低投票率のもとでの「過半数割れ」――日本の「連立方程式」?
2024年10月28日



開票速報の風景

学生の孫までが開票速報を気にしていた。「ママの入れた人、どうなった?」と聞いてから眠りについたという。東京30区は接戦で、なかなか決まらなかった。全国で議席が最終的に確定したのは28日午前3時55分だった。前回の選挙までは、投票日当日の午後8時のNHK開票特番スタート(秒読みまでやって)と同時に「自公 絶対安定多数」など、まだ開票前なのに当確が出てしまい、残り議席は二桁台という画面を見せつけられてきた。「ゼロ打ち」という。結果が出てしまった開票速報など、ネタバレ解説付きの推理小説と同じである。それが、昨夜は違った。「出口調査」でも接戦が多く、開票が進むごとに緊張する場面が続く。1996年に小選挙区比例代表並立制(私は小選挙区に傾斜した「偏立制」と呼ぶ)が導入されてから、開票速報がつまらなくなった。1993年の総選挙までは中選挙区制(候補者が3人から5人)だったので、開票速報は、各選挙区(とりわけ都市部)の最終議席確定まで時間がかかり、「ハラハラ・ドキドキ」のドラマも生まれた。だから、昨夜は久しぶりに30年前までの感覚を思い出した。

「国民の叱責」

   冒頭左の写真は29日付各紙(夕刊紙も)の一面である。そこに、先週届いた国会内で売られている「首相お菓子」を重ねてみた。今回は石破総裁誕生直後に売りに出た『ゲルたん紅白饅頭』と、おなじみの『瓦版煎餅』石破ヴァージョンである。饅頭の賞味期限は「2024年12月1日」とある。石橋湛山内閣の65日間を抜いて、「戦後最短の首相」になるかどうか。

 その隣の写真は、『南ドイツ新聞』10月29日付の政治面トップ記事である。見出しは「国民の叱責」。リード文には、「日本の政権党自民党が衆議院選挙で歴史的敗北を喫した。絶対多数を失った。それにもかかわらず、石破茂首相は連立与党に第三党を入れることを望まない」とある。石破が1993年に自民党を離党して、8党連立政権に関わったこと、復党後、麻生太郎内閣の農相にもかかわらず麻生に辞任を迫ったことなどの経緯を紹介する。そして、「今度の[自公の]敗北で、石破はもはや他人を気軽に非難できるような単なるお飾りではない。 党と政府のトップに立つことにより、自民党の危機を乗り越えられることを示さなければならない。今のところ、それは成功していない」と書く。他方で、「野党は分裂しすぎて代替案を提示できない」として、石破が公明党との連立を継続することは明らかだったが、唯一の問題は「誰と組むか」ということだった。石破の暫定的な答えは、「誰とも組まない」。「石破は、法案ごとに野党に個別に働きかける少数政権を率いたいと考えている」と予測する。

低投票率による「与野党伯仲」

  「国民の叱責」は2つの形であらわれた。一つは、選挙に参加しない、つまり棄権である。もう一つは他の政党に投票すること。ドイツで80年代頃から注目されてきた「政党嫌い」(Parteiverdrossenheit)は「非選挙人」(Nichtwähler)と「抵抗選挙人」(Protestwähler)となってあらわれる。前者は棄権者だけでなく、積極的に選挙をボイコットする人々も含む。後者は、従来の支持政党と異なる、極端な過激政党に一票を入れることで抵抗意思を示すもので、極右政党の伸長はこれと関連する(直言「国会「議事」堂はどこへ行ったのか」の下の方を参照)。意識的無関心や「やけっぱち一票」は政治不信の現象形態である。ドイツでは「政党嫌い」が「民主主義嫌い」(Demokratieverdrossenheit)に転化する可能性が危惧されてきた。

 今回の総選挙における投票率は53.85%で、「戦後3番目に低い」。60%を切ると「民主主義の危機」がいわれるドイツとは雲泥の差である。下のグラフは時事通信(10月28日)が伝える総務省サイトのものだが、低投票率は第2次安倍晋三政権を誕生させた2012年12月の59・32%から始まる。安倍時代は低投票率が定着した。意表をつく解散のため、報道も低調で、国民の関心も高まらなかった。そのため、2014年は史上最低の52.66%を記録した(直言「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」」参照)。2017年は、北朝鮮ミサイル問題と少子高齢化を克服する「国難突破解散」という意味不明の解散をやって、53・68%という戦後2番目に低い投票率となった。そして、今回、皮肉なことに、安倍政治に一貫して批判的だった石破による「戦後最短の解散」となり、結果は53.85%という、戦後3番目に低い投票率となったわけである。

 なぜ低投票率となったか。「非選挙人」としての棄権がまずある。4794万人の有権者が投票しなかった。そのなかには、自民党支持者と連立与党の公明党の支持者も含まれているだろう。そして、有権者の53.85%、5593万人を各党で分け合うなかで、前回の選挙で自公に投票した人々が他の政党に入れた。こうして、自民党は前回より533万票、公明党は115万票も減らした。648万という大量の票を自公政権は失ったわけである。上の写真にある「緊急通達」(10月21日)を出して自公政権の継続を訴えてハッパをかけたが、効果はなかった。

 では、この票はどこへ行ったのか。読売・日本テレビの出口調査によれば、自民党支持層で自民に入れたのは62%で、16%が立憲に入れるなど、野党に30%以上が投票した(『読売新聞』10月28日付)。この野党に向かった30%がドイツでいう「抵抗選挙人」である。

 立憲民主党は50議席も増やしたが、得票は驚くなかれ、前回より7万票しか増えていない。では、どこが票を増やしたか。SNSの活用と若者向けの具体的政策が功を奏した国民民主党が358万票も増やし、28議席という4倍増を達成した。れいわは159万票増やして、3議席から9議席に躍進し、共産党を抜いた。参政党と保守党がそれぞれ3議席獲得した背景には、ドイツでいう「抵抗選挙人」が一定数に達してきたことを意味しよう。政治不信の爆発により、欧州のように、この傾向はさらに進んでいくだろう。


野党も票を減らした

 自民党と長期にわたって連立を組んだ公明党は今回、大阪で全滅、党首も落選して劇的な退潮を示した(その分析はここから)。公明党については、個々の議員の国会質問を評価する「直言」も出したが、10年前、「平和の党」からの「転進」を批判し、最終的に直言「連立政権23年、公明党のディレンマ」で、「自民党政治を支え、国民の批判を多少なりとも緩和することに貢献したにすぎない」と指摘した。自公連立政権の終わりの始まりである。

 今回の選挙では、日本維新の会と共産党も大きく後退した。維新は43議席から38議席へ、得票は805万から510万へと295万票も劇的に減らした。共産党は416万票から336万票へ80万票も減らし、10議席から8議席へと後退して、院内交渉団体としての資格を失った(議員運営委員会に入れず、質問の場が制限される)。社民党は全国で93万票しかとれず、沖縄の声を反映した1議席にとどまった。

維新がなぜ敗北したか。私は維新の会が誕生して以来、この党を自民党よりもネガティヴに見ている。とりわけ創設者の橋下徹が大阪市長時代にやった「暴虐」について、直言「大阪市職員アンケートは何が問題か」や、直言「権力者が芸術・文化に介入するとき―大阪市長と大阪フィル」で詳細に批判した。東京維新の会が、都議会定例会で、日本国憲法無効・帝国憲法復活の請願に賛成したことも取り上げた(直言「「東京維新」と大日本帝国憲法」参照)。維新はアグレッシヴな改憲政党である。2021年衆院選で躍進したので、直言「自民と維新の「改憲連立」?」を出したが、この3年間、改憲状況は進展しなかった。今回の選挙の結果、維新は改憲どころではないだろう。


共産党の長期低落傾向の背景

 共産党は長期低落傾向にある。この20年に限っても、2014年の21議席をピークに、12、10、8と減り続け、ついに野党第5党に転落した。そのつど深刻な総括が必要だし、他党なら責任者の辞任が普通である。しかし、共産党は「民主集中制」という組織原則を堅持しているので(党規約3条)、最高指導部が責任をとることはない。「コミンテルン加入条件21カ条」(1920年)の12 条に明記されているこの化石のような原則は、中国や北朝鮮のような国では党のみならず、憲法で国の基本原則にまで高められている(直言「立憲主義と民主集中制」参照)。西側諸国の共産党は70年代以降これを一斉に放棄して、私の知る限りポルトガル共産党規約16条を残すばかりである。この原則は、少数は多数に従い、下級は上級に従い、全国の党組織は「党中央」に従うという、レーニン型の党の組織原則である。戦時・非常時型の秘密結社の組織形態を常態化したもので、「民主的」討論は「党中央」の自由裁量によりいくらでも収縮できる。党員相互の自由な討論は遮断され、横断的連絡・交流は禁止される。つまり、異なる組織間で党員が意見交換することは許されず、常に上級組織の「許可」のもとに行われ、最終的判断権は「党中央」がもつわけである。「党中央」が間違うことはない。
    今回の選挙についても、「常任幹部会として責任を痛感しています」といっても、責任をとることはない。党人事を、92歳の副委員長・人事局長が27年間握り続ける組織は、世界的にも例がないだろう。単なる組織の高齢化を超えて、まさに老害化の域に達しているといっていよいだろう(中央委員の43%が後期高齢者、「党中央」(常任幹部会)の平均年齢は66歳)。
    
    このところ共産党では、党首公選制を求めたり、出版物で党のあり方を論じたり、SNSで党の問題について発信したりする党員の処分が続いている。党規約上、除名処分にしたケースはわずかで、「除籍」という簡易な方法が多用されている(これ自体問題である)。党首公選を主張する書物を出版して除名処分となった松竹伸幸「除名撤回裁判」については、ここから

 選挙中盤、裏金問題の調査報道を地道に続けてきた「しんぶん赤旗」が非公認者への「2000万円問題」をスクープした。これが自民党にとって「とどめ」になったことは間違いない。共産党の貢献はきわめて大きい。だが、それが共産党の議席増に結びつかなかった。なぜか。党員の除名や除籍が続き、ネット上には当事者・関係者の怨嗟の声が見られ、選挙運動をする人々の士気はかなり下がったのではないか(京都の得票の低さが象徴)。野党共闘が成立せず、直前になって213人を小選挙区に立候補させ、「比例は共産党へ」と得票のアップをはかったが、前回より80万票も減らして、2議席減となった。これは明らかに選挙戦術の失敗である。

 千葉の14の選挙区がこの戦術の失敗を象徴している。自民党総裁選にも立候補した小林鷹之に単独で挑んだ女性候補が31.9%を獲得した2区を除いて、立憲と自民が争う選挙区に、60代、70代の地区党幹部を急遽立候補させたものの、5%台の得票しかできず供託金没収となった。全国的に選挙区によっては候補者を立てない選挙区もあったが(東京では5~10、21、23、24、27区)、東京18区では、立憲の候補の当選を阻む効果しかなかった。東京30区では、共産党候補はいたものの、立憲の女性候補が、保守的な府中市で、初めて自民候補を238票上回って勝利した。

  共産党については、基本的な政策やその活動については評価できるところがたくさんあるだけに、この組織のありようは残念でならない。92歳と81歳の副委員長が人事・組織全般を掌握し、78歳が財政を握る。他党に例を見ない超高齢化した指導部ができるのは、「革命運動で試されずみの幹部」「余人をもって代えがたい幹部」と自分でいってしまう人々によるいわば「自己任命」の仕組みが「民主集中制」により可能だからである。「党首公選制」というのは一つのアイデアであって、全党員と地方からの選出の仕方が検討される必要があるだろう。現在の「党中央」を抜本的に刷新して、柔軟で多様な発想と能力をもつ若い幹部を登用すべきではないか。その手始めとして、中央委員会議長は、かつての宮本顕治・不破哲三のような実質的党首の役割をやめて、党の運営を委員長以下の執行部に委ねるべきではないか。三代にわたる「悪弊」の一掃である。そして、党規約から「民主集中制」を削除して、SNS時代にも対応できる創造的な活動形態を追求すべきではないか。この間に除名・除籍した人々の再審査を行うことも必要だろう。組織のパワハラ的体質の克服はもちろんである(「パワハラの連鎖」を防ぐためにも)。40年以上前に「民主集中制」の異様な運用を実体験してこの党と縁を切った人間として、若い世代の活躍によるこの党の根本的・抜本的な刷新・活性化を心から望む。

日本も政権の「連立方程式」?

 11月11日の特別国会に向けて、首相指名のための多数派工作が始まっている。国民民主党の玉木雄一郎のメディア露出が際立っている(多くの記者を引き連れて歩く場面は何様?)。「年収の壁103万円」「ガソリン税の暫定税率見直し」を目玉に大量得票したので、これを切り札にして閣外協力に向かうのだろう。いずれ「自公国」か、あわてた維新が馬場を切って「自公国維」になれば、石破政権は存外続くのかもしれない。「史上最短の解散」で「史上最短の内閣」となるのかはまだわからない。

 ヨーロッパ諸国では総選挙後の連立交渉は普通のことである。どんな組み合わせになるかは、選挙時にはわからない。これを「連立方程式」という。ドイツの現政権は、社民党(SPD)(赤)、自民党(FDP)(黄)、緑の党(Die Grünen)(緑)の「信号機連立」(Ampelkoalition)である。最大野党のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)(黒)を加えて、「ジャマイカ連立」(黒緑黄)、「ケニア連立」(赤黒緑)、党の順番を入れ換えて「アフガン連立」(黒赤緑)、「大連立」(黒赤)など9通りある(上記の写真参照)。旧東の州レベルでは、極右の「ドイツのための選択肢」(AfD)が第1党になって、第2党以下の政党の連立で政権を作るという離れ業が追求され、さらに複雑な連立の形が生まれつつある。左派党(Die Linke)から出た超個性的な女性政治家ザーラ・ヴァーゲンクネヒトが創設したBSWが、東の州議会選挙でかなりの議席を得て、いま、チューリンゲン州とブランデンブルク州で連立交渉の真っ只中である。

  日本では、1993年の細川8党連立政権の経験がある。1999年から自公連立政権の時代となり、2009-2012年の中断を経て、今日まで続いている。10月27日の総選挙の結果、自公連立政権の時代は終わった。閣外協力の形態を含めて、今後どのような展開になるかわからない。「石破おろし」の動きが出てくるだろうが、「三木おろし」の例から見ても、現職の首相を辞めさせることは、本人が自ら辞めない限り困難である。場合によっては、「戦後最短の総選挙」もありうる。「連立政権」に向けて、有権者は選挙での各党・政治家たちの「公約」からの離反・裏切りはないか、しっかり監視する必要があるだろう。

  2024年は世界的「選挙イヤー」であるが、日本の総選挙の結果が出て、いよいよ来週は「本命」の米国大統領選挙である。それまでに妻と久しぶりに映画館に行き、米国映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を見て「予習」してこようと思う。

【文中敬称略】

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