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2025年5月3日「日本国憲法施行78年」の記念講演は徳島市になりました(詳細後日)


2024年12月18日


ドイツの連立政権崩壊

米大統領選挙で「「不死身のトランプ」の帰還」「ほんトラ」となった翌日の11月6日、ドイツで社会民主党(SPD)[赤]、自由民主党(FDP)[黄]、「緑の党」(Die Grünen)[緑]の「信号機連立政権」(Ampelkoalition)が崩壊した。オラフ・ショルツ首相が、予算編成をめぐる不一致からクリスティアン・リントナー財務相(FDP党首)を解任したことで、90議席を有する同党が連立を離脱。ショルツ政権は連邦議会における議席の過半数を失った。

  「自由、正義、気候保護のための同盟」と称して野心的な目標を掲げて出発したが、妥協よりも対立が際立ち、「3年と8日」で「信号機連立政権」は崩壊することとなった。他党との連立は不可能であったため、来年9月の任期満了選挙を待たずに、選挙を前倒しで実施することになった。だが、ドイツ基本法には、議会を解散して総選挙を行うのには高いハードルがある。

 

議会解散への高いハードル

 周知のように、日本国憲法69条には「衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき」とある。解散権は首相の「伝家の宝刀」と勘違いされ、とりわけ安倍晋三がこれを「濫用」したことは記憶に新しい。この点で、ドイツは事情が異なる。連邦議会選挙は、任期満了によるものがもっぱらである。後任の首相を選出しなければ、現首相に対して不信任案を出すことができない(基本法67条)。日本のように内閣不信任案を抜き身で提出できない仕掛けになっている。これを「建設的不信任制度」という。

 もう一つは議会解散権の制限である。首相が自己に対する信任決議案を議会に提出し、これが過半数の同意を得られなかったとき、首相は大統領に対して、議会の解散を求める。この首相の提案に基づき、大統領は「21日以内に」議会の解散を決定することができる(68条)。つまり、議会を解散するには、過半数を占めている政権与党の議員の一定数が、首相を信任しないという意思表示(信任決議案に反対)をするか、棄権をするしかない。なお、連邦議会が新しい首相を選出した時点で、解散権は消滅する(68条1項2文)。このような面倒な段取りを幾重にも設けたのは、議会解散が乱発されて、ヒトラーの独裁暴虐への道を準備したことへの歴史的反省によるものとされている。

 1919年のヴァイマル憲法は、大統領に強力な権限を与えていた。大統領非常措置権(48条)は有名だが、25条の議会解散権も忘れてはならない。完璧な比例代表制を採用していたため、多くの政党が乱立して、選挙のたびに連立政権になった。憲法上、議会は不信任決議により、首相や閣僚を辞職に追い込むことができた(54条)。議会は度々解散され、内閣も頻繁に変わって、ヴァイマル共和制の14年間に、12人の首相による計20の内閣ができた。一内閣の平均存続期間は8カ月半にすぎなかった。何も決まらず、「議会はおしゃべりばかり」と国民の政治不信は頂点に達した。国民投票や直接民主制的手法に共感が集まり、それをうまく利用したナチスが、1933年1月30日、政治権力を獲得したのである。首相となったヒトラーは巧妙だった。組閣の翌日の初閣議で、議会の解散を決定したのである。大統領は議会を解散できるが、それが有効となるには、首相の副書が必要だった(50条)。ヒトラーは憲法の手続を巧みに使って、あるいは徐々、あるいは急速に、ヴァイマル民主制を崩壊に導いていったのである。

 こうした歴史的教訓から、戦後ドイツの憲法である基本法は、議会解散による頻繁な選挙を抑制する設計になっている。連邦議会は解散権を持たず(自律解散の否定)、連邦大統領も単独で議会の解散をすることはできない。解散に通ずる信任投票に、連邦議会だけでなく、首相、大統領という3つの憲法上の機関がコミットするようになっている。今回使われた「信任投票」の方式は、首相が信頼を得るために使える「非常に鋭い道具」とされる(カール-ルドルフ・コルテ ZDF2024年12月16日解説)。「たたかう民主制」のあらわれである政党禁止などのハードに対して、憲法機関相互の抑制と均衡に依拠したソフトな仕組みといえるだろう(直言「ドイツの「憲法記念日」(その2・完)―「防御的民主制」が焦点に」参照)。

信任決議案「否決」による4度目の解散

 1949年の基本法制定以降、5回の信任投票が行われた。 そのうちの3回(1972年のヴィリー・ブラント(SPD)、1982年のヘルムート・コール(CDU/CSU)、2005年のゲアハルト・シュレーダー(SPD))は、信任決議案が否決されることにより連邦議会が解散された。ショルツは、意図的に信任投票を呼びかけて、その否決によって選挙を行うことを狙った4人目の首相ということになる。2005年のシュレーダー政権以来、実に19年ぶりの「議会解散のための信任投票」である。シュレーダーが行った基本法68条を使った解散の直後に、直言「「賛成の反対なのだ」―基本法68条」をアップした。そこに次のようにある。

 …[2005年]7月1日、ドイツ連邦議会はシュレーダー首相の信任決議案を否決した。「信任」案に「賛成」が151、「反対」が296、「棄権」が148であった。『シュピーゲル』誌7月4日号の写真[左の写真参照]を見れば明らかなように、社民党と緑の党の連立与党の議席数は304で、過半数を超えている。前日までに40件の法案などを可決しているので、どう考えてもシュレーダー内閣が「行動不能」の状態になっているわけではないだろう。野党は当然、シュレーダー首相を支持しないから「信任」案には一致して「反対」した。だが、連立与党は悩ましかった。連立与党から148人が「棄権」して、結局、野党の「反対」の相対多数で「信任」案は否決された。党執行部は「棄権」するよう呼びかけたが、与党議員のなかには、シュレーダー首相の経済・福祉政策に強く反対している議員もいて、彼らは、現政権のやり方に「反対」のゆえに「信任」案に「賛成」した。連立与党の投票行動を細かく見てみると、社民党は140人が、緑の党は8人(フィッシャー外相を含む)が棄権した。これは社民党執行部の要請に沿うものだった。しかし、社民党から105人、緑の党から46人が賛成にまわった。…

 「私はこの投票に参加しない。捏造された、ニセの信任問題が起きている」として批判する議員も出た。コール政権がやった解散目的の信任決議に対して、連邦憲法裁判所は、「首相が、多数の不断の信任を得る政策が十分に遂行できないほどにその行動能力において侵害もしくは麻痺している」という要件でこれを認めた(1983年2月16日)。シュレーダー政権は前日までに40件の法律案などの案件を可決しているのだから、「行動能力」が麻痺している状態にあるとは到底いえなかった(上記直言参照)。これを基本法68条の「濫用」と解して、直接に選挙民に訴えかけるチャンスを広げようとする手法は、「国民投票(プレビシット)民主制」への道であるとして危惧する学者もいた(同上)。
  2005年のシュレーダー政権の解散のための信任投票についても、2件の機関争訟が起こされた。連邦憲法裁判所は、「「解散を目的とする」信任投票が連邦政府を十分に議会的に安定させるために行われるのであれば許容される」という判決を出している。
  19年ぶりの今回の「解散のための信任投票」について、連邦憲法裁判所への提訴がなされるかどうかは不明であるが、後述する各党の投票行動から見ればそういう事態にはならないだろう。

 

12月16日の連邦議会の風景
   ショルツ首相は12月11日、基本法68条に基づき、信任投票の動議を提出した。連邦議会は12月16日に臨時会を開き、この動議を審議した。当日の議会の状況は、Live動画で視聴することができる。

思えば33年前、ベルリン在外研究中、連邦議会での首都決定をめぐる議会審議をテレビ中継で見たことがある。夜10時前に、わずか18票差で「首都ベルリン」が決まったのを思い出す(直言「連邦議会、ベルリンへ」。直言「ベルリン首都決定の25年―ライン川からシュプレー川へ」も参照)。いまは動画をずっと視聴する元気がないので、終了後で早回しでチェックしていった。

  13時過ぎ、バーベル・バス連邦議会議長が開会宣言し、ショルツ首相が信任投票に向けた演説を行った。3年と8日間となる政権の実績を語りながら、連立与党だった自民党の内部妨害行為を強く非難した。そして、「力強く、決然と未来に向けて投資する勇気があるか」と問うた。安全、教育、社会など、すべてに「投資」(Investitionen)という言葉を使ったのが印象に残った。

これに対して、各党の党首を中心に、無所属議員2人を含めて19人の演説が続いた。2時間半にわたる討論では、ショルツ政権の政権運営と施策の評価をめぐり、各党が入り乱れての応酬となった。特に野党第1党のキリスト教民主同盟(CDU)のフリードリッヒ・メルツ党首は、総選挙を見越して、3年間の「信号無視政治」と皮肉り、手厳しい総括的批判を行った。保守の政党なのだが、雇用政策や給付政策に力を注ぎ、社民党支持層を意識する議論を展開した。連立離脱した自民党への批判は与党側のみならず、無所属議員からも出て、「信号機」連立政権の不具合の原因となったことが指摘された。

極右の「ドイツのための選択肢」(AfD)のアリス・ヴァイデル党首は、すべての政党をなで斬りにしていった。ショルツ首相は「たった3年でドイツ人が今後数十年に渡って支払わなければならない損害をもたらした」と激しく非難し、「緑の党」のハーベック経済相は国を経済的に破滅させ、メルツ(CDU)に投票した人は「戦争に投票した」ことになると断じた。米国のトランプ当選を、外交を通じてウクライナでの戦争を終わらせるチャンスと捉える。ドイツによる武器供与の中止と、交戦当事者となりうる軍の派遣に強く反対する。他方、アサド政権の崩壊により、ドイツのシリア難民に対し「直ちに帰国」するよう要求した。そして、新たな難民の流入を防ぐために、シリア難民の入国、帰化、家族再会を停止することを求めた。

左派党(Die Linke)はウクライナを「ドイツ連邦共和国史上最も大規模な再軍備に利用した」政府を非難している。同党を離党して結成した新党BSWのザーラ・ヴァーゲンクネヒトは元気いっぱいで、「信号機連立政権」は人々の生活を「著しくかつ持続的に」悪化させたとし、ウクライナへの武器供与も強く批判した。「ウクライナ戦争」をめぐっては、左右両翼のポピュリズム政党が正論を唱えていた。

 16時になり、バス議長が投票を呼びかけた。議員たちは本会議場後方に設置された投票箱に投票札を投じている(冒頭下の写真。出典:Deutschlandfunk vom 16.12.2024)。日本の国会のように、演壇に行儀よく一列になって投票するシーンを見慣れた日本人には違和感ある投票風景だろう。なお、冒頭上の写真は2005年のシュレーダー政権の信任投票風景である(出典:MOZ.de vom 9.11.2024 )。議場前に置かれた小さな投票箱に、全議員が集まってきて投票している。

投票開始から32分たって、バス議長が投票結果を発表した。投票総数717票、賛成207票、反対394票、棄権116票、信任決議案は否決された。まったく拍手が起きなかった。「信任」決議案の「否決」ということもあろう。「これで本日の議題は終了です」と議長が宣言し、次回日程を告げて散会となった。

斜め右上の写真は連邦議会のホームページにあるものである。各党議員の投票行動が一目瞭然である。ショルツ首相の信任に賛成したのはSPDの全議員とFDPを離党したフォルカー・ヴィッシング連邦運輸相と、なぜか極右のAfDの3人、無所属の3人の計207人だった。 反対票を投じたのは、最大野党のCDU/CSUの全議員のほか、SPDをのぞくほとんどすべての政党で、計394人。棄権票を投じたのは116人で、投票に参加した「緑の党」の全員と無所属議員1人だった。


 来年2月23日の総選挙――「連立方程式」はいかに?

ドイツの選挙に関心をもって見守るようになって50年になる。大学4年生の時に、卒業論文(ゼミ論)に西ドイツ政党法を取り上げ、修士論文でボン基本法の政党禁止制度を扱ったので、ドイツの連邦議会選挙は常に関心をもって調べてきた。1995年6月にまだ首都がボンの時代にベルリンを訪れ、ライヒ議会(Reichstag)の議事堂がポリプロピレン製の布で完全に覆われているのを目撃した(直言「国会議事堂を覆う―日本とドイツ」)。1999年のボン在外研究時には、新旧の連邦議会議事堂をしばしば訪れた(直言「ドイツ基本法70周年の風景」)。左の写真にあるように、ベルリンの議事堂のドーム(Kuppel)は「世界一の透明度」を誇る。何度かドームの上まで登ったが、驚かされるのは、そのドームからクリスタルの尖った先端が議場に延びていることである(写真はhttps://x.com/Bundestagより)。傍聴席だけでなく、ドームの天井から議場を眺められる議会は他にないだろう。

  この議事堂は、2月23日の選挙の後、どのような政党配置になるだろうか。何よりもどのような連立政権が誕生するかである。すでに今週、ザクセン州で少数与党政権(CDU+SPD)が発足した。ブランデンブルク州やチューリンゲン州でも変則的な政権となって、安定しない。いずれも、極右のAfDの躍進が背景にある。かつてドイツは二大政党(CDU/CSUとSPD)にFDPが組み合わさった連立政権(一時期は大連立(CDU/CSU+SPD))が半世紀続き、1999年にSPDと「緑の党」の連立政権が発足した。メルケル政権は大連立政権で、2021年から「信号機連立」となった。ドイツの「連立方程式」は、かつては6種類だったが、さらにBSWという新党の登場で組み合わせはさらに増えた。来年2月23日の選挙が終わっても、連立交渉、連立合意に時間をとり、政権発足までかなりかかると予測される。多党化もさらに進むだろう。一方、フランスも総選挙の結果は複雑で、1年間に4人の首相が誕生した。日本は少数与党政権で迷走が続く。1月20日に米国でトランプ政権が発足する。「就任初日の独裁」で、25本の大統領令が出されて、世界をかき回していくだろう。その時、ドイツは総選挙の最中である。投票日の2月23日までに、ヨーロッパや世界の様相はかなり変わったものになっているかもしれない。ドイツの新政権はこれに対応できるか。

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「アシアナから」:カブールの職業訓練施設の一少年

Dieses Spielzeug wurde aus der Aschiana-Schule,
Kabul geschickt.

――「アシアナから」――

2002年のカブールの職業訓練施設で一少年が作った木製玩具。
肉挽器の上から兵器を入れると鉛筆やシャベルなどに変わる。
「武具を文具へ」。
平和的転換への思いは、いつの時代も同じです。

「直言」2002年6月10日