《憲法》を身近な生活の場での生きるモノサシとしてやさしくとらえ直し、21世紀の生き方への新しい視点を提示されている水島朝穂早稲田大学教授が、12月初旬、同友会大学での講義のために来宮されました。 《憲法》を読みとくなかで、そこに込められているメッセージに感動と共感の輪が広がっています。──そのワクワクする体験こそ私達のめざす経営ではないか。そんな思いをこめて、「同友みやざき」編集部と事務局は水島先生にインタビューをお願いしました。 専門の憲法と平和の話を軸に、学問の楽しみから方法の原点、そして教育の在り方にまで及んだ話は、21世紀の中小企業経営にも多くのヒントがありました。心あらたまる新春、じっくり味わって下さい。 |
ワクワクすることから学問は始まる 私の切り口は「驚きと発見の憲法学」というのがキーワードです。 学問だけでなく、人間のすべての営みの原動力は「驚きと発見」です。研究者の話を聞いたとき、あるいは本を読んだとき、「こんな見方があったか」とか「こんな事実があるのか」と知ったときが人間、一番ワクワクするじゃないですか。 逆に言えば、ワクワクしないようなのは学問じゃないんだ。どんな難しい学問でも、物理でも何でも、聞いていて、「わぁ、すごいな。宇宙のすごさを知った」とか、「サルの行動生態はこんなに面白かったのか」とか、「こんな小さな名もない藩が、ものすごいマネジメントをやっているな」とか、この時の気持ちのたかぶりを大事にしたいと私は思っています。 「おかしい」と思う自分の実感が出発点 私は1953年、朝鮮戦争が終わった年に、東京の府中市で生まれました。甲州街道の先に立川基地があります。 当時そこに向けて、M4シャーマン戦車が路上走行で走っていました。また、府中市は第5空軍の司令部があって、ここはベトナム戦争の重要な基地でした。 酔っぱらった黒人兵が商店へなぐり込んでショーウィンドウを割る。友人と私とで警察を呼んで来るんですが、50メートルぐらい向こうでみている。「捕まえて」「捕まえて」といっているうちに黒人兵は行ってしまい、MPというアメリカ軍の警察がきて、適当に処理をしていった。 小学生の時、隣の小学校のプールを借りに行く途中に、第5空軍の将校官舎がありました。フェンスの向こう側に芝生があって、プールがあり、同じ年頃の子供が泳いでいる。そこには「立入禁止」の文字。母は言いました。「20号線の向こう、甲州街道の向こうは日本じゃないのよ。」「そうか、日本じゃないんだ。だからだな。」 そういうなかで、やっぱりどこか変だなという思いが膨らみ、調べたくなりました。「米軍地位協定」という言葉を知ったのは小学校6年生のときで、中学校の感想文でもそういうことを書いていました。イデオロギーとか正義とかじゃなく、身近な出来事として、自分の生活している場所で“おかしいな”と思ったこと、その違和感が疑問となり、私をこの道に向かわせました。 「こんなことをやりたい」と発信するなかで 初めて就職したのは30才の時、札幌学院大学助教授として着任しました。最初の仕事は道内の高校巡りです。翌年4月からの法学部開設に向けて、高校の進路指導部の先生方を訪ね、生徒を受験させてくれるよう学校のPRをしてまわるんです。 雪の降るなかを、入試パンフを持った職員と一緒に、道内の説明会場をまわっていく。「道内で3番目の法学部として、こういうことをやっていきたい」と語ると、熱心に私の話を聞いてくれました。小さなテーブルを囲んで食事をしながら話が弾み、交流が始まる。そうすると、次の年からいい学生を送ってくれるようになりました。 最初は「俺は憲法の授業をやるために来たのに、何をやっているんだろう」とくさったこともあります。しかし、私の話を「おもしろそうだ」と聞いてくれる先生がいて、そういう人達の反応に支えられました。 あとで入試部長が「先生、宣伝上手ですね」というから、「いや、僕は全然宣伝するつもりがなかった。はじめて大学教員になってやりたいことを、とにかく夢中で話しただけです」と言った。 自分が好きでやっていますという姿勢が、大学からみれば宣伝になっていたんですね。私立大学は受験生がいなくなればつぶれてしまう。どうしたら受験してもらえるか。私は、いい教員がそこに定着するような施策が一番大切だと思います。 長期戦略は「未来への発信」 もうひとつ、就職したとたんに、理事から毎年百万円の予算が出るから、雑誌をつくれということがありました。学内PR誌を年に2回だすんです。私は理事に言いました。「PR誌はつくりたくない。この小さな大学の、小さな雑誌が全国にアピールするものをつくりたい。」 事務局が考えていたのは、A4判の大きさの薄っぺらいパンフレットです。僕は「こういうものは残るんだから、月刊誌の大きさにして、多少厚みがあり、背表紙の色も毎回変えるべきだ。そして5冊たまったらバインダーを送ればいい」と言った。 バインダーを送ると『札幌学院評論』が進路指導室やら図書館にポーンと入る。薄っぺらいパンフレットだと捨てられちゃうけど、バインダーに入っちゃうと捨てられないから、高校生が見るじゃないですか。どこを受けようかなという人が、パッとみて、こんなとこ受けようと、必ず宣伝効果がある。「1号、1号が未来に向けて発信するぞ」といって7号までつくりました。 いろいろな特集をやりました。「いま学生は」「学ぶこと、はたらくこと」「今、北海道は」等。巻頭は、山田洋次、いずみたく、といった人たちへの僕のインタビュー・対談です。 数年たってから「ある女子高校生が山田洋次監督との対談を読んで受験してきた」という話を聞きました。理由を聞いたらこういうことをやっている大学に行きたいと思ったという。この大学を辞めてから5年越しのことです。そうやって未来に向けてどう発信するかを考えることが、長期戦略だと思います。 教育の力─知識と情報 子どもの頃、嵐寛寿郎主演の時代劇をテレビでみていた時、とても感銘を受けたシーンがあります。何十人という敵に囲まれながら、刀を抜かないんです。殺されないで相手を負かしちゃうんです。これを「活人剣」というんですね。 スキのなさに、誰も切り込めない。ジリジリジリっていう間合いの中で、相手が冷や汗を流しながら下がっていく。こっちは刀を抜かないまま、小1時間がすぎて、さぁーと逃げていく。人を殺さないで勝っちゃうんです。すごい。この気迫。このスキのなさ。「剣を使わずして相手を倒す。これを活人剣という」。これを言ったときの嵐寛寿郎のセリフの言い方がすごかった。いっさいの武力を持たずして、相手にスキを与えない。憲法9条の思想につながるものを、そのチャンバラ映画の流れの中でも知りました。 3年前、ゼミの学生と沖縄を訪れました。2日目に沖縄中部の読谷村にある、シムクガマとチビチリガマ(鍾乳洞)を訪れました。シムクガマには千人の村民が避難しており全員が無事保護。チビチリガマでは82人が「集団自決」しました。 何がこの違いを生んだのか。この時の学生のレポートを紹介します。 「(前略)距離的に驚くほど近い二つのガマ。その運命は対照的だった。極限状態でシムクガマの人々の命を救ったのは語学力と外国に対する知識だった。平和を確立するためにいろいろな国の人々がお互いに知り合い、理解し合うことが大切だ。私は外国旅行もしたけど、今度のゼミの沖縄行きはこのことを切実に教えてくれる旅だった」。(水島朝穂著『ベルリンヒロシマ通り』より) 現場で学ぶ 昨日、飫肥城を訪ねたところ、そこでもらった案内リーフレットを読んで感動しました。源頼朝の時代から明治時代まで続いた伊東家。その紆余曲折の流れのなかには、情報と人脈の活用があったのではないか。島津との抗争に破れても秀吉の九州攻めにのってうまくお家再興にもっていく。時のビックパワーとつかず離れずつきあいながら、歴史の流れのなかを生き抜いてきた伊東家の経営には、宮崎から日本をどうみるか、日本からアジアや世界をどうみるかといった視点において、学ぶべき点があるのではないかと感じました。 歴史というものを学ぶ場合に、その学び方は回顧ではない。まさに今を生きるためのヒントが無数にあるわけです。歴史は未来学です。 私は「現場で学ぶ」ということを大事にしています。現場というのは、遠くに、例えば飛行機に乗っていかなければいけないところにあるんじゃなくて、実は目の前に現場はいっぱいあるんだ。現場と気づかないで日頃見過ごしているいるだろう。そういう意味で自分の身近にある地域や、自分が住んでいる故郷というところにある問題の現場に行くことです。そこへ行って人の話を聞く。みる。味わう。体験する。五感をいかして、人間というのは知性の中にそれをフィードバックする。これが「学ぶ」ということになるんだ。「学ぶ」というのは、人間の五感の総合力プラスアルファだと思います。 共に学ぶ─旅を共にすること 中学校の時の忘れられない体験があります。その先生はいつも同じように教科書をつかって、いつも同じように話をしてきた。ところがたぶん、それは誰かが質問したんだと思いますが、一瞬顔が変わって「ちょっと待ってくれ」と絶句した。「そうだ、ちょっと違うかもしれない」と、先生、あわてたんです。しばらくすると、パッと顔が変わって、「そうだ、こっちの問題だったんだ」てな話で、急に別な話をされて、それが非常に面白かったことがある。そのときの先生の顔はいまでも覚えています。 つまり、先生はこっちを向いていますが、実は先生の向こう側に真理がある。先生は学問に向かってちょっと先を歩いているが、真理の前には実は平等で、教室という道場で、真理に向かって一緒に学ぶ旅をしている。場合によっては、学生のほうが先を見つけて、先生と違った結論をだしてそっちが正しいこともある。そのとき、真理の前の平等という原則から、先生は生徒に感謝する。「ありがとう。今日は教えてもらった」。これが本当の意味での教師なんです。だから、自分と意見の違うことがあるとうれしいんです。私はそういう姿勢で行くから、バンバンいってくれと言う。学問の旅を共にする旅人として、真理の前に平等でありたい。これが私の授業の姿勢です。 このことは、経営にもあてはまると思います。仕事をするという上では、社長も従業員も平等。同じ目標に向かって共に知恵を出し合う。これが同友会で言う「共に育つ」ということではないでしょうか。 いま人間が、一人ひとりが「個」としてたつ時代になってきたと思います。そういう人間に成長する過程として、家庭や学校や企業や社会がある。それぞれそこに立つ人間が、肩の力を抜いて、共にプロセスを歩いているんだ。その限りで平等だよと思うと、存外思わぬヒントが出てきたりして、前に進むんです。憲法は、その筋道を教えていると思うのです。 一人ひとりが主役 憲法13条に「すべて国民は、個人として尊重される」とあります。「個人として尊重される」という意味は、個人が人格として自律しているということです。人格として自律しているということは、まさに「俺はこういう人間だ」って誇りをもっていることですね。その誇りが、他人を否定したりエゴに走るというんじゃなくて、私はギリギリこれだっていう、アイデンティティの確立が個人の尊重につながるんです。 日本国憲法の前文に「平和を尊重する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。「諸国民」。英文では「ピープルズ」です。国家ではない。一人ひとりの人間なんです。 インターネットのひろまりから、誰でもが世界中の情報を簡単につかみ、世界中の人々と直接交流できるようになってきました。先日そのなかで、「グローバル・デモクラシー・ネットワーク」という組織を知りました。日本語に訳せば「地球規模の民主主義ネットワーク」ですね。世界119ヵ国の国会議員千人がつくっているパソコンネットワークです。 国家というかたちを超えた交流が始まっています。一人ひとりの人間が、自分が生きている「いま」と「ここ」を基点に、どんな未来をつくっていくか、未来に向かって何を発進していくかが問われています。 (文責・事務局 結城美佳) |