俗物が語る「神の国」 2000年5月22日
本に存在しなかった「時間の空白」を埋めるのに苦労している。休みを使って、雑誌のバックナンバー1年分の山を、1回1誌のペースで処理している(たいてい、半分弱で挫折しているが)。新聞5紙1年分の山は、母家の6畳間一つを占拠しており、処理が終わるのは夏休み明けになりそうだ。インターネットのおかげで、ドイツで生活しながら日本で起きる出来事についてかなり知っているつもりだったが、事件の雰囲気や感触までは無理だった。だから、学生たちがドッと笑っても、私だけが取り残されるという一瞬がある。「それは定説です」という言葉を学生が使って盛り上がるのを、フーンという調子で聞いていた(ライフ・スペース事件の中心人物の言葉)。5月の地方講演で「最高ですかぁ」という言葉を使ってみたら、ドッと笑いが来た(私への冷笑も含む?)。どうでもいい普通の言葉でも、ある出来事を経由することで、特定の意味を持ってくる。そういう言葉の1年分が、すっぽり私の頭から抜け落ちているのを感じた。それから、とくに「温度差」を感じたのは、小渕前首相への評価である。1年前は「あんな人物がそもそも首相になるなんて」というトーンだったものが、帰国してみると、首相としてそれなりにおさまっているではないか。1年間マスコミが首相として扱い続けた結果だろう。彼が関わった悪法の数々は、1内閣としては記録に残る量だ。慣れというのは恐ろしい。しかも、幕引きが劇的だったことと、かわって首相の座をかすめ取ったのが、「ノミの心臓、サメの脳ミソ、ゾウの体、オットセイの下半身」と酷評される人物だったから、これとの対比で何となく「立派な人物」に見えてくるから不思議だ。首相の座をかすめ取った人物は、『Voice』誌5月号でこう言っている(この人物の首相指名手続の重大な瑕疵については、4月10日付直言参照)。「いまの憲法は、阪神・淡路大震災のあとにつくった仮設住宅のようなもの」で、「戦後の異常事態のなかで、とりあえず雨露さえしのげればありがたかった。敗戦で魂が抜けてしまって、ただただ平和がほしかった」「与えられるものならなりふり構わず、なんでものんだ」。何とも貧困な憲法認識だが、この言葉からうかがえるのは、この人物の感性の鈍さと、品性の下劣さである。日本国憲法制定に関わった人々(彼の大先輩たちを含む)を侮辱し、この憲法のもとで戦後復興にたずさわった先人たちを貶めているだけではない。仮設住宅に住んでいた神戸の人々(そして有珠山噴火でいま仮設住宅暮らしをしている人々)への大変な侮辱でもある。関西方面のマスコミはこの発言を問題にしたのだろうか。先週、この人物は神道政治連盟国会議員懇談会の会合で、「日本は天皇を中心としている神の国であるということを国民の皆さんに承知してもらう」と挨拶。物議をかもしている。「憲法の国民主権と政教分離原則に違反した発言で、憲法尊重擁護義務の観点から許されない」などと、まともに批判するのがはばかられるような、低レヴェルの発言だ。いまの天皇は1989年1月の「即位後朝見の儀」で、「皆さんとともに日本国憲法と守り」と述べたことはよく知られている(最近では裕仁天皇と同様、「皆」に変わった!)。憲法99条が天皇にも憲法尊重擁護義務を課しているが、国民には課していないことから、この物言いはおかしいという見解もあるが、いずれにせよ、天皇も国民主権と政教分離原則を定める憲法を守ると言っているのだ。「忠良なる臣下」を自認するこの人物が、ここまで憲法を貶めていいのか。歴代の首相のなかでも、芸者に三行半を突きつけられ在任69日で辞任した宇野某を越える俗物と言って間違いないだろう。こんな俗物の写真が、7月にサミット関連のニュースを通じてドイツの友人・知人たちの目に触れるのは耐えられない。6月の総選挙の結果、この人物の野卑な笑いがマスコミから消えることを「神」に祈りたい。