違和感ある解散風景
今まで、たくさんの解散風景を見てきたが、今回ほど違和感を覚えるものはなかった。冒頭の写真は、解散翌日の各紙1面だが、定期購読している全国紙から、八ヶ岳の仕事場近くのコンビニで入手した地方紙に至るまで、扱いはきわめて地味であった。通常、解散翌日の紙面は、「万歳」をする議員たちの写真が1面トップで使われるのだが、今回は自民党議員もバラバラでまとまらず、「万歳」が絵にならなかったのだろう。全体の写真を使ったのは、私の手元にあるものでは、写真右上の『長野日報』だけだった。
解散の瞬間に「ただの人」となる衆院議員はもちろん、国民もまた、議長の一挙手一投足に注目する。大学で40年あまり憲法を教えてきて、統治機構の講義をするとき、たまたま衆院の解散があるときは、いつも学生の関心は極めて高い。私は40年間で13回の解散を目撃し、それを授業で解説してきた(最初は、1983年の第1次中曽根内閣時の解散)。紫の袱紗に包まれた解散詔書を官房長官が事務総長に渡し、総長がそれを確認した上で(緊張のあまり手が震える総長もいた)議長に渡す。一呼吸おいて議長が立ち上がり、解散を宣言する。万歳三唱。議長は退席して、議員たちが議場をあとにする。これを何度も見てきた。ごく普通の解散風景は、例えば、2012年11月16日の横路孝弘議長の時の解散でご確認いただきたい。ここをクリックして、15時48分をクリックする。そこから始まるのが、ごく普通の解散風景である。
ところが、2017年11月21日解散の際、伊吹文明議長の立ち居振る舞いはきわめて異様かつ異常だった。ここをクリックして「13時14分」をクリック、「10秒戻る」のマークを押して32分30秒まで画面を戻してからゆっくりご観覧いただきたい。戦後の国会解散の歴史において見たこともない、仰天の場面が繰り広げられるだろう。まだ総長が詔書を確認している段階で、議長席から早くよこせとばかり手をのばし、行儀の悪いことおびただしい。「御名御璽」と声に出し、日付と「内閣総理大臣安倍晋三」まで読み上げたのには驚いた。しかも、解散を宣言したあと、「万歳はここでやってください」と議員に促し、「これにて散会します」とやったのには声も出なかった。それがどのような法的問題を含むのかについては、直言「「安倍晋三解散」の異様な風景」において、4点に渡って指摘しているのでお読みいただきたい。
先週9日の額賀福志郎議長による解散の風景は、別の意味で異様だった(冒頭2枚目の写真参照)。議長として発すべき言葉と所作(立ち居振る舞い)は伊吹議長よりはるかにまともだったのだが、解散を宣したあとの何ともいえない「間の悪さ」が解散史上に残るものとなった。ここをクリックしてご覧いただきたい。「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と読み上げたのが53分58秒で、それから54分5秒まで、7秒間の沈黙が続いた。耐えられなくなった額賀議長は、伊吹議長のような大声ではなく、つぶやくように、「御名御璽」「日付」「内閣総理大臣 石破茂」と読み上げたのである。それでもまだ万歳が起きない。54分18秒近くになってようやく万歳が始まった。自民党席のみで、他党の議員はさかんにヤジを飛ばしている。通常は「解散する」と宣して、一呼吸おいて万歳となるのだが、今回の場合、20秒近く沈黙が続いたことになる。自民党議員でさえ、万歳する気分になれない。そんな空気が議場を覆っていた。
衆議院議長と「最短解散」
衆議院議長というのは「国権の最高機関」(憲法41条)の長として、きわめて重い存在である。議長公邸も立派で、きわめて高い品格が求められる。このところ、人物・識見・品位などの点で「?」が付く人物がこの地位にあった(直言「統一教会との関係は「大昔から」―最高機関の最低議長」参照)。額賀議長は、人物も経歴もごく普通の自民党政治家なのだが、防衛庁長官(当時)在任時の対応のまずさから、私は直言「「組織防衛庁」長官は辞任すべし」で、大臣辞任を求めたことがある。議長としての最後の晴れ舞台で、ヤジと怒号の飛び交う20秒近くの沈黙。さぞかし後味が悪かったに違いない。
石破首相は、総裁選の最中、日本記者クラブ主催の討論会において、「国民が判断する材料を提供するのは首相の責任だ。本当のやり取りは(国会の)予算委員会だ。すぐ解散するという言い方はしない」と語っていた(『産経新聞』10月1日)。小泉進次郎の「最速解散」路線とは明らかに異なる印象を国民はもったはずである。それが、首相になるや、手のひら返しで、「戦後最短」の解散に打って出たわけである。
解散権の濫用――自民党長老の批判
10月9日の衆議院の解散には、「裏金隠し解散」「臭いものにフタ解散」「ボロ隠し解散」等々、散々のネーミングが与えられている。石破首相ご本人は「日本創生解散」と名づけてご満悦だが、意味不明である。首相自らが名づけた最高傑作(悪い意味での)は、2017年の安倍晋三「国難突破解散」だろう。少子高齢化と北朝鮮情勢を「国難」として、これを解決するために解散するというのだが、これは論理になっていない。少子化対策なら、解散しないで国会で十分な予算措置をとればいいだけの話である(直言「奨学金免除からブライダル補助まで―日本における「少子化」対策の迷走」参照)。北朝鮮情勢での解散とは一体何だったのだろう。
直言「保身とエゴの「暴投解散」」で徹底批判したが、憲法は、誰に解散権があるのかについて、明文の規定を置いていないのである。メディアは首相の「伝家の宝刀」について語るが、この表現は誤解を招くので妥当ではない(直言「「念のため解散」は解散権の濫用か」参照)。
「国難突破解散」を批判した上記「直言」から引用するならば、「今なら勝てる解散」は、端的に言えば「自己都合解散」である。内閣不信任案可決による「対抗的解散」(69条解散)ではなく、首相がその時々の政治的脈絡のなかで利用する「裁量的解散」(7条解散)である。これに対しては、衆院議長経験者から異論が表明されている。何度か紹介しているが、保利茂・元議長(在任1976-1979年)は、「特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用ということになる。…「7条解散」の濫用は許されるべきではない」と主張した。何度も使うが、自民党の大先輩の遺言として、ここに掲げておこう。
また、綿貫民輔・元議長(在任2000-2003年)は、「憲法7条に基づく解散は、政府が勝手に思いついたら解散やるぞということで、本当はおかしい」と述べている(直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」)。
なお、7条解散が認められる場合として学説は、①衆院で内閣の重要案件(法律案、予算案等)が否決されるなどした場合、②政界再編成(連立の構成)で内閣の性格が変わった場合、③総選挙の争点でなかった新しい重大な政治課題に対処する場合、④内閣が基本政策を根本的に変更する場合、⑤議員の任期満了時期が接近している場合、などに限定されるとしている(芦部信喜・高橋和之補訂『憲法』第8版(岩波書店、2023年)360頁)。安倍流「国難突破解散」も、石破首相の「日本創生解散」もこれのどこにあてはまるだろうか。解散権の濫用が常態化しつつあると評する所以である。
なぜ慌ただしい解散になるのか――強引なリセットで論点ずらし
解散権を使って政局を思うままにコントロールする首相は、熟議の民主制を語ることはできない。「正直、公正、謙虚、丁寧、透明、誠実」という言葉を安倍晋三に向かって連射して恨みをかったのは、石破茂その人ではなかったか。就任するや解散まで突き進むにあたって、まともな論理を展開できないことにあきれた。もう少し論理の人だと思っていたが、この慌ただしい解散は、合理的な政権運営とは到底いえないだろう。軍事的合理性にのみこだわる危うさが、今後さらに際立ってくるのではないか。
岸田首相がやった2021年10月の解散・総選挙について、「就任から解散まで10日、解散から総選挙まで17日と、前のめりの短期決戦で政権を維持しようとしている」と書いて、有権者に十分な熟慮の時間を与えないで、政権維持を自己目的化していると批判した(直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ(その2・完?)」)。この「短期決戦」の結果、自公で291議席を獲得し、維新も躍進した(直言「自民と維新の「改憲連立」?―二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その3)」)。
岸田首相は党内をコントロールするために、解散権をちらつかせる手法をとったことに注意する必要がある。2021年6月にLGBT法案の採決が近づいたとき、党内「保守派」の抵抗をおさえるため、「解散風」を吹かせたことである。与党議員のなかからこの法案に10人程度が賛成しないと見込まれていたが、「解散風」の効果で、衆院では、あの杉田水脈の欠席と、高島某の「トイレ籠城」の2名だけで、法案は通過した。衆院議員は、解散を前に党議拘束に反すれば、小選挙区の公認や比例順位に直ちに影響する。「解散風」は自民党内を引き締め、LGBT法案成立に実に効果的に作用したようである。広島サミットを前に、G7各国からLGBT対応の後進性を批判されていた岸田首相は、この法案成立により米国に対するメンツを保つことができた。「解散権という「首相だけの特権」を目いっぱい使わせてもらった」と周囲に語ったという(直言「解散権をもてあそぶ首相の「まさか」―議院内閣制の壊れ方」参照)。首相自身が、論点ずらしの強引なリセット手段として解散権を利用していることを暗に認めたものといえよう。
第2次安倍政権の誕生を許した2012年総選挙は、記録的な低投票率だった。それ以降、味をしめた安倍晋三は、彼が首相のうちのすべての国政選挙を低投票率で乗り切った(直言「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」」(その1) 、(その2) 参照)。
【文中一部敬称略】