韓国レポート最終回は、ソウル大学法学部(正確にはソウル大学校法科大学)で開かれたシンポジウムについて書こう。これが今回の韓国訪問の主要な目的である。シンポのタイトルは「21世紀北東アジア平和・安全保障情勢の変化と日韓の安保・治安法制の構造」。まさに「旬」のテーマである。日韓共同研究プロジェクトで参加したメンバーはすべてその道の専門家だが、韓国側の報告は、私にとっては特に興味をひかれた。韓寅變(ソウル大学校教授)「韓国の軍事主権と人権」、李季洙(蔚山大学校教授)「韓国の軍事法と治安法」、張達重(ソウル大学校教授)「南北和解・協力と韓国の安全保障体制」の3本である。なお、日本側は山内敏弘一橋大教授、大久保史郎立命館大教授、豊下楢彦関西学院大教授の3人が報告した。
韓寅變教授は、韓国における「軍事主義」の展開と、その社会的影響を歴史的に分析した。その際、長期にわたる「軍事主義」の支配を4 つのレヴェルに分けて論ずる。(1) 制度としての軍事機構、(2) 強力な物理力の独占体としての暴力の濫用、(3) 規律のメカニズムとしての軍隊、(4) イデオロギーとしての反共主義、である。特に(3) は、成人男性の大多数が、軍隊という全体主義的統制施設において数年間を過ごすので、権威主義的位階秩序と命令体系に対する服従を体質化させることになる、と指摘する。国家保安法の果たした役割も詳細に検証しつつ、それが民主化後「枯死」したものの、「保安観察法」という形の「新生児」を残した点に注意を喚起する。韓教授は、「何十年にわたる軍事体制は、1987年以降打撃を受け、市民社会を圧倒していた軍の力が退き、今では軍は兵舎にいるだけだ」と語る。ただ、「軍隊式の規律方式は再生産されており、市民の日常生活の思考方法に大きな影響力を及ぼしていること、それに代わるべき平和運動がまだしっかり成長しておらず、そのため、軍事体制の後退が、多様性と寛容を土台に置く人権価値の伸長にそのままつながっていない」と指摘しつつ、軍隊の存在と軍事主義が、依然として韓国の人権に及ぼす影響は楽観できないことを強調して、報告を結ぶ。若い頃に民主化運動で活躍した教授だけに、民主主義の定着への熱い思いが感じられた。
李桂洙教授の報告は、韓国の軍事・治安法の全体構造に対して、独自の視点から鋭く切り込むものだった。30代の若い教授だが、ドイツ留学中に得た、雑誌“Kritische Justiz" 関係の批判的法律家とのコンタクトを活かしつつ、鋭い実態分析に基づき法構造の解析を試みる。李教授が最初の方で紹介したデータは重要である。すなわち、韓国では、毎年300人近い兵士が軍隊内で自殺や事故で死亡し、毎年5000人近くが精神疾患にかかるという(ここ数年減少しているというが、ここ5年間の年間平均自殺者は188人)。徴兵制がもたらす社会的問題の側面と同時に、軍隊内の秘密的問題処理を、公正性と独立性を備えた機関によって調査していく必要性を説く。これは自衛隊内の自殺問題と防衛オンブズマンについての私の問題意識と重なる。李教授はまた、テロ対処などの軍隊の新しい役割は憲法的にどのように正当化されるか、という問題にも触れた。実にホットなテーマである。「軍事と治安領域の錯綜」というテーマも、この11月18日、陸上自衛隊北部方面隊と北海道警察との初の共同図上演習が行われただけに、実に参考になる。なお、韓国には、「戦闘警察隊」や「維新事務官」という独特の制度がある。前者は、警察にもかかわらず、相手を殲滅すべき敵として扱う。後者は軍出身者を一般行政機構に採用するための制度である。また、民間人に対して軍人が職務質問することができるし、軍による対民情報収集活動(いわゆる民間人査察)も行われている。李教授は、こうした事例を通じて、軍が、憲法秩序に及ぼす否定的影響を明らかにしながら、正常な憲法秩序への復帰の可能性を探るのである。私にとって、比較憲法的・比較軍事法的視点を踏まえた報告は大変刺激的だった。シンポでは、私もいろいろと質問した。
最後に報告した張達重教授は、南北首脳会談以降の状況を、「全面的対決関係」から「制限的対決」と「制限的相互依存」関係への発展と特徴づける。今後、南北が「全面的相互依存を通じた平和的関係」へと向かうことができるか。ドイツモデルが「冷戦に勝利するという形での吸収統一」だったのに対して、韓半島〔朝鮮半島〕でこれから起こる事態は、「冷戦を克服する過程での統一」であるとする。そのためには、(1) 中国をはじめとする民主主義の波が北朝鮮に及ぼす影響、(2) 国家間の変化(ハードステートからソフトステートへ)、(3) 地域システムの変化、(4) 各国の市民社会間の連帯、が大切であるとする。そして、難民や麻薬、テロ、環境問題などに、北東アジアの国々が共同で対処する。そのなかで、この地域に多元的共同安全保障体制を立ち上げていく。張教授は、南北が「多元的な安全保障共同体を経て、ゆるやかな国家連合へ向かう」と予測しつつ、市民社会間の連帯の必要性を強調する。シンポジウム全体を通じて、北東アジアにも全欧安保協力機構(OSCE)のような地域的な集団安全保障の枠組を作っていくことの意義が浮き彫りになったように思う。
最終日に訪れた国防大学校(日本の防衛研究所にあたる)では、陸軍中将の総長をはじめ、現役大佐クラスの教授たちと、安全保障問題について率直に意見を交換した。中将は、日韓併合問題から話を始めた。そして、韓国軍は自由市場経済と法治主義に基づくと言い切った。教授たちとの意見交換では、北朝鮮問題の専門家やテロ・特殊部隊の専門家のほか、竹島問題の専門家も同席した。「日本では『有事法制』の理由づけとして、北朝鮮の工作船やゲリラ・コマンド対処が言われているが」と私が質問すると、テロ対策の専門家の教授(陸軍大佐)は、北朝鮮の特殊部隊の活動が減少していることは統計的にも実証されていると述べつつ、一隻の工作船で大騒ぎをする日本の状況について冷やかな見方を示した。「北の脅威」についても、「過去の権威主義的政権があまりに過剰に脅威を煽り、『脅威の日常化』が起こっていた」と指摘。ソウルは38度線からわずか47キロ。北朝鮮の重砲の射程距離内にある。「50年間の繁栄を守るためには戦争をしてはならない。脅威はあるが、戦争を抑止するためにあらゆることをする」と、きっぱり言い切った。「国防白書」を作成する際、「主敵」の表示についていろいろと議論されたというが、結局、2001年版から北朝鮮=主敵としては載せていないそうだ。むしろ、日本の軍事大国化に脅威を感じているとの指摘もあった。日本の民間研究者との交流は、韓国軍として初めてという。竹島問題の専門家に出番はなかったが、日本との関係をかなり意識していることは確かだろう。
シンポジウムと国防大学校での議論は上記に尽きるものではない。今メモやレジュメを読み直してみても、いかに充実した交流の場であったかがわかる。なお、徐勝教授の驚くべき人脈で、私たちがレストランで食事をしている時にも、著名な人物が次々と携帯電話で呼び出されて登場する。ハンギョレ新聞論説主幹やKDI大学院教授との交流もその一つ。ラフな恰好の人が食事中の私たちのところにあらわれ、その肩書を聞いてびっくり。彼らとの議論やシンポジウムの報告・討論を通じて、北朝鮮をいかにソフト・ランディングさせていくかという点では暗黙の合意ができていると感じた。だから、北朝鮮が、拉致問題や核問題などで傲慢・強行な態度をとることに過敏に反応しすぎるのは危険である。北朝鮮が謀略にたけた国であることくらい、韓国の人々は長い体験からとっくに分かっている。張教授が言うように、韓国では一部の極右を除いて、みなソフト・ランディングを求めている。金大中のあとに、どのような政権ができても、「太陽政策」の基本方向は大きくは変わらないだろう。そうした方向に、日本もできる限り協力すべきである。毅然とした態度で交渉を積み重ねるなかで、拉致被害者の問題の解決をはかると同時に、北東アジアの安全保障枠組をつくる方向で努力することが大切だろう。
今回の韓国行きは、徐勝立命館大学教授の絶妙のコーディネートと、ソウル大助手や留学生の誠実なサポートのたまものである。充実した出会いと有益な時間を演出して下さった方々に改めて感謝したいと思う。