1.火山の噴火、中東の政治噴火
鹿児島・宮崎県境の霧島連山・新燃岳が「300年ぶりの本格的マグマ噴火」(火山噴火予知連・『読売新聞』2月4日付)をしました。『熊本日日新聞』3日付一面コラム「新生面」は、夏目漱石の短編小説『二百十日』に出てくる阿蘇山も「轟々と百年の不平を限りなき碧空に吐き出してい」たが、いつまた「憤怒の顔」を見せるかわからないとして、「山の畏れを忘れたころにそれは噴き出すものかもしれない」と書いています。人間の世界でも、長年にわたり抑えられてきた「怒りのマグマ」が、今週、さまざまな形で「爆発的噴火」を見せはじめました。
アフリカ北西部のチュニジアで始まった政治変動はエジプトに波及。ムバラク政権退陣を求める大規模なデモは2月1日、ついに「100万人行進」に発展しました。2日付各紙は一面トップに、多数の人々で埋め尽くされたカイロ市内の写真をもってきました。この光景は、1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊に始まる東ヨーロッパの激動と重なります。しかし、20年前と違い、フェイスブックやツイッターを使って不特定多数の人々が瞬時に多様なネットワークをつくり、運動が広がっていくのが特徴です。表面に見えるデモだけでなく、ネット空間における政治運動は、中東の強権的な長期政権を揺るがしています。3日付各紙は、中東のイエメンで約20年君臨する大統領が引退を宣言したことを伝えています。また、『朝日新聞』4日付は、中央アジアのカザフスタンで、終身大統領の状態にあるナザルバエフが選挙を前倒しで実施すると報じました。長期政権への人々の「怒りのマグマ」がどこまで広がっていくか予想もできません。
なお、大統領制をとる国の多くは、憲法に、大統領任期は2期までで、3期連続で就任できないという「3選禁止規定」をもっています(例えば、米合衆国憲法修正22条)。しかし、2期務めた大統領が権力のうま味を知り、憲法を改正して自分の任期を延長する傾向があります。東ヨーロッパのベラルーシでもそうでした。『朝日』3日付国際面は、イエメン大統領の退陣に加えて、任期延長したベラルーシの独裁政権へのEUの制裁、そして韓国でも、大統領任期に変更を加える憲法改正の動きが出ていることを3つ並べて報じています。この紙面作りは、中東の政治変動と関連して、大統領の「3選禁止規定」の問題を「隠し味」にしているようにも思えます。国際面担当デスクの問題意識でしょうか。
2.大相撲の「八百長」と「強制起訴」
2日付『毎日新聞』一面は、各紙同様エジプトの大規模デモの写真を使いながらも、トップ見出しは「力士が八百長メール」です。警視庁が野球賭博事件に関連して押収した力士らの携帯電話を分析したところ、「八百長」をしていた形跡が残っていたというのです。毎日新聞記者が捜査関係者への取材で得た情報とされます。この日から新聞各紙は相撲ファンの「怒りのマグマ」におおわれます。3日付朝刊各紙には、メールのやりとりと実際の取組を組み合わせた写真が載りました。エジプトの政治変動と相撲協会の激動が一面に並ぶ日が続きます。
ただ、「賭博事件と関係なく、警察に立件される見通しのないメール内容がなぜ表に出るのか。通信の秘密はないのか」と怒りをあらわにする親方もいたといいます。この発言を無視する新聞が多いなか、『朝日』3日付はこれを縦5 段見出しで紹介しました。「八百長メール」は、賭博事件捜査の過程で「副産物」として見つかったもので、それを警察庁を通じて、大相撲を所管する文部科学省に提供したといいます。「捜査結果の詳細を提供することは法的にはできないが、省庁間協力の枠組みの許される範囲で情報を提供した」と警察幹部は説明したそうですが、一般に、ある官庁が入手した個人情報が、安易に別の官庁に提供され、不利益処分につながることには慎重であるべきでしょう。各紙ともそのことへの自覚が必ずしも十分ではなく、『朝日』3日付第3総合面が、捜査で得られた情報だが、「公共性、公益性」の観点から提供したというように警察に説明させていたのが目立ちました。「八百長メール」の中身だけでなく、問題発覚のプロセスも明らかにしておくことが求められます。
同じことは政治についても言えます。2月1日付各紙一面トップは、小沢一郎元代表の「強制起訴」でした。各紙社説はほぼ横並びで、「政治的けじめをつける時だ」(『読売』)、「『無実』なら説明厭うな」(『東京』)、「市民の判断に意義がある」(『朝日』)という調子。今回はネットを使って地方の38紙の社説も読みましたが、よく似たトーンでした。
ただ、『信濃毎日』と『琉球新報』は、検察審査会の「強制起訴」の仕組みそのものに疑問を投げかけており、注目されます。特に『琉球新報』2日付社説は、「検察審査会の在り方には首をかしげたくなる点が少なくない」として、「『疑わしきは罰せず』ではなく『疑わしきは法廷へ』という図式になりかねない」と指摘。この制度は「特定人物に狙いを定め、被告席に追いやることも不可能ではない」「司法への市民参加は意義があるが、だからといって『大衆迎合主義』が横行し、裁かれなくてもいい人まで『被告人』にされたのではたまらない。現在の仕組みが妥当なのか、よく検証すべきだ」と書いています。
なお、小沢氏を「起訴相当」と議決をした東京第五検察審査会の議決書には、「有罪・無罪を判断してもらう権利」「法廷で黒白をつけようとする制度」という言葉が出てきます。有罪と無罪をフラットに扱い、「黒白をつけ」るのが刑事裁判ならば、無罪推定の原則は怪しくなります。嫌疑不十分というのは証拠の有無の問題ですから、法律専門家が「証拠がない」と判断したのに、そこに市民が関わって「証拠がある」になるのはやはり疑問が残ります。『琉球新報』社説の指摘は重要です。
3.「新聞を読んで」の14年間
さて、今日で私の放送は終わりです。1997年4月26日が第1回で、約14年になりました。この間、首相は9人。最初は橋本龍太郎首相でした。ある首相について語ったら、次の回では首相が代わっていたということも4回経験しました。その間アメリカ大統領は3人、ドイツの首相は3人です。14年間で世界も日本も大きく変わりました。「新聞をラジオで語る」という方法は、ネットが発達したデジタル時代には古いという見方もあるでしょう。新聞は瞬発力ではネットに到底かないませんが、立ち止まってじっくり考えるのには適しています。『千葉日報』1月31日付社説が「新聞再生は『教育』か」というタイトルで、「NIE」(教育に新聞を)の活動を紹介しています。新聞の切り抜きも効果があります。記事を比べるのに「手」を使う。手偏に「比」べるで「批判」の「批」になります。批判力をつけるためにも、ネットだけでなく、紙の新聞も読むことが大切だと思います。 ともあれ14年間、私の話をお聴きいただき、どうもありがとうございました。