3月13日(火)の夜、プノンペンのホテルで遅い夕食をとっていた。取材疲れのため、ルームサービスにした。カンボジア料理はチィー(香草)が決め手。タイ料理よりはマイルドだが、いずれも私の好みとは距離がある。ココナツ・カレーをからめた魚料理を緩慢に口に運びながら、テレビのリモコンを動かしていた。突然、日本語が飛び込んできた。NHK国際衛星放送だった。その瞬間、私の箸が止まった。「プロジェクトX」の「戦場にかける橋」。 何という偶然。まさかカンボジアでこの番組をみることになろうとは。内戦で破壊された橋を1994年、日本人技術者たちがカンボジア工兵ともに完成させるまでを描く。この日まわった虐殺現場も出てくる。ポル・ポト時代に技術者のほとんどが殺され、橋の建設に使えるのは工兵のみ。彼らは橋の破壊や応急修理はできても、本格的な橋桁を作る能力を持たない。それを日本人技術者たちが粘り強く育てていく。銃で狙われる日々も。大変な困難の連続。そんななか、転換点は、現場責任者が自らが率先して技を示したときにおとずれた。その見事な技に、工兵たちの眼差しが変わった。こうして、破壊を目的とする兵隊たちを、ものを建設する技術者に育てあげ、「日本カンボジア友好橋」(チュローイ・チョンワー橋)は完成した。翌日、車で橋に向かう。運転手には「ジャパン・ブリッジ」で通じた。橋のたもとに白い記念碑がある(→画像)。裏側にまわり込んで下の方を見ると、技術者たちの所属する日本企業名が刻んである(→画像)。よほど注意しないと気づかない。番組で紹介していた「技術屋の誇り」を感じた。市内中心部に戻る途中、ピストルの銃身を結わえた形のモニュメントを見つけた(→画像)。台座に、ポル・ポト派兵士たちが銃を差し出す絵が描かれている(→画像)。そのあと、武器縮減の活動をしている団体を訪ねた。WGWR(Working Group for Weapons Reduction in Cambodia) 。 事務所は国連の機関の事務所が並ぶ一角にあった(→画像)。事務局次長のRoth Borey氏に話を聞く。1998年1月に、国内外のNGOの代表者が集まって、社会を不安定にさせる武器の問題を討論。その年の7月に、「カンボジアで武器の数と、問題解決のために武器を使う実践を減らす可能性」という報告書が出された。これをきっかけに、国内外の組織や個人が、小型武器に焦点をしぼった活動をすることを決めた。こうしてWGWRができた。国内に流布する武器の数は、100万人に対して50万丁。2人に1丁の計算だ。カンボジアでは口げんかにならず、すぐに銃が使われる。軍隊を除隊になるとき、支払う金がないため、銃が「現物支給」されたからだ。そのため、多くの家庭に最低1丁は銃があるとも言われている。2000年6月までに66000丁の銃が回収され、36000丁が公開の場で破壊された(ブルトーザーで潰すなど)。武器縮減の活動をするこの団体のトレードマークは、ドイツの兵役拒否者の団体が長らく使っていたものを真似ている。拙著『武力なき平和』の裏表紙のマークである。なお、WGWRは武器規制法制定にも関わっており、また、「小型武器に関する国際行動ネットワーク」(IANSA)のメンバーでもある。彼らが目指しているのは、21世紀の「鉄砲狩り」と言える。ただ、銃を強制的に回収するのではなく、銃の害悪を広く知らせる広報活動とともに、「銃を使わない問題解決の方法」を教育するという、地味な教育活動も行っている。「問題を非暴力的に解決する気風」「道徳性を高める。これこそ民主主義の基本要素です」とRoth氏。銃の数を減らすだけでなく、「銃を使わない文化」をつくる。これは、この国の社会の安定にとって不可欠の課題となっている。だから、ポル・ポト派の犯罪を裁く場合にも、最高刑は終身禁錮刑である。カンボジア憲法32条が死刑を禁止したからである。「銃を使わない文化」は、死刑なしに凶悪犯罪と向き合うことに通ずる。町中で偶然、カンボジア軍事法廷の前を通りかかった(→画像)。今年中にもポル・ポト派幹部に対する裁判が始まるが、カンボジア社会が平和的に安定するには、まだまだ時間がかかかりそうである。