ベルリン自由大学のW.D.Narr教授からボンの自宅に「緊急アピール」が送られてきた。戦争に参加している軍人たちへの命令拒否を呼びかけるものだ。社会民主党や緑の党に近い人々が多いので、思いは複雑だろう。以下、翻訳して紹介する。
ユーゴスラビア戦争に参加している連邦軍のすべての軍人へのアピール−−この戦争への参加を拒否しよう 私たちは、すべての軍人に対して、ユーゴ連邦に対する戦争に参加しないように呼びかける。空爆に直接参加したパイロット、マケドニアにいる部隊、そして戦争遂行のための兵站に関与している軍人、たとえば国防省で活動している軍人にも呼びかける。戦争協力の拒否は、基本法4 条3 項の良心的兵役拒否によって保障される。かかる拒否は軍人法22条によっても保障される。同条は、人間の尊厳を侵害する命令、あるいは、服従すれば犯罪行為を構成するような命令はは遂行してはならないと定めているからである。 ユーゴに対する戦争において重要なことは、これが、基本法26条で禁止された、国際法違反の侵略戦争だということである。国際法違反は、ドイツ連邦共和国にも効力を有する国連憲章から明らかである。基本法25条によれば、国際法の一般原則は連邦法の一部を構成する。現在の戦争は、国連憲章〔2条4項〕の武力行使禁止に違反する。安全保障理事会による授権〔決議〕は存在しなかった。安保理決議は、ロシアと中国の拒否権のために、いずれにせよ成立しなかったであろう。 空爆は、軍人であると、民間人であるとを問わず、すべての人をこの戦争の犠牲者にする。NATOの侵略の第2局面は、とくにセルビア軍部隊に対する攻撃に向けられている。空爆によって、セルビアやモンテネグロ、コソボの人々が無差別に不安にさせられ、傷つけられ、あるいは殺されている。この空爆の影で、コソボにおける殺戮や迫害がさらに行われ得るのである。NATOは、無差別にしかセルビア軍部隊を爆撃できず、アルバニアとセルビアの民間人をも巻き込むという追加的なリスクを伴うことは避けられない。 侵略戦争の目標は、人道的災禍を防止することだとされている。だが、人道的災禍はいまや、NATOによって、まさにその爆弾によってもたらされているのである。99年3 月 28日に、R・シャーピング連邦国防相は、コソボで始まっている民族殺戮について語った。平和運動と平和研究者は、戦争開始以前に、まさにこのことを警告していたのだ。成果をあげつつあった全欧安保協力機構(OSCO)の監視団は、紛争当事者間の緩衝器を形成し、かつ世論を創出してきたが、戦争によりその活動を中止せざるを得なくなった。 いま、戦争をただちにやめることが有効である。イタリアでは議会内に、戦争続行に対する明確な反対派が存在する。もしドイツの国会議員たちが必要な諸結果〔戦争中止〕を引き出すのに躊躇するなら、軍人が自ら決断し、かつその良心に従わなくてはならない。 この戦争への参加は、正当化され得ない。それゆえ、あなたの出動命令を拒否しよう。部隊から離れよう。この戦争に反対しよう。 傍観と爆撃の間に選択肢はない、というのは真実ではない。戦争を続行するかわりに、まったく新たに交渉がなされなければならない。交渉の努力は、NATOの任務ではない。国連とロシアが、バルカンのための建設的で持続的な紛争解決を追求できるようにしなくてはならない。バルカン紛争の解決は、戦争や殺人的暴力ではないものに見いだされなければならない。それは、ユーゴ国家あるいはコソボ解放軍ゲリラの側からでもなければ、NATO諸国家の側からでもない。同時にバルカンのすべての諸国が、EUによって経済的に、大量の支援がされなければならない。そのためには、いま爆撃に費やされている資金が緊急に必要なのである。 戦争協力を拒否した軍人が、抗命や逃亡、反乱を理由として、軍刑法による手続にかけられることは十分あり得る。かかる場合、私たちは全力をあげて当事者を支援するし、刑法上の処罰を阻止する雰囲気を世論のなかにつくるために配慮するだろう。ただ、人間の尊厳についての私たちの理解では、何人も、その決断のための責任を自ら負うのである。 同時に、私たちは宣言する。ユーゴ軍やアルバニア系コソボ解放軍の戦争拒否者や逃亡者、とりわけ避難先としてドイツ連邦共和国にたどり着いた人々を援助するために、あらゆる可能性を用いるだろう。はっきりしていることは、積極的な軍人は潜在的な殺人者であり、かつ、殺人的戦争の犠牲者であるということである。逃亡者や戦争拒否者は、平和の使徒なのである。 【Aufruf an alle Soldaten der Bundeswehr,die am Jugoslawien-Krieg beteiligt sind --Verweigern Sie Ihre weitere Beteiligung an diesem Krieg! vom 30.3.1999】 |