外務省設置法4条9号 2003年1月20日
がゼミ学生たちも、国家一種など各種試験にパスして、いろいろな官庁や自治体で働いている。これからも、どんな分野に進出してくれるか楽しみである。もっとも、昨今、いずこの役所も評判はあまりよくない。長年にわたる組織の弛みや惰性が、さまざまな形で噴出している。ただ、大臣や高級官僚を批判するあまり、その役所で誠実に努力している多くの職員がいることを忘れてはならないだろう。地味な努力は見えにくく、汚職やミス、失態はニュースになりやすい。これはどこの世界でも同じである。
ところで、海外で生活した経験のある人ならば、「在外公館体験」は一度ならずともあるはずだ。率直にいって、在外公館は何のためにあるのか、と疑問に思う人も少なくないのではないか。デンバー総領事の公金の私的流用や、「要人外国訪問支援室」(すでに廃止)の室長の乱行(愛人の名前をつけた競争馬まで!)などが暴露されるにおよび、このところ外務省の評判はすこぶる悪い。昨年の中国・瀋陽日本総領事館の駆け込み事件は、その後の北朝鮮問題の対応を象徴していたようにも思える。
1991年の在外研究のとき、ベルリンの日本総領事館に在留届を出しにいって、実に不快な思いをした。具体的内容は省くが、あまりの怒りに在留届も出さず、滞在中二度とそこには行かなかった。いったい何様のつもりだ、というのが当時の印象だった。
外務省設置法という法律がある。その第3 条には、「外務省の任務」が書かれている。「外務省は、平和で安全な国際社会の維持に寄与するとともに主体的かつ積極的な取組を通じて良好な国際環境の整備を図ること並びに調和ある対外関係を維持し発展させつつ、国際社会における日本国及び日本国民の利益の増進を図ることを任務とする」。そして、第4条には、上記の任務に基づく所掌事務が29項目も列挙されている。そのなかの第9号に、「海外における邦人の生命及び身体の保護その他の安全に関すること」とある。なぜ、高い税金を使って在外公館を置いているのか。在外自国民保護は、国の重要な任務の一つである。それと付随して、各種サービスの提供がある。しかし、残念ながら、キャリアと呼ばれる人々のなかには特権意識まるだしで、自分が公務員(Civil Servant) であることを忘れてしまった人も少なくない。それを私はベルリンで体験したわけだ。
 2度目の在外研究のときは、家族とともにボンに滞在した。その間、大使館関係の何人かの方々と、家族ぐるみでお付き合いした。皆すばらしい人たちで、よい思い出しか残っていない。偶然だが、すべて他省庁から大使館に出向してきた人たちだった。当時、日本大使館はベルリン移転の準備を始めていた。ボン滞在中、大使館(途中から、ボン駐在官事務所)に行くときは、91年のベルリン滞在時とはかなり違った気分で訪れることができた。そこで働く人々と「顔の見える関係」が作られたこともあるが、それだけではなかったように思う。
帰国後、『読売新聞』2001年3月14日付を読んでいたとき、私の目はある記事に釘付けになった。「ケルンの告発、外務省封印」「専用機で羽毛布団や高級ワイン120本」という見出しの社会面トップ記事だった。
私がボンに滞在していた1999年6月。ケルンに小渕首相がやってきた。「主要国首脳会議(サミット)」に出席するためである。そのとき、日本大使館関係者のなかで何やら「もめごと」が起こっていたことは現地で聞いていた。それが何だったのかは、一民間人である私には知る由もなかった。この『読売』記事によって、当時親しくしていた大使館関係者の方たちの間にあった「ただならぬ雰囲気」の意味ががわかった。くだんの高級ワインが購入された店は、私の住んでいたところからほど近いところにあり、何回か買い物に行ったこともある。まさにご近所の出来事であった。『読売』の記事を引用しよう。
……3日間にわたる日程の最終日。随行団が宿泊したホテルの一室では、大勢のドイツ大使館員たちが、政府専用機に載せて日本に送り返す総勢120人分もの荷物の仕分け作業に追われていた。外務省の元要人外国訪問支援室長・松尾克俊容疑者(55)が、その部屋にふらりと姿を見せ、一人に声をかけた。「間違えるな。この前の時は、だれかが間違えて、違う相手に品物を送ってしまったんだ」。この大使館員がこん包していたのは、10ダースもの高級ドイツワインと6組の羽毛布団。段ボールには、松尾容疑者の自宅や、複数の人物の住所が書かれている。不審に思った別の大使館員が「この人は」と尋ねると、松尾容疑者は「兄弟だ」と答えた。ワインの大半は帰国後、同省会計課や人事課などに配る土産だ。羽毛布団は、松尾容疑者の愛用品で、すべて大使館の機密費で購入されていた。随行団の帰国後、ドイツ大使館は、この出来事を巡って紛糾した。「公用品の私物化だ」「まして専用機に載せるとは何ごとだ」――。他省庁からの出向組が、松尾容疑者の公私混同ぶりを指摘したのだ。彼らは松尾容疑者の不正を報告書にまとめ、大使に突き付けた。しかし、批判は封じ込められた。「情報ありがとうございます。支援室には注意しておきます」。キャリア外交官のひと言に、出向組はそれ以上、何も言えなくなった。報告書は大使の机にしまいこまれ、日本に送られることはなかった。……
 記事は、外務省幹部の次のような言葉で結ばれている。「海外に一度でも赴任すれば、機密費のずさんな使われ方が分かる。しかし、一つの不正を追及すれば、外務省全体の不正も問わなければならなくなってしまう。だから、ふたを開けるわけにはいかない」。
 ある役所に長くいれば、その役所の論理や慣習に染まってしまうことも多いだろう。特に在外公館は、日本から遠く離れているため、どうしても庶民の感覚が鈍りがちである。特権意識にあぐらをかいて、自分たちの非常識が見えなくなる。しかし、他省庁からの出向者は違った。おかしいことは、やはりおかしい。公務員として、公金の使用には厳格であるべきだ。あたり前のことをあたり前に主張したのだった。きわめて正常な感覚である。当時のドイツ大使夫妻は、キャリアにしては珍しく腰が低く、現地の関係者の評判はよかったという。だが、その温厚さが、出向者たちの「告発」を微笑みのなかで封印してしまう結果になったようだ。松尾元室長の乱行がマスコミの知るところとなり、世間の指弾を受けるようになって初めて、この事実も明るみに出てきたわけで、そうでなければ、おそらく出向者たちの抵抗は闇のなかに葬られたに違いない。
 公務員制度改革は、まさに「中身」が問われていると思う。かつて「埋もれ真個の人材、いでよ」紹介した「新官吏道7則」。明確なる社会認識をもち、「上官に対し、常に適切なる進言」を行い、「民衆の要望を活現すること」等々。この言葉は、いまにも通ずるところがある。今年、キャリアとして官庁に入るゼミ学生たちにも、ゼミ・研究室で学んだことを自分なりに活かして、じっくり腰を据えてがんばってほしいと思う。
 ちなみに、ドイツの日本大使館はいま、ベルリンのヒロシマ通りにある。「ヒロシマ通り1 番地」の住所表示をイタリア大使館にとられてしまったため、日本大使館が「ヒロシマ通り」を地名に使うまでには若干の曲折があったものの、最終的に「ヒロシマ通り6番地」となった