1.「おわび」と「お礼」の「温度差」
暑い日が続きます。岐阜県多治見市では22日、とうとう39.4度を記録し、『読売新聞』23日付は「日本熱島」という見出しでこれを伝えました。 前回私が担当した4月25日には、普天間飛行場の問題をめぐり、5月末決着をいう鳩山首相(当時)に対する各紙の論調を紹介しました。わずか3カ月で、内閣が変わり、政治の様相も一変しました。新聞の紙面に沖縄問題が載ることもあまりなくなりました。『琉球新報』7月19日付コラム「金口木舌」は、「参院選の焦点から普天間問題が外れると、波が引いたように紙面から消えてしまった」と書いています。そして、本土と沖縄との受け止め方の違いについて、よく「温度差」という言葉が使われることについて述べています。関連して、『東京新聞』20日付記者コラム「メディア観望」では、女性記者が、「在京メディアの沖縄問題」として、東京から沖縄に行く記者たちの現場感覚のなさを問いながら、「私たち在京メディアに必要なのは、沖縄で起きていることが自分の街で起きたらと、想像をめぐらせることだろう」と「自戒を込めて」書いています。まっとうな感覚だと思います。
この点と絡んで、『朝日新聞』23日付オピニオン面「私の視点」に興味深い一文が掲載されました。筆者は東京外国語大学教授の山田文比古氏。1998年九州・沖縄サミットの際に、日本側の準備事務局長として各国首脳の受け入れにあたった方です。そのタイトルは「筋違いの感謝やりきれない」。先月の沖縄全戦没者追悼式で、菅直人首相は「おわび」と「お礼」を口にしました。山田氏は、「そもそも基地は米側が『銃剣とブルドーザー』によって一方的に押し付けてきたものであって、感謝される筋合いのものではない」と指摘します。でも、この6月、米上下両院で、米軍駐留受け入れについての感謝決議が採択されました。山田氏は「米国人が沖縄の心の機微を理解できないことは仕方がないとしても、わが国の首相までもが、それを理解する感受性を持ち合わせないとすれば、同列に論じられない。しかも、そのことに本土のメディアも国民も鈍感になっている」と述べ、「沖縄と本土(ヤマト)との間の認識ギャップは、温度差という言葉で片づけられないほど大きなものになってしまった。やりきれない思いと無力感は、地下のマグマのように沖縄の人々の心の中に沈潜していくばかりである。沖縄に感謝は無用である。無頓着な言葉だけの感謝であるならば」と書いています。まったく同感です。山田氏の一文は、沖縄についての本土メディアと国民の鈍感さをも鋭く批判するものとしても注目されます。
2.改正臓器移植法の施行をめぐって
7月17日に改正臓器移植法が施行されました。昨年4月25日のこの時間、私は、法案審議が山場を迎えていた国会について語りました。『朝日新聞』が「走る国会」と評したほど、審議は急がれました。本会議の討論も省略。4つの法案が直ちに採決に付され、一発で現行のA案が可決されました。党議拘束を外して採決に臨んだ政党も多く、当時の麻生首相も鳩山民主党代表も別の案に賛成する予定で、この法案には賛成しませんでした。こうした異例の成立の仕方をした法律が、先週の今日、施行されたわけです。
『毎日新聞』18日付社説は冒頭、「課題を積み残したまま」の施行に「準備不足の印象は否めない」と書き、『信濃毎日新聞』17日付社説も、「移植は、亡くなる命があってはじめて成り立つ。だからこそ臓器移植法は、ドナー〔臓器提供者〕の意思の尊重を出発点に置いている。改正法はこの原則を緩めた。年齢制限をなくし、子どもの臓器移植にも道を開いた。『新法』に近い改変だ。それもこれも、ドナーを増やすためである」と指摘しています。 この13年間で臓器移植は86例にとどまり、他方、移植を待つ人は12000 人を超えるといわれます。各紙が今回の法律施行の際に注目したのは、とりわけ乳幼児を含む子どもの臓器移植と、救急医療の現場への負担の問題でした。
『沖縄タイムス』21日付社説は「拙速避け慎重な運用を」というタイトルで、「子どもの生命力は強靱で、劇的な転換を見せるケースがある。より厳格な脳死判定が要求されるのは当然である」と書いています。親の虐待で脳死状態となった子が、その親の承諾で臓器提供者になることは許されない。改正法に基づく「指針」は、臓器提供する医療機関に対して、「虐待防止委員会」の設置を義務づけています。
『愛媛新聞』16日付社説は、虐待を見抜く態勢整備について触れ、法律施行時にこれに「対応できる」と回答した病院は13%にとどまったと書いています。社説は、「小児の脳死判定は大人よりも難しく、時間もかかる。…対応は事実上、医療現場任せ。救命現場の医療者に、虐待の有無のチェックから家族の心のケアまで、すべてを任せるのは無理だ。そもそも『十分な救命医療を受けたが助からなかった』ことが臓器提供の大前提で、その点で疑念が起きないよう、現状の救急医療体制の拡充も同時に図られなければならない」と述べています。この点は、『朝日』19日付社説の、「日本ではとりわけ小児救急態勢が貧弱で、1 〜4 歳の死亡率は先進国の中で際だって高い。救急医療の充実は、移植医療以前の喫緊の課題である」という指摘と重なります。大切なポイントだと思います。
『読売新聞』16日付社説は、この法律に好意的な論調を展開しながら、これからは運転免許証の裏面に、臓器提供意思の記入欄が設けられることに触れ、事前に、臓器提供の諾否の意思を書面で残すことをすすめています。ただ、事前の意思表示が不明確のときは、家族の同意だけで提供できるという改正法に対して、『信濃毎日新聞』17日付社説は、「臓器提供は、本人の意思が前提だ。それはこの先も変わらない。たとえ脳死の状態にあっても、本人の意思が明らかでない場合は、対応は慎重でありたい」と書いています。法改正により「家族の同意だけでよい」という形に理解するのではなく、どこまでも本人の意思を尊重すべきことを説いた点は重要だと思います。
本日〔24日〕午後、私は札幌に行き、脳障害で意識不明の状態にある友人の元大学教授に対して、母校の大学が博士号を授与する場に立ち会います。ご家族から提供された論文を私が編集し、彼の著書として昨年出版したところ、これが論文博士に該当すると彼の母校が判断。学位規程を新たに整備し、正規の論文博士と同等の「特別博士」という学位を授与することが決まったものです。この3 年間、意識不明の状態ですが、著書を準備する過程で、「おい、本が出るぞ」と彼に大声で呼びかけると、顔を赤くして反応しました。私の言うことがわかっている。そう確信しました。