中競馬正門前駅の改札から東京競馬場を結ぶ通路の入り口で、ビラ配りをしていることを知った。歩いて15分くらいなので行ってみたが、すでに街宣活動は終わっていた。ストのビラを「わが歴史グッズ」に加えるために、自販機のごみ箱などをのぞいてまわったが、空振りに終わった。馬券や紙切れなどが舞っていた昔とは大違いである。冒頭左の写真は、『デイリースポーツ』online版にある競馬サイト「うま屋」5月25日付から拝借したものである。組合幹部の背後に見えるのは「砂漠を駆け抜ける黄金の馬」(2006年、東京競馬場)である(私が25日に撮影したものはこれ)。


厩務員の労働組合

   調教師が経営する厩舎で馬の世話をする人々のことを厩務員という。JRA厩舎スタッフとして、調教師との間で雇用契約を結ぶ。私の父の一家は、競馬場の移転に伴い、19362月に目黒から府中に引っ越してきた。獣医の水島家の裏は尾形藤吉厩舎で、周囲には調教師の家があり、少し先に厩務員の住宅があった。この世界における上下関係は厳格である。小さい頃から厩務員の仕事を見てきたこともあり、先週、その厩務員と調教助手の労働組合がストライキをやるというので関心をもったわけである。

   ストライキに至る経緯については、『東スポ競馬』524の記事が詳しい。それによれば、厩務員・調教助手の3労組(関東労(組合員986)、美駒労(122)、関西労(238))と日本調教師会との団体交渉が、組合側の3%賃上げ要求に対して、回答0.64%で決裂し、組合側は25日零時からの24時間ストを決行した。通常、東京競馬に出走する関東馬は美浦トレーニングセンターからレース当日に移動する。だが、ストの影響を考慮して、土曜の出走馬のほとんどが金曜に府中に移動し、日曜のダービー出走馬19頭も金曜のうちに移動したという。子どもの頃から、家の近くの競馬場通りを「馬運車」が通過するのを見てきた。ストに対応するため、そのような早い対応がとられていたことに気づかなかった。

    街宣活動の様子が 『東スポ競馬』5月25に紹介されている。美駒労・磯部和人委員長は「ファンの方々に私たちの現状を説明して、ストライキまで至った経緯を理解してもらい正常な交渉を後押ししてもらいたい」とコメントしている。関東労の小倉祥治書記長は、「ファンの皆様には申し訳ない気持ちでいっぱい。競馬界は外から見れば人気があるように見えるかも知れないが、実際は厩務員を目指す人が減少し、早い時期にやめてしまう人も増えている状況。働く環境もそうだし、物価高で実質賃金の問題もある」と語っている(netkeiba526)

   今回のストライキの対象は、トレセン(美浦トレーニングセンター)の調教などの業務も含められたので、「スト破り」を警戒した組合の対応が、netkeiba526日に載っている(写真リンク)。「ストライキへの不参加は団体行動権を妨害する行為」として、組合規約に基づく処分が警告されている。ストライキは整然と行われ、トレセンでは、調教師や非組合員が業務を行った。

    なお、JRAの佐野健吉競走担当理事は「ストライキ、労働争議は憲法上、認められていますが、多くのお客さまが毎週楽しみにしておられる中央競馬の開催に関してご心配をおかけすることに関しては大変申し訳なく思っております。JRAとしては調教師、非組合員、補充員等で通常通り、2場開催を施行します。全作業のストライキが通告されていますが、トレセンにおきましても各調教師が自厩舎でどういうことができるか、把握して取り組んでいると聞いております」とコメントしている。日本調教師会会長の中竹調教師は、「今般の労働組合側の春闘要求に関しては、本会としましては誠意をもって交渉し、精一杯の努力をしてまいりましたが、残念ながらストライキに至る事態となり、競馬を楽しみにされているファンの皆さまに対して、ご心配をおかけしております。」と語った(以上、「東スポ競馬」5月24)


ファン(お客様)の迷惑 !?

     『東スポ競馬』25日付 には、厩務員がストライキをやっているため、パドックで調教師自らが馬の手綱を引いている写真も載っている。この記事の見出しは「ダービー前日のストライキ決行に競馬ファンらも戸惑いの声」とあり、「競馬暦25年という40代の男性ファン」の声として、「新聞記事でストの報道は知っていたが、無事に競馬が開催されるようで良かった。(ストについて)若い人の賃金アップは必要だが、ダービーの前日に直接的な行動に出るのは残念に感じる。組合活動は大いに結構だが、今後はファンに影響の少ない形で交渉してもらいたい」としている。

  ストライキが行われると、メディアはいつも、一般の人々や利用者の「迷惑」を書き立てるが、今回の場合、ダービー前日に終わることなど、ファンに配慮したものになっている。『東スポ競馬』25日夕方更新によれば、実際、「JRA中央競馬会のウィンズなどを含む全事業所に寄せられた問い合わせは計183件。うち苦情は1件にとどまり、おおむね影響はなかった(数字はJRA広報部発表)」という。

 

20年前の「プロ野球選手のストライキ」のこと

   厩務員のストライキというので思い出したのが、「プロ野球選手のストライキ」のことである。もう20年も前のことになる。直言「たかが選手が投げたボール」で詳しく書いたのでお読みいただきたい。冒頭の写真は、20年前、関連するスポーツ新聞を買いあさって、当日行われた司法書士会の講演で使ったものである。その2004年の「直言」から引用しよう。

「…ストライク (strike)を投げることに全力をあげる投手も、すべてストライキ(strike)に参加した。「スト」、「組合」、「団体交渉」(野球界では、協議・交渉委員会という)といった言葉が新聞の一面を彩り、人々の話題の中心になるのも珍しい。…渡邉恒雄オーナーから「たかが選手が」と言われた人たちが組織する労働組合日本プロ野球選手会は、 1985年に東京地労委で労働組合としての資格認定を受けた。この選手会を「たかが選手会」として無視することはできない。団体交渉に応じなければ、不当労働行為となる(労組法72項)。「たかが」という侮辱的態度で臨めば、団交誠実応諾義務違反だ。正当なストに対して損害賠償を請求することはできない(労働組合法8条)。一人ひとりの選手の声は小さくても、自らの権利を守るために団結したとき、それは法的に保障された「力」となる。選手会が日本プロ野球組織(NPB=日本プロ野球機構)に対して団体交渉権をもつことは、選手会が行った仮処分申し立てに対する東京地裁 (200493) と東京高裁 (98) の決定においても確認されている。…労働組合プロ野球選手会の組織率は100%。12 軍の選手 752名全員が加盟している。今どき、この組織率はすごい。また組合委員長(ヤクルトの古田敦也)の信頼度も抜群である。団体交渉のあとの試合に出て、きちんとヒットを打っていい成績を出すなんぞはさすがである。…」


ストライキと観客・ファン――プロ野球選手会事務局長の「秘話」

   当時、このストライキに関連して、私の研究室で公開授業をやった。右がその時のチラシである。このストを古田会長とともに推進したのが事務局長の松原徹さんである。招聘講師として、大学院教授会で承認をもらって授業を実施した。そこでは、プロ野球選手の「労働者」性、選手会は労働組合か、本件ストライキの「正当な目的」性が論点となった。

   スト当日、「ファン裏切る億万長者のスト」などといういじわるな見出しを付けた新聞もあった。プロ野球選手は高給取りで、労働者ではないという意識が一般にもあるが、ごく一部のスター選手をのぞいて、一般の選手の生活は切実だという話もうかがった。古田会長の人望と人格、松原さんの見事な采配によって、このストはファンの支持を得て成功したといえる。詳しいことは、20年前の「直言」をお読みください。

   なお、授業をやっていただいた松原さんは、2015年に58歳の若さで亡くなっている。終了後の懇親会でうかがった「ここだけの話」を、20年前のことなので紹介しておく。

   渡邉オーナーらとの団体交渉の後、古田会長は神宮球場で行われていた公式戦に向かった。球場に着くと、スーツからユニフォームに着替え、すぐにバッターボックスに立った。そして、初球をセンター前にヒットしたのである。翌日のスポーツ新聞は大見出しで、「古田、見事な仕事」と絶賛だった。しかし、松原さんは、「ここだけの話」といってこう語った。古田会長は、全組合員のために団体交渉をしてきたので、バッターボックスに入ったとき、相手チームのキャッチャーが小さな声で「会長、ご苦労さまでございます」とねぎらいの言葉をかけたあと「直球きます」といったかのような空気を感じたそうである。

  

授業で習ったストを見に来た高校生――西武百貨店のストライキ

    昨年831日、池袋の西武百貨店で、そごう・西武労働組合によるストライキが行われた。親会社のセブン&アイ・ホールディングスが米国の投資ファンドに売却する方針を決定したことから、従業員の雇用確保を求めて西武池袋本店の全館臨時閉館となった。大手百貨店では、1962年の阪神百貨店以来約60年ぶりのストライキとなった。

   当日のTBSnews23を見て思わず写真に撮ってしまった。高校生がストライキの現場にやってきて、「政経の授業で習ったストライキというものが珍しいので見に来た」というのである。私が学生の頃、ストライキは日常だったし、45月は国鉄のストが長く続いて、授業が休講になることも普通の風景だった。近年では大規模なストライキはほとんど見ることがなくなり、この高校生のように、教科書の世界が現実に起きて珍しいという感覚なのだろう。なお、このストについて詳しくは、「《ルポ》そごう・西武「ストライキ」最後の抵抗」(東洋経済online 202392参照。


日本国憲法28条のこと

  働く者は一人では弱い。それが組合をつくることで、経営者と対等に交渉することができる。「同じテーブルにつく」という言葉があるが、不思議なもので、人は座ると理性的に話ができる。どんなに対立していても、何かをはさんで向き合って座ることに意味がある。一人だけではテーブルにはつけない。そうやって、労働組合は、働く者の最後の支えとなる。改めて日本国憲法28条と労働組合法を読み直してほしい。わずか33カ条の法律だが、労働組合の何たるかが見えてくるだろう。

   憲法28条は「労働3権」を保障している。団結権、団体交渉権、争議権(ストライキ権)である。憲法27条の「勤労の権利」(right to work)と28条とを切り離すことなく、統一的に解釈することが重要である(直言「「職の安全」も問われている」)。

  私は22年ほど前に、早稲田大学教員組合書記長をやったことがある(直言「大学問題の現場から」参照)。総長との団体交渉の司会をやり、さまざまな調査・交渉などを通じて、大学問題の「現場」を体験することができた。もしも組合をやっていなかったら、他学部や高等学院の先生方と深く知り合うこともできなかっただろう。さまざまな「気づき」の機会ともなった。

    NHK連続テレビ小説『虎に翼』第44話(530日放送)はすばらしかった。焼きとりのタレで汚れた新聞紙には、公布された日本国憲法の条文、その14条がアップになる。まさに、第1回のオープニングの際に日本国憲法草案に見入る女性(主人公の寅子)につながっていくのである。伏線の発展的回収といえる。

    主人公は家裁所長になる人なので、これからの展開は少年法事件や家族や家庭の問題が増えていくだろう。14条や24条が中心になると思われるが、『虎に翼』がこれから佳境に入っていく戦後初期は労働争議が頻発している。憲法28条も注目されるだろう。

   前述したように、JRAの理事は今回の厩務員のストに対して、「ストライキ、労働争議は憲法上、認められていますが」と述べた。「憲法上」という一言が自然に出てくるように、憲法28条の存在は重要なのである。

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