自由民主党第2代総裁のこと――時代は「誰」を求めるか !?
2024年9月9日


「おじさんの詰め合わせ」
8月21日、 自由民主党が総裁選ポスターを公開すると、その夜のTBS news23で、タレントのトラウデン直美は「おじさんの詰め合わせって感じがする」と率直な感想を述べていた。ポスターのキャッチコピーは「THE MATCH」(ザ・マッチ)。プロレスの感覚だが、記者会見した広報本部長・平井卓也は、「「マッチ」には、文字どおり選挙戦という「闘い」の意味に加え、国民のニーズと党の政策を「マッチング」させる、イノベーションや成長力に「火を付ける」との意味も込めた」と大真面目に語っていた。平井といえば、四国新聞社創業者の祖父平井太郎(参議院議員)以来の世襲政治家。 自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)の2代目代表を務め、ネトウヨの培養・強化に関わってきた人物である。

  ポスターは、政治の闇を象徴する「黒」をベースにしている。そこには、初代の鳩山一郎から現職の岸田文雄まで、26人の総裁たちが並ぶ。ただ、写真の大きさや位置を含めて、全体のレイアウトに、ある種の狙いを感ずる。何より安倍晋三が中心にいること。それに小泉純一郎が安倍と同じ大きさである。「次の総裁は息子」というメッセージでもなかろう。田中角栄中曽根康弘が次のランク。無責任な「政権投げ出し」の張本人たる岸田文雄が、麻生太郎小渕恵三、谷垣禎一(「総理・総裁」になれなかった)とともにその次の大きさである。この選択の基準はよくわからない。はっきりしているのは、26人のなかで、最も小さい写真が、左上にいる石橋湛山(たんざん)である。在任69日(みっともない「三本指」辞任」)の宇野宗佑の後ろで、さらに小ぶり。石橋も戦後2番目に短い、在任期間は65日だったが、その存在感と存在意義はまったく異なる。
 

65日間の石橋内閣――「最短の在任、最大の業績」(保阪正康)

  「直言」では、この20年近くの間、折に触れて自由民主党第2代総裁の石橋湛山の言葉を引用してきた。いずれも至言、名言、箴言、警句として、日本の国や政治のありようについて考えるときに重く響くものばかりである。

 石橋内閣は、なぜ65日間という短命に終わったのか。それは、直言「「内閣総理大臣が欠けたとき」―石橋湛山と安倍晋三」で詳しく書いた。湛山は、1956年12月14日の自民党総裁選で岸信介と争った。決選投票で、わずか7票差で勝利した。そのあたりの事情は、保阪正康『石橋湛山の65日』(東洋経済新報社、2021年)の序章が詳しい。帯には「首相の格は任期にあらず! 反骨のリベラリストは政治家として何を残したのか?」とあり、本書のコンセプトを明確に示す。総裁選の7票差のもつ大きな意味を実感させてくれる。ちなみに、2012年総裁選では、安倍晋三と石破茂は19票差だった(直言「回想2012年9月26日総裁選」)。今月27日の決戦投票では何票差になるのだろうか。

 さて、湛山の場合、引き際の見事さが特筆される。病気で退陣した最初の首相として、岸信介外相を首相臨時代理(内閣法9条)に指名したあとに、退陣の決断をした。臨時代理と幹事長に宛てた書簡(「石橋親書」)は感銘深いものがある(前掲「直言」参照)。4人の医師団が精密検査の結果を提示して、2時間にわたって記者の質問に答えている。病気の原因を正直に伝えて辞任したのは湛山だけである。慶応大学病院関係者から病状についての説明は一切なく、唐突に病気を理由にして辞任表明した安倍晋三とは大きな違いである(直言「「政治的仮病」とフェイント政治―内閣法9条のこと」 のリンクまで参照)。

前掲「直言」では、その後、湛山が体調を回復させ、「日中米ソ平和同盟」の持論に基づき、党の反対にもかかわらず、訪中2回、訪ソ1回を行っていること、もし湛山がそのまま首相の地位にあったなら、対米一辺倒の岸とは違った、もっとアジアに軸足を置いた、バランスのよい国になっていただろう、と書いている。保阪も前掲書5頁でこう述べている。「もし石橋が政権を担当して自らの政策を進めていたら「近現代史」の現代史の部分は年譜と異なった形になっていたのではないかと思う。それは歴史に「イフ」をもち込むことではあるが、しかしこの「イフ」は私たちに、戦後日本のあるべき姿を示すことになったのではないか、と私には思えてならない」と。まったく同感である。

 周知のように、湛山のあとに首相となった岸は、日米安保条約の改定を一気に進める。国民の反発は強く、「60年安保闘争」に発展する。連日の国会デモに、岸首相は自衛隊の治安出動を決断する直前までいく。石橋内閣が続いていたら、「迎合と忖度」の日米安保体制を押しつけられることはなかったのではないか。湛山が退き、岸の内閣になって60年後、その孫の晋三によってこの国の安全保障は大きく歪められていくことになる(直言「「日米同盟」という勘違い―超高額兵器「爆買い」の「売国」」参照)。

 

石橋湛山の思想に学ぶ

  保阪は、湛山の思想的骨格を次の3つにまとめている。すなわち、①小日本主義(大日本主義の否定)、②反ファシズムの平和主義(軍事の暴力的政策の反対)、③論理主義(共同体的感情の相剋)、である(保阪・前掲書5-9頁)。

     「直言」で最初に湛山に触れたのは、防衛庁から防衛省に昇格させる法案が審議されていた頃に書いた直言「防衛省法案と「政治家の一分」」であった。湛山が、新聞記者時代の1931年4月18日に書いた「社説」で、「満州事変」が始まる5カ月前のものだった。18年ぶりに引用しよう。

 「首相は職を曠(むなし)うし、政府の言に信なく、議会は愚弄せられ、国民を代表する代議士は暴力団化する。以上を一言で括れば、ほとんど乱世的事相とも評して差し支えあるまい。…
   もしやむことをえなければ食を撤せよ、民に信なくんば立たず、と古聖はいわれた。信義は死よりも重し、これを今日に翻訳すれば、言行一致し得ぬ場合にはその職を去るべし、これがいわゆる食をすてるに当ると思う。いやしくもかくの如くせざれば、どうして綱紀の支持が出来よう。どこに道義の堅守があろう。民政党は依然として何ら政策に破綻が起った訳ではないと繰り返し、陰に民政党内閣の継続を至当だと主張せるが、しかし、根本が崩れている。彼らが単に多数党たるの故に、彼らの内閣が続いて新たに出来てもそれは、道理上とうてい永続するはずはない。もし永く倒れなければ、国はいよいよ暴力的無道に陥るほかはない。世の中に道義を無視するほど怖いものはない。国民が理性に信頼を失えば何をなすか分らぬ。記者は、近来の世相を諦視して、誠に深憂に堪えない」(『石橋湛山評論集』(岩波文庫、1984年)173-174頁)

    まるで今の自民党の状況に対する批判のようである。政治が「道義を無視」して、「国民が理性に信頼を失えば」、国は「暴力的無道」に向かう。その結果、1936年の「2.26事件」を経て、軍人の支配が始まった。この点で、湛山が1939年9月2日に書いた文章に注目したい。

    「今日の我が政治の悩みは、決して軍人が政治に干与することではない。逆に政治が、軍人の干与を許すが如きものであることだ。黴菌(ばいきん)が病気なのではない。その繁殖を許す身体が病気だと知るべきだ」(前掲『評論集』211頁)と。軍人の支配をもたらしたものは何か。統帥権の独立や軍部大臣現役武官制もさることながら、湛山は政治(家)の側を問題にしている。大政翼賛会のような一元的な政治体制の誕生こそ、軍人の関与をもたらし、戦争への道を掃き清めたという視点である(直言「わが歴史グッズの話(22)大政翼賛会」)。

  2012年12月の第2次安倍内閣の発足から、この国の暴走は始まった(直言「「壊された10年」―第2次安倍晋三内閣発足の日に」)。「道義を無視」し、「暴力的無道」に向かっていく。「7.1閣議決定」による強引な政府解釈の変更(集団的自衛権行使違憲から合憲へ)と、安全保障関連法によって自衛隊の運用方法は一変した(拙稿「「7.1閣議決定」と安全保障関連法」参照)。

 続く菅義偉の内閣がやった最大の「無道」は、日本学術会議の破壊である(直言「学問研究の自由の真正の危機」参照)。湛山がジャーナリストだった時に懸念していた社会や学問の軍事化のあらわれといえる(直言「科学者が戦争に協力するとき―「科学技術非常動員」文書から見えるもの」参照)。

そして、岸田文雄の内閣がやった「無道」は数多いが、最大のものは、「安保3文書」(部内では「戦略3文書」)の閣議決定と、日本の軍事化の質的な推進である(直言「「12.16閣議決定」―「戦」と「時代の転換」」参照)。その象徴が、作戦統制権が問題となる「統合作戦司令部」の設置である(直言「「戦争可能な正常国家」―日米軍事一体化と「統合作戦司令部」」参照)。安倍が着手し、岸田が一気に進めた「グローバルNATO」と日米安保の連結・連動により、日本は「戦争のできる国」から「戦争をする国」に変わりつつある。

  ここで湛山に登場してもらおう。この言葉はかつて「直言」でも引用したが、ここに掲げておこう。曰く。「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗させるような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす。したがって、そういう考えをもった政治家に政治を託するわけにはいかない」(前掲『評論集』282頁)。 

    昨年6月、超党派の議員連盟「石橋湛山研究会」が発足した。共同代表の岩屋毅元防衛大臣は、湛山の「大日本主義の幻想」をいつも読み返していると述べ、岸田内閣のもとでの「防衛力強化の議論は危機感をあおって防衛費を増額につなげるという冷静さを欠いたものだった」と批判。「「台湾有事」などと軽々に言うべきではない。ある意味で湛山が警告した戦前と近い空気があると感じている」と語っている(『毎日新聞』2023年8月12日付インタビュー「なぜ今、石橋湛山か」)。


総裁選と憲法改正

 今回の自民党総裁選に立候補した面々を見ても、岸田首相が推進してきた異様な軍拡路線に批判的な人は一人もいない。むしろ、憲法改正への傾きを強めていることが気になる。石破茂は、安倍的な「自衛隊加憲」論とは距離をとって、「9条2項削除」論(国防軍)を打ち出している。この主張は従来通りの主張だが、小泉進次郎は改憲内容には踏み込まず、「(憲法改正のための国民投票は)一度目は失敗するけど、それは織り込み済みで2回、3回とトライしていけばいいんですよ」と産経記者に語ったと、『週刊文春』9月12日号が書いている(14-17頁)。付けた見出しは、「進次郎がひらめいた! 「私で改憲」がセクシーすぎる」というひどいもの(デジタル版はもう少しおとなしい)。産経記者が推測しているように、「総裁選に向けて保守層を取り込みたいと思ったんでしょう」という程度のことだろう。
     父親の小泉純一郎は2001年の総裁選の時、保守票取り込みのため、終戦記念日に必ず靖国神社に参拝すると約束した。だが、その「公約」を実行したのは、辞める直前の2006年8月だった。

   湛山は安保改定後、岸内閣が倒れ、池田勇人内閣が発足したとき、「池田外交路線に望む」のなかで日本国憲法についてこう指摘する。「全人類に率先して先見の明を示した日本人の熱情と誠意を、今こそ厳粛に、そして高らかに地球の上に呼びかけるべきであろう。…憲法を冷静に読み返す時、私は日本がそのような悪路を踏んで行くことに忍び難いものを感じる」(前掲『評論集』275頁)と。湛山は、「安保条約と憲法は明らかに矛盾しているが、本来[憲法]改正ができない限り、いさぎよく憲法を守るのが正当な態度である」としつつも、「新安保を否認せず」として、条約の国会承認時の付帯決議に着目し、事前協議の活用によって日本が自主権を活用する道などを説いている。

  その後64年もの間、事前協議制度(「条約第6条の実施に関する交換公文」)はまったく使われることはなく、核持ち込みの「密約」lまで結ばれていたが、もし湛山のような首相がいれば、強かに、しなやかに米国と渡り合って実をとっていっただろう。普天間基地の辺野古移設をめぐって、「最低でも県外」といった鳩山由紀夫首相は、数少ない評価できる例である。すぐに撤回してしまったのが今でも残念でならない。圧倒的な不平等条約である日米地位協定の改定には熱意を示すことなく、憲法改正にのみ前のめりの政治家たちについて、湛山は何というだろうか(直言「なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」」参照)。

 

15日間の総裁選は総選挙の事前運動

   自民党総裁選は一政党の党首選びにすぎない。自民党員は109万1000人あまり(2023年現在)。有権者総数1億472万人(同)の1.04%足らずである。日本国民100人のうちの1人しか総裁選に参加しない。「首相公選論」には与しないが、まるで国民一人ひとりが首相選びに参加しているかのような報道である。この選挙には当然、公職選挙法の適用はない。ゆえに、メディアも全員を平等に扱う必要はない。にもかかわらず、一人ひとりについて、その「政策」について長時間かけて紹介している。総裁選の時のメディアは、一党独裁の国の国営放送と同じになる。「金のかからない総裁選」といっても、メディアがストレートニュースを使って報道してくれるのだから、広報の必要性はほとんどない。

  総裁選の運動期間を最長の15日間にした理由は明らかである。こうやって、繰り返し、候補者の主張や「政策」の「違い」を放送することで、実は近づく解散総選挙のための事前運動になっていることに注意しなければならない。衆議院選挙の運動期間はわずか12日間である(直言「メディアを使った事前運動ではないか―総裁選から総選挙へ」参照)。

    前述した超党派の「湛山研究会」の共同代表の岩屋は、「党派を超えて議論する中で、ステレオタイプな与野党の対決とは違う「化学変化」が起きてくれればいいと思う。各議員が「小さな湛山」となり、湛山のスピリットが広がっていくと、世の中が良い方向に向かっていくのではないか」と述べていたが、彼を含めて、いま自民党総裁選に熱中している。

   9月4日のTBSのnews23。保育士不足の問題を掘り下げていたが、終わりのところで、ゲスト出演した37歳の保育士の男性に対して、キャスターの小川彩佳が「新総裁には何を期待しますか」と質問したのには驚いた。ゲストは保育士不足の原因や背景について重要なことを指摘していたが、それが「新総裁への期待」でまとめられてしまったのである。

来るべき総選挙では
   先週あたりから立憲民主党の代表選挙の報道が見られるようになってきた。「シロアリ取りがシロアリ」になった元首相が候補者では話題性が低いが、1年生女性議員の立候補はせめてもの救いか。自民党の場合、日をおいて、一人ひとり立候補することで、昼のワイドショーは、安易で簡易な特集が組む。その一方で、党首公選制を主張することも許されない野党もある。来るべき総選挙では、有権者はこういう政党のなかから選ばなければならない。選択の幅はあまりに貧困である。だが、政治的虚無主義に陥ってはならない。大事なことは、「政治とカネ」の問題など、国民を欺き続けてきた政党は「選ばない」という「選択」をする。その結果できあがった政権をしっかり監視して、次の選挙では違った選択もありうるという姿勢で選挙に臨むことである(直言「有権者はいつまで「沈黙」を続けるのか」)。

【文中敬称略】

トップページへ