久しぶりの「雑談」「食」シリーズである。多忙時にUPするストック原稿として書きためておくが、前回は去年1月だった。今回は蕎麦について。私は蕎麦が大好きだが、うんちくを傾けるほどの知識もない。ここでは、馴染みの店を紹介しながら、蕎麦についての個人的思い出を書くことにする。
東京で蕎麦といえば、神田の「まつや」や「かんだやぶそば」など有名店に事欠かない。最近私が行ったところでは、八王子の「車屋」がよかった。でも、ここでの私のお薦めはかなりマイナーである。インターネットの上記サイトにも、書店に並ぶグルメ本にも載っていない。こだわりの店として紹介したいのが、十割手打ち蕎麦の「素朴庵」(TEL042-571-0019)である。東京都国立市矢保672-1 セピアコート国立1階。JR南武線の矢川駅(京王線分倍ケ原駅でJR南武線乗り換え2駅目、JR中央線立川駅で南武線に乗り換え2駅目)下車。甲州街道方面に歩いて2分のところにある。不定休のため、来店の際は事前に電話をしてほしい、とご主人はいう。妻のすすめで行ってから、やみつきになった。ご主人は、大学のグリークラブの指揮者をやっていたという人だ。脱サラで現在の場所に開業したが、まだそれほど時間はたっていない。口コミで来る客が多いらしく、いつ行っても満席ということはない。店内もごく普通の蕎麦屋である。二・八蕎麦、十割蕎麦、更級など種類もいろいろあり、値段もリーズナブルだ。入口近くに蕎麦を挽く作業場があり、毎回、必要な量だけを挽くのだという。 蕎麦を一通り食べた人には、この店の珍しい料理として「巣ごもり蕎麦」をお薦めしたい。これは他の店ではなかなか味わえない。かたい長崎皿うどんを思い出していただければいい。揚げた蕎麦で鳥の巣のようにしたものに、野菜や鶉の卵などの餡掛けが入る。蕎麦を崩しながら野菜などとからめて食べていくと実に美味しい。何を注文しても、蕎麦の実とか、蕎麦の菓子がつくので、都合5種類くらいの蕎麦の味を楽しめることになる。蕎麦コースもある(2500円~)。蕎麦湯は単なるゆで汁ではなく、最初からオリジナルに作った濃厚なものを出す。これが実に美味しい。
ご主人のモットーは「三たて」。「挽きたて、打ちたて、茹たて」である。普通に売られている蕎麦粉を使うのはたやすい。だが、ご主人は「挽きたて」にこだわり、すべて自家製で、使う分だけを挽いている。それも、通常よりも目の粗い篩(ふるい)を使う。私の目の前で、通常の篩とご主人が使う篩にピンをさしてみて、実際に目の粗さを示してくれた。この荒挽き蕎麦がこの店の特徴である。それと、一つひとつ丁寧に作っていくので、注文を受けてから出来あがるまでけっこう時間がかかる。早食いで、待たされるのが嫌いな私でも、この店で待つのは苦にならない。というか、休日に、原稿が一段落したときに車でブラッと行くことが多いので、蕎麦をゆったりと食べる気分を楽しんでいる。
この店の「そばがき」も美味である。2種類あって、私は揚げた方が好きだ。トロッと舌の上にころがる感触が快感である。「そばがき」はこねるのがかなり大変なので、普通の蕎麦屋では敬遠されることあるという。ご主人は合唱指揮者なので、音楽をつむぐような感覚で蕎麦をこねるのを楽しんでいるかのようだ。さほど雄弁な方ではないが、蕎麦の話になると目が輝く。なお、妻がここに友人たちと初めて来たとき、たまたま男性グループの先客があった。しばらくして、厨房から出てきたご主人がサッと手をふると、見事な男性合唱が店内にこだましたそうである。妻はあまりに見事な合唱に、目をまるくしていたという。ご主人のグリークラブの友人たちで、たまに集まって合唱をやっているという。一度ブラッと食べにいって、ご主人と蕎麦談義をすると楽しいかもしれない。
蕎麦で思い出したが、91年のベルリン在外研究時、旧東ベルリンの私の部屋で、広島大学教授(当時)の畑博行先生に蕎麦をご馳走したことがある。このことはかつて直言で一度書いた。そのとき、日本から持参した蕎麦の最後の一束をゆでたのだが、実はベルリンの部屋にはザルがなかった。それで、ゆでた蕎麦を水にさらす際に、鍋のわきからスルッと蕎麦がかなりの量、落ちてしまった。ゴミが下水に流れ出さないように止めている網に蕎麦がひっかかったが、あきらめることにした。残った三分の二ほどを皿に盛りつけて、インスタントのかつお出汁で作った汁を少し濃いめにして、練りわさびをつけた。ドイツの長ねぎは太いので、細かく切るのが結構大変だが、薬味として付けた。先生はアッという間に平らげてしまわれた。「僕が蕎麦好きだということを何で知っているのですか」といわれたが、私はそんなこと知る由もない。先生はドイツに短期滞在されていたので、各地のホテル暮らしが多く、パンばかりの生活に相当参ったいたようだった。「おかわりは?」という顔をされたので、私はキッチンに戻り、流しの下に落ちた蕎麦を手ですくい上げ、何度も水で洗ってから、名に喰わぬ顔でお出しした。先生は目を細めて、一気に食べてしまわれた。このことを13年間、私の頭のなかにしまっておいたのだが、今回、正直に告白する。先生、ごめんなさい。「ベルリンの蕎麦」の思い出である。