「政治改革」で問われ続けていること――31年前の記録と記憶
2025年1月15日

◆5年前に直言「阪神・淡路大震災から四半世紀」をアップしました。この機会にお読みください。







 1994年「政治改革」の風景――関東地方大雪の日に

の3枚の写真は、「政治改革」関連4法案についての31年前の新聞切り抜きの束のなか選んだものである。読んでみると国会の緊迫した状況が追体験できる。変色した古い紙面を眺めていて、いろいろと気づいた。当時、広島大学に勤務していたので、『朝日新聞』は大阪本社10版である(東京の家族は自宅で東京本社版をとっていたので14版)。
  1994年1月21日(金)の参院本会議。法案は12票差で否決された。連立与党の社会党から反対者が出たからだ(自民党から5人賛成)。「小選挙区比例代表並立制」は小選挙区制に偏った制度だったので、連立与党のなかでも反発があった。小選挙区制になれば、特に社会党は消えることがはっきりしていた。だから、当時、社会党幹部は、「毒饅頭を食べるようなもの」と評した。実際、96年の選挙はこの制度で実施されて、社会党は消滅過程に入る(直言「「毒饅頭」10年目の効果」)。

なお、法律の場合、両院で可決されることが原則だが(憲法59条1項)、参議院が異なる議決をしたときは、衆議院は両院協議会の開催を求めることができる(59条3項)。31年前の1月26、27日と2度の両院協議会が開かれたが、成案を得られなかった。こういう場合、衆議院が出席議員の3分の2の多数で再議決すれば、法律となる(59条2項)。「政治改革」関連4法案も、衆議院の再議決が焦点となった。だが、参議院で「造反」が出たトラウマから、自民党も連立与党も「再議決」を回避しようとした。そこで土井たか子衆院議長の仲立ちで、1月28日夜、細川護煕首相、河野洋平自民党総裁の「トップ会談」が開かれ、4法案に関する「合意」が成立した。これが上記の2つ目の写真である。翌29日、第3回両院協議会で、衆議院議決通りの協議案が可決され、それが同日、衆議院と参議院でそれぞれ可決され、法律として成立した(以上、前掲「直言」参照)。

 成立したのは、参議院で否決された法案だった。参院二院クラブの西川きよし議員(お笑いタレント)は、「細川さんには開かれた政治を期待していたのに、結局、談合政治になってしまった」と批判し、法案に反対した社会党の兵庫・島根の県本部は「空中分解寸前」と書かれた(『毎日新聞』大阪本社版29日付夕刊)。

「トップ会談による合意」がなされた日、東京は朝から雪で、国会周辺でも7センチの積雪を記録した。「前夜から政治改革関連法案をめぐる、ぎりぎりの与野党合意で揺れた国会周辺も一面の銀世界。波乱の予兆か、それとも清めの雪か」と情緒的表現で伝えた(『毎日新聞』29日付夕刊)。広島でこの知らせを聞いた私は、両院協議会での議論が続いているなかでの議長「斡旋案」提示と「トップ会談」での合意に驚いた。参院否決の法案が成立した例はない。「政治改革を唱える人が密室で、否決された法案を生き返らせた。小選挙区の数を増やし、企業献金の枠を拡大する改悪をした」という批判も出た(同上)。31年前の空気を『毎日新聞』30日付社説から引用する。

「…政治改革はもともと、ロッキード事件からリクルート、共和、佐川、金丸事件にゼネコン汚職事件と、相次ぐ底なしの政治腐敗に対し国民の激しい糾弾と批判、頂点に達した政治不信を背景として、政治腐敗の深奥にある金権構造にメスを入れ、政治とカネのただれた関係を絶つために提起され、取り組みが始まった。…金権腐敗政治の温床となってきた企業・団体献金は、結局、修正政府案より後退して「一団体に限る」としながらも政治家個人への献金を認めてしまった。企業・団体献金の即時全廃を求める世論に全く応えていない。…政治資金の透明性確保も不徹底に終わった。政治家が政党の地域・職域支部の代表となることで、政党への献金という名目で企業献金をおおっぴらに受け取ることが出来る“抜け道”問題も未解決のままだ。…こうした趣旨からすれば、政治腐敗につながりやすい企業献金の存続は、公費助成の建前と矛盾するばかりか、“二重取り”の批判は免れない。「五年後の見直し検討」といったあいまいな表現では国民は納得しない。「廃止」と明記するだけでなく、可能な限り速やかに全廃に踏み切るべきだ。…」

 私は1991年3月、石川真澄・朝日新聞編集委員(当時)らと『日本の政治はどうかわる―小選挙区比例代表制』(労働旬報社)を出版した。そこでは、当時の「政治改革」の議論が、政権交代を可能にする「民意の集約」を重視して、「民意の反映」を損なうおそれのある制度であることを批判した。その際、私が重点を置いたのが、政党に対する国庫助成の制度(政党助成法)だった。42年前に学会報告でドイツの政党国庫助成制度を批判的に検討したが、それがベースになっていた。1994年の「政治改革」では、税金を使って政党の活動を「助成」する前提として、企業・団体献金の禁止が鋭く問われた。妥協として、1つの団体に限って献金を認め、かつ5年をめどに「見直す」ということが確認された。献金をもらいながら、税金の助成を受けるのは「二重取り」というのが、当時、いわば常識だった。

 

八幡製鉄政治献金事件最高裁判決の誤読

昨年、12月24日、参議院本会議で、政策活動費の全面廃止などを盛り込んだ政治改革関連法が可決・成立した(『毎日新聞』2023年12月24日付)。自民党派閥の裏金事件を受けて昨年6月に改正された政治資金規正法は、「政治とカネ」に関する国民の強い批判によって、わずか半年で再改正された。他方で、政治とカネをめぐる最大の争点だった企業・団体献金禁止の議論は先送りとなった。

石破茂首相は、企業・団体献金の禁止について、一貫して「禁止ではなく、公開」という立場をとった。12月10日の衆院予算委員会で石破首相は、「企業も表現の自由を有している。企業・団体献金を禁ずることは少なくとも、憲法21条(表現の自由)に抵触すると思う」という答弁を行った(各紙12月11日付)。これには驚いた。慶応大学法学部卒の首相は、必修科目「憲法」(田口精一教授)を受講しており、1970年の「八幡製鉄政治献金事件」最高裁判決についても学んでいるはずである。

 このケースは、代表取締役が行った自民党への政治献金が、会社の目的の範囲内の行為といえるかどうかを争うもので、憲法の講義では、いわゆる「法人の人権」論のところで扱う重要判例である。最高裁判決は、憲法第3章で保障される権利が、「性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用される」と解釈して、会社も、「自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有する」とした。判決は、「豊富潤沢な政治資金は政治の腐敗を醸成するというのであるが、その指摘するような弊害に対処する方途は、さしあたり、立法政策にまつべき」として、「憲法上は、公共の福祉に反しないかぎり、会社といえども政治資金の寄附の自由を有するといわざるを得」ないと判示している。企業・団体献金が政治腐敗を生む可能性を認め、法律でそれを規制することを否定していない点が重要である。だから、この判決を根拠に、企業・団体献金の禁止は憲法21条に違反するなどという結論はとうてい導き出せない。石破首相の主張は根拠がない。

 ちなみに、この事件の一審の東京地裁判決(1963年4月5日)は、明確に次のようにいう。本件の政治献金は、「自由民主党という特定の政党に対する政治的活動のための援助資金であるから、特定の宗教に対する寄附行為と同様に、…一般社会人が社会的義務と感ずる性質の行為に属するとは認めることができない。政党は、民主政治においては、常に反対党の存在を前提とするものであるから、凡ての人が或る特定政党に政治資金を寄附することを社会的義務と感ずるなどということは決して起り得ない筈である」。そして、「その行為をなした取締役の定款違反乃至忠実義務違反の責任を免除する理由とはなり得ない」として、原告の請求を認容していた。

なお、石破首相は最高裁判決の誤読をしたが、ライバルだった安倍晋三も砂川事件最高裁判決を誤読して、これを強引に押しつけたことは記憶に新しい(直言「「100の学説より一つの最高裁判決だ」?!―安倍政権の傲慢無知」参照)。 

 

31年前の「トップ会談」の当事者の認識

先月23日、衆院選挙制度改革を目指す超党派議員連盟の会合で講演者として招かれた河野洋平元自民党総裁は、1994年の政治改革を振り返り「企業・団体献金をやらないために政党助成金を導入した」と改めて主張した。石破首相は「(河野氏のような)意識を持った者は、少なくとも自民にはいなかったと思う」と国会で答弁しているが、河野氏は「(石破氏は)その時は自民党にいなかったはずだ。いなかったから、わからないんだろう」と語ったという(『毎日新聞』2024年12月24日付)。これは痛烈な皮肉である。1994年当時、石破氏は自民党を離党して、新生党に所属していた。

  ちょうど1年前、河野氏は、細川護熙元首相とともに『東京新聞』のインタビューに応じている(同紙2024年1月28日付)。そこで 河野氏は企業・団体献金の全面禁止に踏み込まない自民党内の議論を「無責任な議論だ」と批判してこういう。企業・団体献金禁止の議論は「(94年の時点で)終わっているはずだ」「自民党は(2023年で)約160億円もの公費助成を受けておきながら、やめると約束した企業・団体献金の『もらい方』の議論をしている」「政党交付金の導入を決めた立場からいえば、全く意味がない、無責任な議論だ。企業・団体献金をやめないなら、政党が国民の税金から交付金をもらうなんてことはやめたらいい」と。

一方、細川氏も、「企業・団体献金は5年たったらやめるという約束を直ちにやることが第一だ。ほごにされては困る」と苦言を呈した。

31年前の当事者の認識からすれば、政党交付金を導入した以上、企業・団体献金は禁止するということが前提になっていたことがわかる。自民党元総裁が、石破現総裁の認識を正面から否定していることはもっと知られていい。河野氏は小選挙区制導入も失敗だったといっている。

 

「衆院の小選挙区制は失敗だった」(河野元総裁)

   選挙制度「改革」について細川氏は、「私はほぼ、合格点はいったと思っている。ただ、選挙制度について言えば、野党(自民党)の反対で定数が小選挙区300、比例200と、比例が少なくなった。これは早く、(連立与党が当初検討していた原案のように)小選挙区と比例を同数にしてもらいたい」と語っている。小選挙区250、比例代表250が「並立制」の当初案だった。それが300対200になり、2000年に比例代表が一割減となって300対180、現在では289対176である。62%が小選挙区選出である(比例代表も、11ブロック制の採用で比例効果を縮減)。私が小選挙区に偏った「偏立制」と評する所以である。細川氏は、今より比例代表の割合が増える「並立制」に変えるべきだと主張しているわけである。一方の河野氏はもっと激しく、「小選挙区制は失敗だった」と断ずる。  「大変責任を感じているが、失敗だったと思う。小選挙区制にもいろんなやり方があるから全部がだめとは言わないが、今、目の前で行われている選挙は、候補者を党の執行部が一本に絞ってしまい、とても多様性に対応しているとは思えない。小選挙区制がうまくいっている国は、候補者選定のための予備選挙がフェアな形で行われるとか、長い歴史や経験を積んで、あるべき姿を求めてできている。できるだけ早く修正してほしい」 と。

現在の選挙制度を生み出した当時の自民党総裁の言葉は重い。私は、直言「「平成」の30年間は民主主義の劣化―小選挙区比例代表「偏立」制の罪」をアップして、この30年あまりの日本政治を腐らせた背景に、小選挙区制による政党と政治家の劣化があると指摘している。

 個人的には、この国には中選挙区制が一番合っていると考えている。25年ほど前に、加藤紘一会長時代の自民党宏池会の勉強会に招かれ、ドイツの司法制度について講演したことがある。その7年後、早稲田祭で加藤氏が講演した際にもお会いしたが、中選挙区制がいいと述べていたことが印象に残っている。

なお、ほとんど注目されていないが、1月6日の年頭会見で石破首相は、小選挙区制の見直しに言及している。具体的には触れなかったが、昨年の自民党総裁選では、「中選挙区連記制も一つの選択肢だ」と語った経緯がある。定数が2人以上の選挙区で、有権者が2人の候補者に投票できる仕組みである(『朝日新聞』2025年1月15日付)。

30年以上前の「政治改革」論議について、国会における当事者だった政治家たちも数少なくなった。石破首相はほとんど本心を隠しているが、河野元総裁や加藤元幹事長の主張には内心共感しているはずである。企業・団体献金の禁止と、小選挙区に偏った現行選挙制度を改めていく、さらなる政治改革が必要である。

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