6時間だけの非常戒厳令――映画『ソウルの春』の「効果」
2024年12月11日


1300万人が見た映画『ソウルの春』の影響

9月19日に韓国映画『ソウルの春』(2023年)を見た。平日の昼間だったが、けっこう観客がいた。韓国では、昨年11月に封切られ、観客動員数第1位で、これまでに1300万人が見たという。韓国の人口は5156万人だから、実に4人に1人がこの作品の観客となったわけである。そこには軍人も含まれているだろう。最近、Amazonプライムで二度目を吹き替えで見た。1979年12月の「粛軍クーデタ」「12.12軍事反乱」を描いた作品である。畳み掛けるようなサウンドと場面展開で、圧倒的な緊迫感が全編を貫く。大統領となる全斗煥がモデルの保安司令官(ファン・ジョンミン)と、これに抵抗する首都警備司令官(チョン・ウソン)を軸にして、その周辺で動き回る軍人たちを描き、あえて市民を登場させない(終盤にわずかに野次馬的に出てくるにすぎない)。大統領と首相、国防相以外の閣僚は登場せず、国会も国会議員も出てこない。あえて軍人たち、軍内部の動きに特化した作品といえるだろう。それゆえ、二つ星の少将が主人公で、三つ星の中将たちは右往左往するだけ。戒厳司令官の四つ星の参謀総長(チョン・サンホ)は状況をつかめず、哀れな末路をたどる。クーデタに加わらないのは憲兵監の准将(キム・ソンギュン)などわずか。恐ろしいのは、軍隊内の私的結社ともいえる「ハナ会」のメンバーかどうかが、実動部隊の動きに影響することだ。このあたりは、ネタバレになるので控えるが、北朝鮮と対峙する部隊をソウルに動かす命令を出す際、「北朝鮮は攻め込んでこない」と断言するあたり、思わずニヤリとさせる。最前線の第9師団長は全斗煥の盟友、盧泰愚(後の大統領)。腰が座らない愚将として描かれる。現代においても、軍隊内部に私的なグループができて、それが結束して暴走することがあり得るという現実を見せつけられる。日本でも、「2.26事件」の青年将校の背後に、軍中央の将官たち(戒厳司令官の香椎浩平中将ら)が関わっていた疑いがある。特定の政権と過度な関わりをする「政治的軍人」がいることでは、自衛隊も無縁ではない。

  9月に『ソウルの春』を見たあとに、以前に見た映画『タクシー運転手  約束は海を越えて』(2017年) を、Amazonプライムの吹き替えで再度見た。こちらは2017年、韓国で1200万人が見た大ヒット作である。市民・学生の体を撃ち抜く小銃弾の音と、兵士の銃から飛び出る薬莢をスローモーションで描くシーンには寒けがした。『ソウルの春』で描かれた「12.12軍事反乱」で権力を握った全斗煥が、戒厳令に抗議する市民・学生に対して、空挺旅団を投入して無差別殺戮を行った「光州事件」が舞台である。軍隊は自国民に対しても、命令さえあれば、ここまで残酷になれるのかと思い知らされる(直言「済州島「4.3事件」の現場へ」も参照)。なお、直言「軍が民衆に発砲するとき——旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港」を参照のこと。

    『ソウルの春』と『タクシー運転手』を見た多くの韓国人は、先週の12月3日夜に起きた出来事に対して、直感的に危機感をもったに違いない。夜中にもかかわらず、市民の動きは早かった。そして、命令を受けた軍の内部でも、これらの作品を見ている軍人がいて、「過去の再来」への危惧があったと推測される。特に、「12.12軍事反乱」を描いた『ソウルの春』を見た軍人たちは、いま自分たちに下された命令に従うべきかどうか、深刻に悩んだのではないか。私は、「12月3日」における軍の動きの「鈍さ」にこれが影響しているのではないかと考えている。

 

「48分が変えた歴史」―6時間で解除された「12.3非常戒厳」

12月3日夜、シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」代表の猿田佐世弁護士(水島ゼミ0期生) は、ちょうど国会前のホテルにいて、「戒厳令」の報にすぐに国会前広場に向かった。先週末に生々しい話を直接聞いたが、その迫真のレポートが、彼女が撮影した写真とともにAERA.dotに出ているので参照されたい。

 この日の夜10時25分、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は何の前触れもなく、突然、唐突に、「非常戒厳」を宣布した(韓国憲法77条1項)。大統領は、「戦時、事変又はこれに準ずる国家非常事態に際し、兵力をもって軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序の維持する必要があるとき」という要件をどのように判断したのだろうか。閣僚たちが弾劾を受け、妻のスキャンダルへの追及が「国家非常事態」に準ずるものと考えたのだろうか。まったく理解できないし、ほとんどの閣僚たちも政府の役人も軍人も国民も、誰もそのような「非常事態」が起きているとの認識はなかったのではないか。
  「非常戒厳」が出されたとき、ちょうど 直言「「台湾有事」とは何か」の更新作業中だったので、執筆してくれた陳韋佑氏に「追記」を書いてもらった。台湾の与党、民進党の議員が、この「非常戒厳」に好意的な書き込みをして「炎上」していることも伝えてくれている。 

 市民も国会議員も一斉に国会前に集まった。警察が市民や議員を近づけないように「警備」していて、議員が国会に入るのを阻止していた。戒厳令が出れば、立法・行政・司法の全権限が戒厳司令官に集中される。ところが、兵士の動きが妙におとなしい。「光州事件」の時のような凶暴な動きがまったくない。むしろ、議員や市民に押されて、後ずさりしている。右の写真は、8日のTBS「サンデーモーニング」の放送場面である。小銃から弾倉(20発入り)が抜かれているのがわかる。
   戒厳司令官の参謀総長も、テレビで戒厳を知ったという。信じられない。大統領と高校時代の友人だった国防相の金龍顕(キム・ヨンヒョン)が主導していたようである。戒厳司令官を差し置いて、国防相に個々の部隊の指揮権はないはずなのだが。

 10時40分、対テロ特殊部隊の第707特殊任務団230人がヘリコプターで投入された。敵の指導者を殺害する「断首部隊」の名称をもつ精強な部隊である。『ハンギョレ新聞』12月6日によれば、午後11時までに国会を占拠するように命令を受けていたようなのだが、実際の到着時刻は48分遅れの11時48分だった。ヘリは、大統領官邸などの半径3.7キロ以内に設定された飛行禁止区域を通らなければならない。空軍作戦司令部の許可が必要なのだが、空軍側は事情がよくわかっておらず、調整に手間取ったようである。ようやく国会に降り立ったときには、すでに与野党の議員たちは国会内に入って、職員たちとともにバリケードを作って立てこもっていた。兵士たちは0時34分から国会議事堂2階の事務本庁の窓を割って進入したが、テレビの映像を見る限り、動きが何ともたどたどしい。これがあの707なのかと驚くほど無様な進入の仕方なのである。

  警察機動隊の妨害にもかかわらず、190人の国会議員がそれを突破して国会内に入り、野党主導の「戒厳解除決議案」を可決した。憲法77条5項によれば、在籍議員の過半数により戒厳は解除される。300人の過半数は151人である。与党議員も賛成する190人全員一致の可決である。宣布からわずか6時間で解除され、「史上最短の戒厳令」となった。707特殊任務団の任務はヘリで国会を急襲して、「150人の議員を外に出す」ことを命じられていたから、野党による戒厳解除決議をさせないというのが任務であったことは明らかである。ヘリの48分の到着遅れが、憲法77条5項に基づく解除決議を可能にしたわけである。『ハンギョレ新聞』は「「48分」が歴史を変えた」という見出しを打っている。

 
命令に従わなかった軍人たち

 出動した部隊は、テーザー銃(スタンガン)や空包を使用するように指示されていたようである。参謀総長は、「特殊戦司令官に確認したところ、(国会に投入された兵力への)実弾の支給はなかったことを確認した」と述べている。また、この写真をご覧いただきたい。軽装甲偵察車(KLTV)が市民に包囲されて前進を阻まれているが、屋根上の防弾板には7.62ミリ機関銃が外してあることがわかる。

  また、非常戒厳で出動した兵力について、司令部には作戦記録残さなかったともいわれている(『ハンギョレ新聞』12月6日)。国防相は、特殊戦司令官と首都防衛司令官に口頭で指示し、部隊参謀には知らされなかったともいう。部隊が出動するとき、当該部隊は、状況日誌、作戦日誌を分単位で詳しく記録しなければならない。特別な状況が起きれば、別途詳報を作成する。この常識がなぜ守られなかったのか。何から何まで、国家の暴力装置の主軸である軍隊の運用にしては、あまりにも杜撰で、しかも実際の動きが鈍いのである。これは、大統領と国防相による軍隊の「私的使用」の疑いがあり、そのことを知った各級指揮官が任務をサボタージュした節がある。

  『中央日報』12月7日によれば、郭種根・陸軍特殊戦司令官(中将)は、「わたしが判断したとき、議員を引っ張り出すのは明白に違憲の事項なので、抗命になるだろうとは思ったがその任務は守らなかった」と明言している。これは、『朝日新聞』12月10日付夕刊である。国会に突入した707特殊任務団長の大佐は、「隊員は国防相に利用された被害者だ」と訴えている。対テロ特殊作戦部隊なので、メディアの前で話すことは認められていないが、この大佐は顔出しで、しかも名札を付けてカメラの前に立った。「隊員に罪はない。あるなら、無能な指揮官の指示に従った罪だけだ。…いかなる法的責任も全て私が負う」と述べた。覚悟のほどが顔に出ている。映画『ソウルの春』のラストに近い場面で、万事休すとなった首都警備司令官が部下に向かって放った言葉と重なる。この大佐は『ソウルの春』を見ていると確信した。

 緊急事態条項導入の改憲論の勘違い

韓国の事態が起きてすぐに、日本維新の会前代表の馬場伸幸や国民民主党憲法調査会長をやった菅野(山尾)志桜里などが、日本も改憲して緊急事態条項を整備する必要があると主張した。大甘な認識に驚くばかりである。8年前に直言「なぜ、いま緊急事態条項なのか―自民党改憲案の危うさ」をアップしてしっかり論じたので参照されたい。コロナ禍で、「憲法改正で緊急事態条項を」という「惨事便乗型改憲論」が浮上したが、コロナ禍の「緊急事態宣言」を本格的な緊急事態条項導入に連動させるのは適切な議論の仕方とは思えない。日弁連をはじめ、弁護士会は緊急事態条項の導入に批判的である。私は端的に、「緊急事態条項の3点セット」ということをいっている。すなわち、「集中、省略、特別の制限」である(直言「議員任期延長に憲法改正は必要ない―改憲論の耐えがたい軽さ」参照)。緊急事態条項をもつ国では、その誤用、濫用、悪用、逆用の経験くらい、どこでももっている。だから、どこの国でも、緊急事態条項を憲法に設けるときには、きわめて長期にわたる慎重な議論を踏まえている(直言「ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」」参照)。今回の韓国の事例は、緊急事態条項の濫用や誤用ではない。明らかに自己都合で国家の大権を使った、まさに「戒厳」の「私的利用」(私用)としか言いようがない。検察の捜査や議会での調査が進めば、尹錫悦大統領の「妄想」とその背景、それに付随する事情も明らかになるだろう。いずれにせよ、日本国憲法には、緊急事態条項がないこと自体が、この種の権力者の暴走に対しても高いハードルとなっていることを知るべきだろう。
   なお、今回、軍人が命令に従わないこと(抗命)が韓国で正面から問われている。参考として、直言「ドイツ軍少佐からの白バラ —— 軍人の抗命権・抗命義務」もお読みいただきたい。

   ここで、「12.3非常戒厳」について、韓国法が専門の水島玲央・中京大学教授に、この「直言」のために寄稿いただいた。短期間でのご執筆に感謝したい。今後、大統領弾劾に向かう動きについては、7年前の直言「韓国憲法裁判所による大統領弾劾審判―立憲主義と民主主義の相剋」を読んで「予習」しておくことをおすすめしたい。

《2024年12月11日脱稿》

 

尹錫悦大統領による非常戒厳 

―自由のための戒厳という自家撞着―

水島 玲央

 2024年12月3日の夜、韓国の尹錫悦大統領は突如戒厳令を宣布した。戒厳令を宣布する際に、主に次のような内容の緊急談話が発表された(全文は「大韓民国政策ブリーフィング」HP(韓国語)で閲覧可能)。

・政権発足以来、国会は多くの政府の官僚や検察の弾劾訴追をしたり、裁判官を脅したりするなど、行政府や司法府を麻痺させてきた。

・また国会は、薬物の撲滅や治安維持、子育てや若者の雇用など、さまざまな予算を削減しており、国家の財政を篭絡している。

・国会によるこうした行為は、立法の独裁を通じて司法と行政を麻痺させており、反国家行為である。

   ・従北共産勢力の脅威から自由大韓民国を守るために非常戒厳を宣布する。

 戒厳司令官となった陸軍大将の朴安秀は、1号布告例を発表した。その内容の全文は次のとおりであった(『聯合ニュース』(韓国語)12月3日参照)。

 自由大韓民国内部に暗躍している反国家勢力の大韓民国体制転覆の脅威から自由民主主義を守護し、国民の安全を守るため、2024年12月3日23:00付で大韓民国全域に次の事項を布告する。

1.国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモ等一切の政治活動を禁ずる。

2.自由民主主義の体制を否定し、転覆を企図する一切の行為を禁じ、フェイクニュース、世論操作、虚偽の扇動を禁ずる。

3.すべての言論と出版は戒厳司の統制を受ける。

4.社会の混乱を助長するストライキ、怠業、集会行為を禁ずる。

5.専攻医をはじめ、ストライキ中または医療現場を離脱したすべての医療人は48時間以内に本業に復帰して忠実に勤務し、違反時は戒厳法によって処断する。

6.反国家勢力等の体制転覆勢力を除外した善良な一般国民は、日常生活の不便を最小化できるよう措置する。

以上の布告令違反者に対しては、大韓民国戒厳令9条(戒厳司令官特別措置権)により令状なく逮捕、拘禁、押収捜索をすることができ、戒厳法第14条(罰則)によって処断する。

 

戒厳令を宣布し、国会の活動を停止させるため、軍が国会に向かったものの、すでに先に集まっていた190人の与野党の国会議員が全員一致で解除の要求を行ったため、尹大統領は6時間あまりで戒厳令を解除した。

 以上が、今回の尹錫悦大統領の戒厳令に関する主な流れであった。

 

韓国における国家緊急権の装置

 韓国では、大統領の権限として、国家緊急権が付与されている。具体的には大韓民国憲法76条2項で緊急命令、同条1項で緊急財政経済命令、77条で戒厳令が挙げられる。緊急命令とは、国家の安危に関わる交戦状態において、国会の集会が不可能な場合に発する、法律の効力を有する命令である(76条2項)。

緊急財政経済命令とは、「内憂、外患、天災、地変又は重大な財政及び経済上の危機」の際に、国会の集会を待っていられない場合に発する法律の効力を有する命令である(76条1項)。民主化以降、緊急財政経済命令が発せられたことは1度しかなく、1993年8月の金泳三政権時代に金融実名制を導入する際に発令し、実名での口座の登録を推進した。

2020年に新型コロナが世界的に流行したとき、韓国の大邱広域市で感染が急拡大した際に、当時の權泳臻市長が大統領に緊急命令の発令と救助を求めたことがあった。だがパンデミックはこれらに該当しないため、緊急命令や緊急財政経済命令が発令されることはなく、感染病予防法や検疫法、医療法といった既存の法律を改正することで対応した。なお、日本では新型コロナに対応できるよう、憲法を改正して国家緊急権の導入を主張する意見もあったが、実際に国家緊急権を有する韓国はそれを利用することなく新型コロナに対応したのであった。

 それから戒厳令は、「戦時、事変又はこれに準ずる国家非常事態に際し、兵力をもって軍事上の必要に応じ、又は公共の安寧秩序を維持する必要があるとき」に発することができるとしている(77条1項)。戒厳令には非常戒厳と警備戒厳という2種類があり(同条2項)、非常戒厳は「戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態時に敵と交戦状態にあるか、社会秩序が極度に攪乱され行政及び司法機能の遂行が顕著に混乱した場合に、軍事上の必要により公共の安寧秩序を維持するため」のものである(戒厳法2条2項)。

一方、警備戒厳は「戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態時、社会秩序が攪乱され、一般行政機関だけでは治安を確保できない場合に、公共の安寧秩序を維持するため」のものとされる(同条3項)。

 今回の尹錫悦大統領の戒厳令は非常戒厳であったが、前述の緊急談話にもあったように、国会が行政府と司法府を麻痺させたとして、その要件に当てはめたようである。

 戒厳令が宣布されると、「法律の定めるところにより、令状制度並びに言論、出版、集会、結社の自由及び政府又は法院に関して、特別な措置を講ずることができる」(憲法77条3項)。そのため、今回の戒厳では国会と地方議会の活動や集会が禁じられ、言論と出版が統制を受けるという、憲法が保障する表現の自由に制約を加えようとしたのであった。

 なお、戒厳令については、憲法で解除についての規定もみられる。憲法77条5項では、「国会が、在籍議員過半数の賛成により、戒厳の解除を要求したときは、大統領は、これを解除しなければならない。」という規定を置いている。意外にも、こうした解除規定は民主化以前の憲法でもみられており、朴正熙政権時代の1972年憲法54条5項、全斗煥政権時代の1980年憲法52条5項でも、在籍議員過半数の賛成で解除できる旨規定されていた(1962年憲法では国会による解除規定はあるが過半数という要件はなく、それ以前の憲法では解除規定はみられず)。ちなみに、民主化以前の戒厳令のほとんどは、李承晩政権時代と朴正熙政権時代に宣布されており、権威主義体制時代の産物であったことが伺える。

 ところで、国会の在籍議員の過半数の賛成で解除できると規定していても、国会が封鎖されてしまっては、そもそも国会を開くことができなくなってしまう。そこで今回の戒厳令下では、軍が国会に到着するよりも前に、与野党の190人の国会議員が夜間に国会に集まり(現在の韓国の国会の定数は300)、190人全会一致で解除に賛成をしたのであった。今回の戒厳令はわずか6時間ほどで解除されたと報道されたが、実質的には戒厳令は完全に失敗に終わったということを意味している。

 

「非常戒厳」宣布の政治的背景

 ではなぜ、尹錫悦大統領はこの期に及んで非常戒厳を宣布しようとしたのだろうか。これについては、現在の韓国の複雑な政治状況が原因として考えられる。
   尹錫悦大統領は2022年5月から大統領に就任したが、2020年4月の第21代国会総選挙では、前任の文在寅大統領の所属政党「共に民主党」が国会の最多議席を獲得していた。そのため尹錫悦大統領にとっては「与小野大」という、いわば立法府と行政府の「ねじれ現象」のなかで政局の運営を迫られることになった。

2024年4月には第22代国会総選挙が行われたが、ここでも与党「国民の力」は苦戦を強いられた。党内で足並みが揃わなかったことや(例えば尹錫悦大統領は「地方の時代」を提唱していたのに対して、韓東勲党代表は「メガソウル」構想を掲げた)(『朝鮮日報』(韓国語)8月14日の記事参照)、金建希大統領夫人の収賄疑惑などもあり、与党は惨敗を喫している(なお尹錫悦大統領はこの選挙結果を不審に思っていたようで、戒厳令を宣布した際には果川市にある中央選挙管理委員会にも軍を派遣している)。

そのため、「与小野大」現象がさらに深刻となり(『朝鮮日報』2024年4月11日の記事によれば「過去最大の与小野大」)、政府が提出した予算案さえもが、いわば「政争の具」とされて通らないことに、苛立ちが高まっていったようである。

また、近年では政府と野党のあいだで、互いの政治生命の潰し合いのようなスキャンダル合戦が激化していたようにもみえる。例えば、大統領サイドは、前述の金建希大統領夫人の収賄疑惑をはじめ、戒厳令宣布の直前である2024年11月には、選挙の公認をめぐって夫人が選挙ブローカーと接触した政治介入疑惑が生じるなど、夫人がさまざまな疑惑を受けてきた。これについては与党からも批判がみられ、韓東勲党代表は、尹錫悦大統領に謝罪と夫人の活動中止を要求しており、すでに与党内でも溝が生じていたようである。

一方、野党側をみると、李在明「共に民主党」代表(2022年の大統領選挙で尹錫悦と争った)がソウル郊外の城南市長を務めたときに収賄や背任を行った疑いや、京畿道知事を務めたときに北朝鮮に不正送金をした疑いなどで起訴された。李在明代表はこのほか、大統領選挙において虚偽の発言をしたことが公職選挙法違反であるとして、2024年11月には地裁で有罪判決を受けている。

こうしたなか、度重なるスキャンダル合戦(しかも大統領自身よりもむしろ夫人が攻撃のターゲットとなっている)や、「与小野大」での政局運営の困難さから、今回の戒厳令に踏み切ったものと思われる。民主化以前の韓国の戒厳令の多くは、権威主義的な大統領によって「反共」の名のもとに宣布されたようなのに対して、今回は大統領がいわば「雁字搦め」のような状況に置かれたなかで、「起死回生の一手」のごとく宣布したという点で、従前のものとはやや性質が異なっているようにもみえる。特に最近では、大統領執務室の移転(2022年に青瓦台から国防部へ)に関する監査が不適切だったとして監査院長を弾劾訴追したり、金建希夫人を不起訴としたことを理由に検察官を弾劾訴追したりするなど、国会は野党の意に沿わない公務員に対して次々と弾劾訴追を行っている(朝鮮日報は社説でこうした野党の行為を「国会暴走」と強く批判している(『朝鮮日報』HP12月6日社説 参照)。

だが戒厳令とは、大統領に一時的に大きな権限が集中することを意味する。いくら「与小野大」で政局の運営が困難であるからといって、国民の選挙を通じて選ばれた議員で構成される国会を停止させてしまう行為は、三権分立の軽視につながるため、民主的正当性のある行為だとはいえないであろう。また、集会や言論を制限することは、国民の基本的人権にも大きな制約を加えることになる。つまり戒厳令は、「自由大韓民国を守るために」政敵を黙らせたとしても、憲法の両輪である人権と統治(三権分立)の両方をも損なうことになってしまう。それは一般国民にとっては到底受け入れられることではないだろう。

それから、韓国では大統領の任期(5年)と国会議員の任期(4年)でサイクルにズレがあるため、「与小野大」現象自体は、決して珍しいことではない。過去の有名な例としては、2004年3月に盧武鉉大統領(当時)が国会で弾劾訴追を受けたときも、当時の国会は野党「ハンナラ党」(現在の「国民の力」)が最多議席を有していた(だがその翌月に行われた第17代国会総選挙で、当時の与党「開かれたウリ党」が最多議席を獲得して「与小野大」は解消されている)。

 

「戒厳令」は必要だったのか―若干の法的考察

今回の戒厳令が、果たして本当に必要なことだったのだろうか考えてみると、まず憲法77条1項が掲げる、「戦時、事変又はこれに準ずる国家非常事態」に今回のケースが当てはまるかどうかは非常に疑問である。戒厳法2条2項では非常戒厳の要件を「戦時・事変又はこれに準ずる国家非常事態時に敵と交戦状態にあるか、社会秩序が極度に攪乱され行政及び司法機能の遂行が顕著に混乱した場合」(下線は筆者)としているが、現在の「与小野大」の国会が、行政府と司法府を「顕著に混乱」させていたとしても、他に国民の基本的人権を制約しない方法はなかったのかどうか、冷静さを欠いた判断であったように思われる。

 戒厳令下では軍が国会に侵入する際に、国会周辺に集まった市民たちと一触即発の場面もみられたが、幸いにも市民が攻撃されることはなかった。1980年の光州事件ではデモに参加した市民を軍が武力で鎮圧したことは有名である。また戒厳令下ではないが民主化直前の1987年の「6月民主抗争」では、警察が放った催涙弾がデモに参加した大学生の頭部に直撃して死亡するという事件も起きている。だがすでに民主化して30年以上が経過した現在の韓国では、もはやかつてのような乱暴な鎮圧は不可能だったのであろう。民主主義が成熟した韓国社会ならびに韓国の人々の良心が、過熱化した政争における極端な判断を止める役割を果たしたのだとみることもできよう。

戒厳令が失敗に終わった今後、尹錫悦大統領を取り巻く環境は厳しいものとなるであろう。すでに野党は弾劾訴追案を提出した(但し与党が投票を棄権したため可決せず)。今回弾劾訴追されなかったとしても、韓国の歴代大統領の多くが退任後に平穏に余生を過ごせなかったように、尹錫悦大統領もまた今回の件を追及されることが考えられる。

 韓国の刑法87条では内乱罪について規定しているが、「国憲を乱す目的で暴動を起こした者」を処罰するとしている。そのため1997年4月17日に韓国の大法院(最高裁判所)は、軍を掌握していた全斗煥と盧泰愚らが、1980年5月17日に非常戒厳を全国に拡大して(※もともと朴正熙の権限代行を経て「つなぎ役」のような大統領だった崔圭夏がこれを追認してしまった)国会を封鎖したことなどについて、内乱罪にあたるとしたことがある。今回も国会を封鎖しようとしたという点において全斗煥らの例と似ているため、内乱罪が適用される可能性が指摘されている(『ハンギョレ新聞』(韓国語)12月4日の記事参照)。

 また韓国の憲法学者は、憲法77条4項で「戒厳を宣布するときは、大統領は、遅滞なく国会に通告しなければならない」としていることから、戒厳令で国会を封鎖することまでは認められないと解釈している(朝鮮日報HP(韓国語)12月6日の記事における金善擇の意見参照)。こうした見解に立てば、今回の戒厳令は憲法違反ということにもなるだろう。

  尹錫悦政権となり、日韓関係も徐々に好転してきたなかで、今回のような事態となってしまったことは、自由民主主義という価値を共有する隣国の者として、非常に残念でならない。野党による弾劾訴追案(『朝鮮日報』(韓国語)12月5日の記事)では、次のように批判している。尹錫悦大統領が、「価値の外交という美名の下に地政学的均衡を度外視したまま北朝鮮と中国、ロシアを敵対視し、日本中心の奇異な外交政策に固執し、日本に傾倒した人事を政府の主要な職位に任命するなどの政策を行うことで、東北アジアにおける孤立を招き戦争の危機を触発させ、国家安保と国民の保護義務を放り出してきた」と。野党は日韓関係よりも、北朝鮮をはじめ中国やロシアとの関係を非常に重視している様子がこの文面からも伺える。

  現在の民主化した韓国においては、他の権力機関と基本的人権に制約を加える戒厳令は、自由を守るための手段にはなりえない。今回の件で、尹錫悦大統領は結局多くの国民から信頼を失ってしまったようにみえる。もし野党の行為が不当なものであるならば、戒厳令ではなく4年後の選挙を通じて国民が審判すべきことであり、それこそが自由民主主義であろう。激烈な政争の行きついた先が、今回の戒厳令となったようなので、もはや国民がそっちのけになってしまっている。政府も野党も、国民あっての政治であるということを今回の件で再認識する必要があるのではないだろうか。 
                                                                                                                                                                             《2024年12月11日》

(中京大学教養教育研究院教授・憲法、韓国法)

 

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