毎年12月にゼミのOB総会を開く。私が早稲田に戻ったのは1996年だから、97年に3年次だった学生が水島ゼミ1期生となる。
1~5期生と「水島組」メンバーが各地から参加してくれた。6期・7期の現役ゼミ生も参加した。「水島組」というのは、私が28歳の大学院生の時に法職課程教室で教えた学生たち(学部1年生)で、その後、私が札幌・広島と職場を変えながらも交流を続けている人々である。平均年齢は39歳である。
わがゼミの出身者は法曹、民間企業、マスコミ関係といろいろな分野で活躍しているが、キャリア公務員も毎年出している。今年は3つの省庁に勤務するOBたちがラフな恰好で、一人はラグビーのキーホルダーをぶら下げて参加してくれた。この時期、大学周辺では、こうした会合にスーツを着込んで参加する学生の姿が目立つが、わがゼミ生には私服が似合う。日頃、霞が関でスーツを着ている彼らも、あえてラフな恰好で参加してくる。その気持ちがうれしい。「初心を忘れることなく、小さく縮こまることなく、ただがむしゃらに頑張るだけではなく、次のステップのことも視野に入れつつ、頑張っていきたいと思います」と、一人がその夜遅くメールをくれた。ゼミというのはドイツ語のゼミナール(Seminar)の略だが、もともとはラテン語のseminarium(苗床)からきた言葉だ。「苗床」から育つ種はみな個性豊かで、一つとして同じ種はない。
OB総会の数日後、進路のことで悩んでいるOBが二人、研究室を訪ねてきた。卒業後何年もたち、同期はいろいろな分野で活躍しているが、彼らはこれから自分の進路を決める。その日はゼミの日だったので、3時間にわたる後輩たちの熱いゼミに参加してもらい、終了後、近くの居酒屋で焼酎(私はウーロン茶)を飲みながら二人と話した。私は、「頑張れ。まだ遅くはない」という励まし方はしない。「種がいつ、どのように発芽するか。苗床が決めるのではない。種自身が決めるのさ」。これだけ異なる個性が集まっているのだから、発芽する時期もテンポも異なるのが自然である。「また、後輩の議論をのぞきにおいで」と私。彼らは笑顔で去っていった。♪小さい花や大きな花、ひとつとして同じものはないから、ナンバーワンにならなくていい。もともと特別なオンリーワン♪ おっと、どこかで聞いた歌詞? 私のゼミの募集要綱にはこうある。
…ゼミナールの原語は『セミナーリウム』(苗床)である。種を蒔き、それに水や有機肥料をやり、太陽の光をたっぷり与えて、『問題意識』の果実を育てていく。ゼミは『学問の道場』である。取材能力、文献検索能力、論理的構成力、文章表現能力、プレゼンテーション能力などの錬磨の場である。さらに、ゼミ運営を通じて、教員と学生、学生相互、さらには取材を通じて出会う様々な分野の人々との、まさに『コミュニケーションの道場』である。アポの取り方、相手の意見の聞き方、自分の考えの伝え方、取材後のアフターケアなど、まさに『人間関係の道場』でもある。ゼミを有効に活用できるかどうかは、ひとえに参加者の姿勢にかかっている。『社会への窓』を大きく開け、社会現象に対するアンテナを延ばしながら、時代の転換点にあるこの国とその憲法の行方について、一緒に考えていこう。『はじめに資格試験や就職ありき』ではない、学問をそれ自体として追求しかつ楽むことをこのゼミのモットーとしたい。そこで得られたセンスや『眼』は、資格試験にも、また就職後にも必ず役に立つはずである。そうした担当教員の姿勢に共感する、『こだわりの学生』の参加を希望したい。…
水島ゼミでは、毎年2回(3月と9月)に合宿がある。特に9月が「取材合宿」となる。ゼミを開設した 1997年の広島合宿(毒ガス島、広島、岩国)を皮切りに、98年の沖縄合宿、99年の関西合宿(阪神大震災など)、2000年の沖縄合宿、01年長崎合宿、02年沖縄合宿、03年北海道合宿と7回続けてきた(99年は私が在外研究中のため、学生たちだけの実施となった)。私は、長崎合宿の報告集の序文にこう書いた。
…学問は旅である。自ら前に出るから会える。そこでの出会いが新たな発見と、次の出会いを生む。基地問題一つとっても、問題の構造は実に複雑である。学生たちは基地をめぐるさまざまな立場の方々に話を聞き、頭が混乱したと率直な感想を述べていた。私はそれでいいと思う。そんな簡単に解決策が分かるほど、問題は単純ではない。学生自身が、その「混乱」と向き合い、時間をかけて自分なりの解決策を模索していってほしいと思う。わがゼミのモットーは結論ではなく、プロセスを大切にするところにある。その意味では、合宿はリッチすぎる情報と出会いによって、思考に強烈なパンチを与えてもらえる刺激的な場でもある。…
昨年11月から新しいゼミ生の選考をやってきて、この1月9日に発表した。彼らは水島ゼミ8期生となる。選考の仕方は他のゼミにはない特徴をもっている。選考情報もゼミのHPで公開している。「水島朝穂のファン」とか、「憲法を守れ」などと声高に主張するだけでは、私のゼミには入れない。むしろ、私と意見は異なるが、問題意識やパワー、創造性が感じられる志望者が重視される。選考の原則は、「教員と学生と一緒に選ぶ」である。制度上は教員が実質的判定権をもっているが、私のゼミの場合は、「学生の意見を参考に聞く」という諮問型ではなく、学生が実質的な決定にコミットする参加型をとっている。
まず、志望者には二種類の文章を書いてもらう。一つは私が出題したレポート(「あなたは水島ゼミで何を学びたいかではなく、どのようなゼミにしていきたいか。あなたのプランやプロジェクトを具体的に書きなさい」)。もう一つは、ゼミ内に設けた選考委員会(執行部+数名)が考えたアンケートである。志望者はこの両方を書いて学部事務所に提出する。事務所は提出されたレポートだけを私に渡す。選考委員はアンケートの方を受け取る。定員は15人である。これに対する応募者は、昨年が39人、今年は28人だった。いずれにしても、せっかく志望してくれた貴重な人材を落とさなければならない。これが毎年のことではあるが、大変悩ましい。
私は、選考委員のアンケート内容を事前に知らない。自分が出したレポートだけを読み込んで、順位をつける。ゼミ生の方も、志望者全員のアンケートを
3年生(7期生)全員で読んで、全員が一人ひとりについてコメントをつけ、順位もつける。それを総合したものを選考委員がまとめ、一覧表にして選考会議に臨むのである。
なぜ、文章だけで選ぶのか。あえて面接をやらないのはなぜか。面接をすれば、かなり確実にその人物を判断できる。その場に学生の選考委員も同席させれば、それなりに参加型のゼミ選考にはなる。だが、私はあえて文章だけで選ぶ。教員と学生のそれぞれに向けた文章に表現された志望者の人間を「みる」のである。直接話せば、私なりの人物評価で採否を決めることは容易である。だが、あえて文章だけを何度も何度も読み込むのである。 そうやって出来上がった二種類のリストに基づき、選考会議は熱を帯びる。何人かは、私と選考委員とで意見があわない。正反対の評価の場合も少なくない。その場合は「協議」として、後回しにする。そして、ギリギリまで議論する。時間をかけた選考が終わると、私は選考委員に言い渡す。「いま議論したことはすべて忘れなさい。例えとしてはちっと違うけど、トップ当選だろうが比例復活だろうが、国会議員になれば『全国民の代表』(憲法43条)という点ではまったく同じだよね」と。
ゼミにおいては、結論よりもプロセス(過程)を大切にする。新しいメンバーを入れるときも、プロセスが大事である。新しいメンバーを選ぶ(別の言い方をすれば、志望者を落とす)ということは、まさに選ぶ側が自分と向き合う瞬間でもある。「これだけ優秀な人を落とす資格が自分にあるのか」「去年、自分がなぜ選ばれたのか」等々。彼らは新しいメンバーを選ぶという苦しい作業を通じて、実は自分に問いかける。だから、先輩の4年生は選考にあたる3年生に告げる。「新ゼミ生の選考はしんどいぞーっ」と。そして、この選考過程を通じて、3年生が一皮むけて、3月の新ゼミ生歓迎合宿に、気合の入った企画と準備で臨むのである。
毎年、この選考過程の手間と時間と労力と苦悩を通じて、選考にあたる現役ゼミ生自身が成長していく。「苗床」を維持しながら、私は見守るだけである。