2024年

2024/11/13:雑談(147)音楽よもやま話(35)「ウクライナ戦争」で音楽監督を辞任したロシア人指揮者のブルックナーを聴く

2024/11/06:「もしトラ」から「いまトラ」へ――2024年米国大統領選挙と日本

2024/10/28:低投票率のもとでの「過半数割れ」――日本の「連立方程式」

2024/10/21:「ウクライナ戦争」はなぜ終わらないのか――「不都合な真実」もろもろ

2024/10/14:戦後最短で衆院解散――解散権濫用の常態化?

2024/10/12:【緊急直言】日本被団協にノーベル平和賞――「ヒロシマ・ナガサキ80年」を前に

2024/10/7:軍事的合理性にこだわる首相の誕生――「最短」総選挙の後に

2024/9/30:石破茂内閣発足の意味――「改憲大連立」への道?

2024/9/23:雑談(146)定年退職後半年の時点で――「再出発」に向けて

2024/9/16:雑談(145)「食」のはなし(20)ドイツパン

2024/9/9:自由民主党第2代総裁のこと――時代は「誰」を求めるか !?

2024/9/2:「クルスクの戦い」81周年のリアル――ゼレンスキーの「一撃講和」戦略?

2024/8/26:特攻の「思想」――NHKスペシャル『“一億特攻”への道』など

2024/8/19:またも夏の「政権たらい回し」――メディアの惰性を問う

2024/8/12:オリンピックと政治と戦争と――ロシアとイスラエル

2024/8/5:3選した都知事の罪――虚偽事項公表罪を中心に

2024/7/29:「不死身のトランプ」の帰還?――AR-15と全米ライフル協会

2024/7/22:2人の米空軍兵長のこと――酒気帯び運転と性暴力事件

2024/7/15:NATOグローバル化のパラドックス――「米国以外の国に戦争をやらせる体制」

2024/7/8:安倍晋三殺害から2年――踊る岸田政権

2024/7/1:「7.1閣議決定」から10年――徳島で考える

2024/6/24:雑談(144)奥島孝康・元早大総長のこと

2024/6/17:ベース(基地)の思想――朝日新聞インタビューへの補足

2024/6/10:国民は政治を「自分事」にできるか――岸田流「他人事」の1000日を前に

2024/6/3:ダービー前日のストライキ――憲法28条があることの意味

2024/5/27:ドイツの「憲法記念日」(その2・完)――「防御的民主制」が焦点に

2024/5/20:ドイツの「憲法記念日」(その1)――フランクフルト憲法175年とボン基本法75年

2024/5/13:防衛副大臣の「適性評価」は大丈夫か――「セキュリティ・クリアランス」制度の落とし穴

2024/5/6:憲法記念日に朝ドラ『虎に翼』を見る――日本国憲法施行77年に

2024/4/29:政治家にとっての「学位」とは──剽窃・盗用と詐称・粉飾

2024/4/22:大軍拡の時代――「行動原理としての戦争適性能力」

2024/4/15:「戦争可能な正常国家」――日米軍事一体化と「統合作戦司令部」

2024/4/8:雑談(143)大学教員のお仕事(その3・完)――「人生のVSOP」と「出会い」再論

2024/4/1:ネタニヤフ政権はなぜ、ガザをここまで破壊するのか――選挙制度にも問題

2024/3/25:さようなら、早稲田大学――大学入学から52年

2024/3/18:わが歴史グッズの話(53)研究室の転進に寄せて――「歴史グッズ」入手の挿話も

2024/3/11:「1.1大震災」から70日――なぜtoo late, too littleは繰り返されるのか

2024/3/4:今こそ「納税者の権利宣言」を――政治家に「納税の自由」はない

2024/2/26:「祖国のために戦えるか」「戦う覚悟」とは何か――「2.26事件」88周年に

2024/2/19:雑談(142)音楽よもやま話(34)「世界のオザワ」のこと――ブルックナーとP-51

2024/2/12:雑談(141)「食」のはなし(19)博多手一本「祝うてサンド」から考える

2024/2/5:政治家たちの「再犯」防止のために――底が抜けた日本政治

2024/1/29:「市民感覚の大規模デモ」――極右の「再移民」計画に抗して

2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括

2024/1/15:2024年は世界的「選挙イヤー」――「地球人口の半分が投票所に」

2024/1/8:「北陸大震災」と政治――「危機」における指導者の言葉と所作(その5)

2024/1/1:「次世代」と広島を訪れ、ヒロシマを考える―2024年の抱負

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