自公政権の終わりの始まり
4分の1世紀(25年)も続いた自民・公明の連立政権が揺れている。1999年10月、小渕恵三第2次改造内閣のとき、この連立政権は誕生した。当時私はドイツで在外研究をしていて、新聞に“Buddhistische Partei”(仏教政党)との連立(Koalition)という記事を見つけ、そこまで来たかという感慨を覚えた。同じ頃、友人が『新日本共産党宣言』(光文社、1999年)という本を送ってくれたので早速読んだところ、同党最高幹部が「自衛のための軍事力」合憲論をおおらかに語っていたので、「思わずヘーッという声が出た」ことを思い出す。
いま、この25年間の政治の劣化と頽廃が、実にわかりやすい形で表に出てきている。「パーティー券」問題は、ポリティカル・パーティー(政党)の「裏金」問題をあぶり出した。上脇博之・神戸学院大学教授の、20年以上にわたる粘り強い、地道な努力の成果ともいえる(『毎日新聞』5月22日付夕刊1面トップ)。昨年12月14日に総務大臣を辞任した鈴木淳司が、「キックバック」(資金還流)は「政治の世界では文化」と言ってのけたことが想起される(直言「「日本を取り戻す。」自民党のブーメラン?」)。
半年が経過して、「裏金」問題の実態や、安倍派を中心とする関係議員の法的・政治的責任追及という現実の問題を、政治資金規正法の「改正」という「今後の課題」にすり替える方向が、メディアの協力もあって進んでいる。「政治家の、政治家による、政治家のための政治資金規正法」は最初から「ザル法」という枕詞が付いていたが、当事者である自民党による「改正」案が先週6月6日、衆議院を通過した。「ザルに失礼だ」という声が出るほど、語るに落ちる代物で、「大穴法」である。ここでは、衆院での採決直前の、連立与党・公明党の迷走ぶりに注目しておきたい。
5月30日午前、公明党の山口那津男代表は、「そのまま賛同することはできない」と唐突に表明し、自民党にさらなる修正を求めた。公明党は、パーティー券購入者の公開基準額「5万円超」を要求していたものの、自民案の「10万円超」(現行法は「20万円超」)に賛成する方向だった。ところが、「党本部にジャンジャン批判の電話がかかってきた」という事態に、空気が一変。31日になって岸田文雄首相は「5万円超」に変更することを決めた。20万→10万→5万と、バナナのたたき売りの手法で、有権者を騙せると思っているのだろうか。
また、自民党は領収書公開について消極的だったが、日本維新の会の「10年後の公開」という方針に乗ることに決めた(写真はTBS『サンデーモーニング』6月9日より)。公明・維新はこれにより自民党の法案に賛成するに至った。だが、国民の反応はこれまでにないほどに厳しい。毎年の確定申告で領収書に神経を使わされている国民・納税者の感覚からすれば、「10年後の公開」というのは「お花畑」でしかないだろう。しかも、「キックバック」(いやな言葉だ!)された金を「原資」にして、自分の政党支部に寄付することで所得税の優遇措置を受けていた政治家が次々に判明している。ほんの一時期、「次期首相候補」といわれていた政治家も含まれている。彼女は「法令違反はない」と言い切るが、「政治家の資質」の一つである「責任感」は一体どこへ行ったのか。
この間の選挙で、自公推薦の知事や市長の候補者が軒並み落選し、衆議院の補欠選挙でも自民の連敗が続いている。今回ばかりは国民の怒りは半端ではない。「自公連立政権の終わりの始まり」になるか。楽観はできない。「権力は民衆の「忘れっぽさ」を利用する」、である。アドルフ・ヒトラーの『わが闘争』に出てくる「大衆の忘却力」に依拠した統治はこれからも続くのだろうか。
「腐れ縁」の連立政権
自民党の衆院議員のうち「100人以上は公明票がなければ当選できない」(自民党選対幹部)という試算があるという。加えて、統一教会の選挙運動支援が公然とは受けられなくなり、国政選挙を前にした自民党にとって、公明党との「腐れ縁」はこれからも続くだろう。
ドイツの新聞のインタビューで、山口代表は、「公明党はハンドルで、ブレーキとアクセルを操作して連立政権を正しい方向に導いている」と胸をはった(『南ドイツ新聞』2022年9月16日付 )。安倍内閣による「7.1閣議決定」(2014年)や、安全保障関連法(2015年)をめぐって、公明党は、ストッパーの役回りを支持者に見せようと懸命になっていた。公明党は「新3要件」を自民との「合作」で作り上げ、集団的自衛権行使の合憲解釈への道を掃き清めたことは記憶に新しい(直言「公明党の「転進」を問う」参照)。創価学会の婦人部や青年部からは、「平和の党」からの離反の動きに批判も出ていた。
そこで思い出すのは、30年前の1994年8月31日、広島市での講演のことである。私は、創価学会広島青年部に依頼されて、「日清戦争100年とヒロシマ」というタイトルで講演した。終了後、青年部の人たちと話したが、平和への強い思いがあり、講演中に、当時の公明党書記長を批判しても、反論する空気がないどころか、終了後、参加者から笑顔で、「どんどん批判してください」といわれたほどだった。安保関連法で国会前にデモ隊が押し寄せた時にも、創価学会の旗を立てて参加する人たちを見かけた(この直言の中ほどの写真参照)。「自公」の政権がここまで国民に嫌われる施策を続けていると、公明党の支持母体からの離反が生まれてくる可能性なしとしない。
戦後8番目の首相――在任期間の自己目的化
6月23日に第213回国会(常会)の会期末を迎えるが、いまのところ会期延長はなく、またその前後で衆院の解散が行われる可能性もほぼなくなった。7月23日公示、8月4日投票という5月のはじめの頃取り沙汰されていた政治日程はなくなったと見ていいだろう。
とはいえ、「青木の法則」から見ても危機的な状況は続いている。「参院のドン」といわれ、2000年4月の「内閣総理大臣が欠けたとき」(憲法70条)にも「活躍」した青木幹雄・元官房長官が提唱したとされる「青木の法則」。内閣支持率と自民党支持率の和が50ポイントを下回ると政権が倒れるという経験則である。毎日新聞社の世論調査(5月23日)では、内閣支持率20%+自民党支持率17%の計37ポイントで、政権交代をもたらした2009年8月の総選挙直前の麻生太郎内閣の31.4ポイント(内閣16.3、自民15.1)に近づいている。
岸田は解散・総選挙を「いま」やれば、衆院3補選での「悪夢」が全国的に起きると見ているのかもしれない。いま、岸田の頭のなかにあるのは、「6月29日」という日付である(『日刊ゲンダイ』6月1日付)。この日、2021年10月4日に岸田内閣が発足してから、1000日となる。戦後の35人の首相のうち、在任期間が1000日を超えたのは7人だけである。安倍晋三(3188日)、佐藤栄作(2798日)、吉田茂(2616日)、小泉純一郎(1980日)、中曽根康弘(1806日)池田勇人(1575日)、岸信介(1241日)。この6月29日に、在任期間が歴代8番目、4桁の大台に乗る首相となる。仕事の中身でなく、その在任期間の長さを自己目的化しているとすれば、国にとっても、国民にとっても不幸である。極端な話、「支持率0%」になっても政権から降りないかもしれない。
岸田流政治の1000日を前に
安倍晋三が暗殺されたあと、間髪を入れず「国葬」を決断して安倍派の批判をかわし、統一教会・「裏金」問題で安倍派を解体に追い込んだ。安倍亜流(某霊政権)として誕生して、短命政権と見られながらも1000日を達成しようとしている。私は「安倍院政権」と呼んだが、これは岸田を過小評価していたかもしれない。思えば、2021年10月の総選挙も、解散から投票日まで「17日」という戦後最短期間で実施するという「電撃戦」をやって勝利している。安倍晋三より出でて、安倍より安倍的な政治を実行しているといえるかもしれない(直言「壊された10年」参照)。
冒頭の写真にあるように、岸田は当初、PLUS NOTEBOOKのB罫6mm(ネイビー)を掲げて、国民の声をよく聞くということを売り込んでいた。このノートを岸田が手にするところを見たことがない(数か月だけのパフォーマンス?)。岸田は「何事もなかったかのように聞き流す力」を持っている。もっといえば、「聞かなかったことにする力」かもしれない。「敵基地攻撃能力」(「反撃能力」)が「専守防衛」の範囲内であるなどとは、まともな政治家ならば少しは迷いが表情に出るものである。岸田はそのように語るときもまったく自然体である。
「1.1大震災」の時、要救助者の救出リミットの「72時間」が迫っているにもかかわらず、民放のニュース番組に生出演して、政治とカネの問題について笑顔で語っている(写真はBSフジ1月4日放送)。まさに「他人事」の表情である。「いまじゃないだろう、そこじゃないだろう」とテレビに向かって叫んでいた。
国会で追及され、メディアに批判され、支持率が落ちても、「国賓」として訪米。4月11日に米上下両院合同会議で演説をして、48回もの大きな拍手を受けてしまう(写真はnews23 4月12日放送)。安倍がなし得なかった大軍拡を、自らの「レガシー」にしようとしている(直言「「戦争可能な正常国家」―日米軍事一体化と「統合作戦司令部」」参照)。
冒頭の写真は『ニューズウィーク日本版』5月14日号の表紙である。そのスペシャル・レポートは、岸田の狙いが「再軍備」にあると書いている。「普通の軍隊」として米軍と一体となって作戦が展開できるようにする。まさに「戦争放棄」の放棄である。
グーグル日本法人の元社長は、この米議会での演説を、「歴史に残る売国演説」と呼び、「岸田首相よ、あなたはどこの国のトップか?自身の延命のため米国にすり寄り軍拡に走り、ロシアを敵に回し中国を怒らせ日本国民を危険にさらす男」と強い言葉で批判している(MAG2NEWS 2024年5月18日)。
『日本経済新聞』4月12日付によれば、この首相演説は、1980年代にレーガン米大統領のスピーチを書いた経験があるベテランのスピーチライターを起用して、そのライターが録音した発音を何度も聞き返しながら練習したものという。俳優だったレーガンの演説は情緒的な言葉をはさむので有名だったが、まさか40年後にそれを日本の首相が「応用」するとは。安倍の米議会演説もひどかったがl、岸田は48回の拍手という数字を含めて、その「売国性」において、安倍を超えたかもしれない。
国民は政治を「自分事」にできるか
岸田内閣1000日を前にして、時事通信の世論調査で、「政権交代を期待する」との回答は43.9%で、「自民党中心の政権継続を期待する」の33.2%を上回った(JIJI.com 5月16日)。これはかつてなかったことである。「どうせ自民党…」「結局、自民党…」という日本国民の惰性あるいは習性が変わりつつあるのか。政治は「自分事」でなかったから、そうなったのであって、この間の物価高、少子化対策の愚策、「政治とカネ」の惨状などを見せつけられて、国民は「自分事」として政治を考えるようになりつつあるのではないか。
直言「「コスパ」「タイパ」「プロパ」の過剰がもたらすもの―この国の民主主義に熟議はない」でも指摘したが、岸田政権は、国会におけるさまざまな手続の軽視や予備費制度のザル運用など、憲法や法律の問題における「プロパ」を駆使している。国民の批判をかわすために、論点ずらしをやる。「裏金」問題の真相解明を「政治資金規正法「改正」にすり替えたように。
いま、解散・総選挙で結果を出してから9月の総裁選で再選を狙うのとは違った戦略が練られているようである。7月から8月にかけて、外交で大きな動きが起きるかもしれない。国民の「忘却力」は不要で、一気に支持率上昇を狙う奇策が出てくるかもしれない。拉致問題では、「安倍3原則」(①拉致問題はわが国の最重要課題、②拉致問題の解決なくして国交正常化なし、③被害者は全員生存しており、即時一括帰国を求める)があって、まともな交渉もできず膠着状態が続いていた(和田春樹編『北朝鮮拉致問題の解決―膠着を破る鍵は何か』岩波書店、2024年参照)。安倍を超えようとする岸田はこの原則にこだわらず、大胆な行動に打って出る可能性がある。蓮池透『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社、2015年)で批判される「面々」と距離をとるわけである。
総選挙は、「勝てなくてもいいから負けないようにする」ために、かりに自民党が過半数を割っても、新たな連立の枠組みで政権を維持しようとするだろう。岸田が岸信介の1241日を超えるのは2025年2月27日である。政権の形は、「自公維政権」か「自維公政権」になるかはわからない。いずれにしても、立憲民主党単独では受け皿になり得ないし、組織のありようをめぐって自己省察と誠実な対応が求められている共産党との野党共闘に、かつてのような力を期待することは困難である。
「普通の民主主義国」ならば、野党への政権交代が「普通に」行われるが、日本でどうして政権交代が起きないのか。それは、国民が政治を「自分事」にしないできたからである。政治を他人事とせず、自分事化する。対象となる物事を自分のこととして捉えること。それには、当事者意識、責任感、主体性が必要となる。まずは「納税者の権利宣言」から発想の転換をしたらどうだろうか。
今年は世界的な「選挙イヤー」である。インボイスで痛めつけられた中小業者をはじめ、「政治とカネ」で怒った人たちは、投票所に向かい、投票率をあげ、腐敗に関与した政治家には投票しない「選択しない選択」をすることから始める(直言「どうやったら投票率はあがるか―「マニフェスト」+「選択しない選択」」)。その結果生まれる新しい政権をしっかり監視し続けることが肝要である。
【文中敬称略】