昨年9月にゼミ合宿で長崎に行った際、基地班の学生たちは、佐世保の海自地方総監部などを訪れた。そのことは昨年の直言で書いた。そこでは、相浦駐屯地にこの3月に新編された「西部方面普通科連隊」のことも触れた。ところで、全国初の「有事即応部隊」と言われるこの部隊で、5月と7月に隊員3人が相次いで自殺した。『産経新聞』は7月15日に「陸自・特殊部隊で自殺相次ぐ」とホームページで一報を伝えた。『朝日新聞』は西部本社(福岡)発行が1社(第1社会面)で大きく取り上げたが、東京・大阪・名古屋各本社発行の紙面には掲載されなかったため、大半の方はご存じないと思う。『朝日』西部本社7月16日付によると、5月12日に一等陸曹(48歳)が鹿児島県の自宅近くで、同26日に三等陸曹(33歳)が宮崎県内の自宅近くで、いずれも帰省中に首をつって自殺した。二人とも精強で知られるレンジャー資格をもっていた。さらに7月8日には、レンジャー資格を持たない三等陸曹(31歳、産経は32歳)が駐屯地内の屋外訓練場で首をつって自殺した。わずか600人の部隊で3人が連続して首吊り自殺をするというのは尋常ではない。陸自西部方面総監部によると、「訓練が厳しすぎたとか、隊内でのいじめがあったという話はなく、原因は分からない」ということだ。陸上幕僚監部では、関係隊員の精神的なケアや部隊の現状把握、自殺の背景などを調べるため、「自殺事故アフターケアチーム」の派遣を決めた。社会民主党も7月22日に、今川正美代議士を団長とする調査団を派遣する(『朝日』西部本社7月17日)。
隊内での自衛官の自殺をめぐっては、「自衛官の自殺と防衛オンブズマン」で一度書いたほか、護衛艦「さわぎり」での自殺問題についても触れた。私は今回の「西部方面普通科連隊」の連続自殺事件は、従来の「いじめ」による自殺のケースなどとは根本的に異なり、国の対外政策的転換と深く関連していると見ている。というのも、まず第一に自殺者がすべてベテランの陸曹クラスであったことに注目したい。自衛隊の現場は、たたき上げの陸曹クラス(下士官)が支えているといっても過言ではない。家族持ちが多く、自衛隊という職場で定年まで淡々と仕事をこなす実務派である。防衛大卒の幹部自衛官は各地を頻繁に転属して歩くため、家族は引っ越しのダンボールも全部開けないで次に備えるほどだ。それに比べて、陸曹クラスの人のなかには、あえて三尉昇任試験を受けないで、部隊の近くに家を建てて、地域と密着した生活をする人もいる。私も北海道時代、そういう自衛官を知っている。よき家庭人であり、よき隣人であった。そういう人たちは自衛隊の仕事について、「公務員ですので、生活のための職場として淡々と仕事をこなすだけです」と屈託がない。その仕事は、部外工事であり、災害派遣であり、雪中築城訓練(札幌雪まつりの雪像造り)である。家族思いの、真面目な人々であった。今回の自殺事件を聞いたとき、北海道時代に出会った人々の顔とだぶって、心が痛んだ。
入隊したばかりの若い隊員ではない。ベテランの下士官クラス。しかもレンジャー徽章をもつ、肉体的にも精神的にも鍛え抜かれた隊員が、家族を残して死を選んだ。特に48歳の一等陸曹は、私とほぼ同じ年齢だ。『朝雲』(自衛隊の準機関紙)を毎週読んでいるが、昇任、昇格の時期になると人事一覧が出る。私の年齢で、最短のエリートはすでに陸将補(旧軍では少将)になっている。その三曹は48歳になるまで、なぜ三尉昇任試験を受けなかったのか(あるいは受けても落ちたのか)は不明である。幹部にならなければ、自宅の近くの部隊に勤務できる。ところが、たまたまレンジャー資格を持っていたため、特殊な部隊の編成にあたり、単身赴任を余儀なくされてしまったのだろう。二人とも自宅の近くで自殺しているのが痛ましい。
私はこの問題は、周辺事態法やテロ特措法、そして今回の「有事法制」論議を通じて、自衛隊が「専守防衛」から、米軍支援のためアジア・太平洋地域に軸足を移しつつあることと無関係ではないと思う。すでに紹介したように、ドイツは「ブッシュの戦争」に直接戦闘部隊を送るなどして、連邦軍の1万人以上を海外に派遣している。その結果、国防軍として組織され、生活も意識も国内を中心に考えてきた軍人たちのなかに深刻な「士気の動揺」が起きている。連邦議会軍事オンブズマン(防衛監察委員)のところには、家族と別れた長期にわたる海外勤務への不満や、待遇面や情報の不足への不満、将来への不安を訴える請願が数多く寄せられている。
「西部方面普通科連隊」という名称からは窺い知ることはできないが、『産経』の見出しが「陸自・特殊部隊」としているように、この部隊が、米軍の対テロ戦や予防戦略に日本が協力する際の実動部隊であり、具体的には、輸送艦「おおすみ」やヘリなどと一緒に運用する緊急展開部隊の一つであることに間違いないだろう。離島・島嶼防衛を表向きの任務とするが、米軍が「悪の枢軸」諸国に対して先制攻撃を開始したとき、日本が海外に最初に出す「特殊部隊」となることはほぼ確実である。そうすると、レンジャー資格があるということで各地から集められた隊員たち、特に家族持ちの下士官クラスにとっては、これまでの自衛隊にはない海外緊急展開部隊の任務には戸惑いを隠せないはずだ。ドイツ連邦軍が陥っているジレンマと同じことが、いよいよ自衛隊にも起こりはじめた。その不幸なあらわれが、このベテラン陸曹連続自殺事件ではないだろうか。
1954年に保安隊から自衛隊への切り替えの時期、全国の部隊で一斉に宣誓を行ったところ、保安隊員のうちの7300人が宣誓書に署名しなかった。つまり自衛隊への移行を拒否した。群馬県新町の部隊では、800人の三士のうち150人が宣誓を拒否した。家庭の事情や待遇不満から任期満了で辞めるつもりで宣誓拒否をした人もいたが、任期とは無関係に、軍隊化を嫌って宣誓を拒否した隊員もかなり含まれていたという。「今までの主任務だった国内秩序維持から、外敵防衛が主任務となった」ことへの反発である。
自衛官が行う宣誓書には、「私はわが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、……事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の付託にこたえることを誓います」とある(拙著『武力なき平和』173頁以下参照)。「わが国」のためではなく、米軍が行う先制攻撃に参加して命を落とすことは、この宣誓書からは要求できないだろう。いま問われているのは、根本的な議論もなしに、そして自衛官の納得なしに、自衛隊を使った「力の政策」の道に日本が歩みだしたことである。自衛隊法3条本則(自衛隊の任務)はそのままに、なし崩し的に周辺事態活動などを付け加えてきた。家族持ちの、分別あるベテラン自衛官がなぜ死を選んだか。単身赴任の精神的不安定さだけではないだろう。私も広島で単身赴任を5年したからわかるが、自分の存在と将来に不安をもつことほど精神衛生上よくないことはない。いま、政府は米国に過度に気をつかいながら、自衛隊の国際政治的利用の道を歩んでいる。しわ寄せは派遣される現場の自衛官にくる。自殺した3人が、「有事」の際にどこよりも早く投入される自分の任務に、どのような考えを持っていたかはわからない。だが、自殺という究極の手段をとった以上、その不安と不満は相当な程度にまで達していたのではないか。そのあたりも含めて、しっかり調査してほしい。単なる中年男性の精神不安定やメンタル・ケアの問題に還元されてはならないだろう。