携帯電話着信音廃止論   2001年3月19日

われるのを覚悟で、携帯電話について再論する。私の友人・知人のほとんどが携帯を持っている。わが家の保有率は75%だが、高校時代の友人は家族4人全員が持ち、保有率100%だという。「かけるが、出ない」主義の人、もっぱらメール専門という人もいる。常に「つながっている」状態でないと不安でたまらない人たちと違って、携帯を生活にうまく活す人々も確実に増えている。これだけ使用者が増えた以上、携帯との「共存」をはかる工夫が必要だとも思う。

  そんな時、一つの「事件」が起きた。先月、私が担当する政経学部の「法学B」の学年末試験でのこと。受講生650人、試験場は9教室。その一つで、答案を提出しようとした学生の携帯電話が鳴り、試験監督は答案の不受理を宣告したのだ。その日の夕方、当該学生から直接説明を受けて事態を知った。彼は試験終了9分前に答案を書き終わった。答案を提出しようと教壇に向かったが、椅子から立ち上がる際、無意識のうちにポケットの携帯の電源をオンにしてしまった。そして、試験監督に答案を渡そうとした、まさにその時、着信したのだ。政経学部では、「試験注意事項」として、学生にこう掲示している。「携帯電話(PHS、ポケベルを含む) を試験場に持ち込まないで下さい。試験時間中に、時計、携帯電話あるいはパソコン等の機器から、いかなる音であっても音を発した場合は、不正行為とみなし当該試験科目は無効とします」。ちなみに、法学部の「試験注意事項」には、「携帯電話等の使用は理由の如何を問わず(時計としての使用でも)禁止します。必ず電源を切り、机上には出さないでください」とある。電源を切ってポケットや鞄に入れておくことは許される(と解される)。だが、政経学部の場合は、持ち込み行為と音の発生行為の双方が禁止され、音の発生は試験無効に連動する。持ち込み禁止だから、試験を受けるときは携帯を家に置いてくるか、ロッカーに入れるか、試験を受けない友だちに預けるしかないわけだ。早稲田では学部自治が貫徹しているので、各学部により、規制の態様や程度が異なることはあり得る。最近、携帯の着信音が目立つので、政経学部は厳しい規制を加えたのだろう。これも一つの見識ではある。携帯については、「時・場所・態様」に応じた規制を加えることには合理性があると思う。ただ、単なる「過失」による電源切り忘れまで不正行為と「みなし」、試験無効にするのは過度な規制だ、という意見はあり得よう。携帯規制については、当事者である政経学部の学生も意見を出したらいいと思う。

  携帯の着メロは表現の自由だという人もいるが、いかがなものか。最近、私自身、もろに着メロの被害にあった。1月中旬、高田三郎作品にこだわる「リヒト・クライス」(Licht Kreis) のコンサートに招待された。透明感のある、心にしみ入る合唱の数々。ところが、前半の最後の曲の、しかもppppの時に、不快な着メロがホール内に鳴り響いたのだ。高田氏没後の最初のコンサート。遺影を前にした厳粛な演奏中のことである。多くのファンの気持ちをどれだけ傷つけたことか。単なるマナーの問題ではすまない。もっとも、ある研究会の最中、室内に突然甲高い着メロが流れ、あわててOFFにする大学教授に出会った。着メロの普及はここまで来たという印象だ。人が密集する場所や、静穏を第一の価値とする場所(コンサートや葬式など)での誤作動を100%防止することは不可能に近い。極論に聞こえるかもしれないが、私は着メロは言うに及ばす、着信音それ自体の機能も携帯からなくすべきだと考えている。人が「携帯」するものであり、かつ、その所持者が人口の半数になる現状を考えれば、携帯電話の存続(発展)にとって、着信を「音」で知らせるということには限界があるように思う。メーカーは、音を使わない着信表示機能(バイブ機能以外の方法も含め)の開発に努力すべきである。そうすれば、早晩、着信音は古臭い(ダサイ)ものとして過去の遺物になるだろう。それまでは、とりあえず着メロだけでもやめましょう。