星野道夫・最後の写真集のこと 1999/1/25


の上で白クマの親子が三頭じゃれ合っている。その向こうに夕日が沈む。氷の海も空も雲も赤く染めながら。童話の世界のような美しい構図に息をのむ。星野道夫『アークティック・オデッセイ――遥かなる極北の記憶』(新潮社)のなかの一枚だ。これは星野氏の遺作となった。96年8月8日、カムチャッカ半島で、ヒグマに襲われて死亡。享年43歳。私が北海道知床でヒグマと接近遭遇して恐怖を味わったのは、その 1週間前の7月31日だった。そのことは、拙著『武力なき平和――日本国憲法の構想力』の序章「ヒグマ・マニュアルと平和論」で書いた。当時私も43歳だった。

  星野氏の死については、画家の宮迫千鶴氏が、広島県呉市のタウン誌(『くれえばん』97年6月号)のエッセーのなかで触れている。彼女が青森・岩木山麓で雑誌の座談会をやったときのこと。誰いうともなく、星野氏の写真集のことが話題となった。座談会終了後、宮迫氏は山の中の神社に参拝に行くのだが、その少し前に、神社付近でハンターがクマに襲われて死亡し、手負いのクマが宮迫氏の近くをうろついていたというのだ。死亡したハンターは星野氏と同じ43歳だった。宮迫氏は、シンクロニシティ(一見偶然に見えるが、実は必然的なつながりがある出来事)を感じたという。

  それはともかく、星野氏の作品は、人の心の奥深いところに訴えるものがある。遺作には、次のような言葉がある。

 「人間が新しい世紀を迎えようとしている今、私たちはさまざまな問題を抱えながら日々を暮らしています。これほど豊かになったのに、これほど人間が怯えている時代はないでしょう。私たちは進歩というものが内包する影にやっと気付き始め、途方に暮れています。エスキモーや極北のインディアンの人々が育んできた人間と自然との関わりを旅しながら、遠い記憶に耳をすまし、そのメッセージを聞きとりたい。そんな想いで、この写真集をつくりました」。

  白クマは、襲われれば確実に命を落とす猛獣のはずなのに、星野氏の写真には白クマへの慈しみと愛が感じられる。クマの習性や性格を知悉しているが故に可能となった作品の数々。その星野氏がなぜ襲われたか。私は前掲書で、「野性動物取材のベテランが襲われた背景には、テレビ局側の無理な取材方法の問題が見え隠れする」と書いた。自分自身を自然に溶け込ませて、ゆったりとした時の流れのなかで撮影する彼の手法が、テレビ局の仕事のために無理をして、いわば「不自然」になった。彼の文章は、皮肉にも、「なぜ彼が襲われたか」の原因を語っているようにも思える。21世紀を前にして、私たちは、「自然と自然に付き合える関係」をどう形成していくかが課題となっている。そんなとき、星野氏の遺作はたくさんのことを教えてくれる。
  なお、「ヒグマとの共生」については、拙著のほかに、『北海道新聞』98年12月24日付「卓上四季」も参照のこと。


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