横田基地所属の米空軍兵長の酒気帯び運転
先週の木曜、7月18日、東京都のホームページに都市整備局と福生市の連名で、「横田基地関係者による飲酒を伴う交通事故について(要請)」がアップされた。
「令和6年7月12日、北関東防衛局から、「本日午前2時35分頃、沖縄県沖縄市において横田基地所属の空軍兵長が飲酒運転し交通事故を起こし、道路交通法違反(酒気帯び)の容疑で、同日午前3時38分に現行犯逮捕された」との情報が東京都及び基地周辺自治体に提供されました。飲酒運転は、人命に係わる重大な事故につながるもので、非常に危険かつ悪質であり、基地周辺住民に不安を生じさせるだけでなく、住民感情の悪化を招きかねません。また、飲酒を伴う交通事故に関してはこれまで幾度となく、根絶に向けた取組を要請してきたところです。令和6年4月19日の要請後、わずか3か月の間に、再度、事故が発生したことは、飲酒を伴う交通事故の根絶に向けた取組が十分ではなかったという疑念を抱かざるを得ません。ついては、事故の経緯、背景、今回の事故を防止できなかった要因等について明らかにするとともに、飲酒運転根絶に向けた対策を直ちに講ずること等を要請しましたので、お知らせします。」
横田基地所在の福生市のホームページには、より詳しい情報が出ている。それによると、在日米軍横田基地第374空輸航空団所属の25歳の兵長が、沖縄県沖縄市で、酒気帯びで普通乗用車を運転し、信号待ちのタクシーに追突。現行犯逮捕されたというものである。バンパーが破損する物損事故である。兵長の呼気からは、飲酒運転の基準値(0.15mg)の約4倍以上のアルコールが検出された。防衛省北関東防衛局の対応は、兵長逮捕の6日後に東京都と福生市に情報提供が行われている。『沖縄タイムス』は7月13日にベタ扱いでこれを報じた。この記事からわかるのは、兵長の実名と、「「酒は抜けたと思っていた」と容疑を否認している」ということである。
嘉手納基地所属の米空軍兵長による性暴力事件
先週沖縄で起きた横田基地所属の米空軍兵長の酒気帯び運転が、迅速かつ詳細に東京都や福生市に周知されている。酒気帯び運転でも、「人命に係わる重大な事故につながるもので、非常に危険かつ悪質であり、基地周辺住民に不安を生じさせる」とするならば、昨年12月に「もう一人の米空軍兵長」が起こした事件は、より重大でより悪質ということになるのではないか。こちらについては、日本政府の対応は何とも不可解である。
昨年12月24日のクリスマスイブ、嘉手納基地第18航空団所属の米空軍兵長、こちらも25歳が、読谷村の公園で、16歳未満の少女を車で誘拐し、自宅(基地外)に連れ込み、同意なくわいせつな行為をしたとして、県警が任意捜査を行い、3月11日に書類送検。3月27日に那覇地検は、わいせつ目的誘拐と不同意性交の罪で兵長を起訴した。起訴と同時に、日米地位協定17条に基づき、米軍は兵長の身柄を日本側に引き渡した。初公判は7月12日に那覇地裁204号法廷で行われた(『琉球新報』7月17日記者傍聴記はここから)。
兵長は「18歳だと思っていた」「同意はあった」などと述べているようだが、ここでは事件そのものについては立ち入らない。この件で重要なのは日付である。事件発生が昨年12月24日、起訴が3月27日、この事件を沖縄県が知ったのは、6月25日昼の琉球朝日放送ニュースだった。同局の記者がたまたま地検で米軍関係者の公判情報をつかみ、報道したものだ。テレビで事態を知った玉木デニー県知事は、「外務省から、少なくとも約3カ月の間、事件の発生について連絡がなかったことは信頼関係において著しく不信を招くものでしかない」と怒りを込めて抗議した(『琉球新報』6月25日)。
「起訴から3カ月」は何を意味するか
沖縄県が事件を知ったのは、発生から半年、地検が起訴してから3カ月後だった。これは異例というよりも、異様というしかない。『琉球新報』の本事件の特集コーナー が時間を追って整理できるので便利である。
そもそも、日本政府はどの時点でこの事件を知ったのか。米軍関係者であることから、県警の任意捜査の状況は警察庁にも報告されているし、外務省は当初から事態を把握していたに違いない。沖縄防衛局から防衛省にも報告が届いていたはずである。
外務省は、3月27日の起訴時点で、岡野正敬事務次官がエマニュエル駐日米大使に「再発防止と綱紀粛正」を申し入れている。だが、事件が起きたことも、そのような申し入れをしたことも、沖縄県やメディアには知らせていない。起訴により身柄が日本側に移った以上、これを隠しておく理由は本来ない。むしろ、数か月以内に公判が行われる以上、どんなに遅くとも、起訴段階で公表するのが自然である。沖縄県が知れば、県知事から駐日米大使や米軍司令官などに抗議が行われる。これは、これまでの米兵犯罪について見られる、悲しいかな「日常的風景」である。だが、今回は違った。起訴した事実そのものが隠されたのである。7月の公判前に明らかになるのはやむを得ないと踏んで、それまでは、ことさらに県やメディアに対して沈黙を通した。それは、この「3カ月」に特別な意味があるからではないのか。
4月8日から14日まで、岸田文雄首相が国賓待遇で訪米することになっていた。11日には米議会両院合同会議で演説している(直言「「戦争可能な正常国家」―日米軍事一体化と「統合作戦司令部」)。もし、3月27日に米空軍兵長起訴のニュースが流れたら、1995年の少女暴行事件を想起した県民の怒りは大きく、大規模な抗議行動が起こっていただろう。そうなれば、岸田首相の国賓待遇訪米に傷がつく、とばかり、外務省内では、北米局を中心に、何としても起訴の事実の公表を先延ばしするように動いたのではないか。そして、起訴当日、外務事務次官による駐日大使への「抗議」という形をとって辻褄を合わせたのだろう。ただ、通常、次官が駐日大使に申し入れをすれば、外務省記者クラブ(霞クラブ)の記者がキャッチするはずである。それでも報道されなかったとしたら、記者クラブも「共犯」である。3月27日(水曜日)の外務次官の動きについて、各社とも、担当記者に確認してみたらどうだろうか。
5月17日、エマニュエル駐日米大使が米軍機で(!? )、台湾まで110キロにある与那国島を訪れ、陸自駐屯地などをまわっている。「台湾有事を念頭に、中国をにらんだ自衛隊の「南西シフト」の最前線で米軍の足場を確保するための「布石」とみられる」(『朝日新聞』5月18日付 )と書かれるように、与那国訪問は、重要な政治的デモンストレーションだった。3月27日の起訴が訪問前に明らかになっていたら、抗議運動が起きて、大使の与那国訪問が「笑顔」で行われたとは思えない。
そして6月16日の沖縄県議選(定数48)である。裏金問題で衆院補選などでことごとく苦戦していた自民党は、18議席から20議席に躍進し、玉城デニー知事を支持する県政与党の共産党と立憲民主党は議席を半減させて大敗した。
3月27日に米空軍兵長を起訴した以上、6月には公判のための事前の手続が始まる。そうすれば、地検担当の記者がキャッチして、事件が明らかとなる。だが、6月16日まで、この事件についての情報は事実上封印され、沖縄県もメディアも知らされない状況が続いた。県議選が終わった1週間後に、たまたま地元テレビ局がスクープで事件が判明したわけである。だが、重大なことは、5月下旬にもう一つの性暴力事件が起きていたこともまた、伏せられていたことである。
県議選前の性暴力事件も隠される―「被害者のプライバシー」という理由
5月26日、米海兵隊上等兵(21歳)が沖縄県中部で、成人の女性に性的暴行を加え、抵抗した女性を負傷させ、不同意性交致傷の容疑で県警に逮捕されていた。その事実は、6月27日に、『琉球新報』の独自取材で明らかとなった。空軍兵長の起訴が明らかになった2日後に、米海兵隊員の別の性暴力事件が判明したわけである。
5月26日に事件が発生して、容疑者が逮捕されたとすれば、報道各社は当然それを報道する。だが、投票日まで3週間ということで、県議選は事実上スタートしていた。この事件についても、沖縄県はもとより、県民・有権者も知らないまま投票日を迎えたわけである。
私は、空軍兵長の起訴の事実が伏せられた最大の理由は、岸田首相の国賓待遇での訪米だったと考えている。5月26日の海兵隊員の逮捕については、沖縄県議選への影響が考慮されたのだろう。一般に、性犯罪が疑われる事案では、「被害者保護」を理由にして、容疑者が米軍関係者かどうかにかかわらず報道発表を控える傾向にあるという。だが、被害者のプライバシーを理由にして、沖縄県にまで知らせないというのは筋が通らない。
冒頭の横田基地所属の米空軍兵長の「飲酒を伴う交通事故」の対応と比較してみていただきたい。誘拐や不同意性交、同傷害といった凶悪事件であり、かつ女性を狙ったものが連続して起きている。事案を県に知らせて、対応をとるのが自然な流れである。自民党県連幹事長の島袋大県議も、「早く県へ情報が伝わっていれば、外出禁止令が出されたかもしれない。抑止力となる策は打てたと思う」と語ったという(『朝日新聞』6月29日付)。「外出禁止令」というのは言い過ぎだが、女性や子どもたちに注意喚起することは可能だった。沖縄県教育委員会は、「身の危険を感じたら、すぐに逃げて」と、各学校に促している(『琉球新報』7月12日)。
少なくとも、3月に起訴された時点で報道されていれば、県内で抗議行動が起きて世論の関心も高まり、また米兵への警戒心も高まって、5月の事件は起こらなかったかもしれない。
被害者のプライバシーを考慮するというのは、外務省や地検が県やメディアに事実をまったく知らせないということを正当化しない。県は被害者のプライバシーを考慮しつつ、再発防止のための行動をとるだろうし、メディアもまた、当然、被害者の保護の観点から特定されない報道をするだろう。今回のケースでは、明らかに、岸田首相の訪米に対する配慮が重視されたとしか思えない。それが3カ月にわたって続いた結果として、県議選では自民有利に働いたわけで、この「3カ月」という期間を、「被害者の保護」で説明することは困難である。
林芳正官房長官は6月28日の記者会見で、「(米側への)抗議を公表すると、事件そのものが公になってしまう」と述べ、4月の岸田首相の訪米や6月の沖縄県議選が非公表の判断に影響を与えた可能性については、「外交、政治日程が影響を及ぼしたという指摘は当たらない」と否定したが、果たしてそうだろうか。
「いまトラ」から、さらなる「迎合と忖度の日米安保」へ
冒頭の写真は、5年前の6月、国会の売店で売られていたものである。晋ちゃんシリーズのお菓子と比べて、ちゃち感は否めないが、瓦煎餅を「日米関係は変わりませんべい」としゃれたものだ。maybeとついているのがユーモラスというか、かなり本質的問題を含む。この11月に「いまトラ」になった場合、「日米関係は変わらない、多分ね(maybe)」といって、日本が米国製兵器をもっと買って、米国内雇用を増やさない限り、日米安保は廃棄するぞと言い出すかもしれない(直言「「日米同盟」という勘違い―超高額兵器「爆買い」の「売国」」参照)。
米国の軍事基地を国内に置いている国の場合、米国との間で地位協定を締結している。だが、どこでも課題となるのは、当該国の国内法を米軍基地および米軍の活動にどこまで適用できるかという課題である(なお、冒頭の写真は、普天間基地周辺の警告板である。「本土」の基地では見られない傲慢な書きぶりである)。
米兵犯罪の場合、地位協定17条がネックになるが、今回のケースは「公務中」ではなく、また基地外に居住していることなどから、沖縄県警が捜査した上で起訴に持ち込み、身柄を確保することができた。しかし、その事実の公表を「意図的に」遅らせたところに問題があった。これは地位協定の問題というよりも、米兵犯罪が沖縄県民の抗議を呼び起こさないようにするための政治的問題であろう。
韓国の米兵犯罪の現場を訪れたことがある。それは直言「在韓米軍地位協定の「現場」へ⑵」を参照されたい。1992年10月、韓国北部・東豆川を訪れ、在韓米陸軍第2師団の2等兵による残虐な殺人事件の現場の部屋で、関係者の話を聞いた。ちょうど事件10周年の追悼集会が行われていた(冒頭の写真参照)。そこで会った女性弁護士は、在韓米軍地位協定の改定要求について説明するなかで、初動段階で韓国警察が捜査権を行使できるようにすることなどを強調していた。
日本政府はまったくやる気がないが、日米地位協定の改定は重要な課題である。「横田ラプコン」の問題をはじめ、課題は無数にある。沖縄県は、大田昌秀知事の時代から30年近く、他国の地位協定との比較検討の上で、県としての改定の提言を行っている(ポータルサイト参照)。日本弁護士連合会も地位協定の改定について提言している。「日米地位協定の改定とこれを運用する制度の改善を求める意見書」(2022年8月18日)が重要である(意見書全文PDFはここから)。
憲法改正に熱心な政治家たちは、あまりに不平等な地位協定の改定の努力をすべきではないのか(直言「なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」」参照)。地位協定の問題点を放置して、兵器の爆買いを続けていると、「いまトラ」によって日本はさらなる負担を強いられることになりかねない。8年前とも4年前とも違い、「空気」は明らかに変わってきた(「団結」の逆利用も)。
というわけで、本格的に論ずる時間がとれないので、事件発生直後に共同通信文化部から依頼された拙稿「迎合と忖度の日米安保――米兵性暴力事件」を転載することにしたい。掲載紙は、昨日までに分かったところで下記の各紙である。そのなかから、『山梨日日新聞』と『信濃毎日新聞』をここに掲げておこう。見出しは各紙微妙に異なる。
掲載紙:『琉球新報』2024年7月6日付総合面、『熊本日日新聞』9日付、『山陰中央新報』10日付、『中国新聞』同、『愛媛新聞』同、『秋田さきがけ』同、 『京都新聞』同、『神奈川新聞』11日付、『千葉日報』同、『信濃毎日新聞』12日付、『山梨日日新聞』13日付、『神戸新聞』同、ほか。
《付記》 7月20日、在日米海兵隊を統括する第3海兵遠征軍は、隊員の綱紀粛正の強化策として、日本国内のすべての海兵隊基地(岩国を除けば沖縄の問題なのだが)で検問を強化して、飲酒検査を実施すると発表した(『毎日新聞』7月21日付)。なお、 3年前、米軍のゆるいコロナ対策を沖縄でゼミ生が目撃している。