オリンピックと政治
猛暑のなかのオリンピック。ただでさえ暑いのに、テレビをつければ、ニュース番組まで浮かれた空気である。ロンドン五輪の時に書いた直言「どさくさ紛れに「決める政治」と「五輪夢中」のメディア」では、「この国の政治が五里霧中の状況にある時、メディアの頭が「五輪夢中」なのは情けない限りである」と批判している。
オリンピック憲章にあるように、「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」というのが大原則のはずだが、理念と現実の乖離は著しい。毎回の五輪大会は「政治」に彩色され、蚕食されている。
安倍晋三政権が東京招致を狙い、強引な手法を駆使して(一例:「おい、馳、何でもやれ。機密費もあるからな」)、ついに東京2020へのキップを手に入れた。直言「東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」」で指摘したように、安倍と東京招致委員会の戦略は、「福島」との距離の強調、徹底した封印だった。そこには、「アンダー・コントロール」に象徴される、「3.11」の影響に対する徹底した過小評価があった(直言「「復興五輪」というフェイク」)。2016年のリオ五輪閉幕式で、次回開催都市の東京の知事への五輪旗の授与があった。当選したばかりの小池百合子知事は得意満面だった(右の写真参照。3選時はここ)。
パリ五輪の際立った政治性――ロシア・ベラルーシ参加禁止とイスラエル参加
前述したように、オリンピックは、その時々の国際政治と当該国の国内政治に深い影響を受ける。ロシアによるウクライナ侵攻により、国際オリンピック委員会(IOC)は、ロシア・オリンピック委員会(ROC)を無期限資格停止処分にした(『日経』2023年10月12日)。だが、オリンピック憲章は国籍による差別を認めていないから、当該国の選手の参加を完全に排除することは許されない。IOCはさまざまな条件を付けて、ロシアとベラルーシの選手の出場資格を認めた(2023年12月8日)。「中立的立場の個人資格の選手」( Individual Neutral Athletes、仏語で Athlètes Individuels Neutres(AIN))と呼ばれ、ウクライナ侵攻を積極的に支持せず、軍・治安機関に所属しないことなどを条件とした。団体競技への出場は認められず、国歌や国旗も使用できない。開会式での入場行進は認められず、メダルを獲得した際の表彰式では、新たに制作された専用の旗や賛歌が使用される(右上の写真は、Berliner Zeitung vom 9.8.2024より)。
メディアも視聴者も熱狂するメダルの獲得数という面から見れば、明らかにパリ五輪は異様である。三桁のメダルをいつも獲得する米国に続いて、中国、日本、オーストラリア、フランスの順である。東京五輪では、ROC(ロシア五輪委員会)は5位に入っており、メダルは71個(金20個)である。2016年のリオ五輪ではロシアは4位(56個(金19個))、2012年のロンドン五輪では4位(68個(金19個)である。
今回、ロシアが参加すれば、米国や中国と並んで相当数のメダルを獲得しただろう。特に体操女子やレスリング、アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)などではメダル状況は確実に変わったはずである。参加したAINの選手は30人前後という(7月7日のNHKのカウント。なお、『南ドイツ新聞』8月4日によると32人(ロシア15、ベラルーシ17))。
なお、高橋雅人「オリンピックと政治―「政治による利用」と「スポーツ団体の自律」」『法学セミナー』2020年8月号参照。
【文中敬称略】