1.冷夏をさらに冷やす死刑判決
明日から9月です。今週の各新聞はこの夏を総括する記事が目立ちました。でも、どこか元気がありません。キーワードは冷夏です。ビアガーデンや海の家、プールなどの利用者は軒並み例年の半分以下。『毎日新聞』8 月28日付は、「50年海の家をしてこんな年は初めて」という江ノ島海水浴場営業組合長の声を拾っています。その一方で、ヨーロッパは記録的な猛暑でした。『読売新聞』29日付は、フランスで1 万人以上が暑さが原因で死亡したと伝えています。降れば洪水、降らねば干ばつ、田んぼの稲穂は立ったまま。『毎日』28日付社会面トップ記事は、冷夏「もみ10粒に実1個」「凶作の不安抱える農家」という見出しで、この27日に発表されたコメの作柄について伝えています。全国の地方紙の記事を集めたホームページ「今日(きょう)のニッポン」(http://www.todays.jp)は、「冷夏で作物不作」というテーマで27日から29日までの記事を集めています。ざっと拾ってみると、「10年ぶりの凶作の可能性」(『北海道新聞』28日付)、「青い水田、曇る表情、東北3県『コメ・著しい不良」(『河北新報』28日付)、「県全体の作柄38年ぶり不良」(三重の『伊勢新聞』28日付)、「県内農作物25億円の被害、冷夏、長雨の影響深刻」(『岐阜新聞』27日付)等々。暗いニュースが並びます。
でも、今週はその暗い気分を加速するような出来事がありました。大阪教育大付属池田小学校事件の被告に対する死刑判決です。各紙とも28日夕刊トップから29日付社説まで詳しく報道しています。幼い子ども8人を次々に殺害した事件の異常性だけでなく、被告人抜きの死刑判決言渡しという異例の状況になったことを含め、何ともやりきれない事件です。各紙ともほとんど同じような表現・内容で、判決とその反響について伝えていました。『毎日新聞』28日夕刊で作家の佐木隆三さんは、「こんな男が命を捨てても、天使のような学童たちの命とは、釣り合いが取れない。何とも虚しく、苛立たしい思いである」と書いています。幼いわが子をあのような残虐な方法で殺された遺族のやりきれなさは、「死刑でも不十分」という遺族連名コメントからもうかがえます。ただ、小泉首相が「死刑は当然だ」と述べたそうです。『朝日新聞』29日付が問題にしています。行政のトップとして、特定刑事事件の判決確定前に論評を行うことはきわめて異例です。『朝日』は、「非常に軽率だ」という憲法学者の奥平康弘さんのコメントを紹介しています。先月、別の大臣が、少年による幼児殺人事件に際して、その両親を「市中引回しの上打ち首に」と発言するなど、政治家の発言の軽さが目立つなかで、残念なことです。
この判決に対するコメントのなかで私が注目したのは、犯罪学者の加藤久雄慶應大教授の言葉です。『東京新聞』28日付夕刊で加藤さんは、凶悪な人格障害者を死刑にしても問題解決にならない、「刑の執行は贖罪の意識が出るまで待つ必要がある。すぐに死刑にしたのでは、責任や原因の追及があいまいになってしまう」とコメントしています。『毎日新聞』28日付のコメントでは、「凶悪犯罪を抑止するためには、むしろ死刑を廃止し、宅間被告のような人物には一生かけて罪を償わせるため、労役を科し、遺族や被害者に賠償させるという応報があってもいいのではないか」と述べています。また、『朝日新聞』29日付、大阪弁護士会副会長山口健一さんのインタビュー記事「人間の心をもとめた弁護団」も心に残りました。ご自身が和歌山カレー毒物混入事件の弁護をした経験をもつ山口さんは、「弁護士は牧師ではない」という意見が弁護士会内部にもあったことを率直に紹介しながら、しかし、「人間の心を取り戻すことを被告に促すことができるのは弁護人しかいない」という「究極の弁護」が粘り強く行われたと評価しています。被告人は反省の言葉一つ述べるどころか、遺族に暴言を吐くなど、目に見える成果は出ませんでした。でも、山口さんは、「誰もが犯人と決めつけようとも、被告人の権利を守るのが弁護人」という原則に立ち、江戸時代のお白州から現代に至る刑事司法の歴史を振り返れば、被告人の権利を保障する憲法上の制度を後戻りさせるわけにはいかないと指摘します。そして、死刑制度の運用には慎重さが求められることからも、弁護団として控訴の方針をもつことを当然と評価しています。「生育環境が被告人に与えた影響を徹底的に解明し、彼が負うべき責任の範囲をはっきりさせ、人間の心を取り戻せるかどうかを見守りたい」とも述べています。「弁護団も心があるなら判決の重みを感じ、〔控訴を〕断念してほしい」(『朝日』29日付)と語る遺族の気持ちもよく分かります。しかし、死刑判決である以上、慎重な審理を求めて控訴することは決して間違っていません。社会が「人間の心を失った凶暴な人間」と同じレベルにならないためにこそ、辛いけれど、法に基づく手続を尊重する姿勢を失ってはならないと思います。山口さんは犯罪被害者の権利の確立にもっと多面的に取り組むことも強調しています。わが子を失った被害者へのケアを含め、被疑者・被告人の権利保障と対立させる形ではなく、犯罪被害者の権利の充実は不可欠です。普通の人々の目からみて、被告人に対する同情の余地がほとんどないどころか、むしろ判決当日の乱暴な態度を含め、「国民すべてが怒る」という状況が生まれているからこそ、加藤さんや山口さんのような冷静な発言は貴重です。
2.万景峰号入港と6カ国協議
さて、今週前半から注目されているのが、北朝鮮の貨客船「万景峰(マンギョンボン)号」と北朝鮮核問題に関する6カ国協議です。
25日付夕刊から27日付朝刊まで、この船の入港から出港までが各紙一面をかざり続けました。そこなかで、国際条約に基づく船舶の安全性検査(PSC:Port State Control)が注目されました。PSC という言葉は今回の出来事で、一般の人々にも知られるようになりました。法的には当然の検査ですが、この船に対するそれは、きわめて異様な雰囲気のなかで行われました。この船が北朝鮮の政治的な工作の手段として使われてきたという疑惑は払拭できないとはいえ、船舶安全性検査という法に基づく入港時手続について、さまざまな政治力学が働いたことは問題を残しました。『朝日』25日付は「厳正で冷静な対応を」との社説を掲げ、この船の入港を前に、在日朝鮮人関係の施設に銃弾が撃ち込まれたり、不審物が置かれるような事件が起きたことにも言及して、冷静さを求めています。
27日から29日まで中国北京で行われた6カ国協議についても、今週の各紙は一面扱いが続きました。米国の論客フラシス・フクヤマも『読売新聞』24日付の論説「地球を読む」で、「北朝鮮の政権は、約束を守ったことがない。だが、どんなに気が進まなくても、何らかの取引を行う以外に、北朝鮮の核開発を食い止める道はない。多国間と二国間を組み合わせた複雑な交渉に、双方が同意したことは、歓迎すべき前進である」と評価しています。5 月1 日のブッシュ大統領による戦闘終結宣言以来、米兵の死者が139 人に達し(『読売』27日付外報面「『戦後』の死、『戦時』を超す」)、国連事務所やイスラム教シーア派モスクへの爆弾テロなど、泥沼状態が続くなかで、フクヤマは対イラク戦争による「体制転換」の代償が高くついたことを認め、北朝鮮については多国間協力を主張している点が注目されます。29日に閉幕した6カ国協議について、各紙社説は一様に、外交的対話が始まったことを評価しています。公式の合意はまだ得られていませんが、中国とロシアまで絡めた外国的枠組みは北東アジアの平和と安全保障の今後にとって、重要な一歩となったことは確かです。とにかくテーブルについて、協議の場ができたことはきわめて重要です。各紙ともに共通してその点を評価していました。
今週、韓国で開かれたユニバーシアードに参加した北朝鮮「美女応援団」の文字通り一挙手一頭足にテレビの関心は集中しました。新聞は連日大きく扱うというわけではありませんでしたが、そのなかで、『東京新聞』29日付の写真入り記事は注目されます。28日午後、バスで移動中の「美女応援団」が、南北首脳会談の際に金大中(キム・テジュン)前大統領と金正日(キム・ジョンイル)総書記が握手している写真横断幕を発見して、バスを降りてそれを外して持ち帰ったという記事です。「将軍様の写真を雨風にさらすなんて」と涙を流しながら横断幕を外す光景を目の当たりにして、地元住民はあっけにとられたと伝えています。この光景はテレビでも何度も放映されましたが、強烈な違和感を感じたのは誰しも同じでしょう。学校が火事で炎上したとき、「御真影」(天皇の写真)を取りに戻って焼け死んだ校長の話が美談としてもてはやされた戦前日本と同様、写真までも神格化する国家・社会のありようというのは、異様としか言いようがありません。でも、50年以上にわたってそのような体制が存在し、かつそのもとで育った人々がいる事実から出発せざるを得ません。「私たち」の価値観と異なる他者を力によって「体制転換」させるという手法は決して成功しません。共同体の多数者が異質な他者を排除する傾向というのは、国内外のあちこちで生まれています。国のレヴェルでも、国際関係でも、「異質な他者との共生」のためには、途方もないエネルギーと寛容さを必要とします。容易に理解しがたい価値観で凝り固まり、突然「突っ張ってくる」相手だからこそ、短絡的な対応に陥らないよう、粘りづよく交渉していく強かな外交(「タフネス・ネゴシェーター」)が求められます。『朝日新聞』30日付の「私の視点」特集・北朝鮮問題の論稿も、協議の継続を確認・合意できたことを成果として評価しています。継続は力なり。拉致問題の解決も、協議の継続のなかで解決に向かうことが期待されます。
さて、8 月28日は、米国の黒人公民権運動の指導者、故・マルチン・ルーサー・キング牧師の名演説「私には夢がある」から40周年です。『毎日新聞』25日付外報面は、それを記念する集会がワシントンで開かれたことを伝えています。1963年8 月28日、人種差別撤廃を求める「ワシントン大行進」の際、キング牧師は「I have a dream. 私には夢がある。いつの日にか私の幼い4 人の子どもたちが、肌の色によってで評価されるのでなく、彼らの人格の深さによって評価される国に住めるようになることを」と演説し、世界中に感銘を与えました。冷夏で、暗い話題の多い一週間でしたが、私たちも夢を失ってはいけないでしょう。今日はこのへんで失礼します。