「東アジアの不戦のメッセージ」――「プーチンの7日間戦争」が始まるなかで
2022年2月28日

「長老」たちの不戦メッセージ

言「2022年の年頭にあたって――「力の政策」の突出は何をもたらすか」において、元早大総長の西原春夫さん(93歳、来月94歳)をはじめ、「長老」とされる90歳台の著名な方々が、2022222222222秒と、「2」が12個並ぶ時に、「東アジアの不戦の宣言」を行うという記事(東京新聞』2020108日付夕刊および『毎日新聞』108日デジタル版)を紹介した。夜の2222分ではなく、実際には、222日午後2時と、「2」が7つ並ぶ昼間の時間帯に、日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見が行われた。西原さんのほか、元国際連合事務次長(国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)事務総長特別代表)の明石康さん(91)と元国連大使・元OECD事務次長の谷口誠(92)さんが参加した。呼びかけた90歳台の著名人は18人(リストはここから)。「戦争の時代を直接体験したいわば最後の世代に属する者」としての「やむにやまれぬ思い」を全員が共有しているが、超高齢のため、この14カ月で4人も亡くなっている。作家の瀬戸内寂聴さんもその一人である。

当日はライブで記者会見を拝見したが、西原さんから「私たちは何を目指しているのか」という基調発言(下記参照)が行われた。明石さんが「提言」を紹介した。質疑応答では、谷口さんが、常任理事国(ビック5)の制度を批判するなど、踏み込んだ発言が聞けた。元内閣官房副長官の石原信雄さん(95歳)と登山家の三浦雄一郎さん(89歳)のビデオメッセージも流された。

また、韓国の長老(軍事政権に抵抗した人々)のなかから、東アジア平和会座長で、大韓民国元国務総理の李洪九、元駐日本国大使の崔相龍、対話文化アカデミー理事長の李三悅、自由言論實踐財團理事長の李富榮の各氏から祝電が届き、それが記者会見の場で読み上げられた(韓国長老の祝電とそれに対する西原さんの謝辞はここにリンク)。

西原さんからはメールで、事前に発言・提言のファイルを頂戴していたが、当日同じものが公表されたので、日付の時間修正をしないで、以下、そのまま貼り付ける。

私たちは何を目指しているのか
2022年2月22日22時22分
日本外国特派員協会
東アジア不戦推進機構代表
西原春夫

私たちは 77 年前、1945 年に太平洋戦争、第二次世界大戦に敗れ去った日本の、戦争の時代を直接体験したいわば最後の世代に属する者です。他国に巨大な損害を与え、自らも大きく傷ついたあの戦争がいかに悲惨なものであったか、いかに愚劣なものであったかを身にしみて感じている者です。戦争は理由のいかんを問わず絶対にしてはならない、そう考えて生きてきました。

そういう私たちから見て、最近の国際情勢の中に大国同士の戦争の危険が含まれていることに大きな危惧の念を抱くようになりました。そのようなとき、「戦争はいけない」と世界に向かって声を上げるのは、戦争の何たるかを知り尽くしている私たち世代の責務ではないかとさえ考えるに至ったのです。それは 2019 年初夏のころでした。

私たちは、もっと若いたくさんの支援者の方々と共に意思表示の方法、時機、背景となる思想などについて討議して来ました。その結果、翌 2020 年 8 月 12 日、①2022 年 2 月 22日 22 時 22 分 22 秒という、2 の数字が 12 重なる千年に一度の特異日に、少なくともまず私たちが属する「東アジアを戦争の無い地域にする」という宣言を、東アジアの国々の首脳が共同で、又は単独同時に発出する。②そのことを私たちが提案する、という企画を公表いたしました。

その後私たちが計画し努力してきたのは、東アジア各国に政府とつながりを持つキーパーソンを見つけ出し、その方を通じて政府の賛同を得ようという方法でした。私たちの企画が時代の要請に合っていたからかもしれませんが、いろいろな幸運も働き、この計画はかなり進みました。しかしそこに立ちはだかったのが新型コロナのパンデミックでした。海外出張ができないため、キーパーソンと直接お会いして賛同を求める機会が失われてしまったのです。その結果として、今年の 2 月 22 日に当初の目的を達することは不可能になりました。

ただ私たちの願望はこれで断たれたわけではなく、むしろその後の世界情勢は私たちの課題をさらに深いものにするよう要請していると思わざるを得ないようになりました。

そこで、今日皆様にお集まり頂き、私たちの提案とその趣旨を改めて聞いて頂くため、この記者会見となった次第です。

私たちがこの記者会見を日本の記者クラブではなく、日本外国特派員協会で行ったことについては、それなりの理由があります。

第一に、私たちの当面の目標はたしかに「東アジアを戦争の無い地域にする」ということに凝縮しており、一見すると単に東アジアの平和を願望しているだけのように見えます。しかし実は私たちは世界全体に通用する独特な政策論を背景としてこの企画を進めてまいりました。

一口で申しますと、戦争の原因となる意見・利害の対立は簡単に「解決」できないことが多い、そこでその対立の次元より一つ高い次元に立ち、対立している両者に共通の利益を見出せば対立は「超克」できるという方法で、私たちは「対立超克の理論」と呼んでおります。内容についてご質問があれば、後の質疑応答で説明いたします。

第二に、私たちの提言はとりあえず自分たちの所属する東アジアに限定したけれども、世界を見渡してみますと、「この地域ではもう戦争は起こらない」と言えるような地域がいくつも存在します。もしそれらの地域が、あるいはその所属国の首脳が、私たちの東アジアへの提言に倣って、ある共通の特定の期日に「自らの地域を戦争の無い地域にする」という宣言を改めて発することができれば、その歴史的意義は絶大です。

本日の記者会見を日本外国特派員協会で行った趣旨は、これでお分かり頂けたと存じます。

ここで提言者のお一人である元国際連合事務次長の明石康さまから「提言」を読み上げて頂きます。明石様、よろしくお願い申し上げます。


提  言

私たち18人は、第二次世界大戦の時代を直接体験した最後の世代の一員として、「戦争はいかなる理由があろうとも絶対にしてはならない」という信念に基づき、ここに以下の提言を発表する。

少なくともまず、私たちの所属する東アジアの国々の首脳が、特定共通の日を期して、共同または単独同時に、「東アジアを戦争の無い地域にする」という宣言を発出することを切望し、ここにこれを提言する。

2022年2月22日22時22分

この企画は主要紙には載らなかったが、『東京新聞』222日デジタル版 や PRTIMESで紹介された。

 

「超克の理論」を説く

 記者会見の質疑のなかで、西原さんは「超克の理論」を、来月94歳になるとは思えない力強い言葉と、身振り手振りで訴えた。これは、「対立を超克する」という考え方で、要約すると次のようである(西原春夫「いま必要な「対立の超克」「連帯」「不戦」:「東アジア不戦推進プロジェクト」がめざすもの」『論座』2020822 より)

 

   戦争の原因は、主に利害の対立にある。しかし、利害の対立はどちらかの、あるいは両方の譲歩がなければ解決できない。対立を放置しておくと、結局戦争によってしか解決できないということになりかねない。戦争は絶対避けなければならない。そこで、解決できない対立は、ひとまず「解決」を棚上げにして、その対立を「超克」するほかはない。「共通の利益」が見つかれば最も効果的である。今や人類は連帯してこのコロナ危機に対処しなければならない。対立や、まして戦争などしていられる時期ではないのである。

 国の安全保障の本旨は、「敵が攻めて来たらどのようにして国を守るか」にある。このような理解は、現在のような国際情勢を前提にする限り当然であって、誰も否定することはできない。しかし、元来国の国際政治、外交の本旨は、「どうやって他国が攻めてこないようにするか」にある。「どこの国も攻めてくることは現実的にはほとんど考えられない」という状態が恒常化するにつれて、戦争の危険は確実に遠ざかっていく。軍備や軍事基地も縮小が可能になってくるし、次第に国際警察力の一環というように変容していくであろう。既存の安全保障条約も、精神や性格を変えていくに違いない。
   確かにこれは理想かも知れない。しかし、少なくともまず東アジアにおいてそれがなぜ実現できないかを解明し、どうしたら実現できるのかを徹底的に議論すべきではないだろうか。本プロジェクトの成否は、最終的には各国政府の決断にかかっているが、前段階として、この構想がどれだけ多くの国民の共感を呼び、一つの国民運動としてのうねりを形成できるかどうかが課題となる。

   西原さんの「超克の理論」というのは、平和学でいう「超越(トランセンド Transcend)法」とも響きあうものといえよう。トランセンドは、平和学者ヨハン・ガルトゥングの提唱にかかる、平和的手段による紛争転換の方途の探求・実践である。例えば、尖閣諸島問題でいえば、1972年に周恩来が田中角栄に、1978年に鄧小平が園田直(外相)に提案したような、領土問題を将来の世代に委ねる「棚上げ法」である。これを確信犯的にぶちこわしたのが、石原慎太郎東京都知事(当時)による「東京都が尖閣諸島を購入する」という挑発的発言(米国ヘリテージ財団(軍需産業がバックにいる)における講演)であり、これに焦った野田佳彦内閣が、2011911日、「尖閣国有化」の閣議決定という愚策を行ったことである。これで中国のメンツが丸つぶれになり、中国漁船や公船が尖閣諸島周辺に多数現れるようになる。海上保安庁ホームページのグラフで、閣議決定の方向が報道された98日(各紙参照)を境にした顕著な変化が確認できよう。「領土問題」の解決は戦争しかないという絶望的な結論に至らないために、歴史上、さまざまな選択肢が検討されてきた。ウクライナ東部の自治権を認め、ウクライナ憲法改正によってそれを担保するという「ミンスクⅡ」合意の試みについては、前回の直言「ウクライナをめぐる「瀬戸際・寸止め」手法の危うさ――悲劇のスパイラル」でその重要性を強調したが、これがプーチンによって一方的に破壊されてしまった。西原さんのいう「超克の理論」が通用しない、最強の独裁者が登場した。これをどう考えたらいいかについては、来週書く。


ハイテク、ハイブリッド、ハイリスクな「プーチンの7日間戦争」

224日未明、ロシア軍のウクライナへの大規模な軍事侵攻が始まった。ウクライナ東部(ドンバス地域)の親ロシア派の二つの「人民共和国」住民を保護するために、当該地域に限定的な派遣を行うのではないかと思っていたが、その予想をはるかに超えていた。プーチンはウクライナに対して全面的な侵略戦争を仕掛けてきたのである。これについては、来週の「直言」で詳しく書くが、それにしても、プーチンの24日未明の演説はすさまじい(その演説の表情も。ロシアTV(NHKBS12256時)。演説要旨(『毎日新聞』225日付7面、全文はここから)を読んだが、そのすさまじい「論理」に驚愕ばかりである。「自衛」「ジェノサイド(民族虐殺)」「ネオナチの政権」とまくしたてるが、論理になっていない。ウクライナの非軍事化(中立化)をはかるという。法的根拠はまったくいい加減である。先制的自衛どころか、自分勝手で他国に侵攻できる「専制的自衛」であり、ドンバス地域の「2つの国家」からの要請に基づく集団的自衛権の行使、そして、ロシア系住民の「ジェノサイド」を防ぐための「人道的介入」「保護する責任」。なんでもありで突き進み、「ネオナチ・民族主義グループの政権」を倒す「レジーム・チェンジ」というところに落ち着きそうである。戦争目的という点では、2003320日に米英軍が行ったイラク侵攻の理由が、「体制転換」(レジーム・チェンジ)だったことと妙に符合する。また、プーチンも、「他に手段がなかった」という。コソボ紛争時の「NATO空爆」で、ノーム・チョムスキーが批判する「TINA」(There is no alternative.(他に手段がなかったのだ) が理由としてあげられたのとあまり違いはない。いずれにせよ、「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」(国連憲章24条)を負う安全保障理事会の常任理事国であるロシアが、自ら「平和に対する脅威」「平和の破壊」「侵略行為」の主体となるという、とんでもない状況が生まれている。

  この戦争は、最初の攻撃が無人機によるものだったことから、ハイテク戦争を象徴する。ずっと以前から東部ウクライナには、ロシア民間軍事会社(ワグネル[写真はZDF2月18日BS1のマリ派遣])の要員が入り、ウクライナ軍と交戦している。まさに直言「戦争の無人化」と「戦争の民営化」の特徴を示す。そして、『南ドイツ新聞』217日付評論「ウクライナに対するロシアのハイブリッド戦争」が指摘するように、現代の傭兵(民間軍事会社)の活用、サイバー攻撃、標的を絞った偽情報、プロパガンダ、右翼過激派への支援など、軍事・非軍事の手段を縦横に駆使した「ハイブリッド戦争」になっている。また同紙22日付は、24日の本格的侵攻までのプーチンのやり方について、「ピンプリックテスト」(pin prick test)と特徴づけている。「ピンプリック」というのは「針刺法」といって、細い針で痛覚刺激を調べるためのもので、非軍事的手法も使ったチクチクと相手を追い込んでいく様は、実に巧妙である。チェルノブイリ原発まで使って「核による脅迫」を行う。こういう手法は、一歩間違うと大惨事になり、プーチンにとってもかなりのハイリスクである。

   この戦争は、224日から33日までの「7日間戦争」を狙っているに違いない。北京冬季オリンピックの閉会とともに始まり、北京冬季パラリンピックの開催前に終わる。戦争を仕掛けて、その圧倒的な圧力のなかで、新たな「ミンスク合意」が生まれる。それは、NATOに加盟しないというウクライナの軍事的中立の確保と、ウクライナ軍の解体(非軍事化)である。これは「ミンスクⅡ」合意を一方的に破棄したプーチンによる「プーチンの平和」の押しつけである。だが、ウクライナ側の抵抗はどうなるか。プーチンの予定通り、7日で決着するか。まったく未知数である。プーチンのおごりが、かえって墓穴を掘るかもしれない。


プーチンをおだてた安倍晋三の罪深さよ

    それにしても、そんなプーチンとの会談回数を誰よりも誇り、「個人的信頼関係を築いた」と胸をはり、「ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。」(201995日・東方経済フォーラムなどと、歯が浮くような言葉を発しながら、北方領土問題で「完敗」をきっした安倍晋三元首相が、ウクライナ侵攻について批判する言葉が軽すぎる。日本政府の特使としてモスクワにおもむき、「ウラジーミル、ウクライナから撤退しようではありませんか。」と説得してみてはどうか。プーチンと20回以上会談した「外交の安倍」はどこへいったのか(直言「安倍政権の「媚態外交」、その壮大なる負債および「「外交の安倍」は「国難」参照)。

(2022年2月26日脱稿、ウクライナ戦争関係は次回に続く)

《付記》冒頭右の写真は、中国・北京朝陽区の土産物店に出ていたものを、2018年9月に水島ゼミ生が撮影してきたもの。「世界を変えるのは、戦争ではなく、信仰である。」
トップページへ