またも特措法で「法恥国家」  2001年10月15日

軍用地特別措置法。1997年に大慌てで制定された法律だが、これも正式名称は96文字もある。米軍用地について、収用委員会の審理・判断を経なくても、国に使用権原が与えられる場合を新たにつくり出した。もともと米軍が強制接収した土地である。それを米軍に継続使用させるため、使用期限の切れた土地の「暫定使用」を強引に継続させたものだ。私はその法的手法を「法恥国家」と批判した。『朝日新聞』1997年5月1日付夕刊文化欄に「沖縄が問う、この国の平和のかたち」という小論を書いたが、そこで「法治国家」「放置国家」「法恥国家」の三大話をやった。「放置国家」とは、琉球処分、沖縄戦、サンフランシスコ講和条約3条と、日本政府が一貫して沖縄を切り捨て、「放置」してきた事実に着目したネーミングである。「放置」の歴史のなかで、米軍用地特措法は、ご都合主義と恣意性という点で、まさに「法恥」と呼ぶにふさわしい。そして、いま「テロ対策特別措置法」(テロ特措法)。またぞろ特措法である。以下、『朝日新聞』オピニオン欄「私の視点」に書いた小論を転載する。学会初日、ホテルに原稿依頼のファックスが届き、就寝前や帰りの新幹線のなかで執筆したものである。

 

特集・米英、アフガン空爆(私の視点)
『朝日新聞』2001年10月10日 朝刊 15ページ オピニオン 

◆「憲法の枠」超えた特措法案 水島朝穂

 113字の長い名称の法案を「テロ対策特別措置法案」と全国紙で比較的早く略したのは、2日付「読売新聞」夕刊(東京本社発行4版)4面だった。だが、1面は見出しを含め「後方支援法案」のまま。同じ日の紙面で法案名が不統一なのも珍しい。
 ことほどさように、本法案について、政府の対応は二転三転した。当初の「米軍等の活動支援法」から「諸外国の軍隊活動支援法」へ。さらに軍事色を薄める装飾を施して、立法史上稀(まれ)にみる長い名称となった。

 ○テロと紛争の混同利用

 一般に、テロ対策立法は刑事法の領域に属し、警察・検察にかかわる事項が中心となる。民間人に大量の犠牲者を出したテロは、重大な犯罪行為であるが、当初から米国は、テロと国際紛争とを意識的に混同して対応した。本法案が、もっぱら米軍への
軍事的支援を軸とする内容になっているのは、まさにその一面を国内的に利用したものにほかならない。
 小泉首相は、本法案に基づく対米支援措置があくまでも「憲法の枠内」にあるという。だが、武力行使を実施する戦闘部隊の補給を担う行為それ自体、すでに武力行使と一体化しており違憲といえよう。そのうえ、5日の衆院予算委員会で、本法案と憲法との関係について首相は「はっきりした法律的な一貫性、明確性を問われれば、答弁に窮してしまう。そこにはすき間がある」と答弁した。
 そもそも憲法典は、権力担当者を抑制し、制限する手段として生まれたものであり、憲法の規範的枠組みは権力担当者によってこそ遵守されねばならない。憲法上疑義ある法律は、憲法の最高法規性の観点からその存在根拠を問われる。もはやそれは「憲法の枠内」ではなく、「憲法の枠のない」議論を展開しているのである。
 ついでにいえば、自衛隊法3条は、自衛隊の主目的を「わが国を防衛すること」に置いている。この本則の改正なしに、「外国の領土」にまで活動範囲を広げることは、自衛隊法の「枠」をも超えるものだろう。
 また、国連憲章51条の自衛権も無制約ではないが、米国とイスラエルは、自衛権に関して「非制限説」をとり、かなり乱暴な拡大解釈を行ってきた。

 ○米国流の拡大解釈路線

 今回、北大西洋条約機構(NATO)は初めて集団的自衛権行使の「同盟事態」(条約5条)を確認したが、そのNATO諸国(英国を除く)でさえ、米軍への協力の程度や態様に慎重さが見られることは注目されていい。このままでは、日本は米国流の拡大解釈路線を踏襲することになる。
 その結果どうなるか。本法案が成立すれば、自衛隊の部隊などは、米作戦部隊と実質上一体の関係で、その「ロジ担」と化す。現代戦において戦闘部隊と支援部隊とは不可分の関係にある。テロ集団は、支援部隊にも、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく攻撃してくるだろう。
 「本8日未明、米英軍は戦闘状態に入れり」。かくして国会での審議も、「戦時の高揚感」のなか一気呵成(いっきかせい)に進む気配である。「憲法の枠なし」状態を加速させる本法案はただちに廃案にすべきである。そして、国連を中心とした反テロの国際的な活動とともに、テロの根源にある貧困や差別などを除去するための社会基盤の整備にこそ力を注ぐべきだろう。

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