世界貿易センター爆破事件から10年 2003年9月1日

宿駅西口の高層ビル群のなかで、高さ243mの東京都庁は一際目立つ。本庁舎は北棟と南棟に分かれ、45階(地上202m)にそれぞれ展望室がある。朝9時30分から夜10時まで眺望が楽しめる(南棟は17時30分まで)。たまたま近くのホテルの高層階で食事をする機会があり、この無機質なツインタワーをしばらく眺めていた。

  ツインタワーと言えば、まもなく世界貿易センタービル北棟にアメリカン航空11便が突入し、南棟にユナイティッド航空175便が激突してから2年になる。このツインタワーについて、ジャン・ボードリヤールが面白いことを言っている。彼について一度触れたことがあるが、最近翻訳された『パワー・インフェルノ――グローバル・パワーとテロリズム』(塚原史訳、NTT出版)は実に刺激的な本だ。そこにこんな指摘がある。「塔が二つあるという事実は、起源に関するあらゆる準拠の喪失を意味する。ひとつしかなかったら、独占状態がこれほど完璧に体現することはできなかっただろう。記号の二重化だけが、記号が何かを指し示すことを、ほんとうに終わらせることができる。…ツインタワーは、たとえどれほど高くても、垂直性の停止を意味している」「情報、金融、商取引のデジタル化された純粋モデルであるツインタワーは、まさにシステムの頭脳だった。そこを攻撃することで、テロリストたちはシステムの中心部の急所を突いたわけだ。グローバル〔アメリカ的システムの世界化〕の暴力は、ガラスと鋼鉄とコンクリートの霊室〔古代の石棺〕を思わせる建築の中で生活し、労働することの恐れをとおして、すでに立ち現れていた」。彼は、米国の覇権主義パワーとテロリズムとは「システムの悪魔的双子」というアルンダティ・ロイ(インドの作家)の言葉も紹介している。

  私は9.11のとき、大阪に滞在していた。あと10日で「あれから2年」ということになる。今回はやや視点を変えて、「ツインタワーの2.26から10年」という切り口から考えてみたい。
  1993年2月26日、世界貿易センタービル(ツインタワー)の地下駐車場に仕掛けられた爆弾が爆発した。死者7人、負傷者約1000人の大惨事となった。これを実行した男に対しては、禁錮240年の判決がすでに出ている(米連邦地裁)。今年は9.11事件から2年というだけでなく、2.26事件から10年になることはあまり知られていない。
  2.26事件と言えば、1936年(昭和11年)の青年将校らによる反乱事件のことを意味する。東京に戒厳令が布告され、軍部中心の政治への道を準備することで、日中全面戦争に突入する重要な転機となった。反乱に関わった19人(青年将校ら17人+北一輝、西田税)は、一審即決・非公開・弁護人抜きの特設軍法会議で死刑判決を受けた。だが、後になって、戒厳司令官の香椎浩平中将らが反乱の実質的な首謀者だったことが、当時の検察官(匂坂春平法務官)の史料の発見によって明らかとなった(澤地久枝『雪はよごれていた』日本放送出版協会)。19人の青年将校らは何も弁明せず、黙って死地に赴いた。日本の2.26事件も、青年将校らの背後に、より巨大な力学が働いていた。
  9.11に世界貿易センタービルやペンタゴンに突入した「テロリスト」たちの総数も19人だった。彼らもまた何も語らない。死人に口なしである。9.11の真の首謀者は誰か。ブッシュ大統領が議会に提出した9.11に関する報告書では、なぜかサウジアラビアの関与に関する部分が非公開とされた。ブッシュ(父)がCIA長官時代、サウジ・マネーを資金源に活動を展開しており、アラブ世界でブッシュ(父)は「サウジの副大統領」と呼ばれていたという。9.11の背後には、サウジをめぐる歴代米政権の構造的問題が複雑に絡み合っている。真実は、ビン・ラディン+アルカイダ犯行説と息子ブッシュ自作自演説という両極の間にあるだろう。

  9.11 の6日後の「直言」で、ドイツの平和学者E.-O.Czempielの見解を紹介した。彼は、「今回のテロは、パルチザン戦争が、グローバル化した現代世界に転用されたことを意味する」と喝破していた。「テロは第三世界の搾取に経済的原因をもつ。経済はグローバル化したが、政治はローカル化した。今、グローバル化が政治に跳ね返っているのである」と書き、「テロのグローバル化」を強調する。これに対処するためには、「まず、イラクを国際社会に復帰させねばならない」と、Czempielは主張していた。「世界が理解しなければならないことは、安全を生み出すのは装甲車や防空ミサイルではなく、〔富の〕再分配である。〔途上国への〕開発援助だけが安全を生み出しうるのだ」と。だが、ブッシュ政権は、暴力に暴力で対抗してアフガン戦争を行い、イラクを国際社会に復帰させるどころか、世界中の反対を押し切って戦争を仕掛け、これを力で崩壊させてしまった。Czempielの「処方箋」の逆をやってしまったブッシュ。「力の行使は新たなテロに『栄養』を与え、テロの連鎖を生んでいる」。これらの指摘は、9.11直後の言葉だが、いま読んでも含蓄深い。

  さて、上の指摘と関連して、ノルウェーの平和学者ガルトゥング(J.Galtung)が、スイスの週刊誌Weltwocheに載せたインタビュー記事を紹介しよう。ガルトゥングはいう。なぜブッシュとビン・ラディンはかくも互いに似ているのか、と。テロは西欧文明に向けられたのではなく、米国の世界支配は二重である。世界貿易をコントロールし、軍事的に支配することである。だからこそ、世界貿易センタービルと国防総省が標的になったのだ。テロ攻撃は西欧文明に向けられたのではなく、全く正確に、米国の経済的支配と軍事的支配に向けられていた。ブッシュはいう。米国は神によって選ばれし国である。その国に暴力を行使する者は神に対する犯罪である。いままで、それをやったのは、日本と9.11テロリストだけである。だから、日本はその戦争を原爆によって終わらされたのだ。それゆえ、今度もまた、「神の兵器」である原爆によって終わらされるだろう。ラムズフェルド国防長官らが、テロリストやその支援国に対する先制核攻撃を示唆する発言をする裏を、ガルトゥングはこう読み解く。
 実はガルトゥングは2001年の5月に、次の6つの提案をしていた。(1)サウジアラビアからの〔外国〕軍隊の撤退、(2) パレスチナ国家の肯定、(3) イラクに目標を与えること〔経済制裁の解除を含む〕、(4)イランのハタミ政権との対話、(5) アフガンで油田支配と軍事基地確保のための戦争をしないこと、(6) 米国とアラブ諸国との和解(第二次大戦後のドイツの和解をモデルにして)。ガルトゥングは、6つのうちの3つが5月段階で実現していたら、9.11はなかっただろうという。
  ガルトゥングは、「米国にとって重要なのは、サウジアラビアに代わりうる国を見つけることだ」という。米国はサウジを放棄しており、敵とみている。9.11事件の実行者19人のうちの15人はサウジアラビア国籍だった。サウジアラビアは、イスラム教原理主義のワッハーブ派(Wahhabis)を国教としている。ワッハーブ派は18世紀に勃興したイスラム教のいわば清教徒(ピューリタン)で、戒律がきわめて厳しい。1945年、サウジアラビアは米国と条約を結び、ダハラーンに米軍基地を置くことに合意した。米国がサウジの油田を確保するかわりに、サウド家(サウジ王室)を保護するという仕組みが出来上がった。サウジ王室が石油で金儲けすることは、ワッハーブ派の教義と合致しない。ワッハーブ派は禁欲主義的で、精神主義的で、非唯物論的で、金はアラーとの結びつきを破壊すると考えている。米国がサウジの人々を買収してきたことが、彼らにとっていかにひどい侮辱であるかを、米国は理解しなかった。湾岸戦争後、「異教徒」の米軍部隊のサウジ進駐を認めたことから、ワッハーブ派内に王室批判はさらに高まっていた。
  このようなガルトゥングの指摘から言えることは、9.11の背後には、半世紀以上にわたる、とりわけブッシュ(父)の時代以来の黒いしがらみが複雑に絡み合っているということだ。端的に言えば、米国は「外から」テロをされたのではない。米国内部に深く根ざす矛盾がツインタワーに向かって噴出したのではないか。これは戦争ではなく、敢えて言えば米国の「内戦」である。その意味で、米国にとって、サウジは危なすぎるのである。
  だからこそ、ガルトゥングはいう。「私のテーゼはこうだ。イラクは石油と軍事基地のための代替国である」と。サウジの石油よりも、イラクの石油の方が将来性があるとみられている。「イラク戦争」の最中、イラク各地に米軍基地が建設された。米国はなぜイラクを国連統治に委ねないのかの秘密がここにある。占領軍としてとどまりつつ、中東の軍事的拠点たるイラク米軍基地を完全に確保するまでは動かない。そのため、イラク民衆の怒りは、米英占領統治を補完するように映った国連にも向かった。8月19日の国連事務所爆破の背後に何があるのかは不明だが、これも現在のところ、フセイン残党説とブッシュ謀略説の中間に真実があると言っておこう。チャハビという亡命イラク人組織の指導者が国連への攻撃を事前に察知し、米軍もそれを知っていたが、警備の強化をはからなかった。この不作為責任がどこまで追及されるかは今後の展開次第である。いずれにせよ、国連事務所爆破事件で一番得をしたのは、戦争の正当性への疑義によってピンチに陥っていたブッシュ政権であることは確かである。トンキン湾事件(北ベトナム爆撃の口実になった謀略事件)をはじめ、20年後にすべてがわかっても遅すぎる。だから、いまの時点では、あらゆる可能性を見ておいた方がよい。

  米国は、いま、イラクで泥沼に陥っている。「やられる前にやっつけろ」症候群に陥り、結局、自分自身をも傷つけていくことになろう。ブッシュ政権による「イラク戦争」こそ、ボードリヤールの絶妙な表現(クラウゼヴィッツ『戦争論』の定義を意識した)によれば、まさに、「政治の不在の、他の手段による継続としての戦争」なのである。イラク特措法をそそくさと成立させて、ブッシュ政権の断末魔に、自衛隊員の命まで差し出して協力しようとする小泉政権こそ、まさに「政治の不在」の集中的表現にほかならない。

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