「ヒロシマ・デー」に「クルスク侵攻2.0」
広島の平和記念式典に参加してきたウクライナが、今年の式典への欠席を広島市に通知してきた。市は2日にその事実を公表し、「正確な理由は確認できていない」とした。長崎の平和祈念式典は、イスラエル不参加問題を巡り米英などの大使の欠席が注目されたが、ウクライナ参加の有無について、メディアの報道はなかった。おそらく長崎も欠席だろう。
その危惧は具体的にあらわれた。クルスクに侵攻したウクライナ兵らしき人物が、ナチス親衛隊(SS)のヘルメットをかぶり、通りかかったロシアの老人(74歳)に対して、「イワン、イワン」と呼びかけ、ドイツ語で「おまえはロシアの豚だ」と叫んでいる動画を見た。これをロシアのプロパガンダとして片づける前に、メディアはウクライナ側の問題にもっと踏み込むべきだろう(なお、『南ドイツ新聞』8月30日付は、1943年の引照を「ロシアの誤ったプロパガンダ」としている)。
ゼレンスキーはなぜ「クルスクの戦い2.0」を始めたのか
ウクライナは8月24日に33回目の独立記念日を迎えたが、その際、ゼレンスキーはクルスク侵攻を続ける自軍を自慢する演説を行った。8月27日には、この攻勢は「ウクライナの勝利計画の一環だ」と胸をはり、「ロシア領土の1294㎢と100の集落を掌握している」と述べた(BBC2024年8月28日)。なぜ、この時期、このタイミングで、この象徴的場所に侵攻したのか。
まず考えられるのは、2年半の戦争の経過のなかで、西側諸国の支援が鈍り始めたタイミングで、ロシアとの交渉を有利に展開するためのいわば「一撃講和」という狙いである。80年あまり平和だった国境を越えて、初めて外国軍隊(ウクライナ+西側の戦車、特にドイツ軍のレオパルトⅡ)がロシア領土に侵攻するという歴史的・政治的インパクトも大きい。
ロシアはウクライナに対する国際法違反の軍事侵攻を行いながら、ウクライナ軍が反撃のためロシア領内に入れば戦術核兵器を使用すると威嚇してきた。だが、今回、これだけ深く侵攻しても、プーチンの反応は妙に静かである。国境地帯の動きを空から監視していて、これだけの大部隊が侵攻することを事前にキャッチできなかったはずはない。むしろ、あえて領内にウクライナ軍を引き入れる戦術かもしれない。「意図的にある程度野放しにしていた疑いがある」(田中宇「ウクライナ戦争で米・非米分裂を長引かせる」参照)。
バイデンもまたクルスク侵攻に対して、あまり触れないようにしている。この侵攻の事前準備・訓練に英国がかなりコミットしているようだが、他のNATO諸国の足並みは一致していない。西側諸国も、供与した武器の使用方法について、国境を越えてロシア領内で使うことに制約を課してきたが、クルスク侵攻でその歯止めが外れたのかどうかは即断できない。
ドイツ首相は「知らなかった」――歴史的類似への危惧
ドイツのショルツ首相は、このクルスク侵攻について事前に知らされていなかったと述べた(テレビのニュースで見る限り淡々とした表情だったが)。ただ、ショルツは、供与したレオパルトⅡ戦車などの国境を越えた運用を許可したのかという記者の質問には答えず、「状況を注意深く観察している」とだけ語った。
先々週、ドイツ連邦軍のユルゲン・ローズ元中佐は、ドイツ政府は、ドイツの兵器を使ったクルスク侵攻について、第二次世界大戦の「クルスクの戦い」との類似性を避けるためにかなり神経を使ったと述べている(Globaleuronews 2024年8月20日)。「史上最大のクルスク戦車戦が行われた象徴的な地域に、再びドイツ戦車が投入されているからだ」とローズはいう。彼はかなりはっきりものをいう。「ウクライナ軍は、このロシア連邦に対するプロキシ(代理)戦争において、米国の役に立つidiotsである」と。ひどい表現だが、その根拠として、ウクライナ軍が事実上、ウクライナ軍事援助集団司令官のアントニオ・アグト(Antonio Aguto)米陸軍中将の指揮下にあることを挙げる。
正確には、ウクライナ安全保障支援集団(SAGU)といい、ドイツ・ヴィースバーデンに司令部を置き、ウクライナ兵の訓練を行っている。兵站総局もシュトゥットガルトからヴィースバーデンに移り、ウクライナ軍への西側兵器の供給管理が簡素化されたという。ウクライナ軍が、このSAGUとの関係抜きに、単独で「越境攻撃」を行うことは不可能だろう。「クルスク侵攻」はSAGUの黙認のもとに行われたが、ゼレンスキーのいう「勝利計画」の具体的な中身は見えない。バイデン政権のこの作戦についてのコメントも少ない。
「クルスク侵攻」についての米国の態度
親ウクライナの論客にも懐疑的見方が広がる。例えば、ドイツ連邦軍大学のカルロ・マサラは、「この作戦は長期的にはウクライナに益よりも害をもたらす」可能性があるとして、これを「リスクの高い戦略」と呼んだ。 しばしば強硬派としてメディアに登場する軍事専門家のグスタフ・グレッセルも、ウクライナが「この地を維持するのは難しい」と強調している。最悪のシナリオでは、クルスク作戦は "ウクライナの軍事的終焉を告げるもの "になりかねない、とも(以上、Kursk-Offensive: Überdehnt?, IMI-Aktuell 2024/538より)。
日本のメディアでは出てこないが、Russia Today (RT), 27 Aug, 2024によれば、ウクライナ軍は8月6日の侵攻以来3週間で、6600人以上の兵士を失ったほか、戦車73両、歩兵戦闘車(IFV)34両、APC[装甲兵員輸送車]62両、装甲戦闘車432両、その他の車両201両、45門の大砲、米国が提供した4基のHIMARSを含む13基の多連装ロケットシステム(MLRS)を失ったという。
ロシアの論客の見方なので結論は控えるが、「クルスク侵攻」は、バイデン政権が積極的にやらせたものではなく、むしろ、ゼレンスキー政権の焦りのあらわれという面が強いのではないか。「クルスク侵攻」をどう収拾するか。大統領選挙に向かって走り出した米国がロシアと激突することを選ぶとは思えない。
兵器の「地産地消」とウクライナ
ティモフェイ・ボルダチョフの論稿「ロシアがウクライナと対話しない理由はこれだ」(8月23日)は、かなりあけすけに書いている。「キエフの指導者は自国民の利益のために行動しているのではなく、ワシントンの思惑とその最も近い同盟国[注・英国のこと]の思惑のために行動している」として、次のようにいう。「ウクライナは主権国家ではない。ロシアが相手にしているのは、自国の利益のために行動していない組織であり、しかも国境で直接活動している組織である。
したがって、このような領土との交流は、正式な交渉も含め、通常の国家間の関係を律する慣習から外れることになる。国際政治は、戦争でさえも、常に国家間関係のプロセスである。
しかし、自国の戦略や行動を決定する他国の道具として行動しながら、自国の完全な消滅につながりかねない行為をおかす可能性のある、率直に言って自殺志願者のような行為者[ゼレンスキーのこと]に、どう対処すればいいのだろうか」と。そして、こうもいう。「韓国、日本、ドイツのように、70年以上も事実上アメリカの占領下にあった国でさえ、独立した外交政策を持っている。
実際、ロシアや中国との関係を維持しようとする数々の試みが示すように、彼らはしばしばそれを目指している。 もしドイツが米国に隷属するだけの国であれば、ワシントンの誰も2022年秋のパイプライン「ノルド・ストリーム」の爆破を推進する必要性を感じなかっただろう」と。
ドイツがウクライナへの軍事支援削減表明した直後の2022年9月に爆破が実行されたことをしっかり記憶しておこう(この件は付記参照)。
ゼレンスキー政権は、「領土奪還まで」「戦争に勝利する」といった無理な目標を立てて、戦争を継続している。2022年3月のインタンブール和平交渉をつぶしたさまざまな力学があるが、ゼレンスキー自身、「ウクライナを世界最大の兵器生産国の一つにするということを掲げ、まさに「兵器の地産地消」(自国で兵器を生産して、自国の戦争にすぐに使う)という、全世界の軍需産業の「僕」のような役回りを果たしている(ちなみに、俳優時代の代表作は『国民の僕』(2015年))。直言「ウクライナを世界最大の兵器生産国にする」―戦争を長期化させようとする力とは」をリンクまでお読みいただきたい。
ゼレンスキーの「戦争終結案」(8月27日)をどう見るか
ゼレンスキーの大統領任期は今年5月で切れている。選挙をしないで大統領職にとどまれるのは、戒厳令下の非常措置である。政権の民主的正当性が脆弱になっているにもかかわらず、強引な徴兵・動員を実施して、国民の反発は徐々に広がっている。ゼレンスキーの「領土奪還まで戦う」に対する支持も減少し、「和平のために領土一部放棄」もありが3割にのぼっている(NHK2024年7月24日)。 8月27日、ゼレンスキーは、9月にバイデン、ハリス、トランプに会って、ウクライナの戦争終結案を提示すると表明した。「勝利に向けた計画」として、クルスク侵攻もその一環だと説明した(BBC2024年8月28日)。これはまさに、「一撃講和」を狙ったものといえるかもしれない。「一撃」の方向はロシアよりはむしろ、大統領選でウクライナへの関心が下がっている米国に向けられたもので、まさにバイデン政権に対するショック療法だったと見ることもできるのではないか。だがそのために、どれだけの命が失われたか。
ロシアによるウクライナ侵攻を最大の「栄養」にして、「冷戦の遺物」だったNATOが活性化し、東方拡大と北方拡大を続けて加盟国31カ国の集団的自衛権システム(軍事同盟)となり、地球規模で活動を展開しようとしている(直言「NATOグローバル化のパラドックス―「米国以外の国に戦争をやらせる体制」」参照)。ロシアによる侵略を非難し、ウクライナへの武器供与・支援を声高に叫ぶのは、保守よりも社民党や緑の党といった、かつての反戦運動の立場の人々の「転進」が目立つ。
いま必要なことは即時停戦を求めることだろう。この戦争がNATOとロシアのプロキシ(代理)戦争であるという認識をしっかり踏まえ(直言「「地政学的戦争」―「ウクライナ民衆法廷」の提言(リチャード・フォーク)」)、ウクライナ平和運動から出てきたスローガン「最悪の平和はどんな戦争よりもましだ」という観点から停戦への国際世論を高めることである。
《付記》
本稿脱稿後、Der Spiegelオンライン版(2024年8月29日14時)にスクープ記事が載った。ドイツとロシアをつなぐパイプライン「ノルトストリーム」を爆破した容疑でドイツ連邦検事局から逮捕状が出ているウクライナ人、ウラジーミル・ジュラブレフについての新たな情報である。左の写真は、ウクライナで潜水しようとする容疑者である(2019年)。
同誌によれば、容疑者は今年5月にはドイツに滞在し、欧州逮捕状が発給されたときはポーランドにいた。ポーランド当局は彼を拘束する義務があったが何もしなかった。そして容疑者は、7月6日、ワルシャワのウクライナ大使館の公用車(外交官ナンバー)を使い、同日午前6時20分、ウクライナへの逃亡に成功したという。同誌によれば、ドイツ政府はポーランドに対して「非常に怒っている」という。