ドイツ滞在の趣旨(3月28日付「直言」より抜粋)ドイツ基本法は1956年3月、その第7次改正において、包括的な軍事法システム=防衛憲法(Wehrverfassung)を導入した。今月はその60周年にあたる。第7次改正では、軍人の基本権保障、連邦軍に対する徹底した議会統制、軍事オンブズマンの制度など、軍事に対する立憲的統制のモデルが導入された。これは他国の制度にも参考にされていった。前回の1999年のボンでの在外研究は「基本法50周年」のさまざまな問題について現地で研究することだった。今回は、60年を迎えるWehrverfassungの規範(理念)と現実についての研究を深めることが狙いである。
日本でも焦点になりつつある憲法改正と緊急事態条項について、ドイツの規範と現実について再度調べ、新たな情報や知見を収集してきたいと思っている。ボンの近郊にある「連邦憲法諸機関退避所」も17年ぶりに訪れたい。また、ボンのおもしろさは、「西ドイツ」と呼ばれた時代の首都50年の歴史そのものにある。ボンで制定された西ドイツの憲法は「ボン基本法」と呼ばれた。それに先行する州(ラント)憲法も魅力的である。半年でどこまでできるかわからないが、上記の問題についてもいろいろ調べてみたいと思っている。
それにしても、かつてとは違った意味で、ドイツもヨーロッパもきな臭い雰囲気に包まれている。フランスでのテロ事件に続き、3月22日、ベルギーのブリュッセル国際空港と地下鉄で爆弾テロ事件が起きた。ブリュッセル経由でボンに入る便を予約したのだが、直前にフランクフルト直行便に変更した。
ドイツでは、ボンの隣のケルンの中央駅前で、大晦日にアラブ系・北アフリカ系の人々によるドイツ女性に対する集団性暴行事件が起きた。これにより、難民問題でメルケル政権は苦境に陥った。「ペギーダ」(PEGIDA)、すなわち「欧州イスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人」(Patriorische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlands)が旧東ドイツのドレスデンから始まり、西の各地でも活動を展開している。写真はその集会の模様である。「イスラムにチャンスはない」「偽装難民に莫大な金がかかる」というプラカード。3月13日には、3つの州議会選挙で、反ユーロ、反移民の右翼ポピュリズムの政党「ドイツの選択肢」(AfD)が大量得票した(東のザクセン・アンハルト州では、初参加なのに24%を得て第2党に躍り出た)。集団暴行事件に右派政党の躍進。ドイツでも爆弾テロの危険性がいわれている。まさに「きな臭い出迎え」である。
今回は半年の滞在であり、かつ還暦をとうに過ぎて気力、体力、知力などが総合的に衰えてきているので、40代半ばの時のように車でヨーロッパ各地を取材してまわることはむずかしい。更新のないドイツの運転免許証(Führerschein)をもっているので、必要に応じてMietwagen(レンタカー)を使うことになろう。かつてスイスの大トンネルで恐怖体験をしたときの「お守り」を身につけて。
2016/3/28:きな臭い見送りと出迎えと、再び――「ドイツからの直言」へ
2016/4/4:17年で変わったこと、変わらないこと――ドイツからの「直言」(1)
2016/4/11:「自由」と「安全」と――ドイツからの「直言」(2)
2016/4/18:難民問題が与えるさまざまな影響――ドイツからの「直言」(3)
2016/4/25:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その1)
2016/5/2:再訪・政府核シェルター――緊急事態法の「現場」へ(その2)
2016/5/9:外国人管理の現場へ――安倍首相の欧州「首脳外食」を横目に
2016/5/16:25年ぶりのドイツの「軍拡」――第7次基本法改正60周年に
2016/5/23:雑談(112)ドイツの生活(1)トイレ編――トイレの話(その3)
2016/5/30:ドイツ基本法67周年の風景――「自由の敵」のかたち
2016/6/6:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その1)――アルメニア人集団殺害決議
2016/6/13:過去といかに向き合うか、その「光」と「影」(その2・完)――ヒロシマとヴェルダン
2016/6/20:ベルリン首都決定の25年――ライン川からシュプレー川へ
2016/6/27:「連合」の終わりの始まり?――国民投票の悩ましきAmbivalenz
2016/7/4:「大後悔」の一票にしないために――参議院「国権の再考機関」の選挙
2016/7/11:「政治家の資質」を問う――『職業としての政治』再読
2016/7/18:「戦争に勝者はいない」ということ――ヴェルダンで考える
2016/7/25:スターリングラードの「ヒロシマ通り」――独ソ開戦75周年(1)
2016/8/1:ロシア大平原の戦地「塹壕のマドンナ」の現場 へ――独ソ開戦75周年(2)
2016/8/8:「収容所群島」とグラーク歴史博物館――独ソ開戦75周年(3・完)
2016/8/15:象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務
2016/8/22:ペギーダの「月曜デモ」――「ベルリンの壁」崩壊から27年(1)
2016/8/29:ドイツで「冤罪事件」に巻き込まれる――車内改札制度の盲点
2016/9/5:連邦憲法裁判所に入る――建物の軽さと存在の重さ
2016/9/12:さようなら、ボン!(その2)――ドイツ基本法の故郷を歩く
2016/9/26:変わったこと、変わらないこと――「ドイツからの直言」最終回
「ドイツからの直言」・補遺
2017/2/20:雑談(114)ドイツでの生活(2-完)+音楽よもや話(22)ドイツで聴いた音楽
2017/5/8:ドイツ国旗はデモ隊の旗だった――「ハンバッハ祭」のこと
2019/2/25:右翼ポピュリズムと憲法理論――ベッケンフェルデ民主制論の悪用
2019/5/20:ドイツ基本法70周年の風景――「愛すべき基本法」と「みっともない憲法」?
2019/6/17:軍が民衆に発砲するとき――旧東独「6月17日事件」、「5.18光州事件」、「6.4天安門事件」、そして、香港
2019/8/12:ヴァイマル憲法100周年――「時代」と憲法の関係を考える
2019/9/16:過去の歴史といかに向き合うか――第二次世界大戦開戦80周年と「満州事変」88周年
2019/11/4:ブロッケン山頂の「壁」開放――「ベルリンの壁」崩壊30年
2019/11/11:「バート・ゴーデスベルク綱領」から60年――重要な政治決定の「場所」
2020/12/28: 「権威主義的立憲主義」の諸相―安倍・菅政権はクレプトクラシー泥棒政治2021/4/19: 「どうか日本に来ないでください!」――東京五輪中止の呼びかけ
2021/7/19: コロナ緊急事態下の東京2020の「予測」――IOCバッハ会長の博士論文
2021/7/26:五輪史上の「汚点」――ミュンヘン1972と東京2020
2021/9/27:16年前も日本とドイツで総選挙――問われる「並立制」と「併用制」
2022/02/17:「危機の指導者」と「指導者の危機」――「どの口が言う!」の世界
ドイツと「コロナ危機」
2020/3/30:「コロナ危機」における法と政治――ドイツと日本
2020/4/6:「コロナ危機」に「緊急議会」?―ドイツ連邦憲法裁判所前長官の主張にも触れて
2020/5/11: この国の「目詰まり」はどこにあるか――日独の指導者と専門家
2020/7/6: コロナの「永続波」にいかに備えるか―「新しい日常」?
2020/10/26:欧州におけるコロナ危機――Go To トラブルの日本
2020/12/14:メルケルと“ガースー”――「危機」における指導者の言葉と所作(その4)2017年中欧の旅
2017/9/11:ハンガリー国境の「汎ヨーロッパ・ピクニック」の現場へ――中欧の旅(その1)
2017/9/18:ドイツの憲法が生まれた場所、ヘレンキームゼー再訪――中欧の旅(その2)
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2017/10/9:核再処理施設を拒否した村、ヴァッカースドルフ再訪――中欧の旅(その4)
2017/11/6:戦後最大の住民避難:フランクフルト――中欧の旅(その5)
2017/11/13:雑談(116)音楽よもやま話(23)ブルックナー・オルガン再訪――中欧の旅(その6・完)
2018年北ドイツ・デンマークの旅
2018/9/17:ケムニッツの警告――「水晶の夜」80周年(北ドイツ・デンマークの旅(その1))
2018/10/22:キール軍港水兵反乱100年の現場へ――ヴァイマル憲法100周年への道程(北ドイツ・デンマークの旅(その2))
ドイツ滞在の趣旨(1998年11月9日付「直言」より抜粋)大学に提出した研究テーマは、「冷戦後ドイツの安全保障政策の展開と基本法の運用過程の研究」。1949年のドイツ連邦共和国基本法(長らく「ボン基本法」と呼ばれた)は、来年5月に施行50周年を迎える。昨年施行50周年を迎えた日本国憲法と異なり、ドイツ基本法はたびたび改正されている(直近は本年7月22日の第46次改正)。1990年の東西ドイツ統一も、基本法23条(旧)に基づく編入方式が採用された。他方、冷戦後の安全保障環境の劇的な変化に対しては、基本法改正を行わず、連邦憲法裁判所の判決(1994年7月) をベースにした解釈・運用で乗り切っている(NATO域外への連邦軍派兵)。
このような基本法の半世紀にわたる運用過程全般を実証的に跡づけ、その理論的問題点を析出することは重要な課題である。私も、ドイツの安全保障政策や対外政策の転換について分析を試みてきたが(『現代軍事法制の研究』参照)、今回の在外研究では、基本法施行50周年を契機に、歴史資料なども使って、より広い視野から研究してみたいと思う。そのため、制定過程とその関連諸資料が豊富にあるボン大学を選んだ。また、「ボン国際軍民転換センター(BICC: Bonn International Center for Conversion)」の利用も可能となる。日本ではあまり知られていないが、同センターは、世界中の巨大化した軍備を漸進的に民需に転換していく具体的方途についてデータ収集・分析を行っている研究所の一つである。ここで得た資料や情報は、私の平和法政策研究の実証的根拠ともなろう。
1999/4/6:緊急直言・軍人への戦争参加拒否の呼びかけ(紹介)
1999/5/30:緊急直言・シェルター内で考えた周辺事態法
1999/11/15:「壁」がなくなって10年(その2・完)
【写真の説明】
■1枚目:ボン大学とHofgarten
■2枚目:筆者が計1年6カ月生活したBad-Godesbergをライン川の対岸から撮影した写真(Drachenfelsより)
■3枚目:ホーエンツォレルン城の内部。ここには「プロイセン」がしっかり残っている。
■4枚目:ラインラント=プファルツ州には米陸軍やドイツ連邦軍の機甲部隊の駐屯地があるため、一般の道路には「戦車40キロ」という道路標識がある(Bad-Neuenahr Ahrweiler)。
■5枚目:ヴァイマル近郊のブーヘンヴァルト強制収容所の「もう一つの過去」。ソ連内務人民委員部の強制収容所で1950年までに亡くなったドイツ人の集団埋葬地「森の墓」。たくさんのステンレスの棒がそのまま墓標になっている。