「国際貢献恒久法」と「有志連合」の隠れた関係 2003年7月28日

ラク特措法が成立した。この法律の問題性についてはすでに指摘した。今や世界最大の暴力団となったブッシュ政権は、最大の戦争理由の崩壊(「大量破壊兵器」の未発見)に対して居直るどころか、「だからどうした!」という態度で、ますます凶暴化している。1月28日にブッシュが一般教書演説に入れた16文字(アフリカのウラン問題への言及)をめぐって、政府部内で責任の押しつけあいも始まっている。だが、これはCIA長官の首の一つ飛んで終わりというわけにいかない。この事件は、先月、私がNHKラジオでとりあげた時はまだ「ベタ記事」だったが、それが、わずか半月で、世界が注目する政治的焦点に浮上した。これはブッシュ政権の「終わりの始まり」になるかもしれない。

  そして先週、米軍は金にものをいわせて身内を寝返らせ、ついにフセイン大統領の息子2人を殺害。その写真を公表した。銃で抵抗する彼らに、対戦車ロケットまで発射した。5月1日にブッシュは「戦闘終了宣言」をしているから、これはもはや戦闘ではない。マスコミ注視のもとでの一方的殺戮である。そして写真公表。まるで敵将の生首を晒した日本の戦国時代の武将の感覚である。アラブ諸国のメディアは米国の対応を厳しく批判。コーランは、死者の亡骸を公開の場にさらすことを禁止し、死後24時間以内に埋葬するよう求めていることから、アラブ諸国では米軍のやり口への反発は強い。ラムズフェルド国防長官は、遺体写真の公開は「正しい選択だった」として、その理由として「この二人はとりわけ非道な人物だった」ことを挙げた。だが、「彼らが犯罪者であったとしても、遺体に対するこのような扱いは許されない」というのがアラブ世界の平均的受け止め方のようだ。イラクの新聞のなかには、写真公開をボイコットものもあったという。

  米国のメディアは一切に写真を公表したが、ヨーロッパのメディアは慎重だった。「大量破壊兵器の嘘」の先例もある。遺体写真が本物かどうかを疑う記事が、早い段階で、ドイツの保守系紙DIE WELTに載ったのは注目される。「サダムの息子の死、最終的な疑問残る。米政府はモスルの遺体二つをサダム・フセインの息子たちだと説明するのに急だが、それが本物かどうかの確実性がなお欠けている」「比較する資料の偽造もありうる」(7月25日付) 。同紙は、25日朝(日本時間)の段階でHPに遺体の写真を公開していたが、午後になって削除した。リベラルなFrankfurter Rundschau紙は「セックス商売、犯罪商売、戦争商売」と、遺体の写真をめぐるマスコミの「商売」的対応を皮肉まじりに紹介。ドイツ・プレス評議会のプレスコード第11号「暴力と残虐性の不適切でセンセーショナルな表現は見合わせる」も引用している。有名週刊誌Der Spiegel は、2人の顔のアップの写真は載せず、ベッドに横たわる遺体の遠景写真のみを掲載した

  日本の三大紙の対応は分かれた。『毎日新聞』は、25日付朝刊で遺体の顔の写真を大きく掲載した。『朝日新聞』は紙面には直接出さずに、HPに生々しい写真を出した。掲載にあたっては、米国CNNが注意書きを付したが、『朝日』は何の配慮もしていないどころか、ごていねいにも、生前の写真を並べて掲載した。これに対して、『読売新聞』は、紙面でもHPでも遺体の写真は直接出さなかった。今回の写真公開は、一般的な戦場写真や戦争の残虐性とは別に、米軍のきわめて政治的意図が背後にある。この点に関する自覚と配慮がもっとほしかった。その意味で、『毎日』と『朝日』の対応は、ヨーロッパの各紙の対応に比べると安易だったように思う。今回、私は『読売』の対応を評価する。 ブッシュ政権は、イラク民衆に対して、「これでサダム政権の復活はない」とアピールしたかったようだ。だが、コーランの教えを含めて、「傲慢無知」のブッシュ政権は、さらなる見込み違い、誤算を繰り返した。このミスの影響は、予想以上に尾を引くだろう。 そうしたなか、「コアリション」=「有志連合」(Coalition of the willing) という言葉が使われはじめた。米国が、「対テロ戦争」、とくに今回の「イラク戦争」で多用する言葉である。国連でも同盟国でもなく、「有志連合」。米国は、独仏の「古いヨーロッパ」ではなく、自分の言い分をよく分かってくれる「新しいヨーロッパ」(旧東欧諸国)を含め、「有志」(the willing) と一緒に世界を仕切ろうとしている。国連は、経済や開発、医療などの分野では今後も引き続き「利用」していく。だが、安全保障問題は「有志連合」でやる。ブッシュ政権になって、この方向が露骨になってきた。イラクに派兵する国々の多くは、「有志連合」から仲間外れにされたくないという思惑が大きいようだ。

  日本でもこの方向に乗る議論が、保守論壇や政治家の一部から強調されはじめた。例えば、秋山昌廣氏(元防衛事務次官)は『読売新聞』1月7日付で、「新有志国際連合」の創設を呼びかけている。仏独露といった国々や、「とても世界の安全保障に責任が持てるとは考えられない、いくつかの中小国の右往左往に翻弄された」安保理に任せていたのでは、グローバルな安全保障は心もとない。だから、米国の意思決定への合理的な国際的チェックと団結と機動性をもつ新しい世界システムが必要である、と。これを彼は「新有志国際連合」と呼ぶ。秋山氏の発想では、最後までイラク攻撃に賛成しなかった「ミドル・シックス」(非常任理事国6カ国)などは唾棄すべき存在で、とにかく米国の意思決定に参与する「信頼できる身内だけ」で安全保障問題は議論し、実行していこうというわけである。目下のところ、米国のイラク武力行使を支持した日本、イタリア、スペイン、チェコ、ポーランドといった国々がこれに入るだろう。「帰順」した仏独も当然含まれる。

  では、同盟(alliance)と連合(coalition)の違いは何か。「条約に基づく長期的枠組みで義務を伴う」のが同盟であるのに対して、「特定の作戦・目的のための一時的枠組みで自主的に参加する」のが連合(コアリション)である。『サンケイ新聞』7月12日付が紹介したアフガンにおける「コアリション村」。「対テロ戦争」に参加した53カ国の軍隊が参加した連絡調整機関。米中央軍司令部(米フロリダ州)に連絡官として勤務した海自の一佐の話では、各国から集まった軍人たちは、その「村」で自分たちの任務をそれぞれに決定し、相互に調整して本国に報告していたという。米国は他国の情報を絶対に教えない。自分だけは情報を独占しているが、参加各国部隊はお互いに調整しあい、情報交換を「自主的」にするように仕向けられていた。命令はしない。自主的に考えて協力しなさい、というわけだ。でも、それが米国の心理作戦である。まるで、トレーナーか教師気取りの米国。「コアリション」では対等な関係はない。米国の単独行動主義を軸にしながら、その単独行動に、さまざまな経済援助や開発援助、石油利権など、それぞれの国にとって「おいしいもの」をぶらさげられて、米国に「自主的」に協力する。今回の「イラク戦争」後の対応でも、米国は1000人の派遣を要望していたとして、政府は三自衛隊で1000人の派遣計画を作った(陸自は500人の増強大隊1個程度を想定)。しかし、米側は陸自だけで1000人の意味だと言ってきた。補給・輸送部隊を入れれば2000人規模である。そして、『サンケイ新聞』7月7日付によれば、米国政府は、もし日本が2000人を派遣すれば、イラク復興の経済プロジェクト獲得で日本企業が優遇されることを示唆しているという。露骨である。今後、世界の平和がこのように仕切られていくのに対して、日本はどういう態度をとるのか。「コアリション村」の村長は米国である。英国は助役。日本はさしずめ収入役の地位をキープするのだろうか。でも、収入役は市町村では「三役」の一人として、単に金銭の出納のみならず、市町村行政の全体をみる位置にある。だから、日本も「軍事的貢献」を柔軟にやりたい。小泉内閣がイラク特措法の成立を急いだ動機の一つに、この「コアリション・オブセッション(強迫観念)」があるように思う。派兵の時期はいつでもいい。法的仕組みだけをとにかく作り、一刻も早く「コアリション」への積極姿勢を示したい。参議院でイラク特措法案の審議が行われていた7月10日午前の段階で、福田官房長官は自衛隊海外派兵のための「国際貢献恒久法」について語った(『朝日新聞』7月10日付夕刊)。厳密に言えばフライングであるが、その狙いは、「コアリション」のために、軍事的に柔軟に対応できる法的システムを早く構築したい、毎度の事情に縛られる「特措法」形式は今回限りにしたい、ということだろう。その意味で、国連の国際協調主義ではなく、「有志連合」の発想から「恒久法」制定へのモティヴェーションは生まれている点に注意する必要がある。

  なお、言葉にこだわるわけではないが、米国に「クリスチャン・コアリション」というキリスト教原理主義の団体がある。1989年設立で、会員200万人。「共和党を乗っ取る」という明確な目標を持っており、父親のブッシュ元大統領は彼らを抑えようとして大統領選で落選した。クリスチャン・コアリションはパウエル国務長官を激しく攻撃しているという(萬晩報、2002年11月19日参照)。いま、米国内のこの「コアリション」がホワイトハウスにネガティヴな影響力を行使している。そうした米国との「コアリション」に深く寄り添うことが得策なのか。世界の平和と安全保障のためにも、日本にいま求められていることは、偏った「コアリション」からは距離をとり、国連の集団安全保障の活性化、とりわけアジアにおける地域的集団安全保障の枠組み構築のために努力することではないか。そのためにも、イラク特措法の後にくる自衛隊海外派兵の「恒久法」は絶対に通してはならない。

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