まったく見ず知らずの人が初めて出会うとき、それ相応の段取りが必要である。講演依頼や原稿依頼の場合も同様だ。その昔、山田宗陸氏は『職業としての編集者』(三一書房)のなかで、昨今の編集者は電話一本で簡単に原稿依頼をすると嘆いていた。まず手紙を書いて趣旨説明をする。しばらくしてから電話をして、「直接伺って説明したい」と述べ、筆者と会う時間を打ち合わせる。予定の日時に会って、説明の後に依頼をする。この三段階を踏むのが通常だという。山田氏自身、編集者を長くやっただけに重い言葉だ。私はゼミ学生たちに、この依頼の仕方を教えているので、彼らは人に取材するとき、きちんとこれを実行している。昨今の執筆や講演の依頼は、FAXやEメールが圧倒的に多い。もっとも、私は、相手の依頼趣旨と私の事情がうまく合致すればよいと思っている。大切なことは、FAXでもEメールでもいいから、問題意識がきちんと伝わるような文章を書くことだ。「有事の季節」ということで、今年は1月から12月までの講演(予定を含む)が40を超えた。それにしても、依頼の仕方には人間性が滲み出る。「遠方から呼ぶと金がかかるので、東京在住の先生にお願いしたい」というのにはのけ反った。そう言えば、数年前、ある雑誌の、「特集に穴があきました。先生は筆が早いと伺ったので、是非ご執筆を」という依頼もあったっけ。それから、講演後、ドサッとテープおこし原稿の束が送られてくるのは恐怖だ。「よいお話でした。ぜひ多くの人に知ってほしいので」。でも、それはそちらの事情。私は、講演の場合は「一期一会」の出会いのつもりで全力をあげる。その日参加する聴衆の感覚に最も相応しいネタを仕込み、工夫する。だから、その地方でしか分からない例えもあるし、参加者だけが、私との間の微妙な呼吸のなかで理解できるネタもある。そのライブ感覚は文章では再現しづらい。だから、私は講演のテープおこしは、書き下ろしに近い密度で手を入れる。だが、テープおこしを送ってくる方の多くは、そのことをご存じない。もの書きにとって、活字で残るというのは重大な意味をもつ。夏休み前に届いたテープおこし原稿は何と270 枚。楽屋話から、「ト書き」にあたる部分まで、全部おこされている。そのままでは活字に出来るわけがない。他の仕事を中断して、まる2 日かけて完全リニュアルした。いま、机の上にはそういう原稿の束が3 つもある。最近では、依頼の時点で、講演後のテープおこしを未編集のまま送らないよう頼むことにしている。なお、ここ数年の講演記録が1000枚を超えたため、現在、講演ライブ風の書物の出版を準備中だ。来年以降、私の代わりに、各地でこの本が「しゃっべって」くれることを念じつつ。 |