97年1月3日から毎週更新を続け、今回ついに200回目を迎えた。「緊急直言」という形で週に2回出したこともある。毎回の分量も400字から出発し、600字、1000字と増えてきた。ここ1年くらいは平均1600字程度だ。
一番の思い出は、ドイツ滞在374日間に毎週欠かさず計55本を出し続けたことだろう。在外研究中にこういう形でレポートを毎週出した大学教員はいないのではないか。
一度も休まないというのは結構きつい。出張が続くときは予定稿を何本か書いておく。更新が少しでも遅れると、お会いしたこともない方々から、「毎週欠かさず拝見しています。病気でもされたのかと思って心配しておりました」なんていうやさしいメールが届く。もう勇気百倍である。変な脅迫メールが続いた頃、一度「グチ」を書いたことがある。すると、読者(女性が多かった^。^)から激励のメールが相次いで届いた。こういう方々を含め、このページを支えてくれているすべての皆さんに、この機会に心からお礼申し上げたい。こういう支えがあってこそ、200回達成は可能だった。
一日何万ものアクセスがあるページに比べれば、ネット上の「ミニコミ」にすぎないが、このページを通じてさまざまな企画も生まれた。HP経由の取材申し込みや講演・原稿依頼は数えきれない。授業への質問や大学院受験の相談なども来る。このページを毎週読みながら頑張ったという高校生もいた。これはうれしかった。私にとって、このページは「新しい出会いと企画を生み出す場」になっている。
と同時に、私にとっては思わぬ「副産物」がある。実は「直言」を書くようになってから、私は自分自身が変わったと思う。わずか1600字の世界で、その時々の問題を一気に煮詰めて展開する。これを200回も繰り返していると、どんな小さな出来事でも、それを意識的に1600字の世界で完結的に、「わかりやすい言葉」で表現しようとする癖がついた。これは専門の論文を200字で30枚、50枚、100枚といったフィールドで執筆するのとはまた違った世界である。90分の講義、60分以上の講演といった大きなキャンパスを使って話を展開するのともまた違う。NHKラジオ「新聞を読んで」の約12分間の小世界とも異なる。強いて言えば、新聞の文化欄の原稿(200字8枚)が一番これに近い。一般の人々を対象にして、自分に与えられたテーマで一つの凝縮した世界をつくる、これである。
その意味で言えば、私にとって一番むずかしい原稿は、『朝日新聞』夕刊の「一語一会」だった。200字でわずか4枚の世界。一つの文章を完成させるのに、執筆に3日、担当デスクと何回もメールやファックスの交換が続いた。文章を書く怖さとすばらしさを実感した瞬間だった。
というわけで、この直言200回は、新聞の文化欄の原稿を、毎週違うテーマで200回連載したのと同じと考えると分かりやすい。この体験は、原稿執筆や講義の内容にも反映するようになった。一度文章にしているから、人に話すときでも正確な数字やデータ、議論の筋立てが見える。途中で入れるアドリブにも余裕が出てくる。
最近、私の直言を定期的に読んでいる一人の新聞記者からこんなメールが届いた。「先生の直言に触発されて、仕事とは別に、自分自身のために、一週間に1テーマを決めて書き続けたいと思います」。ものを書くプロである「記」者が、仕事とは別に書き続ける。これを継続すれば、いつか必ず、自分が求めるメインテーマを発見することができるだろう。とにかく地道に続けること。やはり「継続は力なり」というのは本当だ。
島崎藤村の次の言葉にも、今は素直に感動できる。
「生命は力なり、力は声なり、声はことばなり、新しきことばは即ち新しき生涯なり」(『合本藤村詩集』序)