台風直下の沖縄合宿での話。9月4日午後、暴風雨圏内に入る数時間前、私は2つの予定が台風のためキャンセルになり、一人ホテルに残された。学生たちはすでに取材に出発している。まるで台風の目に入ったような、空白の時間ができた。そこで、まだ雨が降らないうちにと、国際通りに向かう。しばらく行くと、映画館があった。作品は『ウィンドトーカーズ』(ジョン・ウー監督)。東京に戻れば映画を観る余裕などまずない。沖縄戦を体験した沖縄の人々は、このサイパン戦の映画をどうみるか。映画よりも、聴衆の反応を観察する。そういう「取材」をしよう、と言い聞かせて映画館に入った。だが、「期待」は見事に裏切られた。広い館内に観客は8人しかいない。しかも若いカップルばかり。ウチナーなら、台風が迫っているのに外出などしない。私と同じ、暇つぶしの観光客のようだ。というわけで、映画に徹することにした。
ナバホ族出身の兵士が主人公ということにまず注目した。インディアン対騎兵隊という西部劇の構図を、日本軍対米軍に置き換えただけの作品ならば、まず金を払って観ることはしない。この作品は、米軍内部のマイノリティ(先住民ナバホ族)の兵士(アダム・ビーチ)を主人公に据えたところに特徴がある。いわば「ナバホ族のアメリカの戦争」(山辺健史)である。
物語は、米海兵隊がナバホ族を通信兵にして、部隊間通信を日本軍が盗聴しても、それを解読できないようにしていた。ナバホは暗号通信兵として前線に出るのだが、それを「護衛」する下士官(ニコラス・ケイジ)の任務は、ナバホ兵が日本軍の捕虜になりそうな状況に陥ったら、彼を殺して、暗号の秘密を守るというもの。最初は反発していた二人の間に友情が芽生え、そして最後には……、というハリウッド映画お得意の展開である。
米軍内の差別も随所で描かれる。派手な戦闘シーンが売りだが、映画『パールハーバー』のような「とんでもなシーン」が続出というほどでもない。ただ、ナバホ族の兵隊が日本兵の恰好をして、「捕虜だぁ」と言っても、日本軍の下士官が疑問に思わない箇所は笑えた(「捕虜であります」くらい言わせないと)。あと、日本の野戦重砲部隊の15榴(155ミリ榴弾砲)の発射シーンでは、砲弾がカラフルな米軍のものだった。他にも色々と「変な場面」はある。むしろ私が気になったのは、描き方の「目線」である。
この映画では、「敵」は日本軍である。銃剣を使った白兵戦が随所に出てきて、刺しつ刺されつの残虐シーンが続出する。日本軍将校の軍刀で、主人公の戦友の首が飛ぶシーンまである。だが、「顔の見える距離」の戦闘にもかかわらず、日本兵には鉄兜を目深にかぶらせ、表情をできるだけ見せない演出がなされている。22000人の日本の民間人が死んだ悲劇も一切カットして、ごく少数の日本人母子と主人公との「交流」だけを描く。最大の映画市場である日本の聴衆に、少しでも残虐感を薄めようという「工夫」だろう。
一般に、「チャンバラ」や西部劇、戦争映画を「娯楽作品」にする場合、私のみるところ、少なくとも次の3点が暗黙の前提ないし「約束ごと」にされているように思われる。
第1は、「斬られ役」「撃たれ役」は人相が悪い、「いかにも悪者」という表情をしているか、あるいは画一的で無表情であること。「斬られ役」を表情豊かで、人なつっこい人物に描くと、それを斬ることに残虐感が生じ、主人公への感情移入が不徹底になる。一方、画一的で無表情というのは、例えば、黒沢明監督の「影武者」や「乱」がその典型。騎馬武者と「その他大勢」の足軽は徹底して均質・無表情な集団として描かれる。鼻から上に影を作り、目の表情が読み取れない照明にする。そうすると、どんなにたくさん死んでも「集団の美」になり、戦闘シーンの残虐感は希釈される。
第2に、斬られたり、撃たれたら、すぐに死ぬ(動かなくなる)こと。実際の戦闘では即死は少ない。腹部を撃たれた場合、腸がダラーッと出てきても、かなりの時間生きている。だから、敵兵がのたうって苦悶するシーンを映せば、観客は「味方」に感情移入しにくくなる。この作品でも、日本兵はすべて即死するが、米兵は死ぬまで時間をかける。
第3に、五体満足で死ぬこと。手榴弾で機関銃座を吹き飛ばせば、当然、死体の損傷は激しい。「やったぁ!」と観客が思うためには、破壊された機関銃座の内部は絶対に見せない。敵兵の千切れた片腕が家族の写真をしっかり握っている、なんてショットを2秒間流しただけで、観客の主人公への眼差しは変わる。演出しだいでいかようにもなるのだ。 人がたくさん死んでも、残虐感を与えない映画もたくさんある。それは、総じてこの3つの約束ごとを守っている場合が多い。『プライベート・ライアン』は、スピルバーク監督がこれを守らなかったから、『史上最大の作戦』と同じ戦場を描いたのに、まったく違った反応がかえってきた。人が死ぬまでのプロセスの描き方でいくらでも残虐感を変更できる。これが「目線」の問題である。レマルクの「西部戦線異状なし」は、そうした「味方」に感情移入させる「目線」の存在しない例である。 昨年、つかこうへい「広島に原爆を落とす日」をめぐって、担当プロデューサーと対談した(『世界』2001年9月号・岡村・水島対談参照)。ヒロシマ・ナガサキでも、「目線」の問題は論点となった。対談で私は、ドラマ「水戸黄門」の例をあげた。もし、「斬られ役」の侍を丁寧に描いて、子どもと別れを惜しむシーンを挿入すれば、黄門様が「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」とやって、格さんが脇差しでその侍を斬殺し、しばらくして黄門様が「もう、いいでしょう」といって「葵の御紋の印籠」を出させて、一同ハハーッとなったら、観客は、「何でもっと早く出さないんだよー」と怒り、黄門様ご一行への眼差しは厳しくなるだろう。だから、いつも「斬られ役」は、悪代官風の人相をしているか、無表情でなければならない。西部劇でも、駅馬車を襲うインディアンは、表情豊かには描かない。ハリウッド映画のドイツ兵も同じである。
このハリウッド映画の感覚で、いまイラク攻撃が準備されている。1991年の湾岸戦争の時も、メディアの「目線」は徹底的にアメリカ(「多国籍軍」)寄りだった。イラク兵の死体はほとんど出てこない。精密誘導装置付きのミサイルが目標に「見事に」着弾する映像が、ニュースで何度も家庭に流された。少し流れが変わったのは、1991年2月12日のバグダッドの「アル・アメリア防空壕の悲劇」からだ。米軍は軍事目標として爆撃したと説明したが、そこには女性や子どもを中心とする市民が避難していた。1500人が死亡したという。子どもたちの黒こげ死体が搬出される映像が流れると、西側メディアにも変化が生まれた。これは、ラムゼイ・クラーク編『アメリカの戦争犯罪』(柏書房)に詳しい。
なお、ベトナム戦争でも同様だった。米軍が村人506人を虐殺した「ソンミ村事件」(1968年3月16日)を、『ライフ』誌(1970年1月19日号)が写真入りで伝えてから、米国内の雰囲気が一変した。女性や子どもが震えながら肩を寄せ合う写真、一斉射撃のあと道に倒れる子どもや女性の死体。顔を撃ち抜かれた、ものすごい形相の女性の死体…。この「目線」の変化は、その後のベトナム反戦世論の高まりに大きく影響した。だが、虐殺が終わってからでは遅い。米軍のイラク攻撃はこれからである。
【付記】本稿は、多忙時のストック原稿として9月27日に執筆されたものである。